3章 たきつけ

「昨日おっしゃっていた『レストア』というのは?」

 不意に思い出したように、れんげは言った。

 守弘のガレージに、れんげは再び誘われて訪れていた。

 原付の修理が今日進められると聞いたから、放課後一緒に歩いてきたのだった。

「何て言ったらいいかな……簡単に言やあ、復活させてやることなんだ」

「今の、この子にしていらっしゃることとか?」

「あ~、そうなる、かな」

 言われてみれば、と守弘は苦笑する。

 例の原付はすっかり分解され、小さなエンジンが床の上に鎮座している。原付そのものはほとんど骨組みの状態で、大きな模型のようになっていた。

静態せいたい保存――動くヤツを修理するのと違って、動かせない状態になってる機械とか車とかを再生するんだ。何台かの同じ車から使える部品を集めて一台を復元することもあるし、違う所から持ってくることもあるけど、もとの姿に復活させてやろう、って意図は同じだよ」

 れんげは頷き、持っていた本に目を落とす。

 昨日守弘に渡された『一日で取れる原付免許』だ。れんげはそれを今朝から、一ページずつ丁寧に読んでいた。

 その様を見て守弘が言う。

「学科もそんなに難しくない。標識はきちっと覚えておかないとダメだけどな」

「……こんなにも沢山を?」

「はは、ややこしいか?」

 守弘は作業の手を止めずに笑う。

「実際に乗りだしてからも当然守るトコだから、全暗記でもいいくらいだよ」

 そういうことに関して、守弘はれんげに対しても妥協なく厳しかった。

 れんげが守弘のその姿勢を好意的に指摘すると『車を扱うプロとしては、手本でなきゃ――そうオヤジに叩き込まれたから』と守弘は頭をかいていた。

「明日かあさってには知り合いのバイク屋に原付一台借りれるから、来たら動かしてみようか」

「この子は?」

「今日と明日くらいでエンジンのオーバーホール。それで修理の三分の一は進んだって言ってもいい」

 そのための部品が来たから、と守弘は真新しい大きな包みを破った。

 その包みは守弘が帰宅してから届けられた。

 学校が終わって、二人が守弘の家に着いてから、到着までしばらく待っていた。

 れんげは少し落胆したように言う。

「なるほど、では動くのは――」

「あと最低でも一週間は待ってくれ。このエンジンパーツが届いたのが意外なくらいに早かったんだ」

「そうですか」

 れんげは立った。

「それでは今日はこれで失礼します」

 視点が上がってふと、棚の上に目がいく。

「――あちらは?」

 そこだけはきちんと置かれたガラスケースに小さくはあるがトロフィーやカップが数個並んでいた。すぐ横の壁には数枚の写真が貼られている。そちらに注意を払ったれんげに気付き、守弘が言う。

「あぁ、ガキの頃のだよ。昔からカートとかやってるんだ」

 壁の写真は今とは髪型の違う、今より幼めの守弘が大人の男性と二人で写っているものがほとんどだった。顔の変化と写真の劣化が数年分の蓄積を思わせる。

「オヤジだよ。

 ――去年死んだ」

 その壁に寄って写真を見ていたれんげは、はっ、と振り向いた。

「そのゴタゴタだったり、ライセンス獲ってレース行ってたりで出席日数足りなくて留年しちまった。

 後悔はしてないけどな」

「そう……ですか」

「母は俺とオヤジがこっちの世界にのめり込みだした頃に離婚して出て行った」

「それは――」

「いいって。周りに同情されてるほど俺は深刻じゃない。

 ――送ろう」

「いえ、ここで。

 三原さんはその子の修理、進めてあげてください」

「いいから」

 守弘はヘルメットをれんげに押し付ける。

 れんげは茂林の言葉を思い出していた。


――ワイはれんげちゃんはもっと

人間と打ち解けてていってもええと

思ってる――


 同時に、翠穂の言も。


――そんなに深く考えないで、

人生楽しまなきゃ――


 内心でだけ苦笑をこぼし、れんげ胸元に来ていたヘルメットを受け取った。



 やはり十五分程度でバイクは<九十九堂>に到着した。

 れんげはさっとバイクを降り、ヘルメットを返す。

「ありがとうございます」

「あ、あぁ。

 また明日……な」

「はい」

 れんげの言葉を背に、守弘はバイクを発進させた。


 茂林はすでに、帰宅していた。帰ってきたれんげを見て首を振る。

 狸のまま炬燵で胡座をかいている。

「あかん、見つからんかった」

 言う割には落胆した様子も、疲れた顔もない。

「……どのあたりを?」

「例のスーパーから商店街らへん、やな。

 明日は化けんと行ってみる」

 ニュースになったあたりから、『蛙』の探索を開始していたようだ。

 本性である狸の時と、化けている時では気配を感知する力に隔たりがある。特に人間のときは探査能力が落ちる、とは茂林本人(?)の言だ。

「さ~、れんげちゃん、メシにしようや。明日もキバって探さななぁ」

「……茂林?」

 れんげは茂林のいやに素直な態度が気にかかった。昨夜あれだけ交渉した割に――

「茂林、おなか空いていませんね?」

「なっ!? なんでやねん、半日歩いてクタクタや、っちゅうねん」

「……小骨かしら? 落ちてますよ」

「!? んなワケない、ワイは骨まで全部食った――あ!!!」

 茂林はがばっ、とれんげを見上げた。

「謀ったなッ!!」

「さぁ?」

 しれっと、れんげは言う。

「では夕食はなし、ということで」

「ンな殺生な!!

 試食のモンもろただけやって! それももうかなり前――昼間のことやっ!」

 れんげははぁ、と頬に手をあてて溜め息をこぼす。

「……では、おかわり禁止。食べ出したら際限がないから、間食は駄目と言っているのに……」

 茂林は口をパクパクさせるが、反論は出なかった。やがて首をうなだれ、丸くなる。

 ぶつぶつと呟いていた。

「バレへんと思ったのになぁ……ったく」

 ちっとも懲りていない茂林だった。


□■□■□■


「昨日も見たぞぉ。

 これは本格的にいい感じじゃない?」

 翌日の教室でいきなりまた、れんげは翠穂に抱きすくめられた。背中に翠穂の胸の、やわらかな張りを感じる。誰にでも抱きつく癖があるのではないらしいが、でもやはり驚いてしまう――不快ではないのだが。

「国安さん……どこで見てるのですか?」

「あの時間帯、あたしガソリンスタンドでバ・イ・トっ♪

 で、その前を通るのよね~」

 腕を解いて翠穂はれんげの正面に行く。

「そう、ですか」

「今のうちかもね。そのうちもっと三原クンが有名になったら、雑誌に隠し撮りされてたりするかも。で『実力派ドライバーに恋人発覚!!』とか書かれるんだ」

 と、楽しそうに言う。

 れんげは、守弘のサーキットでの実力を知らないが、実際のところ守弘はかなりのレベルのドライバーであり、天賦の才だけでなくトレーニングも欠かさない、その業界にとって将来を嘱望されている逸材である。

 翠穂の言にいまいちピンときていないものの、れんげは頷く。

「確かに、バイクの運転お上手ですけど、私は――」

 翠穂は人差し指でれんげの口を塞いだ。

「卑下禁止っ。

 それと、三原クンは車のレーサーっ。バイクは彼のただの趣味」

「そうなのですか?」

「……れんげって、天然のケがあるわ」

 翠穂が呆れ顔で言ったところに、予鈴が鳴る。

 教室の人口が増えてゆく。

「で、れんげ。

 放課後空いてる?」

「特に予定はありませんけど……」

「買い物行かない? 初デートで着ていく服」

 片目をつぶって翠穂が言う。

「服――ですか?」

 れんげは全く、そんなことは考えていなかった。

「適度な服装で行けばいいのではないですか?」

「ダメよっ!」

 翠穂は即座に却下する。

「普段着よりちょっと気合入れたファッションで行くのはマナーだよ。

 せっかくのお誘いなんだから、いい格好して行こうよ、ね」

 れんげは翠穂の強引さに、思わず口元を綻ばせていた。

「れんげって、可愛い笑顔するよ。

 もっと笑おうよ」

 翠穂も口の形をにっ、と大きく動かす。

「ね。今日、どう?」

 今日中、というのはれんげにとっても悪くはない。

 明日は立冬の前日――節分だ。れんげは万が一のことがあった時のため、あとに予定を残したくなかった。

「――わかりました」

「やった♪

 なんなら下着も見る? れんげって多分、地味なのしか持ってないでしょ。

 可愛いのかセクスィなの、見てみよっか」

「――そこまでは要らないのではないですか」

「わっからないよぉ。もしも、なりゆきでそーいうコトになったら……」

 翠穂は目を閉じ、祈るようなポーズで顎を上げた。

 片目を開けて器用にれんげを見て、意味深な笑いを浮かべる。

 れんげは――この姿を得て数百年。このように人と関わりあうことがなかっただけに、今の状況に若干の戸惑いを禁じえない。

 ただ、同時に――ほんのわずか、嬉しさも感じていた。

 本鈴のチャイムが鳴る。

 担任が入ってくる。

「っと、じゃね」

 翠穂はれんげの肩を軽くたたいて、自分の席へ急いだ。

 ――そういえばと、れんげはふとほぼ対角の席が気になった。

 そちらを見やると守弘はすでに席についていて、れんげの視線に気付きそっと右手を立てる。

 れんげは、小さく会釈を返してから黒板に向き直り、授業の用意をはじめた。


□■□■□■


 れんげたちの探している黒い蛙は、公園にいた。

 茂林の名誉のために述べておくが、茂林は決してサボっていたわけではない。

 普通の生き物とは違い、匂いがない。強いて云うなら――それこそ炭か、土のような匂いだ。

 また、妖物としての気配もそれほど強くなかった上に、茂林が感知能力に長ける本来の狸の姿でなかったことも起因する。

 だから茂林は見落としていた。

 蛙はぺたぺたと移動していて今、公園の茂みの中にいた。

 すぐ目の前には人の気配が多い博物館がある。

 蛙はじっ、と動かずに人の行き来をはかっているようにも見える。もう数日後に控えた『自動車展』に向けての最終準備――だということは蛙には解らない。

 何かを探っているようでもある。

 博物館をぐるりと見回し――口の端をにぃっ、と上げた。

「やはりこの中か」

 ――どこかで正午を知らせるチャイムが鳴り、数分後に建物からぞろぞろと人が出て行った。

 ひと気がなくなる。

 ぺたりと蛙が茂みから飛び出した。蛙の歩幅にしては素早い動作で施錠されていなかった館内に入る。

 目撃者はいない。

 蛙はまっすぐ奥を目指して跳ねる。

 入口近くは現代の車だった。さらに進むと順に時代を遡って車の型は次第に古くなってゆく。

 準備中のものが雑多に積まれていたり、不自然に空いた空間があったりする中、一台の展示車がそこにあった。

 見るからに古い車だった。席は車の中央に一つ、硬そうで座ると腰辺りまでしか支えないだろう大きさの椅子だが、肘置きになりそうな、高いサイド部へのラインと塗られた濃いブルーが美しさを覚える。ドアはなく、四隅にタイヤが配され――というより運転者の座る席の後ろには何もない。車軸で結ばれたタイヤが左右それぞれにあるくらいだ。

 それこそ『目』のようにライトが正面を見据えている。フロントタイヤの間――ライトのすぐ後ろに機関が詰まっているのであろう青いカバーに覆われた、六角柱を横にしたような形の塊があり、その座席側の足下から細い棒が一本、座席に向かって斜めに伸びている。

 その先にはハンドルが納まりそうだが、そこには付いていない。

 すぐそばにポスターなどを挟んで立てるための板状のガラス台があり、車の名前や製造年、解説などが細かく書かれた紙が入れられている。

 一九〇〇年製の車だった。

 蛙はそれがどんな車かも知らないしまた、かれにとってはどうでもいいことだった。

 蛙はばっ、と飛び上がり車に乗り込んだ。

 革張りの座席の上に、蛙の狙っていたものはあった。

 木製だろう、いかにも年季の入った丸いステアリングハンドル。

 細く、軽い。蛙の腕でも簡単に持ち上がる。

「ほっ。古き気配の主はお前か。

 見つけたぞ――」

 蛙はハンドルを手に車から飛び下り、周囲を見回す。

 車のすぐ近くにガラス戸でできた出入り口があった。両開きで、全開にするとこの車が外に出られそうだ。

「――他には未だおらぬか。……まぁよいわ」

 呟き、蛙はそれだけを持ってぺたぺたとガラス戸に向かう。

 ガラス戸の下方――蛙の目の前に鍵があった。蛙がそれをひねり、ハンドルを押し当てて力いっぱいに押すと、扉はあっさり開いた。できた隙間からするりと抜けて出た所は、駐車場のような、綺麗に舗装されたアスファルトの空間だった。

 蛙は両手でハンドルを抱え直し、ぺたぺたと歩く。

 博物館を横目に、公園のもといた場所まで蛙は戻る。やはり誰にも見られていない。大きな搬入のほとんどを終えていたため、人々は正面の入口を利用していた。今展示会のいわば目玉として複製された一九〇〇年製の車はほぼ最奥に位置していて、そこから裏手に出てデモンストレーション走行ができるような配置構成になっている。

 ――ちなみに、全体的な展示としてはこのデモ走行用の車のあと更に時代は古くなり、蒸気を動力にした車などのパネル展示を経て未来の車と環境を考えた車社会、というテーマで締めくくられている。

 守弘はれんげに「レストアして」と言ったが、デモ走行用のこの車で昔のパーツそのものを使用しているのは実のところ、蛙が持ち出したこのステアリングハンドルだけだった。


 ――蛙はというと公園の茂みの奥、人目につかない場所であぐらをかいて座り、転がしたハンドルと向き合っていた。

「ほら、起きろ。お前に魂が宿っていることは判っておる。

 起きぬかッ」

 ――ハンドルは、誰も触れた者もいないのにぴくりと跳ねた。

「――誰?」

 か細い意識が、蛙に届く。言葉の壁はなかった。

「お前の協力を欲する者よ」

 蛙は言った。

「思い出せ。お前が生まれてのちの年月、いかな扱いを受けたか。初めのうちはよかろう、しかし年を経てゆきどうなった?

 このような所で衆目に晒されること、お前の意志ではあるまい」

「あたしは――そう、あたしは……」

 ハンドルがぶるっと震えた。

「最初はチヤホヤされたわ。あの時、他の誰よりも早く走れた」

 独り言のように、ぽつぽつと続ける。

「弟妹もたくさんできた。でも、そう――長くは続かなかった。あたしはずっと、眠らされたまま、使ってもらえなくなっていった……」

「それは、気の毒にのぅ」

 蛙は同情心溢れるように深々と相槌をうつ。

「ええ。走ってこそのあたし、なのに。

 ただ廃れ、壊れてゆくのを待つばかり。

 もっと走りたかったのに……

 残ってるのはこのちっぽけな、でも一番人と触れ合ってたトコロ、ここだけだわ」

「恨んでおるか」

「ちょっと違う――いえ、そうなのかな……」

「使われぬまま捨てられ、ここに流れてきたのではないのか?」

「そうなのかな……」

 ハンドルの意識はぼんやりと蛙に言う。使われなくなってからさきほど呼び覚まされるまでの間の記憶が薄いのかも知れない。

 蛙にとっては好都合だった。

「おそらくな。この境遇が何よりの証拠。

 ――恨みに思わぬか」

 蛙は、たたみかけるように同じ言葉を使う。

「恨み? 誰を?」

「人を」

 蛙はしかめ面で続ける。

「労いもなく捨てられ、こんな場所で人の晒し者にされるとは恨めしいことではないか?」

「ん……うん」

「お前ももっと走りたかったのに、使われなかったと言うではないか。

 使われてこその我ら道具、それほど哀しきことはなかろう」

「そう、よね。

 それを恨みと言うの?」

「左様。

 仕返してやりたくはないか?」

「――仕返し?

 でも、どうやって?」

 蛙は、にぃっと笑った。もう一押しだ。

「動けるものに変化するのよ。

 幸い明日は節分だ。陰陽が入れ替わるその時節に造化の神に作り替えてもらう」

「変化……でも、そんな」

「もう一度走れる。

 使われないまま古痩け、捨てられた恨み――晴らさでおくべきか」

「走れる――

 走れるの?」

 ハンドルが震える。

「ああ」

 蛙は、そこでハンドルにじわりと寄った。

「明日まで待つといい。

 その間に走りたい想いと恨みを積んでゆくといい」

 蛙はもちろん、このハンドルも、搬入やテスト走行のときにはこのハンドルは大事をとって使われていなかったため、本番のデモ走行ではこのハンドルが使われることは知らなかった。

「わかった。

 ――でも、あなたは誰?」

「儂か?

 そうさな。少々前よりこの世でこうして仲間を探しておる」

 蛙はそこで言葉を切った。


 ――この蛙のもともとの姿は、火消し壷。火の点いた炭を入れて火を消すためのものだった。灰をためていって再利用する。これで消された炭は火がつきやすく、次に火を点けるときの焚きつけにすると便利、だった。

 百年以上前にこの、蛙の姿に変化した。そのときの同胞はやはり護法童子に倒されていたが、かれは改心しようと相談していたその時の者たちとは袂を分かち、逃げおおせたのだった。それからは魂を得たり目覚めようとしている道具を探し、今まで生き延びてきている。

 そうしてこの世で、たきつけ、、、、を繰り返していた。

 蛙は<九十九堂>とれんげたちについては知らない。

 変化できそうな、魂を得た道具を探して彷徨い、この姫木の町にやって来て、ざわつく気配を感じ取ったのはこの博物館の、このハンドルのみだった。



 なお、<九十九堂>には、外から気配を探れないよう、結界が張られている。


□■□■□■


「これどうっ? 可愛くない?」

 そう言って翠穂が広げたのは、斜めになった胸元のレース使いが可愛らしいキャミソールだった。全体に明るい藍で、左右二本ずつの色違いの肩紐が背中で交差するようになっている。

「これにこれを重ねて、色を抑えるの」

 と、白い七分袖のカーディガンを合わせてれんげに見せる。

「はぁ……寒くないですか?」

 口調ほどにれんげは否定していないが、興味は薄いし肌を露出させる服装はそもそも、持っていない。

「そだね……デニムはどう?」

 翠穂は今度は丈の短めのジャケットを棚から取った。

 ――放課後、れんげと翠穂は最近できたばっかりの、姫木駅前のショッピングモールに来ていた。

 四階建ての建物が三棟、駅の北側から連なって建っており、服やアクセサリーや飲食はもちろん、あらゆる種類の店が集まっていると言っても過言ではない。モール西館の四階にはラジオ『ひなぎFM』のスタジオもあって、現在駅舎とショッピングモールをつなぐ連絡橋を建設中である。

 れんげたちはその本館二階の店にいた。ガールズファッション『9℃』キュート・シーは可愛いデザインと色使いのものが多い、翠穂お気に入りの店だった。

「れんげの私服って知らないからなぁ。

 こんなの、持ってる?」

 翠穂は先の藍色のキャミソールを見せる。

「――いえ」

 れんげは短く言う。

「そんな、肌を露わにするような――言わば破廉恥なものは」

「古風だね、れんげ。それはまさに骨董品級に古い表現だわ」

 翠穂が笑った。

「制服以外で短いスカートとかもはけばいいのに。れんげ細いし似合いそう」

「そんな、細くないですよ」

「またまたぁ。このウェストのどこが細くないっていうの?」

 翠穂が両手でぎゅっ、とれんげの腰を抱く。

「れんげって、普段はどんなの着てるの?」

「――お洋服だと長袖のブラウスとスカート、とか。

 最近はニットなども。

 和服で過ごす時もあります」

「自分で着れるの?」

「ええ」

「いいなぁ。

 あたしもお茶のお点前の時は着るけど、先生にやってもらってるし胸締めなきゃいけないから苦しいんだ」

 翠穂は肩をすくめる。

「でもホント、もったいないなぁ、れんげ。

 こんなの着てみない?」

 次に翠穂が差し出したのはノースリーブの短めのワンピース。淡い草色の地に、斜めに散りばめられたコスモスがいかにも秋らしく、可愛らしい。腰から下はゆるやかなAラインと裾のフリルで演出されている。

 十一月になって秋物はほとんどなくなってはいるが、まだいくつかそういうものも残っていた。

「似合うと思うよ。

 重ね着も可愛いけど、ダブッと厚着になっちゃうのはオシャレじゃないよ。

 中はシンプルにして上着で調整する方が簡単だと思う。スクールコートはオススメしないけど、ウチのはまだマシだから普通に着れないことはないしね」

 翠穂は言いながら、ワンピースを棚に戻す。

「これとかも似合いそう」

 続いて出したのは、赤地にチェック柄のビスチェ。チューブトップと合わせてアウターとしても着られそうなものだった。

「上着脱いだら悩殺だよ、これ」

 ストラップもないため、肩から胸のあたりまで何もない。

「パッド入れて胸持ち上げたらすっごくセクシーじゃない?」

「……恥ずかしいです」

 れんげはやはりまだ少し、翠穂のテンションに圧倒されそうになる。

「それに、難しいですね」

「でも楽しいよ。

 恋のチカラはれんげを変えない……かな?」

 翠穂はからかうように言ってから続ける。

「トータルでどういうコーディネートにするか、を考えるの。

 例えばさっきのだったら、下は何にするか、靴は? 帽子かぶってみる? アクセは? 上着も重要。冬場だからってなんでもかんでもコートじゃダメだよ。

 着たい服に合わせていくのもいい手かな。このスカートはきたいからトップスをどうしよう、とかね」

 れんげは、翠穂の解説に聞き入る。

「ブーツは? 持ってる?」

「持っていません」

「ミニスカ+膝丈ブーツ、ってのも定番だよ。もちろん色と柄の組み合わせで良し悪し変わるけどね」

「はぁ……」

 関心が低いためにほとんど翠穂の話を聞くばっかりになっている。

 一度だけの『デート』で着る服を見るよりも結局は節分が迫っているのが気懸かりだった。

 だから、買い物に来たのはいいが気乗りしない。

 興味もあまり乗らない。

「やはり、難しいです」

「今持ってる服の使い方変えるのもアリだよ。

 それに、着回しも重要。使い捨てじゃないんだから、大事に使ってあげて。

 ――道具も服も同じだよ、れんげ」

「あ……」

 れんげは心の中で反省する。

 道具も服も同じ。

 その通りだ。

「さ、講釈オシマイっ。見て回ろっ。

 最終的にはれんげの好みで選ばなきゃね♪」

 翠穂が、れんげの腕を取った。



 ――夜。『九十九堂』

「蛙、見つからんかった」

 昨日よりはいくぶん殊勝に、茂林は言っていた。

「今日は商店街の反対側、北の新しいビルから山の方に行ってみてたんやけどな」

「そう……」

 夕食を二人で囲んでいた。

 TVが、見ることなしにつけられている。例のスーパー荒らしの続報は出ない。

 そのそばにはれんげの今日の買い物の成果が、大きめの袋のまま置かれている。

 さすがの茂林も気にしているのか、いつもより食が進んでいない。ごはんも二杯目で止まってしまった。

「明日――私も午後から探します。

 明日中になんとかしなければ」

 茶碗を置いて、れんげは言った。

「――節分やな」

 れんげがお茶のおかわりを淹れた。茂林には椀に、ぬるめの濃いお茶を入れてやる。

「陰陽の気が騒いどるわ」

「ええ。嫌な感じが消えません」

「そのせいかもな。――ワイの力じゃ気の流れを特定できん」

 茂林は軽く舌を打つ。「そもそも、そいつの気もハッキリしてへんしなぁ……」

「それは確かに、そうですね」

 れんげも言われてみれば、と苦笑する。


 TVはいつの間にか、天気予報になっていた。

 気象予報士が明日は全国的に雨だと断言していた。


□■□■□■


 翌日は、予報通りの雨だった。

 立冬の前日である。

 れんげは授業中、気もそぞろだった。

 原因は始業前の、翠穂と守弘による。


「おはよぉ、れんげ。

 ――あ、三原クンっ、ちょっと教えて」

 この日もまっすぐれんげの所に来た翠穂は、教室に早めに入ってきた守弘を呼び寄せた。

「お、おはよう――?」

 なぜ呼ばれたか判らずに疑問符を浮かべながらも、守弘はれんげの席へとやって来る。

「おはようございます。国安さん、三原さん」

 挨拶もそこそこに翠穂は守弘に尋ねる。

「三原クン、自動車展のニュース、聞いた?」

「ニュース?」

 守弘はいぶかしげに翠穂を見ていた。翠穂は近くの適当な椅子を持ってきて守弘に促し、自分も適当に腰掛けてからいつもよりも増した勢いで話し出す。

「知らない?

 あたしも昨日、れんげと別れてからあの近く通りかかって偶然知ったんだけどね、展示物がひとつ、なくなってるらしいの。それがなんでも『今回の目玉』か何か大事なものらしくって、大騒ぎして探してた」

「目玉?」

 れんげにはピンとこない。

「もしかして――ステアか?」

 守弘が言う。

「ステア?」

 正確には何か知らない、と翠穂は首を振る。「で、あの自動車展の目玉って、三原クンなら知ってるかな、って思って」

「――デモ走行のことじゃないか? この間高野にレストア、って言ってた車のことなんだけどな。

 まぁ、あれ実はほとんどレプリカらしいけど。

 でも……」

「「でも?」」

 れんげと翠穂の声が重なる。

「ステア――ステアリング、つまり車のハンドルな。これだけは百年前当時の、レプリカのモデルになってる車のものを使うらしい。『百年前の手触り』とか言って」

 れんげを誘ってから下調べしたのだろう、守弘はいくらか前知識を持っていた。

「百年前のハンドル……」

 れんげは嫌な予感をもやっ、と感じた。

「じゃあ、それのことかなぁ。探してる感じ、そんなに大きいものじゃなさそうだったし」

 翠穂は腕組みをして頷く。

「――初デートの危機?」

「っ!?」

 翠穂の言葉に守弘が声を上げる。

「だ――大丈夫だろう。それだけで中止にはならないだろうし、代わりのハンドル使うかも知れないし、ほら、まだ一週間あるんだ、出てくるかも、な」

 と、いくぶん早口になって言う。守弘にとってみれば、翠穂がれんげに不安材料を与えてしまったことが不満なのだろう。

「そうよね、大丈夫よね」

 あわててフォローのように、翠穂も言った。

「延期になったとしても、そこだけがデートじゃないし。

 映画観に行ったり、お買い物行ったりしたらいいよ、ね。

 ごめんね、三原クン。三原クンなら何か情報掴んでるかな、と思って聞いたんだけど――もうこの話、しないね」

 翠穂は素直に謝っていた。


 その後チャイムを合図に雑談は終わり、授業が始まって時間が過ぎていくにつれ、れんげの不安は次第に大きくなっていた。守弘との『デート』への不安ではもちろんない。

 雨は静かに、しっとりと降っていた。


 百年前の、消えた道具。

 ビデオで確かめ、茂林がまだ発見には至っていない黒い蛙。


 短絡的に結びつけるのはどうかとも思うが、この狭い地域では関係を疑いたくもなる。

 はぁ、とれんげは悩ましげな溜め息をこぼしていた。

 見に行ってみるか、という考えが思考を埋めてゆく。

 れんげは、授業に集中できないでいた。幸い今日は土曜日で、学校は昼までだ。悪い想像がモヤモヤと、れんげの中に暗雲――今の天気のように広がってゆく。

 いかにもじっとしていられないように、れんげは窓の外と時計に視線を往復させる。

 授業の時間がいつもより長く感じるれんげだった。


 四限終了のチャイムとほぼ同時にれんげは教科書などを片付けて、終わりのホームルームもそこそこに教室を飛び出した。

「れんげ!?」

「すみません、失礼しますっ!!」

 翠穂に背中で返事して、れんげはバタバタと走る。れんげたち二年生の教室は教室棟の三階にあり、れんげはそこから一気に下足ホールまで駆け下りた。

 上履きをはき替えるのももどかしく校舎から出たところで冷たく細かい雨を浴び、雨だったことを思い出す。

「――あっ」

 少し、冷静になる。

 傘は教室に置いてきたままだった。

 強くはないが、しっかり降る秋雨、やや冷静になったものの、濡れるのもやむなし、と半ば覚悟を決めたれんげの頭上に、すっと傘が差し出された。

「えっ!?」

 れんげが驚いて振り返ると――翠穂が微笑んでいた。

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