第6話 VS剣鹿
怖いが、俺が下がるわけにはいかない。
せっかくカッコつけたんだ。食らいついてでも止めてやる。
剣鹿はもうすぐそこにいる。
鋭い角が俺を切り裂こうとして揺れている。
ヤバイ、このままだと首切られるんじゃないか?
体を沈めて避けようとしたが、なぜだか膝が思うように動かない。
手を前に出せばその手が切れてしまいそうに思えるくらい、剣鹿の角は鋭く見える。
そんな角はあっと言う間に俺との距離を縮めてくる。
もう避けられない。
そう思った時、ザラの方から風を感じた。
いや、風ではなかったのだろう。
服も髪もそよとは動かなかったにもかかわらず、確かに何かが彼女の叫びとともに放出されたのだ。
「『
地面が盛り上がり、俺たち3人をあっという間に持ち上げた。
何が起こったのか理解する間もなく、地面がドスンと揺れる。
下を見れば、剣鹿がその角を土壁に埋めていた。
【体力:152(-38)】
けっこう体力が減っている。
突進の勢いがすごかった分、衝撃が首にモロにかかったんだろう。よく見れば、角の根元にヒビが入っているのがわかった。
俺たちが立っていた場所が、2メートルほどの高さの壁になっている。
これが、ザラの魔法か。
そう思った直後、背中に気配を感じて振り返ると、ザラが杖を地面に突き立てて睨んでいた。
「ったく、カッコつけてんじゃないわよ。だいたいアンタみたいなブタがそういうことやっても、見苦しいだけだっての」
「きっつい意見だな。でも助かった。さすがにアレを無傷で止めるのは無理だったからな。それにしても、ザラの魔法はすごいな」
「ふん、当たり前よ。でも何度も使えるわけじゃないわ。強力な魔法ほどスタミナを多く使うのよ」
そう言う彼女の肌には汗が浮いている。
さっきまで走っていたのに、これだけの魔法がすぐに使えるのはやっぱりすごいと思う。
「ザラ、ありがとな」
「……別にアンタのためじゃないわよ」
ツン台詞いただきました。
「さすがザラ殿です。では次はワタシが!」
パドマは飛び上がると、左右の崖を蹴ってさらに高く昇る。左右の崖より高くなった時、そこから槍を下に構えて真っ直ぐに落ちてきた。
「『
槍が赤く輝き、その速度を増す。
そして鷹の鳴き声のような風切り音を上げて落下し、剣鹿の背を貫いた。
【種族:剣鹿
体力:98(-54)
状態:出血 怒り】
すごいダメージだ。おそらく槍が急所をかすめたのだろう。
パドマが槍を引き抜いて離れると、そこから血が溢れ出した。血の流れとともに、剣鹿の体力がどんどん減ってゆく。
だがそのまま死ぬつもりはないのだろう、血を振り撒きながらも、角を引き抜こうと暴れ始めた。
その暴れっぷりは凄まじく、俺が立っている地面までがグラグラ揺れる。
この角が抜かれたら、コイツが死ぬ前に俺たちが殺されるかもしれない。
「させるか!」
段差を飛び降りて、剣鹿の首にしがみつく。
ふりほどこうと前足で蹴ってきたが、耐えられないほどではない。体力バカのオークスなめんな。
「グレイ殿、大丈夫ですか」
パドマが槍を構えて剣鹿の後ろから近づくが、制止する。
「後ろ足に気をつけろ、死にかねないぞ。それより、さっきの技はもう一度出せるか?」
「申し訳ありませんが、槍が壊れてしまいました」
「じゃあ俺の武器を……って、このままじゃ渡せないか。そうだ、ザラ、俺の腰の包丁をパドマに渡してくれないか……ザラ?」
見上げれば、ザラは杖を正面に構えて、何かをブツブツとつぶやいていた。
先ほども感じた風のような何かが、ザラから立ち昇っているのを感じる。
その何かは次第に濃さを増していき、カゲロウのように空間が歪んで見えてきた。
それとともに、ザラの表情が険しくなっていく。
額には玉のような汗が浮き、呼吸も荒くなってきた。
また魔法か。それもさっきのよりもすごいのを使うつもりなんだろう。
ザラから放たれる気配はさっきの比ではなく、見ているこっちの背筋が寒くなるほどだ。
剣鹿も何かを感じとったのだろう。暴れるカがさらに強くなる。
角の根元からミシミシと音が聞こえてくるが、全く気にしていないようだった。
俺も負けじと抑える腕に力を込める。できることならこのまま締め落としたいところだけど、首の筋肉が強すぎて締まる様子はなかった。
ザラの呪文を唱える声が、いよいよ大きくなってくる。
剣鹿の体力は、残り72。
時間で解除されたのか、いつの間にか出血の状態異常が消えている。
俺の120あった体力も、かなり削れて80をきった。このままじゃ近いうちに剣鹿の首を手放すことになって、みんな殺されてしまう。
ザラの魔法がどのくらいかかるか分からないし、それどころか今にも倒れそうに見える。
「パドマ!ザラを抱えて跳べるか!?」
「えっ?は、はい!ザラ殿なら軽いので、おそらく余裕かと。ですがなぜです?」
「もしコイツが抜け出して自由になったら、ザラを連れて上へ逃げるんだ。お前ならいけるだろ?」
先ほどの跳躍力があれば、ザラを抱えてても飛べるだろう。さすがに俺は重くて無理だろうが、2人だけでも斜面の上まで逃げられるはずだ。
「それでは、グレイ殿はどうするつもりですか!」
「俺は、自業自得ってヤツだよ。あそこから逃げ出さなけりゃ、こんな所で死ぬこともなかったんだ。せめてお前たちだけでも逃げてくれよ」
「そんな!?」
「でも簡単にあきらめるつもりもない。せいぜい足掻くつもりだから、俺が生きてたら助けてくれよな」
笑いながら言ったつもりだが、頬が引きつっているのを感じた。
本当は死にたくない。でもこのままだと、みんな死ぬか俺だけが死ぬかのどちらかになる。なら少しでも犠牲が少ない方がいいだろう。
この世界に来る前のことはよく思い出せないけれど、なんとなく、ずっと流されるまま生きてきた気がする。
この世界に来た時も、何をすべきかわかっていたのだから、そのままゲームの続きをやっていればよかったのだ。
でもそれを拒否して、彼女たちを連れて逃げることを選んだ。
そのことに後悔はない。ただ運とか実力が伴わなかっただけだ。
剣鹿の頭の揺れが大きくなり、もう抑えるのが難しくなってきている。それというのも、角の根元がほぼ折れかけ、取れそうになっているからだ。
例え角がなくなっても、俺を踏み潰すくらいはしてくるだろう。
せめてパドマがザラを連れて跳ぶまでは抑えなければ。
そう覚悟を決めたとき、つき刺さるような冷気を感じた。
目を向ければ、濃密な気配を立ち登らせたザラがこちらを睨んでいる。
「ふざけないでよ。さっき黙ってから聞いてれば、アタシのことを無視して勝手に話を進めてんじゃないわよ!」
「いや、キミはその、か弱い女性だし……」
「そのか弱い女性にずっと助けられてるのはどこの誰よ!そんなことも忘るなんて、脳みそ腐ってるんじゃないの?」
「確かにそうだが、いや、脳みそ腐ってはないが……」
「そうよね、頭に詰まってるのは脂肪だものね。そんなんだから、自分勝手なことしか考えられないのよ」
「おい、この非常事態に何を言ってるんだよ!コイツの角が抜けたら、お前も殺されるんだぞ」
「アンタが自分勝手な事を言い続けるなら、アタシにも考えがあるわ。アンタが言う、か弱い女性の力をとくと見なさい!その首を絶対に離すんじゃないわよ!」
ザラが杖で地面を叩くと、隆起した地面が一瞬で消え去る。
角を引き抜こうとしていた反動で、剣鹿の前足が浮き上がり竿立ちになった。
その首にしがみついていた俺もまた当然引っ張られ、中に浮くことになる。
何をしているんだ、あのバカ!
怒鳴りたかったが、いきなりすぎて驚きの声しか出ない。
腹の底が冷えるような浮遊感の中、ザラが杖を掲げ、振り下ろすのが見えた。
「『
ザラの周囲に渦巻いていた気配が、剣鹿に襲いかかる。
一瞬の間の後、剣鹿の足下が陥没し、さらに左右の崖がせり出した。
剣鹿の足が割れ目に飲み込まれ、胴体が崖に押しつぶされる。俺がしがみついたその首からは、哀れな悲鳴が吐き出された。
剣鹿の70近くあった体力が、一瞬で0になる。
俺の目の前で、岩からはみ出した頭が急速に朽ちていき、骨も残らず消え去った。
そして、二本の角と毛皮と肉が、ドサリと地面に投げ出された。
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