3.Plant
好かれたいって思うのっておかしいこと?
あたしの表向きの答えは、ノー。誰だって人肌恋しくなりますもん。
でも本音は、イエス。おかしいことだ。だってあたしが愛を求めたら、みんな迷惑そうに顔をしかめるのだから。
「やっぱり、ね。こういうことは、良くなかったんだよ」
ネクタイを締め直しながら、その人は言う。
「妻も感づき始めてるんだ。もうこうやって会うのは、なしにしよう」
そんなのあんたの隠蔽が雑なんでしょ。心の中で悪態をつく。最初に求めてきたのは、そっちなのに。
でも、表向きのあたしは物分かりよく、そっかあ、と猫なで声を出す。
「仕方ないですよねぇ」
「えみのことが嫌いになったわけじゃないんだよ」
「分かってますよぉ。これからもえみのこと、応援してくれますよねぇ? なら、じゅーぶんです」
ちょっとだけ寂しげなのも忘れない。その人は堪らないというように、あたしにキスをした。タバコ味のその舌に噛みついてやろうかと思う。いくら路地裏いえど、ネオン街だ。どこにパパラッチがいるかもしれないのに。
唇を放すと、その人はさっさとあたしに背を向けて去っていった。どうせこうなると思っていたのだ。タバコの銘柄には詳しくないけど、海外銘柄でメンソールの甘さを好む男とは昔から相性が悪いのだ。
帽子とサングラスの位置を直して、するりとネオン街から抜け出す。衣装を詰め込んだキャリーバッグを引く様は、さながら来日したばかりの大女優。でも、他人に無関心なこの町は、たとえオーロラビジョンの中で投げキスをとばすアイドルが歩いていたって、液晶の方を見てばかり。気づきやしない。
枕営業ってわけじゃ、ないつもりだけど。でもあたしがそういう関係の人を中心にスポンサーを得てきたのは、確かだ。事務所的にも、あたしとしても、世間にばれたらまずいゴシップ、スキャンダル。
でも、だって、仕方ないじゃない。どれだけ愛を求めたって満ち足りないのだから。
朝から降っていた雪は、もうとっくにやんでいた。あたしの指先で折りたたみ傘が手持ちぶさたに揺れる。
みゃあ。信号待ちするあたしの足下に、白猫がすり寄ってきた。人懐こくあたしを見上げるその猫を、淡泊に見下ろす。
「なによ、あんたも一人なわけ」
答えるように猫は鳴く。同時に、りん、と鈴がなった。よく見たら首輪をしている。野良にしては綺麗すぎるし。
置いてけぼりをくらった気分だ。白猫を抱え上げる。警戒心の薄い猫はあっさりとあたしに抱かれて、気分良さげに喉を鳴らした。
知らないんだろうな、と、思う。猫はテレビなんか見ないしラジオも聞かない。あたしがどれだけ有名人でも、どんな仄暗いことをしていても、猫は知らずにすり寄るのだ。
昔から動物に好かれる人間だった。動物は優しい人間に心を開くなんて言われるけど、あたしは見る目がないなと思っていた。あたしはこんなに、渇いた人間なのに。
「にゃんこ、遊んであげるわ」
猫はテレビなんか見ないしラジオも聞かない。だから知らないだろう。あたしのことも、事件のことも。
あたしは人のいない道を探した。まあ大体いつもと同じか、近いところになるのだけど。
猫を降ろして、カバンを探る。最近頻度を増してる自覚があるから控えないとなあと、思ってはいるのだけど、どうしても手放せない。中毒みたいだ、あたしも。
手袋をする。猫がゆらりとしっぽを揺らした。可哀想に、この子は知らないのだ。あたしが今をときめくアイドルで、この町で事件になってる猫殺しの犯人だって。
密閉チャックの付いた袋に入れて持ち歩いてる、
興味深げに覗き込む猫の鼻先で、牡丹蔓を揺らす。そう、食いついてご覧なさいよ。
猫が牡丹蔓に食いついて、静かになるまでの沈黙が好きだった。あたしによってもたらされた沈黙。アイドルとしてのあたしじゃなく、えみという女の子によって生み出される沈黙。手のひらの中で生きようともがく、小さな熱。
いよいよ我慢できないというように、猫が身構えた、瞬間。
「なにしてるの?」
思わず、肩を跳ね上げた。背後に、人の気配。少女の声に、猫もぴくりと動きをとめる。
「か、関係ないでしょ」
「関係なくないわ。その子、うちの猫なの。ハッカっていうのよ」
白くてハッカのドロップスみたいでしょ?
透明感のある声が、響く。運が悪い。あたしはぐしゃりと、牡丹蔓を握りつぶす。
落ち着いて。芝居と作り笑顔で商売してるのだ。余裕を保った笑みで、振り返る。
「そう。迷い猫かと思って、保護しようかと」
「平気よ、ありがとう。その子、夕方にはちゃんと帰ってくるから。ほら、ハッカ」
少女が猫を呼ぶと、猫はあたしの脇をすり抜けていく。しっぽがあたしを掠めて、それがなんだか、あたしを避けたあの人みたいで、あたしを無視するあの人みたいで、歯噛みした。
置いて行かれるのが嫌いだ、怖い。パパがそうだったから。いつも朝早く家を出て、夜遅く帰ってきた。あたしが寄っていくと疲れた顔をしかめた。待ってることしかできないのに、パパは結局、あたしもママも放って遠くへ行ってしまった。
無視されるのが嫌いだ、怖い。ママがそうだったから。あたしを目印にパパに元気だってこと伝えようねって、約束したのに、あたしの人気が出るにつれて、あたしを、えみっていう一人娘を見てくれなくなった。人気アイドルのえみしか、あの人は認めてくれない。
「あなた、寂しいの?」
少女の声に、はっとした。フラッシュバックに沈んでしまっていた。こんな万事休すな場面でぼんやりして、真相がばれたらおしまいだ。
辛うじて頭を回して、レスポンスする。え? と、よく分からなかった体で、ろくに入ってこなかった彼女の言葉をもう一度引き出す。
彼女は特に気に留めず、微笑んだ。
「寂しいのかなって。ハッカは人の寂しいに敏感だから、あなたの寂しさを感じ取ったんじゃないかなあって」
夢見がちな子、と内心呆れた。
「そんなことないわよ。すごく元気、毎日充実してる」
「そう?」
ハッカセンサーが鈍ったのかしらと、彼女は大真面目に呟く。苦手なタイプだ。天然なキャラは仕事仲間には多いけど、あくまでキャラなのだ。そういう子に限ってえげつない裏を抱えている。
考えて、酷いブーメランだと思った。あたしが一番酷いことをしてるのに。
「でも、万が一寂しいならね、人を愛することから始めてみて。そうしたら自然と、返ってくるのよ」
「ねえ、どうしたのー?」
妙に核心を突かれた気がして息を詰めていたら、遠くからほかの少女の声がして、ちょっと驚いた。いつの間にか、この世界にあたしと彼女と白猫しかいないような錯覚に陥っていた。
「ハッカがいたの。あっ、
友人だろうか、応じながら、少女はショッピングモールの紙袋を腕にひっかけて、猫を抱え上げる。そうしてひとつ綺麗に笑って、会釈した。ぱたぱたとブーツを鳴らして、走っていく。
足音が聞こえなくなって、力が抜けた。
悪いことをしていたところを見られたからとかじゃなくて、彼女の言葉の意味が、いまさら、沁みてきて。
「あいする……?」
思えばあたしは、好いて愛してばかりで、自分から愛するって、したことあっただろうか。体同士で愛し合うことはあっても、心を誰かに明け渡すことがあっただろうか。
コートのポケットで携帯が鳴る。癖みたいにワンコールのうちに取り出して相手を確認する。マネージャーだ。
いつもなら迷わずワンコール目が鳴り終わったタイミングで出るのだけど、なんでか少し、躊躇ってしまった。ツーコール見逃して、出る。
「えみ? お疲れさま。早速本題なんだけど、コーヒーチェーン店のイメージガールにって向こうがえみを指名してて、」
「ごめん、それ、断って」
「……は?」
電話の向こうでマネージャーが間抜けな声を出した。だって、なんだか悔しかったのだ。コーヒーチェーン店の企画部長とは、二回くらいそういう面識がある。それで指名してくれたんだと思うけど。
「ねえ、あたし、リセットしたい」
「えみ?」
「1から実力で仕事、とるから。迷惑かけるけど、ごめんね。ありがとね。……大好きよ、頼りにしてる」
びっくりしたみたいな、沈黙。あたしもちょっとびっくりした。言葉に出すって勇気がいるけど、こんなにも、気持ちがいい。
「……よく分からないけど、OK。これからも一緒に頑張りましょうね」
マネージャーも、応じてくれる。それは少し照れくさかったけれど、でも暖かいようで、少しだけ、あたしの渇きも消えた気がした。
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