時を超えて

よろしくま・ぺこり

時を超えて

 暗い研究室の片隅で、オレンジ色の煙草の灯がつき、男の顔をほのかに映し出すと、また消えた。暗闇がまた研究室に満ちてくる。

「やった」

 男はつぶやいた。高校三年の秋から三十年、理論を学び、一人で研究と実践を繰り返してきたものが完成した。それは、タイムマシン。彼はある痛恨事からタイムマシンの発明を思い立ち、長きにわたり、「キチガイ」呼ばわりされながらも、大学の准教授としての必須の受け持ちの授業時間を除いて研究と発明に打ち込んできたのだ。早速、過去へ、あの時へタイムトリップだ。

「いや」

 その前に身だしなみを整えなければならない。智子の前に出るのだ。長く伸びた髪、ボウボウのヒゲ、着古したシャツとパンツ。これでは智子に会えない。いや、実際には会ってはならないのだ。遠くから見つめることはできる。知らん顔で、横を通りすぎることはできるだろう。しかし、面と向かって、会ってはならない。別に、時間を変えてしまうというタイムパラドックスの罪悪感ではない。実際、自分は時間を変えようとしているのだ。まあ、そのことは後で考えればいい。とにかく、身だしなみを整えよう。青山の予約の取れない美容師を脅かして、髪を切らせ、一年間使っていないシェーバーでヒゲを剃った。これには苦労した。そして洋服。おめかししても仕方がないので、ウニクロでシャツとパンツ、セーターを買った。鏡を見る。

「老けたな」

 自虐する。まあ、自然現象だから仕方がない。しかし粗食に甘んじていたから肥満はしていない。同世代の男と比べれば、まだマシな方だ。念のため、白髪染めを使ってみる。うん、よしよし。

「よし」

 男はタイムマシンに入り、諸所を調整した。

「行くぞ、三十年前、あの夏に」

 タイムマシンが七色にきらめき、そして煙と共に消えた。

 智子は三十年前、十七歳で死んだ。自殺だった。智子は恋をしていた。年上の青年とだ。その夏、祭りの夜、智子は不良グループにレイプされそうになった。それを助けたのが、その青年だ。二人は急速に接近していった。当時の男は智子に恋心を抱きながら、愚図愚図しているうちに、横から智子をかっさらわれた気分だった。祭りにも誘われていたのだ。だが、プロ野球が見たくて断っていた。しかし、智子の恋は長くは続かなかった。青年が消えたのだ。唐突に。それに絶望した智子は自殺した。お腹には青年の子が宿っていたという。男は後悔していた。なんでプロ野球を取って、智子を選ばなかったのだろう。過去に戻ってやり直したい。その思いが男を物理学の世界へ呼び込んだ。全てはタイムマシンを作り、あの日に還り、自らが智子を不良グループから守り、智子と真剣に恋をしようと思った。あれから三十年。もう自分が智子と恋愛することはできないが、当時の自分に手紙を書いて、智子の危機を知らせ、助けさせることはできる。男はタイムマシンを森の奥に隠し、町へ出た。

 懐かしい通りを進んで、実家に出た。懐かしい。実家は、今は取り壊されて改築されており、兄夫婦が住んでいる。両親はすでに他界した。兄夫婦との付き合いはほとんどない。絶縁状態といってもいい。実家の門扉には小さな赤いポストが置いてある。男はそこへ三十年前の自分に宛てた手紙を入れる。中には事件の日にち、内容、自分どうするべきか詳細に記してある。但し書には「間違ってもプロ野球は見るな!」と強調した。これで安心だ。三十年前の自分は智子と夏祭りに行き、不良グループに囲まれても、得意の空手で、(そう、男は空手道場に通っていたのだ)不良グループを倒し、智子を救い、二人は付き合うことになるのだ。男はウキウキしてタイムマシンに向かった。現代に帰れば、男の妻となった智子が笑顔で迎えてくれるかもしれない。男はタイムマシンに乗り込み、レバーを引いた。が、しかしタイムマシンは起動しない。故障だ。慌ててきたので修理機材を持ってこなかった。ピンチだ。男はタイムマシンの側面をキックしてみた。動くはずもない。そこに、「どうしたんですか?」と女性の声がした。まずい。振り向くと、やっぱり女性は智子だった。「ああ、車が故障してしまって」男は言った。タイムマシンは自動車の形をしていたのだ。「珍しい、車ですね」智子は言った。それはそうだ。三十年後の車の個体をベースにしているんだ。この三十年で車の形はずいぶん変わった。「カスタムカーなんだ」男は言った。「修理場をお教えしますか?」智子は優しい。「いや、もっと根源的な故障なんだ。修理場でも直せない」「そうなんだ」「ところで、君はこんな森で何をしているの?」「ボーイフレンドと会う約束をしたんだけれどフラれたみたい」何やってんだ自分。男は心で毒づいた。大事なものはなくなるまで気づかないものなのか? 「とりあえず、俺のことは気にしないでくれ」「そう、じゃあさようなら」「さようなら」男は智子と長話をしないように、気をつけた。さて、どうしよう。金は古銭屋で三十万円分ほど、買ってきたので心配はない。問題はタイムマシンだ。助手には「俺が一ヶ月戻ってこなかったら。予備のマシンで、この時代に来て欲しい」と伝えておいた。一ヶ月で、三十万円。充分な金額だ。男はタイムマシンに寝泊まりすることにした。なるべく、人目は避けたい。なのに智子がしょっちゅうやってくる。そして、たわいのない話をして去ってゆく。男は青春のときめきを思い出していた。そして、夏休み、「ねえ、一緒に夏祭りに行かない?」と智子は男に行った。「だ、駄目だよ。そういうのはボーイフレンドと行かなくちゃ」男は欲望を必死に堪えてそう言った。「そうよね。バイバイ」智子は背中を見せて走って行った。

 夏祭りの日が来た。男は三十年前の自分を信じられなくなっていた。やつはきっと、プロ野球を選ぶだろう。今日は東京キング対横浜マリンズだ。ご贔屓チームの中継に胸を高まらせているだろう。馬鹿だ。そうするとあの青年が、智子を不良グループから救うことになる。二人は恋に落ちる。それだけは駄目だ。その先には智子の自殺が待っている。男は夏祭りを偵察することにした。夏祭りは八幡神社の境内で行われる。男はこっそりと鎮守の森に入った。智子はすぐに見つかった。可憐な浴衣を着て一人歩いている。やっぱり自分は野球を取ったんだな。男は怒る。青年らしき男の姿はない。

 森に不良たちがたむろしている。やつらが智子を襲うのだ。間もなく智子が来る。来た! 不良グループが立ち上がる。青年は出てこない。智子の悲鳴が聞ける。思わず、俺は不良グループを得意の空手でやっつけていた。すがるように、男に抱きつく智子。二人は恋してしまった。青年は男だったのだ。

 子供ができてはいけない。男は智子との性交渉を拒んだ。ただ一緒にいるだけで、心が弾んだ。青春を取り返していた。

 それを許せないと感じた者がいた。三十年前の自分だ。ようやく、智子の大切さに気がついたんだ。遅い! やつは俺に果し合いを申し込んできた。いいだろう。負けてやろう。そうすれば新しい未来が生まれる。

 果し合いは森の前の原っぱで行われた。勝負はすぐに着いた。やつはナイフで男の急所をついたのだ。それだけ必死だったんだろう。「なんで!」智子が走り寄ってくる。

 消えかけた意識の中で、男はこういった。

「これで、君の命を守ることができる」

 時間が狂ったって男には関係なかった。

 それで満足だった。

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