4.War

「さみー」

「今年寒いよな」

「ここ数年で一番の冷え込みらしいっすよ。おこたさまは偉大だなー」

名取なとり、それこないだ聞いたぞ」


 名取は現実逃避するようにこたつの天板に突っ伏した。俺は蛭子えびす先輩と視線を交わして、苦笑いする。


 新年早々、同時に始業ぎりぎりの勉強会まで、名取もそこそこ頑張ったのだろう。学生ビリ5ながら特に滞ることなく課題は片づいてきていたのだが、苦手科目を前に彼はうだうだと立ち止まった。


「なんでこの時代核とかミサイルとかないんだよ……駆け引きとかまどろっこしいんだよ……」

「お前めちゃくちゃ言うな」

「そうそう戦争なんてあったら困るし、ボタン戦争が頻発する歴史も切ないだろ」


 俺とは相対的に大人な言葉を返す蛭子先輩に、名取はひょこりと顔だけ持ち上げる。


「なんすかボタン戦争て。阿片戦争的な? 薔薇戦争的な?」

「おっ、ちゃんと勉強の成果出てるな」


 蛭子先輩が嬉しそうに目尻に皺を寄せた。途端、ひらめいた、というように名取が起き上がる。


「ボタン戦争と戊辰ぼしん戦争って似てますね!」

「先輩すみませんこいつ馬鹿なんです」

「……まあ、馬鹿だけど戊辰戦争が分かる馬鹿で良かった、のかな」


 蛭子先輩はやっぱり大人に対応するが、俺はそのこめかみに浮いた青筋を見逃さない。この先輩は穏和だけど、こと勉強においては厳しいのだ。


「ボタン戦争ってのは、まあ、科学が発達してさ、それこそミサイルとか、ボタン一つで片づくような戦争のこと言うんだよ」

「ほーう」

「けど、今勉強してるのはボタン戦争でも戊辰戦争でもなく、安禄山あんろくざんの乱な」

「あんろくざん」

「名取も世界三大美女の楊貴妃ようきひは知ってるだろ」

「ようきひ」


 明らかに理解していないような発音をする名取に、蛭子先輩の青筋がびきびき動く。いや、学年ビリ5が学年3位相手に、ここまで怒らせなかったのは凄いと喜ぶべきか。

 普段の馬鹿さを知っているから、今日の名取の頑張りも理解している俺は助け船を出してやることにする。


「楊貴妃といえば、ライチが好きだったってのが有名ですよね」

「ああ、そうだね。ほかにも黄色のくんとかも知られてるな。かの有名な詩人・李白りはくは楊貴妃を牡丹ぼたんに例えたっていうのも有名な話かな」


 名取がきらりと目を輝かせて俺を見た。助け船に魚雷が飛んできた気分だ。ごまかすようにテレビをつける。


「そういえば今年は牡丹雪ぼたんゆき、降ったよなあ、深見ふかみー?」

「名取、よくそんな言葉知ってたな」

「あー! あー! 俺、年末の歌番組でようやく名前覚えたんですよこのアイドル!」


 偶然つけたバラエティに知った顔、というか覚えたての顔を見つけて叫ぶ。蛭子先輩はちらっと画面を見やって、ああと零した。


三枝さいぐさえみ、だっけ。確かこの辺出身なんだよね」

「へえ、そうなんですか」

「そうそう。なんか年末に妹が偶然会ったとか言ってたよ。ただあいつ、そのとき三枝えみのこと知らなかったらしくて」

「うわーもったいない。サイン貰わなかったんすか!」


 名取ががたりと立ち上がり、部屋に薄く充満した冬の寒気にぶるりと身を震わせてすぐにこたつに戻る。まあ、冷えた空気で程良く頭も冴えるんじゃないだろうか。


「でも三枝えみって、悪い噂もいろいろありますよね。いわゆる、なに、ハニートラップ? みたいな?」

「え、そうなのか? それともここで楊貴妃に戻るの?」

「可愛いんだから自信持てばいいのになー」


 ぼんやり雑談を始めたところで、蛭子先輩の携帯が震えた。ぱっと画面を見て、あーと蛭子先輩は息を吐く。


「わり、俺そろそろ」

「あ、いえ。忙しいとこありがとうございました」

「デートっすか?」


 茶化す名取に、蛭子先輩は違うよと苦笑する。


「妹。今日図書館で勉強会してるんだけど、終わったから迎えにこいって」

「先輩、顎で使われてるんですか」

「まさか。可愛い妹を一人で歩かせらんないだろ」


 先輩の言葉に、俺と名取は思わず顔を見合わせた。あっさりしているようだけど、この人は案外噂通りシスコンのようだ。


「先輩の妹っていくつですか?」

「んー? 一つ下だよ。お前らと一緒」

「あれっ、先輩、早生まれじゃなかったっけ。年子ってありえる?」

「いや、義母の連れ子」


 さらりと告白されたヘビーそうな事情に、思わず絶句する。遺伝子違うから俺と全然違って可愛いんだよ、と蛭子先輩はのろけ続けるが、名取ですら顎が落ちっぱなしだ。


「え、でも待って、俺先輩の妹さん見たことないんですけど、うちの高校じゃないんですか」

「違うよ、私立の女子校」


 なるほど、見たことも噂も聞かない訳だ。名取のキャッチした蛭子先輩はシスコンという噂ですら貴重ですごいものなのだろう。


「牡丹雪、って、さっき名取も言っただろ? あいつ、前の苗字が結城ゆうきでさ。結城ゆうき 牡丹ぼたんって、なんか牡丹雪っぽいよなって話をこの季節になると毎年すんの。今年は降ったし、俺もあいつもテンション上がっちゃって」

「……え?」


 蛭子先輩の言葉に、フリーズする。だって、待ってくれ、俺がずっと探してた、初恋の彼女も、そんなことを。




「あたらしいお兄ちゃんが、おしえてくれたんだけどね。おおきくて、お花みたいにふる雪を、ぼたんゆき、っていうんだって」


「あたし、すきだわ。あたしとおなじ名前なの」




「ぼたんゆき……!」

「えっ?」


 思わず立ち上がる。名取と先輩は瞬時訳が分からないみたいな顔をしたけど、名取もはっとしたらしい。


「先輩、図書館って言いましたよね!?」

「え、は?」

「妹さん! 現在地!」

「そう、……だけど、おいちょっと待て深見どこ行くつもりだ!?」

「すいません先輩、俺、その子に会わないと!」

「どういう意味だ!? おい名取、放せっ」

「深見! ボタン持ったか!?」

「いつも持ってる!」

「よし行け! ここは俺に任せろ!」

「任せろってなんだ! 深見、待て、牡丹になにする気だ!」

「危害は加えません! 俺、ずっと彼女のこと探してたんです!」


 ふっと振り返れば、暴れる蛭子先輩の腰に名取がしがみついていた。一瞬目があって、ぐっと親指を突き出される。なんだか名作SF映画のラストシーンみたいで、胸が熱くなった。ちゃらんぽらんだけど、学年ビリ5だけど、俺は最高に良い親友を持った。


 早口に礼を叫ぶ。そのまま、そう大して広くないワンルームを全力で玄関まで走った。

 適当にひっつかんだコートを羽織りながら、胸元に触れる。いつも持ってる。あのときの特別な飾りボタンは、チェーンに通してペンダントにして、いつだって服の下に入れている。時折角が胸に刺さる、その痛みが、絶対に彼女を忘れさせない。


 出しっぱなしだったチョコレート色のブーツを引っ掛けて、立てかけてあったビニール傘を選ぶ余裕もなく手にとって、混乱したような先輩の声を背に聞きながら、俺は、灰色の寒空のもとに飛び出した。




 ちらちらと、雪は降り続けている。



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