第85話 ザッカイの街

鬼人族のパイレンからグレイの過去の話を聞いた翌日、ザラ、ミミル、フィーアの三人はザッカイの市場を歩いていた。

ゼニスと比べると大きく見劣りするが、それでもかなりの数の商店が軒を連ねている。

亜人領のものが割高になっているのに比べて、ヒュマ領のものが安くなっている。亜人が多くても、ここがヒュマ領であることを三人は実感していた。

旅のための消耗品を買い足しつつ、街の中を見て回る。

ヒュマ領という、亜人と呼ばれる彼女たちにとっては注意すべき場所であるのだが、このザッカイの街では鬼人族を中心とした亜人が多いので、それほど注目されてはいなかった。

ゼニスと近いからだろう。他の亜人を見る機会も多いようで、商人達はとくに気にしている様子はなかった。

最初は警戒を強めにしていたザラも、今ではすでに肩の力を抜いている。

一方、亜人領では兜やフードで頭を隠していたフィーアは、こちらでは堂々と素顔を晒していた。


「グレイさんはこっちの出身だったんですね。私てっきり亜人領の人なんだと思ってました」


「そう?アタシはそういうこともあるかもって思ってたわ。だってあいつしゃべり方とかヒュマっぽかったもの。元がオーカスでも、ヒュマの家でこきつかわれてたらヒュマっぽく話すでしょ」


「だども、パイレンさんの話しじゃ、親御さんは偉いひとだったみたいだべ。ちゃんとした家の産まれなら、その家を探したらいいんじゃねか?」


「そうね。こっちは亜人を人として見てないヤツラばっかりだし、いい暮らしをしているオーカスの家ってだけで珍しいでしょうね」


「フィーアちゃんは、そんな人たちが住んでる場所は知らんか?」


「え、知りませんよ?」


「え?」


きょとんとした顔で見返されたミミルの方が首をかしげそうになる。フィーアは勇者の娘であり、ヒュマの大貴族の出身のはずだからだ。

そのことを言おうとしたミミルの横から、ザラがするりと割り込んだ。


「アタシたちみんなヒュマ領について詳しくないもの。そういうことはカリンカリンに聞くべきだわ。あいつは商人だから、こっちのことにも詳しいでしょ」


ザラに視線を送られて、ミミルはやっと自分の失敗に気付いた。

フィーアは確かにヒュマ領で産まれたが、それは九十年近く前のことであり、今までのほとんどを地下に隔離されて過ごしてきたのだ。世間のことどころか一般常識すら不十分なのは、数週間いっしょに過ごしてきた中で分かっていたはずのことだった。

反省したミミルは心の中でフィーアに謝った。


「んだば、この話はこのくらいにして、なにか食べ物さがすべか。今日はオラがおごるだよ、好きなモノ選んでいいだよ」


「本当ですか!?やったー!」


フィーアは焼き物のいい匂いがしてくる屋台の方へ走っていった。


「ザラさ、ありがとな」


「別に、あれくらいどうってことないわよ。それより、早く追いかけた方がいいわよ。あの子どんどん先に行っちゃうから」


「んだな。オラたちもいくべ」


走り出すミミルの背中を追いかけながら、ザラは考える。


(そもそも、ヒュマ領でオーカスが偉くなれる場所なんてありえるの?パイレンの話しだけだけど、裏社会だとも思えない。まだ何か、アタシたちが知らない事がありそうね)


「あとは、アイツら次第か……」


ザラは遠くに見える、大きな屋敷へ目を向けた。


◇◇◇


俺はパドマを連れて、ザッカイの領主であるオンギョウの屋敷へと来ていた。

昨日のうちに俺がこの街に来ていたことが伝わっていたのか、俺の顔を見た門番はすぐに中に入れてくれた。

屋敷の離れに案内され、使用人頭をやっているという鬼人族の老人と向かい合って座っていた。


「粗茶ですが、どうぞ」


「ありがとうございます」


出されたお茶は深みのあるもので、いい茶葉を使っているのがわかる。粗茶と呼ぶのは謙遜しすぎていると思う。

この離れにしてもそうだ。屋敷が広すぎるから相対して小さく見えるが、それでも小さな民家くらいはある。

俺が座っているのは畳敷きで、パドマは靴を脱いで座るのをためらったため土間に立っている。

……土間だ。入り口から入った場所にある、土がむき出しの地面。壁沿いには水がわき出る魔導具のかめが置いてある。さすがにかまど・・・はないが、それでも珍しいを通り越して不思議な光景なのは間違いない。


「なにか、気になるものでもございましたか?」


「いや、ちょっと見慣れない場所だと思って」


「そうですか。たしかに貴方はここすぐに出て行ってしまいましたからね」


老人はそういうと懐かしむように目を細めた。


「悪いけど、俺は昔の記憶を失っているんだ。ここに来たのは、俺がどんな人間だったのかを知るためだ。俺はここで世話になっていたと聞いた。だからどうか、俺のことを教えてほしい」


老人は薄目で俺をじっと見てから、不意にほほえんだ。


「ふむ、そのような顔ができるようになったのですね。どのような道を歩いて来られたのか分かりませんが、よい旅をしてきたのでしょう。この老いぼれが話せることは少ないと思いますが、できる限り力になりましょう」


そう言って、お茶をすすった。


「まず、あなた様のお名前ですが、グレイというのは偽名です。あなたが冒険者ギルドへ登録する時に、本名を名乗るのを避けたのでしょう。理由は分かりません。けじめかもしれないし、気まぐれかもしれない」


「それで、俺の本当の名前は何なんだ?」


話しが長くなりそうな気配がしたので口をはさむと、老人は少しだけ間を置いてから答えた。


「あなたのお名前は、グレイル様です。この屋敷に来てから、冒険者ギルドに登録するまでの間、あなたはグレイル様でした」


グレイ、グレイル。たった一文字の違いだが、なぜだか妙にしっくりくる。俺の本当の名前はグレイルだった。そうだったのか。


「ありがとう。それがわかっただけでもここに来て良かったと思えるよ」


「それは良かった。ところでグレイル様。あなたは……」


「いや、今の俺はグレイだ。グレイと呼んでくれ。俺はそのグレイルとしての記憶を持っていない。だからグレイルと名乗ることはできない」


「そうですか。ではグレイ様。あなたはどこまで知るおつもりですか?」


「どこまで、とはどういう意味だろうか」


「以前のあなたは、とても辛い経験を経てこの屋敷へ来なさいました。しばらくはこの離れで引きこもり、その後はこの屋敷を出て冒険者として活動なさっていました。御当主様はあなた様のしたいようにさせるようにおっしゃり、我々は遠くから見守ることしかしませんでした。その結果、あなた様は誰かも分からない者に連れて行かれてしまった。それは我々の落ち度です。申し訳ありません」


老人は深々と頭を下げた。


「しかし、あなた様は自力で戻って来なさいました。立派になって戻って来なさいました。御当主様がいらっしゃられたら、さぞかしお喜びになるでしょう。ですがあなたは昔のことを忘れており、それを知りたいとおっしゃられている。それをこの老いぼれの口から教えてよいのか、迷っているのです」


「迷う必要なんてない。俺が知りたいんだ。何で迷うことがあるんだよ」


「あなた様は、忘れることを望んでおりました。無かったことにしたいとおっしゃっていました。ですから、なにもかもを忘れている今こそが、あなた様が望んだ結果なのではと思っておるのです」


老人は顔を伏せて吐き出すように言った。

何もかもを忘れた今の俺は、俺が望んだ結果だと?俺をそこまで思い詰めるほどの辛い経験とは、いったいどのようなものだったのだろうか。


「ご老人。あなたが話せないというのなら、御当主様から話しを聞くことはできるだろうか。今は無理だというなら、何時間でも待つ覚悟がある」


「残念ですが、御当主様は今はこの街におりません」


「街にいない?なら、いったいどこにいるんだ?」


「ノートン辺境伯のお城でございます。以前より召還命令が届いており、ちょうど今朝方に街を立ちました」


パドマと視線を交わしてうなずき合う。ノートン辺境伯城。そこは俺たちが向かう予定の場所だった。

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デミナントストーリー ~亜人になった俺は異世界で美女たちと生き抜きたい~ 天坂 クリオ @ko-ki_amasaka

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