ストロベリインザミントホール

霜前七七五

ストロベリインザミントホール

 みんちゃんはわたしの前で煙草を吸ってくれない。

小学生おこちゃまの前でヤニ吸うほど依存しとらんって、ゆうとるやろ」

 自分だって二十歳になったばかりのはずなのに、わたしの頭を撫でて、八重歯を見せながらそんなことを言うのだ。でも今日は言い返してやった。

「おこちゃまじゃない。中学生になった」

「じゃあがきんちょに進化やな。どっちにしろまだだめや。ほら、知らん、副流煙って。あれ体に悪いんやで。イチコ、喘息治ってないんやろ」

「そんなことない。軽くなってきたし」

「そないなことゆうて、さっきげほげほしてたの誰やったかなぁ」

「あれは、へんなとこ入ったからだし。それにみんちゃんが激しくするからだし」

「なんや。やさしゅうしたほうがよかったんか」

「あ、う」

「すーぐそうやって名前みたいに真っ赤んなりよる。かわいいやっちゃなほんま。ほら、それにあれやで。背ェやらおっぱいやらも育たんようになるで。ただでさえちいちゃいかわゆいっちゅうに、これ以上育たんかったらいややろ」

「それは……やだけどさ……」

「ウチみたいなスタイルになりたかったらな、煙草は毒やで」

 肌を触れ合わせたまま、頭をしてくれた。自分はもう長いこと喫煙者のくせに、みんちゃんは、当然わたしより身長もあって、体重もあって、おっぱいもある。長い髪と腕に包まれているととても幸せなきもちになれる。そうやって抱きしめてもらいながら、こうやって他愛無い話をするのがわたしはたまらなく好きだ。

 みんちゃんは不良みたいな格好をしている。さらさらの長い髪を金髪に染めて、眉毛も茶色い。ピアスもしている。いつも薄いシャツにジーパン姿で、それもぼろぼろのよれよれなんだけど、わたしはその格好がみんちゃんらしいと思っている。

 はじめて会ったとき、みんちゃんは近所の高校の制服を着ていた。昼間っから公園のジャングルジムのてっぺんに座って煙草を吸っていたところを、わたしが見つけたのだ。その頃から金髪で、不良みたいな見た目をしていたみんちゃんは、わたしを見るなりこう言ったのだ。

『あんた、こんなとこでなにしとん? ちゃんと学校いき。ちっさいころはちゃんと勉強せな。うちみたいな雑草になったらあかんで』

 自分のことを棚に上げて、人のお説教を始めたみんちゃんに、わたしは笑い出してしまった。今思えばそのとき、初めてテレビ以外で聞いた関西弁の響きが思った以上に耳に優しくて、とても親しみを感じてしまった気がする。ずるやすみしてしまったわたしの愚痴をうんうんと頷きながら聞いてくれたみんちゃんは、頼れるお姉ちゃんみたいで、わたしはすぐに好きになってしまった。

 喘息のことがばれたのは、雨の日、みんちゃんとぞうさんの遊具の中でくっついてしゃべっていたときだった。お薬を飲み忘れたせいで、普段は気にならないみんちゃんの煙草で、ぜえぜえなってしまったのだ。みんちゃんは「堪忍な、堪忍な。ウチ、イチコが喘息やって知らんかってん」と何度も謝ってくれて、それ以来わたしの前で煙草を吸うのをやめてしまった。わたしがいくら吸っていいからだいじょうぶ、お薬飲んだからだいじょうぶと言っても、二度と吸ってくれることはなかった。

 わたしはとても残念だった。だって、みんちゃんの匂いは、煙草の匂いだったから。スーっとする、爽やかで気持ちいい、冷たい、甘い匂い。

 煙草の煙は苦手だけど、みんちゃんのその匂いは大好きで、ある日、わたしはみんちゃんの不意をついてキスをした。

『みんちゃん、プレゼントあげるから、目、閉じて』

『ん? なんや?』

 ちゅ。

『ませガキやな』みんちゃんは初めてじゃなかったらしくて、にやりと笑った。『なんでこないなことしたん』

 みんちゃんの匂いが好きだったからだ。煙草の匂いが。そして、わたしの前で煙草を吸うのをやめてしまったみんちゃんの匂いがどこから来るのか知りたかったから。それは唇から――正確には、口から来ていたのだ。煙草は口にくわえるものだから、当たり前だった。キスすれば、ちょっとは近づけるかなと思った。

『そないなませガキさんには、ウチもお返しせなあかんな。目ェ閉じや』

 わたしは期待で胸がはち切れそうだった。みんちゃんの目の様子が、声の調子が、変わっていたからだ。わたしが目を閉じると、みんちゃんは、わたしの思った以上にすごいことをしてくれた。

 わたしの唇を、あむっと包んで、みんちゃんの匂いのする舌で、閉じていたわたしの唇を、つんつんと叩いた。催促されている気がしてわたしが唇の割れ目を開いたら、みんちゃんの温かい舌が、わたしの口の中に入ってきた。変な気持ちだった。みんちゃんの舌を離したくなくて、わたしは一生懸命に唇や舌で、抱きついたり引っ張ったりした。がんばりすぎてふらふらしていると、みんちゃんがぎゅうっと抱きしめてくれた。わたしはみんちゃんに体を預けて、みんちゃんとのキスに夢中になった。どんなに頭を動かしても、どんなに体を揺すっても、どんなに足から力が抜けても、みんちゃんはわたしを離してくれなかった。離さないでくれた。わたしはなんにも気にしないで、みんちゃんにわたしの全部を預けた。みんちゃんの匂いや温かさを、思いっきり味わった。息が苦しくなっても、みんちゃんと離れたくなくて我慢していたけど、とうとう息を止めすぎてお腹がびくんびくんしてきたころに、みんちゃんはようやく唇を離してくれた。マラソン大会が終わったあとみたいにどきどきして、ぜえぜえして、口を開けていっぱい息をしたら、自分の中からみんちゃんの匂いがしたみたいで、わたしはとても嬉しくなった。そして、とっても気持ちが良くて、胸が痛いくらいどきどきして、お腹の下のほうに心臓があるみたいにとくんとくんと鳴ってて、何も考えられなくて、なんだかおばかになったみたいだった。

『イチコ、めっちゃやらしい顔しとる』

 みんちゃんにそう言われて、わたしは泣きそうになった。悲しかったとか、恥ずかしかったとか、そんなことじゃない。恥ずかしくはあったけど。それよりもっと、嬉しい気持ちがあった。みんちゃんにやらしいって言われたのが、なぜかとても嬉しかった。みんちゃんに認められた気がした。

『みんちゃん、わたし、くにゅくにゅする』

『くにゅくにゅ?』

『きゅんきゅん、かも』

『きゅんきゅん? どこ?』

『ここのとこが、ここのとこがね、へんなの。みんちゃんにもっとしてほしいって、言ってるの』

 背中と腰に回されたみんちゃんの腕を抱きかかえたまま、わたしはそう訴えた。みんちゃんは、わたしに怒られたときみたいな困ったような笑顔を浮かべた。

『あー……そこか……。そうやなぁ』

『して? みんちゃん、して? わたしのここ、やさしくして? みんちゃんにしてほしいの』

 わたしはわけがわからないまま、みんちゃんにおねだりしていた。どうにかして欲しかった。今考えれば熱に浮かされていたとしか思えないし、きっとその通りだったんだ。

 みんちゃんはちょっとのあいだ迷ってから、わたしのよだれを親指で拭って、『わかった、やさしくしたる。後悔してもしらんで』と言った。『いましてくれなかったら、わたしぜったい後悔する』

 わたしはその日、天国と地獄を同時に味わった。いや、きっと両方共天国だったに違いない。

 それから何度も、わたしはおねだりした。そのたびにみんちゃんは困ったような笑顔を浮かべた。最初はもうせん~って言ってたけど、何度もお願いするうちに、半々くらいはしてくれるようになった。みんちゃんは上手だった。んだと、思う。自分でするより、みんちゃんにしてもらうほうが、ずっとずっと気持ちよかったから。

 わたしもみんちゃんに何度も優しくしたけど、みんちゃんは笑顔でわたしに気を使った言葉をかけてくれるだけで、みんちゃんは本当には満足してくれないことが多かった。『ウチがイチコにするのが楽しいんやから、それでいいんやけどなぁ』わたしがしょげると、決まってそう言って背中をさすってくれるのだ。『ま、練習したいならいつでも言いや』その甲斐あって、わたしは一度だけ、軽く、みんちゃんを満足させてあげられた。『驚いたわぁ。イチコもうまなったやん』でも、まだ全然コツは掴めない。

「ねえ、みんちゃん」

「なんや?」

「もっかいちゅーして」

「甘えんぼやな」

「うん、甘えんぼだよ」

 触れるだけのキスの中に、みんちゃんの匂いに混じって、はちみつの味があった。

「キスって、味、あるよね」

「うん? 何味やったん?」

「はちみつ」

「うそぉ?」

「うそ」

「なんやイチコ、今日やけにいじわるやなー」

「みんちゃんが子供扱いするからだよーだ」

「そういうとこが子供やっちゅうに」

 そう笑った彼女のはちみつ味は、いったい誰のものなんだろう。

「みんちゃん」

「んー?」

「大好き」

「ウチもや」

「だめ。ちゃんと言って」

「はいはい。好きやで、イチコ」

「……うん」

  わたしはかばんからストロベリー味のキャンディを取り出して、口に放り込んだ。みんちゃんのお腹に馬乗りになって見下ろして、ちょっとだけ見つめ合う。さわさわした毛が触れ合う感触が少しある。不思議そうに目をしばたかせるみんちゃんに向かって、わたしはそのまま体を倒した。たっぷりとしたおっぱいを平たい胸で押しつぶさなければ、みんちゃんとキスすることはできなかった。

 ストロベリー味のキャンディは、みんちゃんの匂いも誰かの匂いも、甘ったるいピンク色のざらざらで飲み込んで、かき消した。

 みんちゃん。みんちゃん。わたしのみんちゃん。

 みんちゃんの心臓の鼓動が密着した胸から伝わってきて、わたしは安心して目を閉じた。

 

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