14 わからないけどわかる
「どうも、初めまして」
それはこの前、ホワイトムーンでじっと鈴香たちを見ていた、黒い服の不思議な人だった。今日は帽子をかぶっていないので顔がはっきり見えたけれど、やっぱり男とも女ともつかない。男にしては何だか線が細くて、女にしては険しすぎる顔立ち。年も若いんだかそうでないのか判らない。ただ、人並み外れて鋭い眼をしていて、この人がどんな格好をしようと、その眼で誰だかわかってしまうほど印象的だ。
この前はよく見えなかったけれど、髪は背中のあたりまであって、組紐のようなもので一つに縛られていた。そして今日もまた黒い長袖のシャツに、膝下から斜めにカットされた黒いスカート、その下に黒い細身のパンツにブーツを合わせている。はっきりいって夏という季節を完全に無視したファッションだった。
「白塚さんじゃなくて悪かったわね。私、こういう者です」と言って、その人は名刺を差し出した。鈴香はそれをおずおずと受取り、名前を確かめた。
「ヤクノ、ゲンランって読むのよ」
鈴香の視線が「夜久野玄蘭」という文字をたどったのとほぼ同じタイミングで、その人の声が被さった。
「私が男か女か、考えても無駄な事。その人に見えるようにしか見えないんだから」
夜久野さんはそう言って二人の前に腰を下ろし、胸のポケットから煙草を出しかけて、少し考えてから戻した。その指は白く、爪はどれも細く長く尖っている。
「あなた、鈴香さん」
「は、はい」と、鈴香は慌てて返事した。
「私のこと不気味だと思うでしょ?いいのよ、誰だってそう思うし、自分でもそう思うもの。だから、一分でも早くさよならしたいなら、私の話をちゃんと聞いて、さっさと決めなさい」
余りの強引さに、鈴香は何も言えずに頷くだけだった。夜久野さんはそれをじろりと見て、それからいきなり仁類を指さした。
「そこの狸。そいつを譲っていただきたい」
「ゆ、譲る?」
「そうよ。鈴香さんは学校が嫌いだから、よく判らないかしら。譲るっていうのは、売るって言葉とほぼ同じ」
「売る?」
何が何だかよく判らない鈴香に、夜久野さんは明らかに苛立っているみたいで「あなたね、人間と動物の違いって何か判るかしら?」と尋ねた。
「え?言葉をしゃべるとか?」
「残念。そこの狸はおしゃべりするけど人間じゃない。今の日本の法律じゃね、動物ってのは物と同じ。お金で売り買いできるのよ。そして動物を殺したところで、殺人罪なんて適用されない。器物損壊にしかならないの」
そこまで一気に言うと、夜久野さんは腕組みをして、妙に優しい声で「ジュース飲まないの?」と尋ねた。
「喉、乾いてないので」と答える声がかすれてしまって、鈴香はもう泣きそうな気分だった。しかし夜久野さんは大して気にもかけない様子で、「だからね、その狸、売っていただけない?」と本題に戻った。
「でも、仁類は買ってきたんじゃないから、売れないです」
「あなた、やっぱり勉強苦手よね?」と、夜久野さんは大げさに呆れてみせた。
「いい?漁師さんってのは海で魚を獲って、それを売るのが仕事。魚を買ってきてからまた売ってるんじゃないの。そこの狸も山から獲ったんだから、売っても構わないのよ」
「でも獲ったんじゃなくて、自分から来たんです」
「いいの。トビウオが船に飛び込んできたら、漁師さんは獲物としてカウントするんだから」
「でも、私が飼ってるわけでもないし」
「いいの。あなたに一番なついてるから、あなたの飼い狸なのよ、こいつは」
夜久野さんにこいつ、と呼ばれても、仁類は平然とした顔で座っていた。鈴香は不思議に冷静な気分で、狸だから傷つかなくてよかったなあ、と思った。自分のこと売るとか買うとか言われたら、普通すごくショックに違いないのに。でもよく見るとやっぱりうなじの辺りの髪が逆立っていて、それなりにムカついてるのかもしれない。
「誰も知らないと思ってるだろうけど、その狸が木津朱音の魂を盗んで、彼のふりしてるの、こっちはちゃんと調べがついてるんだからね」
鈴香はいきなり自分も疑っていた事を指摘されて、思わずびくりと震えてしまった。夜久野さんはかすかに笑うと、胸のポケットからまた煙草を取り出した。見たこともない紫のパッケージに入っていて、あと二、三本しか残っていない。
「その狸がいつまでもだらだらと人間のふりして遊んでると、木津朱音はずっと目を覚まさない。そのおかげで迷惑してる人間もいるのよ」
「や、夜久野さんって木津さんの何なんですか?」
「何なんですか?」
夜久野さんは取り出した煙草をまたポケットに戻すと、いきなり大声になった。
「あなたね、人の事を尋ねるのに、何なんですかって、物みたいに言うんじゃないわよ。せめてどういうご関係とか言えないの?」
「すみません」と小声で謝って、鈴香はなんでこんな質問しちゃったんだろうと後悔した。
「私はね、あんなチンピラがどうなろうと別にどうでもいい。けどまあ白塚さんに頼まれた事は断れないのよ」
「白塚さん?」
「いちいちうるさいわね、あなた。つべこべ言わずにさっさと決めたらどうなの?」
夜久野さんは面倒くさそうに溜息をつくと、立ち上がってサイドテーブルに置いてあったプラスチックの灰皿を手にした。そしてまた腰を下ろし、音をたてて灰皿を置き、もう一度煙草を取り出して今度は一本くわえると、ポケットから銀のライターを取り出した。鈴香は勇気を振り絞って「仁類は売れません」とはっきり言った。
カチリと灯ったライターの炎越しに、夜久野さんは鈴香を睨んだ。
「そう?売れないの」と諭すように言って煙草に火をつけ、ゆっくりと吸い込む。目を閉じてほんの少し笑うように口の両端を持ち上げて、それからかるく横を向いて、口笛でも吹くように長く長く煙を吐き出した。
「全く仕方ないわね。本当に面倒くさい」
夜久野さんはまだ長い煙草を乱暴に揉み消し、背中に手を回した。そしてもう一度出てきたその手には、映画で見るような黒い拳銃が握られていた。
「う、うそ、ちょっと待って」
ゆっくりと仁類に向けられた銃口を目にして、鈴香はとにかく何とか防がなければと焦った。なのに狙われている仁類は平気な様子で座っている。もう、本当に何もわかってない!鈴香は立ち上がり、夜久野さんと仁類の間に割り込もうとした。
次の瞬間、耳をつんざくような音がして、仁類の足につまづいた鈴香は床に転がってしまった。慌てて起き上がってみると、さっきまで鈴香が座っていた場所に仁類が倒れこんでいた。
「仁類?仁類ってば!」
大声で呼んでみても、揺さぶってみても、仁類は目を閉じてぐったりしたままで、何の反応もない。その姿が病院のベッドにいる朱音さんに重なって、鈴香はどうしていいか判らなくなった。
「ギャーギャー騒ぐんじゃない。よく見てごらんなさいよ」
夜久野さんは鬱陶しそうにそう言うと、テーブルの上に銃を置いた。鈴香は慌ててもう一度仁類を見てみた。確かに動かないけれど、どこにも怪我はしていないみたいだ。
「あなた、狸寝入りって言葉も知らないの?こいつらは呆れるほど臆病だから、空砲で十分」
「空砲?」
「運動会で鳴らすピストルみたいなものよ。あれのもっと本格的な奴。それだけでもう気絶するんだから、情けないわよねえ」
そう言われて、仁類の鼻先に指をそっと近づけてみると、ゆっくりだけれど息をしている。急にほっとして、鈴香は床にへたり込んでしまった。
「まあとにかく、眠ってくれてよかったわ。私本当に、狸がそこにいるだけで、どうにかなるほど嫌いなの。それに何より、あなたの強情さが五割増しだものね。これで少しは落ち着いて話ができるわ。地べたなんかに座ってないで、ソファにおかけになれば?」
夜久野さんはさっきよりもずっと穏やかな口調になって、新しい煙草に火をつけた。鈴香はそろそろと移動すると、気絶している仁類をよけて、ソファの一番端っこに腰を下ろした。
「本題に戻りますけど、何も私はこの狸を千円やそこらの安い値段で買おうってわけじゃないのよ。差し上げるのは別にお金そのものじゃなくてもいい。ねえ、例えばお母さんにエステサロンを一軒オープンしてあげるとか、お父さんにいいプロデューサー紹介してあげるとか、そういうのでもいいのよ。また三人一緒に住めるように、広いマンションだって用意してあげるわ。今の学校が嫌なら、私立の女子校に入れてあげる。どう?」
夜久野さんが煙草の煙と一緒に吐き出したその言葉は、鈴香の心に深く突き刺さった。
「どうして判るの?って顔してるわね。私はね、この位の事は簡単に知ることができるの。これだけいい条件出してあげてるんだから、はい、って言いなさいよ」
それでも鈴香は首を横に振っていた。
「んもう、大体あなたね、自分が狸憑きだって自覚してないでしょ?」
「たぬきつき?」
「そうよ。たしかにこいつは元々狸だけれど、今は木津朱音の魂を手に入れて、人間のふりを続けている。それはもうただの狸じゃなくて、化け物よ。あなたはそれに取り憑かれているの。だから学校の皆も変な子だと思って友達になってくれないし、あなたは穴にもぐった狸みたいに保健室に隠れてばっかり。ね?私に任せてくれれば、ちゃんと木津朱音の魂を取り出して、狸は処分するから」
自分の一番触れられたくない事をずばずばと指摘されて、鈴香は胃がねじれたような感じがした。本当にそうなんだろうか。でも、祐泉さんは鈴香と友達だと言ってくれたはずだ。変な子だなんて言われていない。鈴香は歯を食いしばって、納得いかない事を質問した。
「処分するってどういう事ですか?」
「判らない?やっぱりあなた勉強苦手よね。つまり殺しちゃうってことよ。そうすれば狸の身体から魂が離れるから、木津朱音の分だけを捕まえるわけ。まあ、しばらく飼ってたから情が移るのはわかるけど、安心して。いい獣医さん知ってるから、お薬で苦しくないように死なせてあげる。必要なら毛皮ぐらいは差し上げるから、記念にクッションでも作るといいわね。それとも和尚さんに筆でも作ってあげる?」
もう言葉も出なくて、鈴香は激しく首を横に振った。夜久野さんは呆れたように眉を片方だけ吊り上げて、また深く煙草を吸う。
「言っておくけどね、この狸は放っておいてもそのうち死ぬわよ。そもそも狸なんて本当に安っぽい生き物だから、人間みたいな高級なものに化けるのってすごくエネルギーを使うのよ。だからいつも食べるか寝てるかしかしてないでしょ?」
言われてみればその通りで、鈴香は思わず頷いてしまった。
「それでも所詮は長続きするわけがないし、きっと寒くなる頃には寿命が尽きるわね。嫌じゃない?なんか匂うなと思ったら、縁の下で狸が死んでたりしたら。腐った狸なんて、保健所でもきっと引き取ってくれないわよ」
そんな想像は絶対にしたくなくて、鈴香は唇をかんで少しだけ夜久野さんを睨んだ。
「あなたね、人の迷惑も考えなさいよ。木津朱音がいつまでも眠ってると、白塚さんが困るの。あの人の経営するお店で世話になっといて、わがまま言うんじゃないわよ」
「で、でもどうして白塚さんが困るんですか?」
「うるさいわね。だから子供と話するのって嫌いなの。どうして?なんで?どうして?の繰り返し。まあそれでも馬鹿な大人よりましだけど」
そして夜久野さんは雲のように煙を吐き出すと、「渚さんのことは知ってるわよね?」と尋ねた。
「彼女はいま、白塚さんが経営してるお店で雇われてるんだけど、まあ、彼のお気に入りになったわけ。彼としては結婚したいのに、渚さんは木津朱音が眠ってる間は別れないって言ってるし」
「でもどうしてそれが夜久野さんに関係あるんですか?」
夜久野さんは鈴香の「どうして」に、露骨に顔をしかめてみせた。
「あのね、白塚さんの一族がこれだけ事業がうまくいって栄えてるのは、うちの一族がずっとそれを支えてるからなの。これはもう大昔からそうなのよ。私たちはとっくの昔に世の中から失われてしまった、色んな秘密を伝えてきたからね。ただし残念な事に、うちの一族はとにかく怠け者で、全てが面倒くさい。本音を言えば生きてるのも面倒なくらいだけど、死ぬのはもっと面倒だから我慢してるだけ。学校もほとんど行かないし、大人になっても働かない。それをちゃんと生活できるように、白塚さんちが住むところから何から全部世話してくれてるの。だからその見返りに、うちの一族では一人だけ、白塚さんのために何でもしてあげる便利屋を提供するのよ。運悪く今は私がその役に当たってるってわけ」
「便利屋さんって、換気扇の掃除したり…」
「違います!」
夜久野さんは勢いよく煙草をもみ消し、胸のポケットから空になったパッケージを取り出すと、それをねじって灰皿に投げ込んだ。
「たとえばどこに新しい店を出せばいいとか、誰と組んで仕事をすればうまくいくとか、そんな事を知らせてあげるわけ。誰と結婚すべきかも、本当は判るんだけど、聞かれる前に結婚を決めちゃったからね。もちろんこれは前の奥さんの話よ。すぐに離婚しちゃったけど、あなたと同い年の娘さんがいるんだから。
ついでに言うとね、白塚さんのお嬢さんはあなたと比べ物にならない、素敵な生活をしてるわ。お母さまと、おじいちゃまとおばあちゃまと、広々とした一戸建てに住んでて、小学校から私立に通ってる。バレエが上手で、発表会ではいつも主役よ。そしてペットはボルゾイ。知ってる?ロシアの貴族が飼ってた犬よ。彼女がその犬を連れて散歩に出ると、まるでドラマのワンシーン、みんなうっとりして振り返るわ。あなたがオレンジの髪の狸と歩いてると、みんな呆れて振り返るけどね」
さすがにそこまで言われると、鈴香も何だか腹が立った。
「じゃあ、白塚さんが渚さんと結婚するのは大丈夫なんですか?」
「それがね、信じられないほど抜群の相性なのよね。私は面倒くさいから結婚なんかしないけど、ちょっとうらやましくなるわ。渚さんが一緒なら新しい運が開けて、白塚さんの事業はもっとうまく行く。それはつまり、うちの一族もいい条件で養ってもらえるって事。だから判った?あなたにこの狸を譲ってもらえないと、みんなが迷惑するの」
「でも、もしかして、朱音さんが目を覚ましたら、渚さんはやっぱり朱音さんと結婚するかもしれないでしょ?」
「それはそれ、ちゃんと手は考えてある」
夜久野さんは頬に指を副えてしばらく黙っていたけれど、はっと顔を上げた。
「そんな事はあなたが首をつっこまなくていいのよ。問題はこの狸。和尚さんやおじさんにどう説明するかなんて心配する必要ないわよ。その辺はこっちでうまくやるから。とにかくあなたがOKするだけ。そしたら何だってうまくいく。学校に行けば、皆があなたの友達になりたいって寄ってくるし、お母さんはすぐに帰ってくるし、お父さんともちゃんと仲直りするわよ」
「でも、仁類が死なずに魂を返す事はできないんですか?」
「だって狸にその気がないんだから仕方ないじゃない。それにね、預かってる魂をうっかり手放すと、そのまま天に還ってしまう。そうしたら木津朱音は死んでしまうわ。だからって別に可哀相でも何でもないけど、白塚さんが許してくれない。狸から取り出した魂を運べるのは私だけなのよ。だからわかった?私にその狸を譲るしかないって事」
そこまで言われて、鈴香は何だか自分が間違っているような気分がしてきた。まるで朱音さんと同じように、ぐったりと眠っている仁類。このまま彼が死んで、朱音さんが目を覚まして、渚さんとお別れして、本当にその方がいいんだろうか。
混乱した気持ちのまま、鈴香は仁類の手をとってみた。ちゃんと暖かい。やっぱり生きている。そう思った瞬間、ほんのわずかだけれど握り返してくる感触があって、鈴香は彼が本当はもう目を覚ましていることに気づいた。
仁類、お願い、一緒にここから逃げよう!
心の中でそう叫んで彼の腕を引っ張ると、仁類はいきなり跳ね起きて駆け出した。ドアを開け、鈴香を先に通してから後ろ手に閉めると、中から夜久野さんが「このバカ狸!」と怒鳴っている。
「ドア押さえてて!」と仁類に命令すると、鈴香は廊下に積まれていた段ボールを次々と引きずり落とした。それを壁とドアの間に詰め込んで、つっかえ棒の代わりにする。残念ながらぴったりというわけにいかなくて、ほんの少しだけ隙間ができたけれど、それでも時間稼ぎにはなる。鈴香は仁類に「行こう!」と声をかけて廊下を走り、階段を駆け上った。後ろでは夜久野さんが力任せにドアを開けようと、すごい勢いで体当たりを繰り返しながら「ああもう面倒くさい!」と叫んでいた。
ところがビルの外に出た途端、鈴香はどちらへ逃げていいか判らなくて立ちすくんだ。辺りはすっかり暗くなっていて、知らない街の風景が二人を押し潰すように迫ってくる。
「こっち」
いきなりそれだけ言うと、仁類は鈴香の手を引いて駆け出した。行き交う人をすり抜け、乱雑に停められた自転車をよけ、重そうな台車を押すおじさんをかわし、角を曲がり、路地を抜け、また走る。
やがて仁類は工事中の建物の前に来ると立ち止まり、張り巡らされた青いシートの内側に鈴香を押し込んだ。街灯の明かりにぼんやりと照らされた仁類のオレンジの髪は、まるで寝癖がついたみたいに逆立っている。
「ここをじっとする」
彼は鈴香をもっと奥まで押し込むと、自分はシートの隙間から外の様子をうかがった。鈴香はその時になってようやく、全身から汗が流れるのを感じた。乱れた息は火のように熱いし、足はがくがくするけれど、それでもまだ安心はできない。声を出すのも怖くて静かにしていると、救急車のサイレンや、クラクションや、バイクの音が浮かんでは遠ざかってゆく。
どのくらいそうしていただろう、気がつくと仁類の逆立っていた髪は落ち着いて、彼は鈴香の方を向くと「外を出る」と言った。
「でも、大丈夫なの?」
「こっちに逃げて、匂いのわからない」
どうやら仁類は、風上に逃げたと言いたいらしかった。夜久野さんは犬じゃないよ、と鈴香は思ったけれど、犬を使って二人を追いかけている可能性もなくはない。
「あの人から逃げるには、湛石さんに匿ってもらうのが一番だよ。今はとにかくお寺に帰らなきゃ」
かなりぼけてはいるけれど、湛石さんが偉いお坊さんである事に変わりはない。いくら夜久野さんでも、湛石さんにはそう簡単に手を出せないだろうと思えた。
工事現場の外に出て辺りの様子をうかがうと、近くにはお店や背の低いビルなんかが立ち並んでいる。しかしどこもシャッターを下ろしていて、車が二、三台路上駐車しているのを除けば、暗い道路には誰もいない。ずっと向こうを野良猫が一匹、影のように道を横切っていったのが、唯一の動くものだった。
「ねえ、ここどこ?」
急に不安になって、鈴香は仁類に尋ねたけれど、頭の片隅で予想していたとおり、「知らない」という答えが返ってきた。
「どこか知らなかったら帰れないじゃない!タクシーだって走ってないし、どうすればいいの?仁類がここに連れてきたんだよ?」
それに多分、タクシーを拾えたところで、その情報は夜久野さんに筒抜けのような気がした。あの人はきっと、この街で起こることを何だって知っているに違いない。もしかしたら警察にも嘘の情報を流して、鈴香たちを追っているかもしれない。
そこまで考えると鈴香の不安はどんどん膨れ上がってきた。さっきまで張りつめていた気持ちが急に緩んだせいか、足の力が抜けて、思わずしゃがみこむ。それと同時に喉が苦しくなって、気がつくと鈴香はしゃくりあげて泣いていた。
「もうやだよ、こんな怖いのもうやだ。早く帰りたい」
中二にもなって小さな子供みたいに泣くのはみっともない。それは判っているのに、自分でも止めることができなくて、鈴香は泣き続けた。仁類はすぐそばにしゃがんで鈴香の顔を覗き込んだけれど、前に涙を舐めてぶっとばされたのは憶えているらしくて、じっとしていた。
「お寺は帰れる」
彼はしゃがんだまま、膝に顎をのせてそう言った。狙われてるのは自分の命なのに、まるで他人事みたいに平然としている。それを見ていると、鈴香は少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「でも、道わかんないじゃない」
「わかる」
「ここどこなの?」
「わからない」
ふざけてるのかと思って腹が立ったけれど、鈴香はまずリュックからバッグからティッシュを取り出して鼻をかんだ。
「もう、どっちなのよ!」
「ここのどこか知らないでも、帰る道にわかる」と答えて、仁類は立ち上がった。見上げた夜空にはまん丸な月が浮かんでいた。
もうどのくらい歩いただろう。四車線の県道に時たま出ている地名は、この街に馴染のない鈴香には何の意味もなくて、本当にこの方向でいいのかどうかも判らない。なのに仁類は分かれ道にくるたびに、迷う事なく「こっち」と先に進んでゆくのだった。
いま二人が歩いている歩道の右手は雑草の生えた空き地で、道路をはさんだ向こう側には川が流れている。もうあまり車も通らず、バスなんか一台も見かけない。たまにトラックが追い越して行くだけで、エンジンの音が通り過ぎると、草むらの虫たちがそれに負けまいとして、いっそう賑やかに鳴くように思える。
やがて道路は川と交差して、二人は橋を渡った。その辺りから少し周りの様子が変わって、暗闇の中にぽつりぽつりと、お店らしい明かりが見えてきた。
「何だろう、ラーメン屋さんかな」
鈴香は何だかその明かりがとても懐かしくて、ほっとした気分になった。近づいてゆくとそれはお弁当屋さんだった。駐車場には黒いワンボックスカーが停まっていて、店の中にはちょっと怖そうな男の人が三人いた。唐揚げのような匂いが外まで漂って、それをかいだ途端にお腹がきゅっと空いてきた。どうやら仁類も同じみたいで、立ち止まって店の中を見ている。
「ここは駄目だよ」
鈴香は慌てて仁類の背中を押した。あの人たちが夜久野さんと無関係という保証はどこにもない。そう考えると、その向こうにあるラーメン屋さんも、そのまた向こうにある牛丼屋さんも、全部危ない感じがした。中で食事をしている間に夜久野さんに連絡されたら大変だ。それに第一、鈴香の財布にはあんまりお金が残っていない。
お店の前に来るたびに立ち止まる仁類を押し続けて、鈴香はようやく小さなコンビニを発見した。駐車場には軽自動車が二台と、原付が何台か停まっていて、中には立ち読みしている男の人が何人かいた。店からさす明かりで、鈴香は財布の中身を確認した。
「おにぎりか何か買ってくるから、待ってて」
とにかくオレンジの髪が目立つ仁類は隠れている方がいいと思って、鈴香は一人で店に入った。防犯カメラに映らないように、なるべくうつむいて、大急ぎで棚に残っていた梅干しと鰹と鮭のおにぎりをバスケットに入れる。夜道を歩き出してすぐに自動販売機でスポーツドリンクを買って飲んだので、そんなに喉は乾いていなかったけれど、念のためにまた一本とって、仁類には水を買う。それからメロンパンも一つ追加した。
そしてうつむいたまま、店員さんの顔も見ずに急いでお金を払い、鈴香は駐車場の脇で待っていた仁類のところに走って戻った。
「はい、急いで食べちゃって!」
鈴香は自分が食べる分の梅干しおにぎりとスポーツドリンクをとると、後は袋ごと仁類に渡した。ところが彼はそれをまた鈴香に差し出す。
「鈴ちゃんが全部の食べる」
「何言ってんの、いつもこれくらい平気で食べてるのに」
「仁類はあっちに食べる」
そう言って彼が指さしたのは、コンビニのごみ箱だった。
「ごみなんかあさっちゃ駄目!」
鈴香は慌ててまた袋を仁類に押し返すと、「とにかく急いで食べなよ」と自分の梅干しおにぎりを食べ始めた。仁類が少し困ったような顔になったので、鈴香は彼が不器用でおにぎりのフィルムをはがせないことに気づいた。
「ちょっとこれ持ってて」
ごみ箱をあさるのも平気そうな仁類に、自分のおにぎりを預かってもらうのも少し微妙なんだけれど、手がかかるんだから仕方ない。急いで彼のおにぎりのフィルムをはがすと、「はい」と手渡して自分のと交換する。そうなると仁類が食べる速度はやっぱり半端じゃない。鈴香が一口二口と食べるうちに二つ平らげて、それから水を少し飲み、メロンパンを取り出すとこんどは自分で袋を開けて、また「食べる」と差し出してきた。
正直いって鈴香も、おにぎり一つではやっぱり物足りなくて、「じゃあ半分」と答えた。でも仁類に任せたらパンがとんでもない事になりそうなので、自分が食べる分だけちぎらせてもらった。
お腹に食べ物が入ると、ずいぶん気持ちが落ち着いた。スポーツドリンクは半分以上残しておいてリュックに入れ、鈴香は「行こうか」と声をかけた。仁類は水も全部飲んでしまったけれど、雨水を平気で飲めるんだから、別にとっておく必要もないんだろう。そうなると狸の方がずっと楽かもしれない。
二人はそしてまた、夜道を歩き始めた。今までは本当にお寺に向かっているのか半信半疑だったけれど、道はどんどん山手の住宅地に入っていって、それはすなわちお寺のある山に向かっている事に思えた。
「仁類はどうして道がわかるの?」と尋ねても「わかるから」という答えしか返ってこない。その位当たり前の感じで、彼は月明かりの下を歩いてゆく。前に見たテレビの感動大特集で、旅行先で迷子になった犬が一人で家に帰ってきた、というアメリカの話を紹介していたけれど、南斗おじさんによれば狸も犬の仲間だし、少しはそういう事ができるのかもしれない。
一戸建ての小さな家が立ち並ぶ細い道を歩いてゆくと、どの家の窓にも明かりが灯っていた。時にはテレビの音が聞こえて、時にはお風呂でシャワーを使う音が聞こえた。そしてまた別の家からは、子供たちのはしゃぐ声が聞こえたりした。みんな家族一緒で、安心してくつろいでるのに、自分はどうしてこんな事になってるんだろう。鈴香は今頃になって初めて、とても寂しい気分になった。
正体不明の変な人に命を狙われてる狸と、それを助けなくてはならない自分。目の前の家のリビングで、テレビを見ながら大声で笑ってる子供が自分ならどんなにいいだろう。そして鈴香は夜久野さんが言っていた、白塚さんの娘さんの事を考えた。同い年で、大きな一軒家に住んでいて、私立の中学に通ってて、バレエが上手。彼女は今頃何をしてるだろう。テレビなんか見ないで、勉強してるんだろうか。それともペットのボルゾイと遊んでるんだろうか。
「鈴ちゃん」
気がつくと、仁類はずいぶんと先の方で待っていて、鈴香は慌てて走って追いついた。
「ちょっとの休む」
「考え事してたから遅れただけ」と説明しても、彼は歩き出さなかった。そしてしばらく考えて「仁類の背中を乗る」と言った。
「え?おんぶするって事?いらないってば!」
小さい子供じゃあるまいし。鈴香は馬鹿にされたようでちょっと腹が立って、先に立つとどんどん歩き出した。するといきなり脇の方から凄い勢いで犬が吠えかかってきて、思わず後ずさりしてしまった。
「つないで犬は大丈夫」と言いながら、仁類が追いつく。仕方なくまた並んで歩き出すと、その先は舗装した道路が途切れて山道になっていた。
「ここを歩くの?」生い茂る木立に思わず怖気づいた鈴香だけれど、仁類は「歩く」と言ってどんどん進み始める。仕方なくついて行くと、辺りは月明かりのおかげでほんのりと明るく、一人でもちゃんと歩けそうだった。
道は緩やかに登って行ったかと思うと下りになり、そしてまた急に登った。しばらく尾根のような場所を伝ったかと思うと、今度は滑るようにして斜面を下る。たぶんもうジーンズは泥だらけだったけれど、気にしている場合ではなかった。
仁類は坂がきつい時は鈴香の手を引っ張り上げ、降りる時は下で待っていてくれた。鈴香の目には道なんて存在しないように見える木立の中を、彼はまるで何か標識でもあるみたいに、ためらわずに進んでいった。
やがて急な坂を上り切った二人の前がぽっかりと開けた。よく見るとそこは舗装されていて、どうやらお寺から街につながっているバス道の一部らしく、道沿いに白いガードレールが廻っている。
「あっちの行く」と言って、仁類はガードレールの下をすり抜けて道路に這い上がり、身を乗り出して鈴香を引っ張り上げた。ちょうどそこへダンプカーがすごい勢いで走ってきて、鈴香は思わず悲鳴を上げた。
「だから車は大きく怖い」と、仁類は自信ありげに言うけれど、そこはちょうどカーブで見通しのきかない、横断するには最悪の場所だった。
「こんなところで渡らなくても、もっと広いところにすればいいのに」
ようやく立ち上がって、車が来ていないか耳を澄ませながら、鈴香は文句を言った。
「狸の道はこれで正しい」と答え、仁類は鈴香の腕をぐいと引いて道を渡る。そしてそのまま目の前の斜面をよじ登った。
「狸の道はずっと前で決めた。車の道は後ろでつくった」
「でも、そうやって狸の道を変えずに通ってたら、ひかれちゃっても文句言えないよ」
「だから気をつける」と仁類は答えた。ただ気をつけても危ないものは危ないのに。狸って困る事を何とか解決しようと思わないのかな、と鈴香は少し残念な気持ちになる。でも確かに、山の中に道路を作って車を走らせたのは人間の都合で、もし狸に相談していたら、別なルートになっていたかもしれない。
そしてしばらく緩い斜面を登ってゆくと、狸の道はまたバス道と交差していた。そんな事を何度か繰り返し、二人はやがて月明かりでほんのりと明るい山の中をまっすぐに歩いていた。辺りの藪は虫の大合唱で、時々頭の上から、何かがはばたく音や、物悲しい鳴き声が聞こえてくる。坂道の上り下りはけっこう必死だったけれど、ようやく一息ついた感じがして、鈴香は少しだけ休憩してもらうと、倒れた木の幹に腰掛けてスポーツドリンクを飲んだ。
少し離れて立っている仁類に「鈴ちゃん、まだ歩ける」と聞かれて、「大丈夫」と答える。本当は今すぐにでも横になって眠りたいけれど、とにかくお寺に帰るまでは頑張らなくてはいけない。
「あとどの位あるの?もう半分以上来てる?」
「もっとの歩く」とだけしか仁類は答えなかった。
月はもう頭上を越えてしまって、夜風の寒さが背筋をぞくっとさせる。鈴香は念のためスポーツドリンクをあと少し残しておいて、また立ち上がった。
まだ、なだらかな道が続いていたので歩きやすかったけれど、それは退屈という事でもあって、何だか頭がぼんやりとしてきたので、鈴香は気を紛らわせようと仁類に話しかけた。
「ねえ、仁類っていつどこで人間に化けたの?もう思い出した?」
「お寺に来る前。車の道で寝る人の見る」
仁類はゆっくりとそう言った。
「それ、寝てたんじゃないでしょ?事故でしょ?」
鈴香は渚さんにきいた朱音さんの話を思い出しながら尋ねた。車を運転中に脳出血を起こして、そのまま崖に衝突したという話を。
「その人は車の中を寝る。車は怪我がして動けない。その人の…」
そこまで言って、仁類は少し口ごもった。
「その人の、何?」と鈴香が促すと、彼は立ち止まって、少し考えると振り返った。
「狸の約束は人間と言わない。でも鈴ちゃんは子供だから言う。他の人で言うのはいけない」
「わかった。秘密ね」
鈴香は深く頷いた。仁類はこちらを向いたまま、また少し考えて「寝る人の自分が出ていくところを見る」と続けた。
「死にそうだったって事?」
「自分が出て、戻らないと冷たくなる。仁類はその時見るのが初めて」
きっと仁類は、初めて死にそうな人を見たのだ。夜久野さんに言わせると、魂が離れかけている人、だろうか。
「狸は人間に化けて時、人間の自分を借りる。だから仁類も借りるにした」
「でもなんでその時、人間に化けようと思ったの?」
「湛石さんを会う」
それを聞いて鈴香は思わず「どうして?」と大声をあげていた。
「湛石さんには前から、ごはんもらって、会ってたんじゃないの?」
「でも湛石さんのいつも、こんどは中で一緒にごはんを言うから、仁類も人間で会うに決めた」
「もう、最悪」
仁類は、ボケてちゃってる湛石さんの言葉を真に受けたのだ。鈴香には湛石さんがどんな感じだったか、だいたい想像がついた。「あんた、今度はちょっと上がってって、座敷で一緒に晩御飯たべまほか。お酒も出ますさかいに、人間に化けてきはったらええわ」なんて調子のいいこと言ったに違いない。
「仁類はその人の自分を借りて、服に借りて、お寺の行った」
「でもさあ、お寺で湛石さんとごはんも食べたし、目的は達成したんでしょ?そしたらもういいじゃん」
「自分を返しに行く時、でもその人のいなかった。車も逃げた」
そうか、仁類がお寺で遊んでいる間に、朱音さんは峠の病院に運ばれてしまって、だから仁類はずっと魂を借りたままなんだ。
「仁類さあ、カリパクって言葉あるの知ってる?」
「カリパク」
「物を借りといて、そのままパクって自分のものにしちゃう事。それって泥棒と一緒だよ」
鈴香は前の学校で、ちょっと問題になった事件を思い出していた。友達の漫画を借りて、そのうち返すねと言って、そのまま自分のものにしていた子がいたのだ。その子は返しそびれただけと言い訳したけれど、今の仁類も似たようなもんだ。
「ねえ、今からちゃんと魂を返す事できる?でないと、ずっと夜久野さんに命を狙われるよ」
仁類は返事をしなかった。
「いつまでも人間でいたってしょうがないでしょ?本当は狸なんだから。卵焼きだったら、また湛石さんにもらえばいいよ」
まだ返事はなくて、仁類はそのままくるりと前を向くと、また歩き始めた。後はただ、規則正しい足音が聞こえるだけだ。もう、本当は狸って言ったのを、馬鹿にされたと思って怒ってるんだろうか。鈴香は仁類の背中を見つめたまま、黙って歩き続けた。
それからずっとずっと歩いて、仕方ないから何か言おうと鈴香が思った時、仁類は口を開いた。
「仁類は、もっと人間にしている」
「だからどうして?」
「鈴ちゃんの親に帰ってこないから」
思いがけない返事に、鈴香は面食らってしまった。その間も仁類はどんどん歩き続ける。
「なんで私と関係あるの?」
「鈴ちゃんはまだ子供の、親がいないでいけない。子供は悪いもの食べるの苦しくなったり、車に踏まれるのはぺたんこ。だから仁類は人間にして、鈴ちゃんを見ておく」
「わ、私は別にお母さんやお父さんと一緒じゃなくても大丈夫だよ!南斗おじさんや民代おばさんもいるし、第一そんなに子供じゃない!」
「でもさっき、親に探す子狸みたいで、いっぱい泣いた」
「あれは…」
急に決まりが悪くなって、鈴香は口ごもった。でもとにかく、仁類が人間でい続けることを自分のせいにされるのは困る。
「もう私の事なんか心配しなくていいから、ちゃんと朱音さんに魂を返すこと、お寺に帰ったらすぐに決めるんだよ!」
それから鈴香は何だか気まずくなって、黙々と山道を歩いた。月はどんどん空を転がり、それとともに足は重く、頭はぼんやりとしていく一方だった。仁類はといえば、いつも夜は散歩しているせいか、とても元気そうで、歩き始めた時と変わらない感じでひょいひょいと、木の根っこや転がる岩をよけて坂を上り、斜面を弾むように降りて行く。
正直いって、もう限界だと鈴香は思った。でも弱音を吐くのも悔しくて、はあはあと荒い息をつきながら急な斜面を登り、また降りようとしたところで足を滑らせてしまった。
石ころや枯葉と一緒くたになって転がった鈴香を、仁類はうまくキャッチしたけれど、勢いで二人とも地面にひっくり返った。
「ごめん、足が滑った」
鈴香はようやくの思いで起き上がり、くっついた枯葉を叩き落とした。仁類も先に立ち上がっていたけれど、「鈴ちゃんはもう寝る」と言った。
「寝る?ここで?」
いくらなんでも、こんな山道で寝るのは嫌だ。しかし仁類は「こっち」と言って鈴香の腕をとると、斜面沿いにゆっくりと歩いた。
しばらく行くと、大きな枯れ木が倒れていて、その下がほら穴のようになっている場所があった。入口はマンホールの蓋ぐらいの大きさがある。
「ここの寝る」と言って、仁類は鈴香を穴の中に押し込もうとした。
「え?ちょっと、やめてよ。熊とかいたらどうするの?」と、思わず抵抗すると、彼は「これは仁類の押し入れ」と言った。
仕方ないので腹這いになり、後ろ向きにこわごわ中に入ってみる。そこは人ひとりが何とか入れるほどの空間で、地面には乾いた枯葉がいっぱいたまっている。もう何だか身体を動かすのが億劫になって、鈴香はリュックを枕にして、とりあえず一休みする事にした。でも二人一緒はかなり厳しいなあ、と心配になって「仁類はどうするの?」と聞いてみた。
「仁類はここでいる」と、彼は穴の入口に座ったまま返事をした。だったらいいや、と安心して、鈴香は身体をゆったりと伸ばした。仁類がいるせいで夜風も入ってこないし、乾いた枯葉はふかふかと布団みたいに気持ちがいい。ここが仁類の「押し入れ」なんだ。
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