7 鶴でも恩返しする
コーラのグラスに挿したストローをつまんで軽くかき混ぜると、小さな泡が次々と浮かび上がってはじけた。鈴香は腕時計をちらりと見て、それから周囲を見回す。開演前のライブハウス「太陽館」。お客さんの入りはまだ半分を少し超えたあたりだ。
祐泉さんから「あそこで今度やるライブ、一緒にどう?」と誘われて、カンパチさんにこの前の事も謝りたかったので、来ることにしたのだ。けれど祐泉さんは急用ができて少し遅くなるし、カンパチさんは忙しいらしくて、カウンターの中にはアルバイトらしい女の人が二人いるだけだった。
今夜出演するのは「弦弦」と書いて「つるつる」と読む、アコースティックギターのデュオ。一人は本職が歯医者さんで、もう一人は漬物屋の社長さんだと祐泉さんが言っていたけれど、お父さんもそういう「ちゃんとした」仕事があってのライブなら、鈴香だって素直に応援できたかもしれない。
来ているお客さんは男の人も女の人も仕事帰りという雰囲気で、まるっきり大人の世界だ。薄暗いからそんなに目立たないけれど、自分が場違いなのは明らかで、せっかく来たのに何だか帰りたい気分になっていた。
「ここ、空いてる?」
誰かにそう尋ねられて、鈴香はふと顔を上げた。大学生ぐらいの男の人がこちらを覗き込んでいる。確かに鈴香の前は空いているけれど、祐泉さんが座るんだし、他に空いた席はまだある。一人ならカウンターでもいけるのに、などと考えているうちに、彼は手にしていたビールのグラスをテーブルに置き、向かい側に腰をおろした。黒いフレームの眼鏡をかけていて、うすい耳の片方だけにピアスが光っている。
「一人で来てるの?高校生?」
彼はとても親しげに話しかけてきた。
「俺さ、今日出るシゲルさんと時々セッションしてるんだ。ネットに動画アップしてるからさ、ヒマな時に覗いてよ」と、彼は携帯を取り出す。どうやらその動画を見せたいらしい。
「まあ、アコギだけってのもいいけど、ちょっと地味すぎる感じはするよね」とか言いながら携帯をいじっている。しばらくして出てきたのは、なんだかはっきりしない画像で、周りの拍手や歓声ばかり大きくて、肝心の演奏はよく聞こえない。
「あとさ、バンドの動画もあるんだよ。うち、ツインリードなの」
鈴香がそんなの別にどうでもいいし、他の席に行ってくれないかな、と思っているのには全く気づかず、彼はずり落ちてきた眼鏡を指先で直すと、また携帯で動画を探している。そこへ誰かの声がした。
「ちょっと、そこ私の席なんですけど」
見上げると、知らない女の人が立っていた。艶やかに光るボブカットの黒髪が切れ長の涼しい瞳によく似合う。黒いジャケットの下は真紅のキャミソールで、タイトな黒のパンツで十分に長い脚を更に強調している。
「あっ、すっ、すみません」
男の人は即座に立ち上がり、その拍子に携帯を床に落とした。それを慌てて拾い上げると「お邪魔しました」と頭を下げて去ってゆく。女の人は「ちょっと、忘れ物よ」と声をかけ、テーブルに置き去りにされたグラスを指差した。
彼がそそくさとグラスを回収して遠ざかってから、鈴香はあらためて女の人に「すみません」と頭を下げた。彼女はきっと、鈴香が困っていたので嘘をついて助けてくれたのだ。
「何をかしこまってるの?ごめんね、遅れちゃって」
彼女はそう言って、手にしていたグラスをテーブルに置くと、向いの席に腰を下ろした。あらためてその顔をよく見て、鈴香は大声をあげた。
「祐泉さん!どうしちゃったの?」
「どうもこうもしないわよ。せっかくのライブに作務衣で来るのは興ざめってもんでしょ」
「で、でもその髪・・・」
「んなもんヅラに決まってるじゃない。正しくはウィッグね」
そう言って長い脚を組むと、攻撃的なエナメルのピンヒールが光る。さっきのやり取りを横目で見ていた隣のテーブルのサラリーマン二人連れの視線は、ずっと祐泉さんに釘付けだった。
「たまにはこうやって羽根のばさないとね。でもお寺には内緒よ」と、にっこり笑う唇はルージュで艶やかに光っている。
「それ、お酒?」
「だといいけど、残念ながら今日は車だからね、ジンジャーエールよ」
「お寺の車で来たの?」
「そう。せっかくお洒落してきてもあの車じゃ台無しね。近所のコインパーキングに停めたんだけどさ、なんかじろじろ見られて」
祐泉さんは多分、車に大きく書かれた「崑崙山叡李院」のことを言ってるんだろう。
「みんな車じゃなくて、祐泉さんのことを見てるんだよ。かっこよすぎるもん」
「お世辞言っても何も出ないわよ。ところで南斗さんは来るのかしら」
「ううん、檀家さんに行かなきゃならないって」
「そっか。カンパチも久々に会いたがってたのに、残念ね」
「そうだね」と頷き、鈴香はようやく落ち着いた気分でコーラを飲んだ。
南斗おじさんが実はこの店の常連で、年末の「おやじフェス」には必ず出演しているという事は、この前のお父さんとの一件で初めて知った。あの後、お父さんは結局お寺に現れず、南斗おじさんには電話だけしてきたらしくて、その後で「鈴ちゃん、槙夫の奴、かなり落ち込んでたぞ。謝っといてくれってさ」と言われた。そこからまたお父さんの言い訳があれこれ続くんじゃないかと鈴鹿は身構えていたのに、南斗おじさんは太い眉を持ち上げてにやりと笑い「ま、そういうこと」で締めくくってしまった。
ギターの音って何だかとても懐かしい。
鈴香は不思議な気持ちで、流れてくる演奏を聞いていた。自分が五年生ぐらいの頃までは、お父さんも家でよくギターを弾いていたし、二人で時々一緒に歌った。
ステージで演奏している二人のギターは、お父さんよりもずっと丁寧で細やかな感じがする。けれど鈴鹿は今、お父さんの弾くギターを聞きたいと強く思った。曲だけではなくて、弦の上を滑る指先のかすかな響きだったり、イントロが終わって、さあこれから歌うよ、という目配せだったり、そういった細々とした事とか、まだ小さくてお父さんやお母さんに腹を立てることもなかった頃の、疑いなく満ち足りた気分だとか、そういった事の全てが突然に懐かしくてたまらなくなった。
みんなどこに消えたんだろう。どうして?いつから?
鈴香があれこれ考えているうちにライブは終わったみたいで、気がつくと周りでは大きな拍手が続いていた。しばらくして弦弦の二人はまたステージに上がると、アンコールに短い曲を一曲演奏して、それから大きく手を振って去って行った。
フロアが明るくなり、ほとんどのお客さんは席を立つ。けれど鈴香と祐泉さんはそのままカンパチさんが来るのを待った。
「ねえ、鈴ちゃんお腹すいてるよね?」
「まあちょっと」
「ここで何か食べて帰ろうか。適当に注文しちゃっていい?」そう言ってカウンターに向かう後ろ姿を、本当にモデルみたいだと思いながら、鈴鹿はふと、なんで祐泉さんは尼さんなんかやってるんだろうと不思議になった。いつも「面倒くさい用事ばっか押し付けられちゃって」と文句を言っているし、流行ってる髪形もファッションも関係なく、ネイルやアクセサリどころかお化粧も禁止。中学生よりまだキツい。嫌ならすぐに辞めてもいいはずだし、秘書をしていたぐらいだから、またOLになれるはずなのに、尼さんを続けているのは何故だろう。
「ピザのマルゲリータとサラダ頼んだからね」
祐泉さんは細いグラスを二つ手にして戻ってきた。それは淡いピンク色の飲み物で、グラスの縁に紫の蘭の花があしらわれている。
「わあ可愛い!」鈴鹿は思わず歓声をあげた。
「残念ながらノンアルコールだけどね」
黒いストローに口をつけて飲んでみると、グレープフルーツの味がして、よくきいた炭酸が気持ちいい。何だか急に大人になったような気分で、鈴香はそれを少しずつ飲んだ。
「お二人とも来て下さってありがとう」
聞き覚えのあるハスキーな太い声がして、カンパチさんがフライドポテトを盛ったバスケットと自分のグラスを片手に現れた。
「はい、これは私からのサービス。お姐さん、今夜はコスプレなのね。相変わらずオカマと紙一重だけど」
「うるさいわね。あんたまたちょっと太ったんじゃない?」
「いいじゃない、ほっといてよ。ねえ、この人本当にキツいでしょ?」と、苦笑いしながら、カンパチさんは鈴香の顔を覗き込んでくる。そこでようやくタイミングが見つかった気がして、鈴香は「あのう、この間はどうもすみませんでした」と謝った。
「あらあらとんでもない、私の方は別にどうって事ないから」
「でも、あの日のライブはちゃんとできたんですか?」
「それはもう大丈夫だったわよ。マキオさんってもしかすると、アクシデントがバネになるタイプじゃないかしら」
「ちゃんと盛り上がってたの?」祐泉さんは早速フライドポテトを齧っている。
「かなりいい感じだったわよ。バンド時代のファンの人なんかも来て下さって。でも驚いちゃったわねえ、マキオさんにこんな大きなお嬢さんがいたなんて」
言われて鈴香は思わず俯いた。ずっと前から友達やそのお母さんに、「鈴ちゃんのお父さんってまるで独身の人みたい」とか「うちのお父さんより全然若い」なんてよく言われていて、それは結局「頼りない人」や「子供っぽい人」を遠回しに表現しただけだとはっきり感じていたからだ。
「あの日は白塚さんも来てらして、なかなかいいねって」
「白塚さんって、ここの社長さん?」と、祐泉さんはさらにポテトを齧る。
「そうよ。あの方、ふだんは東京が多いけど、たまたま寄ったのよね」
「かなりのやり手っていうか、あちこちに顔が広いって噂ね。どう?鈴ちゃんのお父さんもその伝手でブレイクできそう?」
「かもしんないわねえ。でもなんせ彼はポーカーフェイスだから。ま、そこが素敵なんだけど」
ちょっとうっとりした顔つきになったカンパチさんに、祐泉さんは質問を続ける。
「その白塚さんって、こっちじゃかなり名の知れたお金持ちなんでしょ?」
「そりゃもうすごいわよ。駅前に不動産いくつも持ってて、このビルもそうだし。うちの社長さんは次男だから、かなり自由にしてらっしゃるけど、何代も続く由緒正しいお家なのよ。噂じゃすごい霊能者が一族にいるらしくて、それが成功の秘密なんですってよ」
「本当に?」と、鈴香も思わず質問してしまう。カンパチさんは大真面目にうなずくと「白塚さん本人がそうだっていう噂もあるのよ」と言った。
「ふーん。でもそっちが霊能者なら、晋照寺は狸よねえ、鈴ちゃん」
祐泉さんは意味ありげに笑いかけてくる。
「狸ってあれ?南斗さんの事かしら?」
「それはただの狸オヤジ。鈴ちゃんとこにはね、人間に化けた狸がいるのよ。しかもけっこうカンパチ好みのいい男」
「あらやだ!なんで一緒に連れてこなかったの?ねえねえ、その狸でいいから、ちょっとバイトに回してもらえないかしら。うちのタクジ君、先週バイクで事故っちゃって、いま猫の手も借りたいほどなの。狸の前足でも全然OKだわ」
バイト、と聞いてはっとしたのは鈴香の方だった。
「あの、それってどういう仕事するんですか?」と、恐る恐る聞いてみる。
「まあ時間帯にもよるけど、タクジ君は早番だから、開店準備よね。掃除とか、お料理の仕込みとか。あとはこういうもん補充したり」と、カンパチさんはテーブルの端に立ててあるペーパーナプキンをつまんだ。
「あと、チケットのモギリもね。うち、女性のお客さんが多いから、やっぱり可愛い男の子だと喜ばれちゃう」
「それはあんたの個人的な見解でしょ。ね、鈴ちゃん、仁類の奴、いつもタダメシ食べてるんだし、ちょっと働かせてみたら?鶴でも恩返しするんだから、狸も頑張らないと」
「ていうか、そのバイト、私じゃだめですか?」
「え?鈴ちゃんが?」
カンパチさんは驚いていたけれど、鈴香はかなり本気だった。夏休みで学校に行かなくていいのは嬉しいけれど、毎日お寺にいるのも何だか退屈してきたのだ。かといって、あちこち出かけてクラスの誰かに出くわすのも気まずい感じだし、何よりバス代が馬鹿にならない。もしバイトができればお小遣いになるし、頑張ればお母さんに会いに、東京に行くお金も貯まるかもしれない。
「そうねえ、鈴ちゃんならちゃんとやってくれそうだけれど、いま中学生よね?いくら早番でも七時過ぎまでいてもらう事があるし、帰りが心配だわ」
「だったらさ、狸とセットでどう?二人で一人分の時給払ってくれればいいから」
祐泉さんはいきなり身を乗り出してきた。
「まあ、お姐さんったら阿漕な芸能プロの社長みたい」
「いい話だと思うけどね。それでお給料は鈴ちゃんが全部もらっとけばいいわ。仁類にはおさかなソーセージでも買ってあげて」と、祐泉さんの頭の中ではすっかり計画ができているようだ。
「とにかく、試用期間って事で三日ほどやりましょうよ。帰り道は心配しなくても、ちょっとあてがあるの。ただし毎日ってわけにはいかないけど」
「まあ鈴ちゃんには金曜と土曜と、あと一日ぐらい来ていただければ助かるわ」
「わかった、そこは調整するから。お給料は週払いにして、現金でお願いね」
「全く、お姐さんたら、尼さんより人材派遣業とかの方がよっぽどお似合いなんだから。鈴ちゃんはこんなに可愛げのない人になっちゃダメよ」と、カンパチさんは大げさに呆れてみせたが、この二人が仲良しだという事は鈴香にもよくわかった。
そこへちょうど焼きあがったピザが運ばれてきて、カンパチさんは「じゃ、私はちょっと失礼するわね」と立ち上がった。
「あら、一緒に食べないの?」
「それがさあ、こないだ病院で痛風一歩手前って言われちゃったのよ。だからダイエット中。これもカロリーゼロよ」と、カンパチさんはコーラの入ったグラスを揺らしてみせた。
「あらそーお、変なとこだけちゃんとオヤジなのね」
「悔しいけどそうなんです。本当にねえ、鈴ちゃんのパパみたいにシャキッとしてればいいんだけど」
そしてカンパチさんは「じゃあ、バイトの件はまた連絡するわね」と、肩のあたりで小さく手をひらひらさせて、カウンターの方へ戻っていった。
うちのお父さん、別にシャキッとなんかしてないのに。
カンパチさんが持ち上げてくれるほど、鈴香はなんだか後ろめたい気持ちになるのだった。痛風ってどんな病気か知らないけれど、とにかく頑張って仕事してるカンパチさんの方がお父さんよりもずっとちゃんとしてると思う。
「鈴ちゃん、熱いうちに食べなきゃ」
祐泉さんにせかされて、鈴香は我に返った。パリっと膨らんだ薄い生地の上で、黄金色にとろけたチーズが待っている。祐泉さんはそれを一切れ、手づかみで口に運んでいて、鈴香もその真似をした。
「なかなかいけるじゃない。バイトに来たら賄で食べさせてもらいなよ」
「でも私、あんな事言っちゃったけど、できるかなあ」
「そりゃ全然心配ないって。鈴ちゃんこないだ、うちのお寺でもすごくよく手伝ってくれたじゃない。むしろ心配なのは仁類だわ」
「仕事って言っても、庭掃除ぐらいしかした事ないしね。あれも最後にごみ集めてるのかどうか、わかんない」
「ちゃんと教育してやってね」
「私が?」
「だって鈴ちゃんは仁類の飼い主みたいなもんだし。あいつ私には全然なつかないのに、鈴ちゃんの言う事はよくきくじゃない」
早くも二切れめのピザを半分齧り、祐泉さんはその大きな目で笑いかけてきた。
そうか、自分は働くだけじゃなくて、仁類の面倒もみなきゃいけないんだ。まだほんの一歳で、しかも狸。そう思うと、これは大変だという気がしてきた。
太陽館でのアルバイトについて、心配なのは南斗おじさんの反応だった。鈴香はまだ中学だから、とか、場所がライブハウスだから、といった理由で反対されるかもしれないと思ったのだ。ところがおじさんは「そうか、じゃあ鈴ちゃんが行ってるうちに、俺も一回ぐらいライブに出なきゃいかんな。うちはオヤジフェスでも前座扱いだから、厳しいけどなあ」と、自分のバンドの事しか考えていないようだった。そして「狸が働いてるって噂になったら、テレビの取材が来るかもな」と笑っていた。
一方、民代おばさんは「お弁当持っていくんだったら作るからね」と、これまたクラブの練習と勘違いしてるみたいな事を言った。
ともあれ、バイトを始めるにあたって、大きな問題は仁類だ。いっそ自分ひとりで行きたかったが、祐泉さんに言わせると「いつまでも昼寝ばっかりさせてちゃ駄目」ということで、通勤の練習から始めることにした。
行きはバスに乗るけれど、まずは車に慣れることだ。祐泉さんが試しに下山してみようと叡李院の車で迎えに来てくれたものの、そう簡単にはいかなかった。仁類は車を警戒しているらしくて、近くまでは来ても、首をつっこんで中の匂いをかぐだけでまた離れてしまう。
「とにかく乗せないことにはね」と、祐泉さんは作務衣の懐からおせんべいの袋を取り出し、一枚だけシートに置いた。すると仁類はそれを食べようと車に乗り込む。どうやら食べ物が絡んでくると、他はどうでもよくなってしまうらしい。
「よし、行こうか」と祐泉さんに小声で言われて、鈴香も車に乗ろうとした。ところが祐泉さんが運転席のドアを開けた途端、仁類はおせんべいをバリボリ噛みながら降りてくる。
「もーお、駄目じゃない」と祐泉さんが文句を言うと、仁類はどんどん車から離れて行き、軒下の赤い防火用バケツに顔を突っ込んで水を飲み始めた。。
「うわ!またやってる。もう放っとこうよ。今日はとりあえず私達だけで下山しよう」
鈴香は呆れてそう言うしかなかった。祐泉さんだって暇じゃないのだ、いつまでも仁類の気まぐれにつきあわせられない。やっぱりアルバイトには自分ひとりで行こうと心に決めて、鈴香は車の助手席に乗り込んだ。祐泉さんも「次はちょっと作戦変えなきゃね」と言いながら車のキーを取り出したけれど、そこへいきなり仁類が戻ってきた。
「今頃何よ」ちょっと腹が立って、軽く睨みつけてやったら、仁類は中を覗き込んで「入る」と言う。思わずキツい口調で「はあ?」とやり返したけれど、祐泉さんが「いいからいいから、早く乗せちゃって」とせかすので、仕方なく鈴香は腕を伸ばして後ろのドアを開けた。
ようやく車を出してから、祐泉さんは「私も馬鹿よね、肝心な事を忘れちゃってた」と笑った。
「肝心な事?」
「鈴ちゃんが仁類の飼い主だって事。最初から鈴ちゃんが乗ってれば、大人しくついてきたのよね」
「わたし仁類なんか飼うの嫌だよ。きっと、まだおせんべいもらえると思ってるだけじゃない?」
「かもね。とにかく、大人しく車に乗れるって判ったんだから成功って事」
祐泉さんはご機嫌で、少しスピードを上げた。鈴香は振り向くと仁類の方をこっそり見た。彼は二人の会話なんてまるで気にしてない感じで、窓に貼り付くようにして外の景色を眺めている。
全く何を考えてるんだか。
少しだけ開いた窓から吹き込む風で、彼の髪は絶え間なくかき乱されていたけれど、相変わらず根元まで鮮やかなオレンジ色のままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます