★嫁のメモ★
目的地は鈍行しか停まらない小さな駅で、一つしかない改札口を出て左に行くとすぐに遊園地のゲートがあるから、そこに入ってくれって。でも遊園地なんか、今から行ってもすぐ閉園しちゃうんじゃないの?多分、五時は確実に過ぎちゃうんですけど?
そんなとこに何しに行くのか聞いても、「来ればわかる」の一点張りで話になんなかったし。
どうしてそこに行くのかとか、何で何も教えてくれないわけ?
釈然としないながらも、あたしはとにかく着替えて遊園地を目指すことにした。
……あ、一人で出掛けて電車に乗るのって、こうなってからは初めてだったんだっけ。
最寄り駅まではオッサンに連れてってもらってたから、道は覚えてる。ただ、そこから先は行ったことがなかったんだよね。
まあ、初めての方面で不安ではあったけど、切符を買って電車に乗ってからはそんな暗さはあまり感じなくて済んでたかな。あたしがいた二十年以上前の世界と今って、基本はあんまり変わったって気はしなかったから。
そりゃ、駅や電車にいた人たちのカッコはあたしの記憶にないスタイルが多かったけどさ。
スカートの下にズボン穿いてたり、足首まであるブーツみたいなサンダルに足突っ込んでたり、オバチャンなのにふわっとしたミニスカートのワンピース着てたり。
それに電車の中ではみーんな携帯電話を操作してて、何か異様な感じだった。
制服姿の高校生なんかもそうで、勉強しなくていいわけ?って思っちゃった。
あたしなんか、電車の中では単語帳とかばっか見てるのに……
一応あたしも携帯電話は持ってきたけど、電車の席でそんなのをいじろうって気には全然ならなかった。やっぱ、自分がいたのとは違う時間の中にいることを考えると、周囲を観察する方が圧倒的に面白いと思うしね。
そうやって電車の中できょろきょろしてるうちに、オッサンから言われた駅に着いてた。
夕暮れ時の小さなこの駅は、降りる人もまばらで……って、殆どホームに人が降りないじゃん!もしかして、降りてるのってあたし一人だけ?
暗くなりだしてる寂しげなホームを見回してみると……やっぱり、あたししかいないっぽい……よく見てみると手すりはサビだらけ、壁材がくすんでる、天井の灯りもところどころが切れてるみたいで、「寂れた駅」感オンパレードだったりするし!こんなんで、本当に遊園地なんかあんの?
って思ったら、遊園地のゲートはあちら、ってでかでかと書いてあるカラフルな看板を向かいのホームに発見。
あれ、この看板だけ何だかやたら新しい。つい最近できたのかな?
変なことだらけの駅だけど、とにかくあたしはオッサンから聞いた通りに改札を出て、看板の矢印の通りに歩いていった。
進み始めてすぐ気づいたのは、遊園地まで続いてるらしい道は綺麗な石畳になってて、これもつい最近整理されたらしいってこと。昔のヨーロッパっぽいつくりの街灯も道沿いに灯ってて、駅とはまるで雰囲気が違うから、これは却ってびっくりだった。道の広さも、何十人かが広がって歩けるだけの幅があるし。
けど、こんな綺麗な道を歩いてるのがあたし一人って……やっぱ、怖い。それとも平日夜の遊園地なんて、こんなもん?いやいや、もしかしたらこれも遊園地の演出で、世界一怖いって噂のお化け屋敷に直接迷い込むように仕組んだ入口があったりして。
さっきの駅の廃れっぷりと真逆の道が煽ってくる不気味さに飲まれそうになりながら、あたしが最後と思しき角を曲がった時だった。
目の前に、金色の星みたいな輝きが広がっていた。
ううん、金色だけじゃない。
銀色、赤や青や緑、薄いピンクや紫……色とりどりの光の点が、辺り一面で数えきれないくらい光ってる。まるで、クリスマスのイルミネーションを何十倍にも増やした感じ。
ここだけが夜から切り離されたみたいに、キラキラで満ち溢れてて。光の一つ一つは頼りなげな輝きなのに、遊園地のゲートを彩る輝きはとっても鮮やかで綺麗。
花壇には淡い光の花が咲き、木はきらめく葉をこんもりと纏い、小さなログハウス風のチケット売り場は屋根から星の雫を静かに落とす。宵闇に浮かび上がる光の饗宴は、お伽噺みたいに幻想的な雰囲気だった。
あたしは呼吸するのも忘れたかと思うほどに息を飲んで、目の前に広がる夢の世界にただただ見入っていた。
「おーい、こっちこっち」
……そのあたしを現実に引き戻したのは、聞き慣れたオッサンの声。
はっとして辺りを見回すと、遊園地の入場ゲートの向こう側で手を振る影があるのがわかった。急いでチケットを買って、中に駆け込むあたし。
「思ったより早かったね。ジーンズにすっぴんのままで来たからかな?」
と、オッサンは走ってきたあたしを見るなり苦笑いしたみたい。
対するオッサンは、朝仕事に出たときのスーツとは明らかに違う格好だった。
下はインディゴのジーンズで全体的にはカジュアルな印象なんだけど、上に羽織ったグレーのジャケットのデザインは凝ってて、重ねたインナーの黒いシャツは襟元が開いた重ね着風。靴はつや消しっぽい、すっきりしたデザインの革靴だったかな。
今の時代のファッションには疎いあたしも、素直にオシャレだなって思える服の組み合わせだった。
ただ、あたしはオッサンがこの服を着てるのを見たことがなくて。こんないい服持ってたんだ~、って感心しちゃった。
だけど、こんな着替え持ってってたっけ?それにいつ着替えたの?第一、会社ってそんな簡単に早退ってできるもん?お墓参りした時も調子悪いって、早退してきたばっかなのに……と、アレ?と思うところは勿論ある。
でも別に、会社ってこんなもんなのか思っただけ。学校の勉強と違って、体調が悪かったら仕事にならないからってのが主な理由なんだろうし。
事実、オッサンは何だか酷くげっそりしたように見えて、顔色も唇の色もまた悪くなってた。周りがかなり暗くてもそれがわかったんだから、また体調悪くなって早退してきたんだ、って言われてもおかしくないくらいにね。
オッサンの目の前に立ったあたしは、迷わずに口走ってた。
「顔色悪いよ。本当に大丈夫なの?もう帰って寝た方がいいと思うけど」
「いや、折角ここにまた来たんだからさ。前みたいに、ゆっくり見て回ろうよ」
……オッサンの笑顔も言い方も、全然いつもみたいな活力がない。
今までの嫁さん大好き!俺幸せ!なオーラが全然ない……のに、オッサンは先に立って歩き出した。あたしは慌ててその後を追った形。
オッサンは、遊園地の中心の方にどんどん向かっていくみたいだった。
周りは、あたしたちみたいな男女の二人連れがちらほら。広い道の端っこで植え込みの縁に並んでたりとか、一緒に歩いてたりとか。で、そのどれもがくっついてイチャイチャベタベタ。
そりゃあ辺りは暗いしロマンチックな雰囲気だし……だけどちょっとは気にしろよ!って突っ込みたくなるくらい。モロに長時間のチューしてるのだって何組もいたから、あたしはその度に慌てて目を逸らさなきゃならなかった。もう生々し過ぎて、見てらんないったら!クラスメイトには彼氏いる子もいたけど、あたしはそーいうグループと縁なかったし。
あーもう、あたし何で連れて来られたの?
大体こういうのって、恋人同士で来るとこじゃん。夫婦は毎日家で会えるんだから、こんなとこ来る必要なくない?
オッサンに抗議しようかと思ったあたしだけど、辺りのカップルをなるべく見ないようにしてるうちに、逆にイルミネーションに目を奪われてた。上だけ見るようにしたら、もうあんまり気にならなくなったんだよね。
折角こんな場所なんだし、見たくないものは視界に入れなきゃいーやって。
そう思い始めた頃、先を歩いてたオッサンの足が止まった。
「わ……」
グレーのジャケットに包まれた背中越しにその先を見たあたしは、思わず声を漏らした。
あたしたちが立つ道は、大きな噴水広場に続いていた。
二十メートル以上はあるんじゃないか、って縦にも横にも大きな噴水は、何秒かおきに中に仕込んだライトの色が変わる仕掛けになっていて、あたしが眺めている間にも刻々とその表情を変える。その周りを取り囲んでる生け垣も星を散りばめたみたいなライトアップがされていて、噴水の色が変わると同時に色を変えていた。
時に派手、時に儚く、時に陰鬱に……移ろいでいく色彩は、本当に見事だったと思う。
あたしは、ついさっきまで唇の端に登らせてた文句も飲み込んじゃった。
「綺麗だね、ここ……クリスマスでもないのに、こんなに綺麗なところがあるんだ」
「まるで初めて来たみたいだな。まだ結婚してなかった頃もよく来てたし、プロポーズもここだったのに」
思わず素直な感想を言ったまでなのに、オッサンはあたしを呆れたような目で見てくる。
……え?今、何て?
オッサンとあたしが付き合ったのは、社会人になってからのはず。そんなこと、女子高時代のあたしが知るわけないじゃん。
第一、どうして今そんなこと言ってくるの?
いつもと明らかに違うオッサンに、あたしは戸惑うことしかできなかった。
「え?初めてだよ、あたし。だって……」
すっかり混乱したあたしは声が上ずった……けど、今日のオッサンは明らかにおかしい。
そりゃあ、外見は大人で中身が女子高生のあたしだって、十分におかしいけど。
そういう意味じゃなくて、あたしを支えて一緒に生きてく、たとえ元に戻れなくても一緒に歩んでいこうって言ってくれたオッサンと同一人物なのかって、疑いたくなるくらい。
それくらい、あたしのことを知らない気がしてきて。
「どうしたの?オッサン、さっきからおかしいよ」
ストレートに聞いたあたしを、オッサンは悲しそうに見返してきた。
「嫁だって変じゃん?俺のこと、名前で呼んでくれないし、今もそんな格好でお洒落してくれてないし。何だか違う誰かみたいだよ。それにこれ……着てるのに、何も言ってくれないのか」
ジーンズと適当なTシャツで髪をポニーテールにまとめたあたしの全身をぐるっと見て、オッサンは溜め息をついた。あたしの洒落っ気もない格好を嘆くって……
何?今更。
ほんっと、今更。
でもオッサンの言い種の中にひとつ引っ掛かることを見つけたあたしは、テキトーに流して質問を返した。
「ん?今更、別におかしくないじゃん。で、言うって何を?」
「君が前、誕生日に全部揃えてくれた服だよ。俺の一番のお気に入りなのに、それも覚えてない?」
……誕生日?
それこそ、あたしが知るわけない。
一緒に暮らすようになってから、まだ二週間くらいだよ?その間にオッサンの誕生日なんて来てないし。こうなる前の奥さんなら、十回以上はお祝いしてるんだろうけど!
話を頭の中で整理しながら何でだか、あたしは咄嗟に言う言葉を持てなかった。
「いや……覚えてない、って言うか」
言い知れない不安が胸の中に黒く渦巻くのが、はっきりとわかる。
オッサンはさ、あたしのこと理解してくれてるよね?
少なくともあたしをわかろうって努力、最近はずっとしてきてるよね?
なのに……何で?
あたしが違う誰かみたいだって、それはこっちの台詞だよ!
オッサンこそ、あたしが知ってるオッサンじゃないよ!
もう、悲しいのと怒りたいのとで、考えがちっともまとまらない。目の前にいるオッサンの顔もまともに見ることができないあたしは、自然と目を伏せてた。
瞬く光たちに照らされて石畳に落ちる自分の影が、黒く見える。
それが今の気持ちを表してるみたいだった。言いたいことはいっぱいあるのに、だから却ってこの影みたいに重く暗くなってく……
ちゃんとした言葉で言い出せずにしどろもどろになるあたしを、オッサンは黙って見てるみたいだった。
その瞳が暗く深く、ものすごく悲しいのがじわりと伝わってくる。
まるであたしが今感じてる暗い気持ちまで、そっくり吸い込んだみたいな重さ。あたしは黙って、黒い石畳を見つめる他なかった。
「なあ、嫁……」
ぽつりと、オッサンがこぼす。
「離婚してくれないか」
あたしは息を飲んだ。
離婚って言葉をオッサンの口から聞かされたからじゃない。
まだ目を上げられずにいたことが幸いして、「あること」に気がついたから。
だけど、不思議と怖くはなかった。
考える前に、あたしは言っていた。
「答えはお預け。その前に、聞いていい?」
自分でも驚くくらい、冷静だったと思う。
ほの明るく輝く遊園地に、今までで一番緊張したあたしの声がこもった。
「オッサン……いや、あたしが知ってるオッサンじゃないよね。誰なの?」
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