第12話 残忍な荒療治
病院から脱出した二人だが、問題が終わるにはまだ早い。
ヴィヴィアだ。病院前の広場に避難した彼女は、血の気がない表情で横になっている。……医師と看護師たちが忙しく動いているが、聞こえる声は現状を嘆くものばかりだ。
生贄。
外部から魔力を補充するには、ほかに方法がない。
人の姿自体は、余るぐらい視界に入る。野次馬も続々と現れ、魔術師に対する
彼らを生贄に出来れば――なんて悪意のある思考が沸いた途端、角利は一点の光を見た。
「死刑囚」
「え……」
「死刑囚だったら、魔力補充の生贄に出来ないか? 問題は最小限に抑えられると思う」
「それは……」
話を聞いていた担当医が首を振る。それしかない、と。
しかし肝心のフェイは、なかなか動こうとしなかった。
「な、納得できません。この子にそんな、人の命を背負わせるなんて……」
「でも他に方法はないぞ。……誰も文句は言わんから、フェイが決めてくれ」
「――」
眠っている妹へ、フェイは顔を向ける。
ヴィヴィアはもう動かなくなっていた。辛うじて呼吸はしているものの、風前の灯でしかない。こうしている間に限界を迎えても仕方ない状態だった。
「どうする?」
もう一度催促する。
肉親の死。それが目の前にあって、角利は直視するだけでも限界だ。病院の職員がもう少し余裕を持っていれば、横になれと言われただろう。
それでも視線は逸らさない。
「時間がないぞ。運良く運んだって、その前に事切れる可能性もある」
「わ、私には決められません……! 会長が――」
「いいのか? 俺で」
フェイは再び沈黙する。
当然だが、角利は打開策の提案者だ。決断を委ねられれば、二つ返事で行動に移る。
ヴィヴィアに死んでほしくない――結論は一般的なものだ。自分の古傷もあって、横になっている少女の価値を客観的には測れない。
もういい、と。ヴィヴィアはかつて、姉にそう言ったらしい。
願いをどんな風に汲み取るか、それは聞いた当人の権利だ。角利には部外者としての役割しかなく、困難を解決することも諦めることも出来ない。
自然な流れの一つとして。生きるか死ぬかを決めることぐらい。
本当の決断ができるのはフェイ一人だ。ここで希望に
我を貫くのか。
あるいは、妹の意見を尊重するのか。
「私は――」
もう一度、姉は妹の顔を覗く。
表情が切り替わった――その直後だった。
大勢の悲鳴が、空に上ったのは。
燃えている。
病院の前に集まった野次馬が、炎の海に
「な――」
誰も彼も声が出ない。激痛に
原因なんてどこにもなかった。近くの車が爆発したわけでも、マッチに引火したわけでもない。本当に脈絡がなく、野次馬を狙ったように燃えだしたのだ。
「さあ、何を
悠々と近付いてくる、男の声。
御法だった。
「生贄ならそこにいくらでもおる。さっさと使うがいい」
「じ、爺さん、アンタ……」
「少々うるかったのでな、まとめて一掃した。しかし、お前達には好都合だろう?」
誰も、首肯する者はない。
手が出せない惨劇を、しっかりと記憶するだけだ。
「――何もせんのか。つまらん、ワシがやる」
「あ」
ヴィヴィアの周りにいる数名を押し退け、御法は魔術を発動させる。
治療は数秒の間に表面化した。肌に血の気が戻り、うっすらと目を開けてもいる。……変わりに吸われていく命の数々が、映ったのかどうかは不明だが。
しかし角利にはもう、見えない。
体力と精神の限界から、ゆっくりと目を閉じる。
「ん……」
「あ、会長。大丈夫ですか?」
重い頭を必死に動かして、角利は上半身を起こした。
辺りにはやはり騒がしい空気が残っている。当然だろう。何十という人間が一人の魔術師によって焼死したのだ。お茶の間まで、その残虐行為は行き届いているだろう。
視界を右に動かせば、彼らが受けた苦痛の名残が目に入った。
それだけ気分が悪くなる。あんなにも生々しく人が死んだのだから、ごく自然の反応かもしれないが。
「……爺さんは?」
「すでに立ち去りました。ギルドが捜索に当たっていますが、手掛かりはまで掴めていないと」
「そうか……」
力になってやりたいが、御法とは私生活での繋がりを持たない。家だってまったく違う場所にある。
ギルドや政府の力を信じるしかあるまい。もちろん、協力を求められれば応じるが。
「……」
にしても、あそこまで残忍な祖父は始めて見た。彼にすれば信念上の必然だったんだろうが、やり過ぎている。同じ社会に暮らす人間とは思えない。
無論、その理由は御法に通用しないだろう。でなければ彼が、魔術を特権として扱う理由がなくなる。
倫理観の決定的な断絶。極端な話が、違う時代の人間。あの青年が化石と称したのも同じ理由からだ。
これで御法は社会的な地位を失う。犯罪者として、世間から追われる立場になる。
しかし、そこに後悔はないのだろう。むしろ首を傾げるに違いない。自分はただ、当然のことをやっただけ、と。
「そういえば、ヴィヴィアは?」
「今はぐっすり眠っています。先生からの話ですと、しばらくは大丈夫じゃないかと」
「――そうか」
素直に喜んだ方がいいんだろうが、難しい。
フェイも同じ心境のようだ。溜め息を零して、焼け焦げたコンクリートを見つめている。
「……私は一般人が好きではありません。集団を組むということが、自分の弱さを誤魔化しているようで嫌になります」
「まあ、非力だから協力するわけだしな。魔術師でもないんだし」
「ええ。――ですが、このような死を与えることにも反対です。彼らは抵抗する手段を、何一つ持っていなかったのに」
「……昼間に俺達を殺そうとしたやつが、よく言うねえ」
笑いながら角利は答えた。――刹那の間でフェイが睨んできたので、空気を読んで自重する。
気にしていることを改めて指摘されるのは、結構な負担だ。少なくとも、彼女の視線にはそんな意図が籠っていた。
甘いというか、中途半端というか。敵意を剥き出しにしたあの時、手加減は無かったろうに。彼女が信じる理想は、御法のような典型例と違っているんだろうか?
人々の死を悼んでいることだってそう。完全に無力な者へ、フェイは一定の配慮をしている。
「なあ、フェイって嫌いな対象と憎い対象は同じか?」
「……なに詩人みたいなこと口にしてるんですか? まあ、言わんとしている意味は分かりますが」
「お、そうか。じゃあ教えてくれ」
「別ですね。一般人が敵か、魔術師が敵かの区別ぐらいですが」
首を縦に振りながら、角利は言葉の意味を考えてみる。
といっても、彼女が言った以上の事実はあるまい。群れた魔術師は憎い、群れた一般人は嫌い。前者がより強い感情なのは、フェイ自身が魔術師だからか。
愛した理想、それを正反対に写した存在を見たくない。
端的に言えばそんなところか。やはり御法とは違う。彼の場合は魔術師も人間も、弱ければ憎い対象として処理する。
「嫌いだからと、私は一般人を蔑ろにする気はありません。守るべき対象ではないかと考えています」
「爪の垢でも
正直、御法の孫として生きて来られたのが不思議に思えた。
いや実際、自分は彼のことを何も知らなかったんだろう。さっきの虐殺も、祖父は何食わぬ顔でこなしていた。孫の存在など、戯れ程度に容認していたのかもしれない。
ショックはある。偉大な魔術師として、尊敬の対象だったのだ。
しかしあんな光景を見せつけられたら、言い訳をする方が苦しい。時間は掛かるだろうが、徐々に受け入れていくしかあるまい。
「……フェイ。ヴィヴィアが目を覚ました時は、俺から説明するぞ?」
「会長が、ですか?」
「そりゃあ身内がやったことだしな。適任は俺だろ」
「しかし――」
反論を予想して、フェイから目を逸らす。いつまでも寝ているのは迷惑だろうし、さっさと起きよう。
改めて周囲を確認すると、やはりギルドの関係者で一杯だった。野次馬もいるが案外と静まっており、
「――分かりました。では私、会長の家に泊まりますね」
頭をハンマーで打たれたような衝撃だった。
では、って何だ? 泊まる? 年ごとの男と、一つ屋根の下で?
「お、おい、おいおいおい」
「一度だけで結構です。ギルドの状態を
「そりゃあ極論から言えば問題ないけどな……俺だって健全な男子高校生だぞ。同い年の女の子と同居ってのは、抵抗感が、だな」
「間違いが起こる可能性があると? ですがご安心ください。その際は問答無用で男性機能が消えることになります。具体的には切り落す方向で」
「……」
止めてくれ。魔剣を出しながら言うのは止めてくれ。
まあ勿論、こっちだって妙な真似をするつもりはない。彼女が必要なことをしてくれるなら、鬼に金棒、前も言ったように百人力だ。
「じゃあ、フェイが良ければどうぞ。大したおもてなしは出来んけど」
「ええ、無理な背伸びは結構です。妹にも連絡して――」
ガサリ、と何かが揺れる。
二人の近辺で隠れられる場所となると、代々木公園の林ぐらい。物音が聞こえてもおかしくない距離にある。
集中しているせいか、人々の雑音が遠い。フェイも同じく、聞こえたであろう場所を
瞬間。
「オーク!?」
負傷しているのか――片手を引きずったオークが、二人の元へ一直線に走ってくる。
脈絡のない展開に、角利は大きく肩を震わせた。魔剣を出す天才少女。周囲にいた数名の魔術師も気付いて、冷たい空気が凍りつく。
しかし。
オークはそのままフェイを飛び越え、病院に
一連の出来事は、立ち入りを制限されている一般市民にも見えたらしい。悲鳴が
フェイを始め、数名の魔術師がオークの後を追った。
しばらくして戻ってくる辺り、完全に逃げられてしまったようだが。
「……」
「フェイ?」
彼女は暗い――怒りを蓄えた表情で、角利の横に歩いてくる。
恐らくは、こちらと敵対した時の。それを上回る感情だった。
「先ほどのオーク、人を抱えていました」
「人を……?」
「顔は一瞬しか見えませんでしたが、妹かと」
「っ」
厳しい顔付きになるのは必然。こんなところで油を売っている場合ではない。
「お、追わなくていいのか?」
「向こうの地区にもギルドが出ていますから、彼らに任せるべきでしょう。……それに会長が寝ている間、独断での行動は
「でもだな……」
「大丈夫ですよ。彼らがいくら卑怯で愚劣で外道だろうと、最低限の仕事はするでしょうし」
でも怒ってはいるらしい。
まあフェイの意見には一理ある。昨今は魔術師が批判される時代だ。もしヴィヴィアを見殺しにするなんて結末、翌日の朝刊が魔術師への非難で埋まるだろう。殺戮者の一族、とかで。
――昔はその一族に匿われていたくせに、皮肉なものだ。価値感の変化がどれだけの劇薬か、分かりやすい例だろう。
「……しかし、疑問が残りますね。なぜオークは、ヴィヴィアをさらったんでしょうか?」
「確かにおかしいな。ふつう魔物ってのは、魔術師を餌にしか思ってないだろ?」
「ええ。まあ幻獣にしろ魔物にしろ、生態がハッキリしているわけではないのですが」
特別な理由があるのかも――彼女の心境を自分なりに読んで、襲ってきたオーク達の特徴を思い返す。
「なあ、連中って共食いとかしたっけか?」
「共食い、ですか? いえ、記録には確認されていませんね。……していたんですか? 病院を襲った連中は」
「ああ。っていうかこの事件、原因は何なんだよ?」
屋上から魔物が降ってくるなんて、どう考えても普通じゃない。
フェイには
「どうも最上階で、魔物の研究を行っていたようですね。もちろん極秘です。責任者によると、昔の院長が行って以降、延々と続けていたとか」
「で、見事にやらかしたと。安全意識が欠如した、典型的な事件だったのか」
「ですね。もしかしたら会長の見た共食いは、実験の過程で生まれた特性かもしれません」
「なるほど」
まあ詳しいことは責任者が知っている筈だ。数日中にはギルドの調査も終わって、世間に事実が公表されるだろう。よっぽど黒かったら、一部隠蔽もありえそうだが。
大人の事情が頭に浮かんで、ついつい溜め息を零したくなる。
いくら魔術師が就職難、権威が没落していると言っても、誇りを嘘で塗り固めるのは止めて欲しい。きちんと謝罪して、誠意を示す方が立派じゃないか。
「あの、会長……?」
機嫌が斜めに成り始めたところで、フェイが下から覗き込んでくる。……曇った表情だが、それも一つの魅力を兼ね揃えていた。角度で色彩を変える万華鏡のような。
「魔物の話をしても、大丈夫なんですか?」
「へ? あ、ああ、そういや大丈夫だな」
何故だろう。病院では散々、これ以上なくみっともない逃げ方をしたのに。
気持ちが軽い。意識していなかったが、何か高い壁を乗り越えたような達成感がある。
「良かったですね、前に進めて」
彼女は本当に嬉しそうに。
見てるこっちが恥かしくなるぐらい、満面の笑みを浮かべていた。
感謝した方がいいのか分からなくて、角利は適当な返事でお茶を濁す。希望通りにフェイは話を打ち切ってくれたが、名残惜しんでいる自分がいた。
「……帰って作戦を練りましょう。もちろん、常識の範囲内で」
「あ、ああ」
悪戯心の入った横目で、フェイは角利を見つめている
可愛い――少年の感性は、どこまでも素直だった。
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