★嫁のメモ★

 この世の中って、本当に信じられないことだらけ。

 事実は小説より奇なり、奇々怪々、アンビリバボー。

 言い方は色々あって、今のあたし自身だってそうなんだけど……オッサンとあたしと二人、同時にそういう体験をしたのは二度目。夜中の合わせ鏡のおまじないをやって以来かな?

 二人で外から帰ってきたのはもう夕暮れで、お互いに泣きすぎで目も鼻も真っ赤だった。

 そんなんでしっかりと手を繋いでたんだから、周りからはどう見えてたんだろ。

 今思い返すと、すんごい恥ずかしい。

 あたしは今リビングでオッサンの機械……ええと、これってタブ何とかってんだっけ?キーボードに触ってる実感がなくて使いづらい、平べったい液晶。それを借りて、これを書いてる。

 オッサンはオッサンで、やっぱりパソコンで書き物の真っ最中。

 あたしと同じで、今日あったことをなるべく細かく書いてるんだろう。

 そりゃあ、忘れられない出来事だったし……ううん。

 あたしは、今日あったことを一生忘れない。

 とにかく順番に書いていこうと思う。





 オッサンが離婚しないって宣言したのは、昨日のことだった。

 ……嬉しかった。

 やっとここであたしの居場所ができたんだ、オッサンがあたしって存在そのものを大切にしてくれてるんだって、ようやく心の底から安心できたから。もう放り出されたり、誰からも認められないって心配することもないって思えたから。

 そうだよ。奥さんとあたし、もともと同じ人間なんだもん。

 分けて考える方がおかしいんだよ!

 って言うのは簡単だけど、心の整理をつけるのはきっと大変だったんだろう。

 少なくともオッサンはあたしのことをきちんと考えて結果を出したんだから、そこは素直に感謝してる。嬉しくて泣いたのなんて本当に久し振りで、中学の卒業式で部活の後輩がサプライズをやってくれた時以来だった。

 その時は、ただ部活全体で貰い泣き大会になって終わったけど……今は片付けなきゃならない問題があった。オッサンがそのことを切り出してきたのは、あたしが泣き止んで、もう一杯ハーブティーを飲み終わった時だったかな。

 あたしたちはダイニングテーブルで、向かい合って座ったままでいた。

「離婚しないって決めたのはいいとして……一番の問題は、親父の幽霊だよな」

 まだ湯気を立てている温かいハーブティーが並々と残っているマグカップを手に、オッサンは眉根を寄せていた。

「うん……オッサンのお父さんって、本当にこの世に未練なく亡くなってるの?化けて出てきちゃうのは、殆どが心配とか恨みとか執着とか、強い感情が原因なんだけど」

 まだちょっと顔が熱いけど、あたしはなるべく落ち着いた声で返そうと努力してた。だから、目の前のお皿に盛ってある美味しそうなチョコチップクッキーも、遠慮なく摘まんでた……いやだって、甘いものって心を落ち着けてくれるんだし!

 あたしがぽりぽりとクッキーをかじる一方で、オッサンは宙を睨んでぶつぶつ言ってばっか。

「そこなんだよな、わからないのは。うちには財産なんてなかったし、強いて言えば孫を見せられなかったってことぐらいしか……」

「孫……」

 濃厚なココア生地にビターチョコを混ぜたクッキーを堪能してたあたしの舌は、そこで一瞬味覚を失ってしまった。

 ……孫って、つまりそれってオッサンとあたしの子供ってことだよね?

 ってことは、赤ちゃんができるようなことを……って、うわああああああああああ!

 あんまりにも生々し過ぎて想像できなかったあたしは、慌てて口の中に残ってるクッキーを飲み込んだ。

「け、けどそれなら、あたしたちに別れろなんて言うはずないよね。理屈として合わないし」

 まだもごもごと口を動かしてるあたしはまた顔がかっと熱くなってたけど、幸い考え事に夢中なオッサンはあんまり気にしてないみたい。

 確かに目下の問題は何かと言えば、オッサンの父親の幽霊のことだってのは間違いなかった。そのせいで、あたしも大分病んだしね。あんなのが出てこなければ、きっともっと落ち着いていられたはず、だと思う。

 なんだけど、ちょっと引っ掛かるところはまだあった。

 合わせ鏡のおまじないで、どうして幽霊なんか呼び込む羽目になったんだろう……しかもあたしは二十年以上前の時間にいたってのに。なのにどうして未来の夫ですらない、オッサンの父親が出てきたの?

 ……もしかして、何か別の力が働いてたりする?

 ひょっとするとあたしはこの時間で何かしなきゃいけないことがあって、そのために未来に呼ばれたとかなの?それを果たせば役目が終わって、もとの時間に帰れるとかだったりする?

 だとしたら、あたしは何をするべきで、どうやってその役目を知れば……

「うーん。この際、化けた理由はどうでもいいかも知れないな。お祓いでもしてもらえば、一発で片付く問題なのかも知れないし」

 オカルトな考えに沈んでいたあたしを現実に呼び戻したのは、オッサンの一言だった。

「お祓い?今でもあるんだ、そういうのって」

「多分、君がいた時代よりも便利になってるよ。ネットで色んな神社とかお寺とか、個人でお祓いやってます!って言う人の情報も、簡単にわかるようになってるしね」

「ふうん……オカルトって、二十年以上経っても変わらないんだね。むしろ便利になってるなんて」

 最初は驚いたあたしだけど、オッサンの話には納得できた。確かにこれだけインター……何とかで情報を簡単に拾える仕組みがあるんだったら、それに乗っからない拝み屋はいないだろうし。あたしがいた頃なんて、電話帳で見るからに怪しいところにでも問い合わせるか、そっち系雑誌の広告くらいしかなかったってのに。

 って言うか、何でこんな簡単なことに今まで気づけなかったのかな?

「じゃあ、早速見てみようか」

 あたしが理解を示したことが嬉しいのか、オッサンはすぐにパソコンデスクに移動した。

 五月の爽やかな風がレースのカーテンを揺らすリビングの一角で、カタカタとキーボードを打つ音が上がる。オッサンは画面の小さい窓に「除霊」「お祓い」「寺」とか入れてたみたい。

 したら、検索の画面にずらっと結果が表示された。件数は……一万件以上!

 それだけで、あたしの頭のなかは「無理!」という単語に支配された。

「こんなにいっぱいあるの?これじゃあ、全部見るのはとても……」

「うーん、確かに思ったよりも全然多いなあ。この中のどこがいいかなんて、すぐには判断がつかないし」

 オッサンも同じ印象みたいだけど、画面をどんどんずらして、あたしが見切れないところも素早くチェックしてってるみたい。画面を次々と変えながら、オッサンはぶつぶつ続けてた。

「話を聞いてもらっただけで法外な料金を請求してくる、詐欺紛いのところもあるし。慎重に検討しないと……でも、君の有給も残りが少ないしなあ……」

 オッサンは難しい顔をしながら、マウスを操って色んな画面へと飛んでる。出てくるのは神社とかお寺のページが多いけど、たまに個人がやってるらしい、全然デザインが違うところも紛れてた。

 そんな中であたしの目を引いたのが、住所が今いるマンションと同じ市内にあるお寺の画面。直感的にきて、あたしは思わずオッサンの横から身を乗り出させていた。

「あ。この近所にあるところ、明日あたしだけでも見に行ってみようかな。結構昔からあるお寺で、バスで行けるとこにあるみたいだし」

 オッサンが確認してるお寺の紹介画面には、建立された年号とか祈祷、お祓いの受付や料金について書いてるところもあった。住職の紹介なんかもあるし、これなら大丈夫そうじゃない?

 けど、オッサンはびっくりしてあたしの方を見てた。

「え……一人で行くの?」

「うん、まずは話だけでも聞いてみようかなって。あたし、幽霊のことさえなければ……もっと前向きになれると思うから」

 我ながら、この時は落ち着いてしっかり答えられたと思う。

 やっぱ、精神的に安定してるってのは大きいよね。あたしが拒否されてないってわかってから、ものすごく冷静に考えることができるようになったんだもん。

 ちなみにオッサンが驚いてたのは一瞬だけで、その後ちょっとの間を置いてから笑顔で頷いてた……ように見えた。

「そっか。嬉しいよ」

「その割に、なんか不満そうだけど」

 オッサンの表情がその間でビミョーになってたのを見逃さず、突っ込んでみるあたし。

 したら、オッサンは椅子ごとあたしから遠ざかって、顔の前でぶんぶん両手を振った。

「いやいや!その……心配だからさ。君はこの辺りの土地勘がないし、バスの路線にも詳しくないだろ?一人で出掛けて、迷子になったりしないかなって」

「そりゃあ……まあ、ね」

 椅子のキャスターが軋む耳障りな音をバックにした、オッサンの如何にもな弁解がおかしい。

 多分、あたしも一瞬だけムッとした表情になってただろうけど……やっぱオッサンと同じように、少しの間を置いて拗ねてたかな。あたしがこの辺のことをよく知らないし、交通事情もまるでわからない、ってのは事実なんだしさ。そこを怒ってもしょうがないか、って。

 あたしがむーとした顔のまま、だけどあからさまな怒りもないことにほっとしたんだろう。オッサンはいい手を思いついたらしく、明るい調子で言ってきた。

「じゃあ、君のスマホのGPSをオンにしておこうか。そうすれば、どこにいるかすぐにわかるから」

「スマホって……あのちっこい電話のこと?それに、G……って何?」

 またわからない略語が混ざって、あたしは首を傾げる。

 多分この時代では常識レベルの知識についての質問みたいで、オッサンは困った顔をしながら頬を掻いた。

「ええと。平たく言えば、電話を発信器にするってこと。そうすれば、君の位置を俺が確認できるようになるってわけ。電源さえ入ってれば、電話をいちいち取らなくても大丈夫なんだよ」

「へえ、発信器?なんか映画みたいで、カッコイイね!」

 発信器、って単語にあたしは飛びついた。

 それって、SFとかスパイものなんかに出てくるアレだよね?逃げる敵にくっつけて、こっそり居場所を突き止めるってやつ!そんなのが現実でも使えるようになってるなんて、ホントにびっくり。

 多分目も輝かせて身を乗り出してきたあたしにちょっと引いてたらしいオッサンが、やっぱり困りながらも笑った。

「じゃあ、設定するから。君のスマホ、ちょっと貸してくれるか?それと、君がこれを持ってないと意味がなくなる機能だから……いつも忘れずに持つようにしてくれな。使い方も教えるから、電話にはなるべく出るようにしてくれよ」

「うん!じゃあ早速なんだけどさ、その発信器使うとこ……見せてもらってもいい?」

 あたしはオッサンに電話を渡した後、画面を操作するところをもっと見ようとして側に寄った。その勢いは、多分さっきと同じくらいあったと思う。

「こんな家の中じゃ、あんまり意味ないけどな……」

 だけど今度のオッサンはあたしのことをよけもせず、また笑ってるだけだった。

 なんか今日のオッサン、よく笑ってるなぁ……って、あたしもそうか。

 お互いにこんなに笑顔でいたのって、すっごく久しぶりな気がした。後で、ちょっと顔が痛くなっちゃったくらいだし。

 でも……ただそれだけで、暗く見えてたリビングが明るくなった気がした。それこそ、幽霊の居場所なんてないくらいに。

 不思議だよね。

 それは寝るまで、ううん……夜に別々の部屋に寝て、翌朝に起きてきても続いてた。

 今までの重苦しさは一体何だったの?ってくらい。

 心なしか、このところずっと良くなかったオッサンの顔色も少しいいみたい。あたしと最後に一緒に朝ごはんを食べたときは食欲もイマイチで、ホットドッグとか菓子パンは残してたのに。

 今朝はゴキゲンでスーツに着替えて、朝ごはんは果物までペロッと平らげて出掛けてってた。

 まぁそれは、やっぱりあたしも同じ。今日は一人で近くのお寺まで行こうかなーって思って、オッサンが仕事に行ってからはずっとパソコンに釘付け。

 それでこれはあたしの悪い癖なんだけど、何かに夢中になっちゃうとつい、ご飯食べるのも忘れちゃって。気がついたらもう午後四時を回ってて、しまったって思ったんだよね。

 一人で出歩くのは危ないから、五時までには必ず戻ってくるようオッサンから言われてたのを、あたしはそこで初めて思い出して……ああ、これじゃ今日一日無駄にしちゃったじゃん!ってがっかり。

 でもそんな残念気分、うるさく鳴くお腹の虫にすぐ塗り替えられたりしてて。

 買い置きのカップ焼きそばを作って完食したところに、電話がかかってきた。

 電話はもちろんリビングので、あたしは何の疑いもなく取った……後で聞いたんだけど、この時代では滅多に固定の電話にはかかってこないって話なんだよね。携帯電話を一人が一台持つのが当たり前なんだし、納得なんだけどさ。

「もしもし」

 ……あたしが取り上げた受話器から返事はなく、無言のままだった。

 あ、もしかしていたずら電話?

 すぐにひらめいたあたしは、ちょっとだけ荒っぽい口調でもう一度言った。

「もしもし!どなたですか!」

『……嫁か?』

 それでもすぐには返ってこなかった反応にムッときたとき、ようやくくぐもったオッサンの声が聞こえてきた。

 考えてみたら、この時おかしいと思うべきだったんだよね。電話の声は妙に反応が鈍いわ、めちゃくちゃ雑音だらけで聞き取り辛いわで。

 だけどオッサンの声は、そんな状態でも何だか苦しそうだってことが伝わってきてた。声に力が入ってないことが、感覚的にわかるくらいだったから。

「……オッサン?」

 あたしが本気で心配する一方で、オッサンは普通に返してきただけだった。

『ああ、今最寄り駅まで戻ってきたんだよ』

 答えたオッサンの声は、いつも雰囲気が変わってる。電話だからってのもあるかもだけど、やっぱり違う。何て言うんだろ……声にまるで張りがないって言うか、あんまり耳の中に音としてすっと入ってこない感じで。とにかく、薄い印象で。

「どしたの?もしかして、また調子悪くなった?それとも単なるサボ」

『んなわけないよ。それよりも……』

 オッサンはあたしの声に自分の声を被せて、一呼吸置いてから続けた。

『今から、俺の言う場所まで来てもらえないか?駅は……』

「いや、あたしはいいけど……本当に大丈夫なの?体調、すごく悪そうだよ」

 今度は、場所を教えてこようとしてくるオッサンをあたしが遮った。

 元気にやりとりする余裕もない体調で本当に平気なのかって、マジで心配したんだよね。

 だけどオッサンは平坦な声の調子を保ったまま、一方的に言ってくるばっかりだった。

『うん。だから準備して、早くおいで。俺は先に行ってるから』

 オッサンの声には有無を言わさない圧力みたいなのがあった。

 ……正直、ちょっと怖かった。だって今朝までのオッサンは、あたしの言うことは一言も聞き漏らすまい、俺はいつだって味方でいるんだから!って姿勢がありありと見えてたんだから。顔が見えてるわけじゃないのにこんな空気が伝わってくるなんて、やっぱおかしかったんだよね。

「う、うん……多分、十分もあれば出られるから」

 すっかり気圧されたあたしは、首を縦に振らざるを得ない。でもその途端、オッサンが落胆と驚きとをない交ぜにした調子になった。

『え。着替え選んで髪まとめたり、メイクしてたらそんなに早くは出られないんじゃない?』

「メイクなんか面倒だもん。それに、服は適当でいいじゃん」

 オッサンは、このところのあたしの様子なんてもうわかってるはず。なのにメイクだ髪型だファッションだって、いきなりどうしたんだろ?変だ。

 違和感を感じつつも答えると、電話口の向こうにいるオッサンが諦めたっぽいことがわかった。

『じゃあもういいよ、それで……とにかく、俺が今から言う場所にすぐ来て』

 投げやりになってきた言い方にまたちょっと怒りたくなったけど、とにかくあたしはオッサンが示してきた場所の行き方をメモって、じゃあ現地で、って素っ気なく電話を切った。

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