第16話 月
なんだかんだで、あっという間に夜になった。ワシントンの月は綺麗な真丸だった。
現在、ぼくはペンタゴンにいて、役所的―――ペンタゴンと言えば、こってこての軍服を着た連中が忙しなく動き回っているイメージがあったが、そんなことはなく、スーツ姿の人やその場にそぐわないようなラフな格好をしている人が殆どだった。あれじゃあ、日本の市役所とあまり変わらない―――な無機質でそっけない廊下をテクテクと歩いているところだった。というのも、ワシントンに住む人間のID管理はすべて国防総省が受け持っているからで、ぼくみたいな入り口でID登録を受けていない人間はこうしてペンタゴンで登録を受けることになるわけだ。
だが、勿論ぼくはそんなものを受けるつもりは、まったくといっていい程にない。
というわけで、隣には夕お姉ちゃん直伝の催眠術によって洗脳済みのミカエルさんがいて、ぼくを目的の場所まで案内してくれている(というのも、現在の警察の組織はペンタゴンに組み込まれてしまったらしい。なので、ここは警察署の機能も果たしているようだ。なので、ミカエルさんがいれば顔パス同然で探索することができる)。
いつの間に、と思うかもしれないが、トリックは簡単。
ぼくが、ハマーのなかで吹いていた口笛だ。
あれで、リラックス状態までもっていき、少しずつ催眠状態にしていく。
そのまま運転させていては、絶対に事故ってしまうので、路肩に停めさせるのを忘れてはいけない。
一応、催眠状態突入の合図と催眠状態解除の合図を決めておき、時間をかけてずっぷりと洗脳していくわけだ。
すると、あら不思議。普段はいつも通りの生活を送るミカエルさんも、ぼくの合図ひとつで従順な
催眠状態にした時に、ついでだと思い、いろいろと訊いてみたが、どうやら彼もCU能力者のようだった。
セミ・オートマ。しかも、
そんな
油断しすぎるとこういう目に遭うといういいケースだろう。
まあ、ぼくがそう仕向けているわけだけれど。
昔、夕お姉ちゃんが言っていたことを思い出す。
「ねえ、蒼太。戦いに負ける弱者と戦いに勝つ弱者の違いってあなたにわかるかしら?」
ぼくは質問の意味が分からなかった。戦いに勝つ弱者? 常に負けているから弱者なんじゃないのだろうか。常に勝ち続けることの出来る弱者なんて、それは最早、弱者ではなく強者だろう。
ぼくがそう言うと夕お姉ちゃんは、ふふ、と笑い、
「それでも、弱者は弱者よ。ほら、前田慶次だって言ってるじゃない。『虎はなにゆえ強いと思う? もともと強いからよ』てね。わたしが言っているのは、一生涯弱いままで、それでも勝つことのできる人種のことよ。さあ、改めて質問するわよ。負ける弱者と勝つことの出来る弱者の違いはなにかしら?」
再びぼくにそう問うのだった。
ぼくは素直に分からない、と答えた。
すると、夕お姉ちゃんは困ったように笑い、
「あなたは、感覚的に理解しているでしょうに。困った子だわ。
まあ、いいでしょう。夕お姉ちゃんが、正解を教えてあげる。
勝てる弱者と負ける弱者。その決定的なまでの違い。それは―――
自分の弱さを認めて、尚且つそれを武器として使うことのできる人種よ。
単に強い奴よりそういう手合いの方が、とんでもなく厄介なのよ」
一旦、そこで言葉を切ってぼくが話の内容をちゃんと理解しているか確かめてから続ける。
「まず、そういう奴は隙がない。自分の弱さをちゃんと掌握しているから、油断も生じない。それだけならまだいいけれど、本当に厄介な奴は、それを武器として使ってくる。逆に相手を油断させ、弛みきったところを容赦なく突いてくる。敵に回すと最悪の相手になることは間違いないわね。だから、逆に言えば、自分の弱さを認められず、武器として使うことが出来ない弱者さんは生涯負け続けることになるのよ。
まあ、わたしが言いたいのは、至極簡単なこと。『弱い』と言うことはとんでもなく有効なアドヴァンテージになり得るってことよ。わかったかしら? 蒼太」
まあ、大抵の奴は自分の弱さに振り回された挙句に見っとも無い死に様を曝すのだけどね、と付け加えるように言って話を結んだ。
そういうわけで、ぼくは夕お姉ちゃんの指導の下に徹底して『弱さ』を極めることになった。
だから、ぼくはその
っといけない。こういう思考が油断の元になるのを忘れていた。
誰にも負けない自信がある? なにを考えているんだ。そんなことを考えている時点でまだまだぼくは極めたという境地に至ってはいないのだ。
道に果てはない。
どんな道でもそうだ。どこまでも続く道を歩み続けるという意思こそが、もっとも重要なことだという夕お姉ちゃんの教えを忘れるところだった。
歩むことを止めたとき、人は成長を止めて、そして、死ぬのだ。
何にせよ、ぼくはいま生きている。いまのところは、とりあえず、生きている。
だからこそ、姉さんのために、今この瞬間もその歩みを止めることは許されない。というか、ぼくが許さない。
姉さんの望みが叶うその瞬間まで、ぼくはこの世界を生きる。
すべてを終わらせるために。
そんなことを考えているうちに、ようやく目的の場所まで辿りついた。
眼前には、無機質なドアが一枚、ぼくとターゲットを隔てている。
ぼくは、ミカエルさんに対して処理を施してからドアノブを回し、そっとドアを開けた。
「やあ、やあ、久しぶりだねぇ。きみ」
ぼくは、その場で固まってしまった。
何故ならぼくの眼前にいる人物は―――会ったのは一度きりとはいえ―――ぼくの記憶に強烈に焼きついている人だったから。
「………どうして、貴女がこんなところにいるんですか?」
彼女は、忘れもしないあの事故の夜に鬱陶しく声を掛けてきたスーツ姿の女だった。
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