打ちのめされる

よろしくま・ぺこり

打ちのめされる

 自分を文章を書く天才だと思っていた。実際、筆をとり、キーボードの前に座れば、思いもしないフレーズが頭から飛び出し、踊るように言葉を綴ることができた。自信を持って、『プレアデス文学賞』にギャグ小説を送った。理由は梗概を書かなくていいからだった。『プレアデス文学賞』が、純文学の賞だと知ったのは随分あとだった。僕は脳の病気だったのだ。

 翌年は『小説プレアデス新人賞』に小説を投稿した。こっちはエンターテイメント小説新人賞だ。間違いない。脳の病気も癒えて、僕は懸命にギャグ小説を書いた。もちろん一貫したストーリーもある。送料六百円かけて原稿を送った。編集部からは受領書が来た。それだけのことで、僕は舞い上がり、いつ、編集部から電話がかかってくるのだろうと毎日、やきもきした。電話なんかこなかった。『小説プレアデス』の一次選考の載った最新号を、僕は脳の病院の帰りにM書店で見た。そこに僕の名があるわけがない。自分の才能に、疑問を抱いたのはその時が初めてである。

「ギャグがいけないのよ。ギャグがストーリーをつっかえさせる」事情があって同居している元妻が言った。事情というのは僕の脳の病気である。今のところ平衡を保っているが、一晩で、劇的におかしくなるのが僕の病気の特徴である。とても一人では生きていけない。それはさて置き、僕はギャグのない、小説を書こうと思った。熟慮の結果、というより、ふっと湧いてきたのは時代小説だった。名もなき、若武者が私腹を肥やす老中の首級を刎ねる。派手なスタートから始まり、僕は夢中になってその小説を書いた。でも書いている途中で立ち止まってしまった。「ギャグが書きたい」という思いと「会話文が多すぎる」という技術的な問題だった。前者は「こう決めたんだからと」思い直すことができた。しかし、後者は致命的な欠陥だった。僕は慌ててプロの作家の小説を読んだ。やっぱり、地の文が多くて、会話文は従属的である。時たま、会話文の多い小説も散見したが、つまらない小説だった。僕は一応、その小説を書き上げたが、お蔵入りにした。いつか全面改稿をしようと思っているが、いつになるか分からない。ストーリーの再編も含めて時間のかかる作業になるだろう。今の僕に、苦痛を感じる作業はできない。自殺したくなるからである。はっきり言ってしまおう。僕の脳の病気は躁鬱病で、今から(この原稿を書いている時)から三年半前に発病した。その前からパニック障害を起こしていたので素地はあったのかもしれない。ある日を境に全く眠れなくなり、それでも仕事はガンガンできる。iPodで歌を聴きながら人前で平然と歌を歌い、バカみたいに通販で商品を買い漁った。要は躁状態である。躁は鬱よりタチが悪い。周りを巻き込むからだ。僕は仕事をクビになり、今も仕事をしていない。貯金が尽きたら、潔く死ぬつもりではある。

 そんな中で唯一の楽しみが文章を書くことだ。大学生の頃から、いたずらで書き始め、あまりに好評だったので、ワープロで清書して、何部かコピーして配った。その時からギャグと、パロディーが持ち味だった。社会人になっても同僚を主人公にした小説を書き、大受けした。みんな夢中になって読んでくれた。嬉しかった。だが、プロになろうとは思わなかった。そのうち、仕事が忙しくなり、小説を書くのはやめた。

 また書くきっかけとなったのは僕が左遷されたからである。僕はある書店で働いていたのだが、突然、外商部がお飾りでやっている店に、異動になったのだ。店売と外商では人種が違う。はじめは耐えていたんだけど、偏執狂の社員と、口ばかりで無能な上司に、勘忍袋の緒が切れて、辞表を提出した。誰も止めなかった。要するに左遷された時から、僕の進む道は決まっていたんだ。それから一年、僕は浪人し、元いた書店の先輩に、「アルバイトとして戻ってこい」と言われるまで、ぐうたらしていたわけだ。先輩が誘ってくれたのは新店舗だった。社員も少なく、アルバイトは素人という店で、僕は重宝がられた。そして五年が過ぎ、発病に至るのである。発病のきっかけは離婚にあったと思う。その前年くらいから精神的不調を感じていた僕は、すべてのことを妻に任していた。もうこれでは結婚生活は維持できないと思った妻はマンションを売りに出し、強引に離婚した。僕は月三万の安アパートで人生初の一人暮らしを、結構楽しんでいた。それが発病のきっかけになるとも気付かずに。発病した僕は今思えば奇矯な行動をたくさんした。森から大きな枝を持ってきて杖にしたり、スキンヘッドにしたり、自分より大きな犬に抱きついたりした。(僕は犬は苦手だ)元いた店に脅迫文まがいの文章を書き(本当は許すって書いたんだけど、それを書いたのが新聞紙を生首状にしてダイヤモンドシャープナーを頭頂部に刺していた。脅迫文に思われても仕方ない)結局、警察沙汰になった。逮捕はされなかったけれど、厳重注意された。発病したのは八月のお盆の頃で、沈静化したのは十二月だった。五ヶ月間で何もかも失ったわけだ。仕事も、社会的信用も。それを助けてくれたのが元妻だった。僕に同居してくれ、食事も作ってくれた。その恩に報いなければ。僕は新作を書き、某賞に応募することに決めた。空想歴史小説だ。元ネタは高校時代に夢想したもので、ファンタジーであったそれを平安時代の源平合戦に置き換えた。詳しくはいずれ某WEB投稿サイトに載せるから秘密にしておく。実は僕はこの作品に自信があった。少なくとも一次審査は通るだろうと思っていた。結果はなかなか出なかった。僕は焦燥した。そして二月も終わるかという日に結果は出た。落選である。僕は思った。もう小説新人賞には出さない。

 僕は足場を某WEB投稿サイドに移すことにした。旧作二編に、十万字以上の新作三作をアップした。誰もが見てくれると思った。結果は甘くなかった。誰も見てくれないのである。見ても第一話だけなのである。僕は打ちのめされた。ある日、フォローがついた。その人の小説のアクセス数がわかったので見てみた。信じられないほど、多くの人が見ていた。僕は完全に打ちのめされた。もう、立ち直れない。

 僕は遺書の代わりにこの文章を書いた。

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