偏食

 森ちゃんは極度の偏食だった。


 おおよそ一般的に普通の人が『おいしい』と呼ぶものに対して、人生で一度も『おいしい』と感じた事がなかった。


 その代わりに森ちゃんが好んだ食物は、蝶や蟻、バッタなどの昆虫だった。


 小さい頃からそれらを捕まえてはむしゃむしゃと食べる事が、森ちゃんの唯一の楽しみだったのだという。


 高校に入って間もない頃、森ちゃんは校庭の角でバッタを捕まえた。森ちゃんは喜んで、捕まえたそれを口の中に放り込んで咀嚼した。


 だが、それを間近で目撃した人物が居た。高橋くんと佐藤さんだった。


 高橋くんと佐藤さんはその光景に悲鳴を上げて、森ちゃんを『人間じゃない』と罵った。『そんなものを食べるなんて、お前は狂っているに違いない』と。


 彼らは森ちゃんを拒絶した。自分と同じ人間の類であると認めなかった。そうして、迫害を加え始めた。


 自分と違うから。森ちゃんの食に対する違いを、異常だと断定した。そしてすぐに排斥を開始した。


 自分とは違う。だから人間じゃない。怪物だ。そんな安直な結びつきを、彼らは森ちゃんに押し付けた。


 森ちゃんは好きなものを好きな風に食べただけで、〝怪物〟と罵られた。


 それから森ちゃんは〝怪物〟となった。みんながそう呼んだ。だからそうなった。


 森ちゃんはいつの間にか、〝怪物〟として生きるしか術をなくしていたのだ。


 ちなみに森ちゃんは、お弁当のハンバーグに昆虫を混ぜて食べていたのだという。だから、それを食べるときだけが、彼女の幸せだったのだという。


「気持ち悪いですよね。虫を食べるのが好きだなんて」


「ううん、全然……。それが森ちゃんなんだよ。否定できるはずがない。自信を持っていいんだよ。周りはそれを受け入れてくれないかもしれないけれど、でもだからといって森ちゃんがそれを歪めてしまうのは、やっぱりおかしいと思うから」


「でもっ……! 人を殺したいと思っていたのは事実なんですッ! 高橋君が死んだのを知ったとき、私は嬉しかった。彼の死体を蹴り飛ばす事に何の罪悪感も抱かなかった。あれは、演技でもなんでもない、心からの私の姿なんです! だから私は怪物なんです」


 森ちゃんの中にある黒くて美しい輝き。それが彼女の中から無くなったわけじゃない。無くなるものではないのだ。それは身も凍るような光で、簡単に人を狂わせる、とても怖い何かだった。


 けれど、私は否定しない。森ちゃんの持つその性質を拒絶しない。だってそれもまた、森ちゃんの一部なのだから。私の大好きな、森ちゃんの感情なのだから。


「そう……かもね」


 私は森ちゃんの言葉を肯定する。森ちゃんは驚いたように私を見た。そして不安そうな表情をした。私は苦笑する。


「でも、きっと。怪物は誰の心の中にもあるんだと思う。私から見れば、クラスの皆が森ちゃんを虐めているときの、あの異様な空気の方が恐ろしかった。むしろ皆の方が怪物なんじゃないかって、私はいっつも思ってた」


 それは正しい事ではないのかもしれない。それでもそれが現実なのだ。きっと全ての人が心の中に〝怪物〟を飼っている。


「だから、いいんだよ。森ちゃんが自分を怪物だと、それでも思うならそれでいい。私はそんな森ちゃんも、ちゃんと好きだから」


 森ちゃんは声を詰まらせる。縋るように私を見つめた。


「いいの……でしょうか。私が……たとえ本当の〝怪物〟だったとしても」


「勿論だよ」


 私は森ちゃんの手を握りながら、優しく笑う。森ちゃんも照れたように笑い返してくれた。やっぱり、森ちゃんは可愛い。この笑顔が彼女に一番似合う。


「きっと森ちゃんは、優しい怪物なんだよ」


 私は森ちゃんをそう評した。それから――私は保留にしていた一つの事実を思い浮かべる。


「さて――」


 私は、森ちゃんとこの教室に二人きりになったときから、ずっと体の震えを押さえつけていた。その内に湧き上がる感情を必死に押し殺していた。


 ようやく、ここに来て私は我慢していたものを解放する。


 それは先ほどからずっと感じていた――『怒り』による体の制御が利かなくなった震えだった。


 森ちゃんを〝怪物〟に仕立て上げた人物がいる。


 疑惑は前から持っていた。そして先ほどの森ちゃんの話から、私は確信を強めた。


 佐藤さんだ。


 初めに森ちゃんを〝怪物〟と呼称し始めたのが、高橋くんと佐藤さんだった。それをきっかけにして、彼らが周りの人たちに対して『恐れ』を植え付けていった。


 クラスメイト達にあることないことを吹き込んで、〝怪物〟への恐怖心を作り上げたのだ。


 決定的だったのは、高橋君の死体を私が見つけた時、隣で彼女が呟いた言葉。


――〝怪物〟よ……!


――こんなこと、人間がやる事じゃないわ……〝怪物〟にしかできない


 『〝怪物〟が犯人』だと一つ石を投じる事で、クラスメイト達の『怒り』と『恐れ』の微妙なバランスを突き崩した。そしてクラスの〝怪物〟への敵愾心を一気に煽る結果となった。


 私は森ちゃんの手を取る。


「この教室を出よう」


 戸惑う森ちゃんの手を引いて、私は廊下へと移動する。


 森ちゃんは状況が分からずにきょろきょろしていたが、やがて自分の出てきた教室の異変に気がついた。

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