第5話 その3
憮然とした面持ちをするミトラは、三ヶ月ほど前、小屋の外で、中央の市街で興行した時に買ってきたゼンマイ仕掛けの洗濯機を使い、鼻歌交じりで一座の洗濯物を洗っているチェスカの背後に立つと、溜息のような深呼吸を吐いた。
「あら?ミトラ、お帰りなさい」
振り向かずその存在に答えたチェスカに、ミトラは少し呆れた。
「……お前、身請けされたんだって?」
「身請け?何です、それ?」
「買われたって事だよ」
するとチェスカはようやく振り返り、
「……誰が買われたんですって?」
「お前だよ」
「いつ? どこで? 誰が? スコシード平原の三本足爺さんが何回バク転した時よ?」
三本足爺さんというはこの地方に伝わる妖怪の類いのようなもので、大地が作られてからずうっとバク転を続けているという意味不明の存在である。その存在は今もって確認されていないが、所謂「地球が何べん回った時」というそれである。
「餓鬼かお前は。――自覚していないのか?」
「だから買われてませんっ!」
チェスカは、いー、と口を横に広げてみせる。とはいえブリキの玩具みたいなその顔では、人間のような豊かな表情を造り出すことは流石に出来なかった。
「大体、何? 久しぶりに顔合わせたらその言い様? まるで私、ミトラの持ち物みたいじゃない?」
「持ち物も何も、お前はうちのサーカスの備品じゃねぇか!」
刹那の静寂が訪れた。
「――私、物じゃありませんっ!」
「あ――」
チェスカの怒鳴り声に、ミトラは心の中で、しまった、と舌打ちする。
チェスカはミトラを睨み付けていた。
表情らしい表情など造れるべくもないその鋼の顔には、確かに怒りと悲しみが入り交じった貌があった。ミトラにはそう見えていた。
「私は――私は、本来あるべきところに帰るんです! やっとあの人が私の前に現れたから――」
「あの人――」
それを耳にした途端、ミトラは思わず言ってしまった。
「お前に掛けられた呪いをとく王子様か? 夢見すぎなんだよ!」
「ミトラのバカあっ!」
怒鳴るや、チェスカはミトラ目がけて、洗濯機の中から取りだした、水と洗剤をたっぷり含んだ洗濯物を投げつけた。そしてそのままチェスカはその場から立ち去ってしまった。
頭からずぶ濡れになったミトラは、しかしそれに驚くことなく、呆然とチェスカの背を見送るだけだった。
頭から滴が伝い落ちる貌には、後悔の色ばかりが拡がっていた。
つづく
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