第2話 その3

 JBとチェスカ姫は、言葉も交わさずしばらく大通りを並んで歩いた。

 JBは時折、チェスカ姫の方をちらちらと、何処か品定めでもしているかのような目で見ていたが、チェスカ姫はそれに気づいていないのか、気づいていても無視しているかのようにまっすぐ前を向いて歩いていた。

 やがてサーカス団のテントが視界に入った。

 主な興行先が西部の辺境とはいえ、その規模と実力は国内屈指のサーカス一座である。

 テントとJBたちがいる場所からはまだ先のほうにあるが、テントの周りには多くの観客たちが並んでおり、その対比で充分にその大きさは判るくらいであった。

 チェスカ姫は、付きました、と言った。

 つづいて、あれ、と首をかしげる。


「何か騒いでいる……?」

「どけぇっ!」

「きゃあっ!」


 それはテントの方からであった。

 先の方に見える、どよめき動く人混みの奥から聞こえたそれは、サーカス会場が何か不測の事態に見舞われている事を知らせていた。

 やがてその事態の正体を二人は知った。


「「暴れ馬――」」


 JBは舌打ちし、チェスカ姫は思わず身体をこわばらせた。

 群衆の奥から飛び出してきたそれは、サーカス一座の馬でなく、背負う鞍の形から貴族らしき人間の馬らしい。

 恐らくは、何か派手なパフォーマンスのサーカス芸に、乗ってきた馬が驚いて暴れてしまったのであろう。


「逃げろっ!!」

「誰か止めろっ!危ないっ!」


 群衆がまだ暴れ馬に気づいていない、テントから離れた場所で並んでいた他の客たちに叫んで警告する。

 それを聞いてようやく暴れ馬に気づく観客たちが一斉にその場から逃げ出した。


「チェスカ姫、危ない――」


 JBが咄嗟思い出したのは、チェスカ姫の死因であった。暴れ馬がトラウマになっていて、この場にすくんで逃げられずにいたら大変である。

 JBは急いでチェスカ姫を避難させようとした。

 だが、JBがチェスカ姫に触れる前に、既にチェスカ姫は動いていた。

 暴れ馬の方へ。


「姫っ!?」


 この突然の、理解しがたい行動にJBは戸惑った。

 なのに、JBは何故、チェスカ姫がその様な行動を取ったのか、直ぐに理解した。


 あの時と同じだった。


 チェスカ姫は好奇心の所為で馬に蹴られたのではない。


 暴れ馬が進む先に、逃げまどう観客たちに押されて転び泣きじゃくる少女がいた。


 あの日、馬が興奮して暴れたのは、馬の背後に何も知らずに近寄った幼児が居たからだった。



「危ないっ!!」


 チェスカの愚鈍な身体では、転んで泣きじゃくる少女をその場から連れ出す事など叶わず、チェスカの幼い身体では今にも蹴り出しそうな馬の尻に、興味だけで近寄る幼児を連れ出す事など叶うはずもなかった。


「駄目っ!」


 チェスカは少女の身体にむ覆い被さった。このままでは少女が踏みつぶされる。かばわなければ。


 暴れ馬が直ぐ目の前に迫る。土を蹴る蹄が目前に迫った時、チェスカは覚悟した。


 その時だった。

 チェスカの背後で、巨大な閃光が拡がったのは。

 閃光――否、それは巨大な光る煙であった。

 何らかの爆発のように見えるがしかし全くの無音の巨大な光る煙が、突進してきた暴れ馬を飲み込み、はじき飛ばしたのである。

 その奇怪な光る煙を放ったのは、あのJBであった。


「それでこそ、私がその鎧を使ってまで助ける気になった姫さまだ」

「え……」


 光の煙は、JBの両掌から放たれたものであった。やがてその煙は渦を巻き、ゆっくりとJBの身体の中へと吸い込まれていった。

 いったいいかなる光か。チェスカ姫ばかりか、周りでJBの奇怪な技を目撃していた人々は皆、呆気にとられていた。

 信じられない事に、暴れ馬は、その奇怪な技に突進を封じられ高く飛ばされ地面に叩きつけられたにもかかわらず、しばらく目を回していたが、やがてゆっくりと、つい先程まで暴れていたのがウソのように大人しく立ち上がった。興奮している素振りも再び暴れ出す様子もなく、ケガ一つしているふうもなく、まさに憑き物が落ちたようであった。


「今のはいったい……」

「企業秘密だ」


 JBは素っ気なく言う。

 それでいて、チェスカ姫にはそんなJBが何処か嬉しそうに見えてならなかった。


「あの時と同じだよ」

「え?」

「幼いながらに、自らを省みず子供を助ける。衝動的な行動はあの時と何ら変わっちゃいない。――私があの時目撃した、立派なお姫様は、身体は機械仕掛けになっても今も確かに此処にいる」


 チェスカ姫はしばらく呆然とした。かばった少女がその身体をすり抜けていった後も、JBの優しそうな笑顔をじっと見つめていた。

 生身なら、わあわあと泣き出していたところであろう。生憎、この機械仕掛けの身体は涙が流せなかった。

 そんなチェスカ姫の傍にJBは近寄った。


「姫様、ちょっと立ってみて」

「はい?」

「いいから」

「は、はい」


 チェスカ姫は戸惑いつつ立ち上がった。

 すると、JBはチェスカ姫の傍に寄り、すうっ、と手を挙げ、掌を水平に傾けた。

 心配そうな姫の頭に、それは被せられた。


「この鎧は、私があの時回収した時点では、私の鳩尾の処までしかなかった」

「鳩尾――」


 チェスカ姫が見上げると、正面に立つJBの喉元までは目と鼻の先であった。


「あ…………?!」

「成長しているよ。間違いなく」


 そう言ってJBはニコリ、と微笑んだ。何処か取っつきにくそうな印象のあるこの青年にしては、やけに人なつっこそうな笑顔であった。チェスカ姫が絶句したのは、この身体が大きくなっているという事実にようやく気づいただけではなかろう。

 やがてチェスカ姫は、鋼のか細い両掌を、撫でると堅く冷たいばかりの頬に当てて恥ずかしがって見せた。

 自らの成長にすら気づかないでいたこの2年間。JBは先ほどの言葉を決して鵜呑みにする気はなかった。

 それが、JBがチェスカ姫に対するある申し出を決意させるきっかけとなった。


「チェスカ姫。私は王様に最後まで説明出来ていなかった事がある」

「……?」

「この鎧は、ホムンクルスの培養器を参考に作られたクローニングマシンなのだが、生体組織の安定には長い時間がどうしてもかかる。

 そして、ある程度精神的な経験量を要する。肉体を構築する為には精神が幼すぎては駄目なのだ。

 最初の一年、まったく成長しなかったのは、王様に大切に扱われて、自主性が全く損なわれていた為だろう。

 皮肉にもこのサーカスでの2年間の生活によって、姫様が逞しくなったから、成長出来たのだ。

 この塩梅だと、魂融合から最低でも6年」

「6……年……間?」

「つまり」


 JBは一呼吸置き、


「あと三年我慢してくれないか。私がキミを元通り生身のレディにしてみせる」

「あと三年、というと私が……」

「18歳の誕生日に、キミはその中から出られると言う事だ」

「――――」


 チェスカ姫はまた呆然となった。

 不意に沸いた、希望だった。

 それがまさか、僅かながらも恨んだ事のある相手がもたらした事であった。


「残りの三年間、キミを私に預けさせてくれないか」


 JBはもう一度申し出た。

 絶句していたチェスカ姫が、ゆっくりと首を縦に振るまで、もう少し必要だった。



                つづく

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