第11話 乗り越えるために
静止を呼び掛ける関係者を無視し、二人は直ぐに階段を目指す。高校生が走れば一分もかからない距離だ。
避難者を乗せているのか、近くにあるエレベーターが到着する。
出たのは。
「っ!」
人間ではなく、獣の咆哮。
無論、警戒していたフェイにすれば単なる雑兵でしかない。軽くいなすと、即座に反撃の一閃を叩き込む。
流麗の一言に尽きる剣技だった。オークは呻き声すら上げず、くの字に折れて倒れるだけ。
生命力を失った彼らは徐々に身体を解いていく。――実際に糸のようなモノが出ているんだから、間違った表現ではないだろう。肉体を構成する魔力が解けているのだ。
しかし、観察する暇などまったくない。
通路の奥から、さらに数体のオークが現れる。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
足が竦んでいるが、完全に動けないほどじゃない。――そもそも敵が複数いる以上、角利が行動せざるを得なくなる。
「会長は階段を使って四階へ。……ここは私が、何が何でも守り通します。妹を、どうか――!」
「わ、分かった!」
卑しい獣の声を背後に、持てる力のすべてで走る。
緊張している所為か、息が上がるのが早い。早々に休憩したい気分だが、遅れればヴィヴィアの危険が増す。
魔物はいないのだ、ここ瞬間で気合を入れなくてどうするのか。
二階、三階――踊り場に見るフロアの表記を見る度、少し身体が軽くなる。
四階、目的地に入った。
ところどころが荒されているものの、人的被害は見当らない。全員、脱出に成功したのだろう。この短時間にこれだけの手際、さすが大病院といったところか。
「――」
四治事件の光景が、脳裏に蘇る。
パニックを起こしかけて、角利は自力で現実へと戻ってきた。怯えている場合じゃない。せめてヴィヴィアの病室を確認しなければ。全員が脱出した確証はないのだ。
逃げ遅れた人はいないかと、首を左右に振る。
そう、見ていたのは左右だけ。
背後にいる悪魔の気配には、直前まで気付かなかった。
「う、うああぁぁあああ!?」
大声を上げて、脱兎のごとく走り出す。
幸か不幸か、噛み付こうとするオークの脅威からは逃れられた。が、振り切ったわけではない。第一、敵が一体しかいないとは限らない。
無人となったナースステーションに飛び込む。現在の精神状態にとっては、善し悪しをつけ難い孤独な環境。
ズン、と重い足音が廊下に沈む。
十中八九オークか、他の魔物だ。姿を確認する余裕はなく、角利はカウンターの下に身を隠した。
足音は間隔が短く、そして徐々に大きくなる。こちらの存在に気付いたのだ。
角利は息を潜めるばかり。泣き出す寸前の心を、必死に繋ぎ止めている。
だが。
「あ、ああ……!?」
上から伸びてきた手に、力尽くで外へと投げ出された。
が、と打ちつけられた場所は、ヴィヴィアと話したばかりのホール。ここも既に手遅れで、テーブルが、自販機が、見るも無残に破壊されていた。
来る。
前後に一匹ずつ、牙を持った死神が近付いてくる。
「はっ、は、はっ――」
まるで犬だと
助けなきゃいけないのに。約束したのに。
やっぱり、無様じゃないか。
「ひっ――」
現実から逃避しようと、何の変哲もなく目を瞑る。
しかし痛みはやってこない。
より凄惨な光景が、それぞれで繰り広げられているだけだった。
「と、共食い……!?」
角利を喰うより、同胞の方が栄養満点だと思ったんだろう。こちらを狙っていたオークは、どちらも同族との格闘戦を行っていた。
チャンスだ。這いつくばって進みながら、部屋の番号を示しているプレートを探す。
あった。しかも、オーク達を上手く避けて通れる。
肉が千切られる生々しい音へ耳を塞ぎ、角利は重い足を上げた。
最悪、地上へ降りる時は魔術を使おう。あるいは非常階段。再び中を通ったら、今度こそ精神が破裂する。
ようやく見つけたベッドは、もう自分の方が入りたいぐらいで。
「ヴィヴィア!」
入口に書かれている名前を呼んだ。
中には、人影というものが一つもない。
個室に置かれた一つのベッド。触れば微かな温もりを感じられるが、やはり肝心の本人はいなかった。どこかに隠れている雰囲気でもない。
それ以前に、部屋は荒らされている。特にカーテン。爪か何かで引き裂いた痕跡があった。
最悪の結果が脳裏を過る。血痕が一つも気当たらないのが、唯一すがれる希望だろうか。
そうだ、もう脱出しているかもしれない。一先ずフェイの様子を確認しようと、角利は迷わず
「あ、ああ……」
タイムアップ。
入口に立ち塞がるオークから、逃げる術などありはしない。
「ふ――!」
間一髪、救いの手が差し伸べられるまでは。
またもやフェイによる一撃だった。急所を貫く、無謬の一閃。清潔な具象鎧は清潔なまま、救世主としての威光を思う存分示している。
尻餅をついた角利は、彼女の姿を見上げるだけだ。どうしようもなく見惚れてしまう、その小さな背中を。
「立てますか?」
「あ、ああ」
また、足を引っ張ってしまった。
手に触れる温もりが何故か辛い。自分を恥じてるからだろうな、と角利は内心で吐息する。
「……無能だなんて、思わないでください」
「は?」
「会長には前に進もうとする、痛いほどの意思がある。勇気なのか無謀なのかは決めかねますが……貴方自身にとって、きっと有益だと思います。ですから、どうか自分を責めないで」
「……悪い」
「言った傍からですか?」
「か、感謝が八割だからノーカンだ」
話している間に、少し気分もよくなった。
フェイは廊下に出ると、直ぐ左右の様子を確認する。どうも敵の姿はないらしく、こっちに来いと身振りで示した。
「非常階段を使いましょう。正面玄関はオークが群れを作っていました」
「い、いいのか? ヴィヴィアは……」
「さきほど、救援に訪れたテュポーンのメンバーから情報が入りました。脱出した入院患者の中に、妹の姿があったそうです」
「そ、そうか……!」
襲われたような痕跡が残っているが、彼女とて魔術師。魔物を倒す術はあったんだろう。
二人は急いで、廊下の奥にある非常階段を目指す。
だが。
階段手前の天井をぶち破って、人影が降りてきた。
「な……!?」
乱入者は男。魔術師の衣装であるローブを纏い、色でその所属を示している。
学園のものではない。大手ギルド、それも二人が今日見たもの。
フェイを襲い、角利と一緒に逃走した青年。
非力な筈の彼が、立ちはだかった障害だった。
「……何のつもりですか?」
フェイに怯えはない。正面から堂々と、敵意と疑問を青年にぶつける。
彼は片手に身の丈ほどの大剣を握っていた。追手に恐怖し、逃げ回っていた人物とは思えないほど勇ましい。
ぎ、と彼は壊れた機会のような呻きを上げる。
「があああぁぁぁぁあああ!!」
一瞬だった。
獣としか思えない叫び声で、青年が突っ走ってきたのは。
「会長、下がって!!」
「いっ!?」
動く前に突き飛ばされた。
直後、勢いに乗った快音が反響する。フェイと青年が激突したのだ。
狭い廊下ではあるが、二人は加減をしない。魔剣がコンクリートを砕き、一瞬で鉄筋すら露わにする。巻き込まれればひとたまりもない。
しかしそれ以上に注目すべきは、互角の戦いを繰り広げているということ。
昼間の反応はすべて演技だった――わけではあるまい。恐らくは身体強化の魔術を、過剰なレベルで使用しているのだろう。でなければこんな叫び声を上げるものか。
「会長! 別の階段で下へ! 三階から非常階段を使ってください! 彼は私がくい止めます!」
「む、無茶はするなよ!?」
「もう少し説得力を身に付けてから言ってください……!」
ひときわ強烈な突風が、角利の立っている廊下を揺らした。
とにかく、今は逃げるしかない。そうすれば足手纏いにはならないのだ。せめてもの手伝いはやっておきたい。
角利は廊下を駆け抜ける。
途中で見かけたのはフェイが倒したであろう、オークの亡骸。魔力で肉体が構成されているためか、血の臭いはしない。角利は苦悶の表情を浮かべるしかないが、一先ず三階までは行けそうだ。
階段に足を降ろして、止まる。
いいのか?
逃げていいのか?
フェイがいくら有能な魔術師でも、相手は前回と様子が異なっている。異常だと称しても構わない。
対等に戦える保障は? そしてもし、彼女が勝てなかったら?
後悔するのは角利自身だ。またずっと、自分を責めることになる。
許せるわけがない。
歯を食い縛って、角利は五階へと昇り始めた。
直接戦いに介入することは難しい。戦場へ近付けば、身体が勝手に怖気づいてしまう。支援するなら安全地帯で、かつ二人の姿が見えないところがいい。
咄嗟に思いついたのは非常階段だ。二人は階段の手前で戦闘に入った。同じ場所で戦い続けているなら、好都合なポジションは確保できるかもしれない。
決まったのなら善は急げ。オークが来ないことを祈りながら、五階のホールを左に曲がる。
直後の、衝撃。
「がっ!?」
廊下を回転しながら、角利はその原因を認める。
だが直視はしない。
敵の行動を見定めもせず、走り出す。
遠吠えと足音が聞こえても無視。二度目の拳が外れ、壁をぶち抜こうと絶対無視。
走る、走る、走れ! 逃げろ!
非常用の階段はもう直ぐだ。横にある病室に誰かが隠れているかもしれない――なんて雑念も振り解け。
耳を済ませば、微かに聞こえる死闘の音色。二人はまだ真下にいる。これなら好都合だ。
――だが試練は、最後まで続くもの。
階段に入る手前、オークが道を塞いでいる。
「く……」
立ちはだかる過去が、角利の認識を
だから、ここから数秒が最後の機会。
燃え尽きる炎が魅せる、有終の美というやつで。
「ば――抜刀!」
震える唇が力を結ぶ。
召喚された剣で、狙うは真下。
死角からの奇襲が、土壇場で導いた結論だった。
総力を叩き込み、床を砕く。重力に引かれ、角利は
「な――」
驚愕は青年、フェイ双方のもの。
「うおおぉぉぉおおお!!」
咆哮はもう、悲鳴の一歩手前だった。
敵の無防備な背中へ、一直前に飛びかかる――!
作戦は功を奏し、流れが直ぐ角利へと傾いた。数度の
しかしこちらも、限界はとうに超えていて。
いつの間にか放たれた蹴りを、認識することさえ出来なかった。
「ご、ほ――っ」
よろめく角利。吐き気がしている中で腹に蹴りを喰らうなんて最悪だ。
しかし最悪なのは向こうも同じなのだろう。青年はローブを靡かせ、直ぐに非常階段へ。
待て、と叫ぶ間もなく、その姿は宙に消えた。
あとは静寂。上にいたオーク達は、別の場所に移動してしまったらしい。
あるいはギルドのメンバーに討伐されたのか。連続する足音、近付いてくる人の声が、安全の訪れを証明している。
「……本当に、もう」
フェイは完全に呆れ顔。
でもちょっとだけ笑っていて、自分の成果を認められる。
ああ、助けられたのだと。誰も犠牲にならなかったと。
あの事件からやっと、自分の力を誇りに思えた。
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