第30話 見知らぬ空間にて

◇◇◇


 そこはとても不思議な部屋だった。俺がいるのは一枚の清潔な白いタイルの上で、それはその一枚だけで空間に浮いていた。

 どうやらここは白いタイルで構成された、大きな球体の内側のようだ。壁のタイルが描くフレームのような網目がなければ、ただの真っ白い場所だと思っただろう。

 部屋の観察を終えて、視線を前に向ける。すると部屋がゆっくりと縦に回り出した。いや、回っているのは俺のいるタイルかもしれない。

 目の前のタイルが頭上を通って背後へ向かうと、まるで太陽が地平線から昇るように美しい女の横顔が現れた。

 うら若き少女のようでもあり、それでいて百戦錬磨の年増のようでもある。そのはっきりした顔立ちにどこか見覚えがあるのだが、どうも思い出せなかった。


 彼女は豪華なイスにリラックスした体勢で座りながら、目の前の何もない空間を興味深そうに見ている。それが何かわからないが、おそらく俺のアイテムボックスのような、彼女にしか見えないものがあるのだろう。

 どれほど時間、その顔を見ていただろうか。彼女の年齢や性格をそこから読み取ろうとしても、まるで雲か霞のようにつかんだ瞬間すり抜けていく。気高く見えるが、俗っぽくもある。なんとも表現できない女性だった。

 不意に、彼女がゆるりと顔をこちらに向けた。失礼なことを考えていたせいか、視線が合うと心の中まで見透かされたような緊張が背中に走る。

 さらに追い打ちをかけるように、すぐ横から声がかけられた。


「よくここまで来ましたね、小さき者よ」

「うわっ」


 思わず大きな声が出てしまった。

 身構えて振り返ると、そこにはまるっこいトカゲ?が浮いていた。ボールに頭と小さな手足がついたような感じで、背中の羽でパタパタと羽ばたいている。

 お前の方が小さいだろうというツッコミが出かけたが、空気を読んでやめておいた。


「我は創造主たる女神様に仕える竜、フータである。貴殿はオークスのグレイで間違いないな」


 偉そうな態度だが、神の遣いならそれもアリなのだろう。それよりも竜だったという事実のほうが驚きだ。名前も絶対に風船みたいだからって理由でつけられたに違いない。


「此度の貴殿の奉仕により、カナーンとのリンクが限定的ながらも復活することとなった。我らが女神様はそれを評価し、貴殿に褒美を遣わすと仰られている。謹んで賜るように」


 女神?いま女神と言ったのかこの竜は。俺が知っている女神は、砦で見つけた石像のモデルになった女神だけだ。そう知ってから見てみれば、確かにあの石像は向こうで微笑む女性の特徴をよく捉えていたように思える。


 女神は薄く微笑むと、人差し指をつう・・と滑らせて俺を指差した。するとそこから小さなアイコンが飛んできて、俺の中に入っていった。


「これは!?」


【スキル:女殺しを習得した】


「おい、何だよこのスキルは!」

「貴殿に相応しいスキルだろう?女神様がお選びになったのだ。感謝するがいい」


 相応しいのかもしれないが、俺の人間性がよりヒドイ方向に進んだ気がする。具体的には女の敵という意味で。


「そのスキルを使って、これからも女神様への奉仕に励むがいい」

「こんなスキルをどう役立てろって言うんだよ。むしろ女神様って女性の味方じゃないのかよ」

「女神様にとって、人の価値は平等である。男も女も老いも若きも種族もなにも関係ない。ただ女神様が気に入った者だけが特別なのだ」


 それで言うと、俺は特別ということか。でも、なんとなく気持ちはよくない。まるでペットを見るような……。いや、庭にいたアリの中に1匹だけ色が違うのがいたから、名前をつけてやったみたいな雰囲気が感じられて嫌だ。


「俺が女神サマのためになることをすると思うのか?そもそも、何をすればいいのかわかってないんだぞ」

「難しく考える必要はない。貴殿が望むことをすれば、それが女神様への奉仕となる。そうなるように、我が手配しておくからな」


 なんか不穏な気配が漂ってきたな。コイツ、いったい何をするつもりだ?


「少々見ない間に、下界はずいぶん変わってしまった。我々の管理がなくなったため、ヒトが勝手を始めてしまったのが原因だろう。女神様はそれもまた面白いと仰られたが、それでは我々の面目が立たない。ゆえに、下界の問題は下界の者に対処させようという事になったのだ」


 また、この上から目線だ。本当に神なのかもしれないが、上から押さえつけられるのは好きじゃない。


「だから俺は、アンタらに従うとは言ってないぞ」

「もちろん褒美も用意しよう。貴殿の望みを言ってみよ」


 ここは、断るべきだろうか。

 何ももらわなければ、コイツの言う事に従う必要はなくなる。コイツが俺に何をさせようとしてるのか知らないが、できれば自分から問題に近づきたくない。

 そもそも俺の望みは、俺についてきてくれたアイツらを二度と不幸な目に合わせないようにすることだ。ゲームの中ではさんざん好き勝手してきた俺が、今度は幸せにするとはとても言えないが、せめて理不尽から守るとこくらいはしてやりたい。だから危険はなるべく避けるべきだろう。


 そう決めて断ろうとすると、遮るように竜が言った。


「ほほう、仲間を守ることが望みだとは。なかなか見上げたヤツだな」

「お前!俺の心を読んだのか!?」

「安心するがいい。望みに連なる部分だけを聞いたにすぎない。言葉にするのに難しい望みもあるゆえの、我らなりの心遣いだ」

「余計な御世話だ」


 つーか、重要なのはそれの後の後だ。


「遠慮する必要はない。確かに世界に危険は溢れている。それらから大切なものを守りたいと思う事は、ヒトとして当然のことだ」


 風船竜はそう言うと、短い前足を振ってアイコンを飛ばしてきた。


【スキル:スキル隠蔽を習得した】


「なんだこれは?」

「それは名前の通り、スキルを他人から見えなくするものだ。今はたった一つしか隠せないが、熟練度が上がれば隠せる数が増えていくぞ。これを使えば、敵に貴殿の情報を知られる危険を無くせるであろう」


 熟練度?そういうのもあるのか。


「これが仲間を守るのにどう繋がるんだよ」

「貴殿が仲間を守るのだろう?ならまず自分を守ることから始めなければならない。仲間を守るのはその後だ。ゆめゆめ忘れるな」


 偉そうに言われたが、イマイチ納得できないな。


「というわけで、さっそくそのスキルを使ってみるがいい」


 あまり役に立つとは思えないが、使えるものなら使った方がいいだろう。【スキル隠蔽】を発動させるとどれを隠すのか選べるようになったので、【女殺し】のスキルを隠した。


「ほう、そのスキルを隠すことにしたのか」


 身を守るというなら、敵を増やさないようにすべきだろう。こんなスキルを持っているのがバレたら、それだけで犯罪者扱いされかねないし。


「つうか、勝手に他人のステータスを見るなよ。しかも隠したのに見えるのかよ」

「我に隠し事など不可能だ。だがカナーンの地には、スキルは見えても隠されたものを見破ることのできる者はいない。安心するがいいぞ」

「ちなみに、熟練度はどう上げればいいんだ?」

「他のスキルと同じように、そのまま使い続ければ上がってゆく。そのスキルは便利さゆえに習得するのが難しいスキルだ。貴殿はとてもついているぞ」


 風船竜は偉そうにドヤ顔している。ウザさ余って、逆にだんだんカワイイと思えてきたな。


「さらに、我らからのクエストを下知する機能も追加してある。これからの貴殿の旅に、大いに役立てるがよいぞ」


 やっぱりウザイだけだったよチクショウ。


「というわけで早速クエストを下す。謹んで受けるがよい」


【クエスト:鍛冶師ガルドを守護せよ が発生した】


「これってまさか、あのガルドさん!?ガルドさんに何かあるのか?」

「かの砦にいた人攫いの一団は、とあるヒュマの貴族の指示のもと動いていたのだ。その手下が数名の兵を率いてかの村まで来ている。目的はもちろん」

「ガルドさんを捕まえるためか」


 あの人攫いたちの親玉は、まだ諦めてなかったのか。そういえば冒険者ギルドで確保していた野盗たちがヒュマに連れて行かれたとか言ってたな。たぶんそれと同じやつだろう。野盗からその貴族に関する情報がもれないように、回収したというところか。


「どうやらヤル気になったようだな」

「大切な仲間の家族だからな。それに昨夜は一緒に酒盛りをして、とてもいい人だって分かってる。礼儀も知らないヤツの所に、みすみす連れて行かせるものかよ」


 こいつらの言いなりになるのはシャクだが、そんな状況なら話は別だ。そんなこと気にしている場合じゃない。


「さてもう時間が来たようだ。それでは、貴殿のこれからの活躍を楽しみにしているぞ」

「あ、ちょっと待っ……」


 もうちょっと情報が欲しかったが、風船竜は待ってはくれなかった。スイッチを叩くように手を振り下ろすと、俺の足元に穴が空いた。


「まさかのボッシュ……!」


 リアクションを取ることもできず、視界が暗転する。

 穴に落ちる直前に見えたのは、こちらを面白そうに見て微笑んでいる女神の顔だった。


◇◇◇

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