第10話 二つの病、二つの現実。そして

「帰るって、どうしてですか?」


 待合室の一角。出来るだけ人目に入らない場所で、どうしてもだ、と角利は真っ向から反論した。

 医者が聞けば、その無謀ぶりに怒りさえ感じるだろう。ましてや現在地が病院なのだ。これ幸いと世話になるのが、世間の常識でもある。

 しかし角利には、個人的な事情があった。


「これまで魔術師の治療は何度も受けてきた。でも、逆に不快感が増すだけでな。ああ……思い出しただけで気分が悪い」


「で、でしたら普通のお医者様に頼みましょう。ここなら、専門の方も――」


「いや、それは無駄だろ」


 ややあって、フェイも指摘された内容に気がついた。


「……魔術師に一般人の治療は、通用しないんでしたね」


「面倒な仕組みだよなあ。何だっけ、概念的に保護されてるとかだったか?」


 魔術師の間で原因解明は進められているそうだが、決定的な証拠は出ていない。

 このため自分たちの治療は魔術、薬草などを用いるのが基本となっている。薬草は神話に登場した――という触れ込みの代物だ。魔力は検知されているそうだが、実際に同じ効果があるかどうかは分からない。

 また、心理療法だろうと目ぼしい効果はないんだとか。近年に推奨すいしょうされたPTSDの治療も、角利にとっては他人事である。


「ヴィヴィアを見てくれている先生も、困っていると仰っていました。最近は薬草の採取量も減っているそうで」


「そりゃまた、何で?」


「土地が開拓されている副作用だそうです。自然界全体が天然の状態を保てていないため、総合的に落ちているんだとか」


 一日二日で解決できる問題ではなさそうだ。

 時代の流れ――と諦めるのが一番だろうが、携わっている人々はそうもいかない。個人的にも、何かしらの解決策を期待したいところだ。それこそ科学の出番だろうし。

 呼吸が落ち着き始めて、よし、と角利は膝に力を入れる。


「じゃあ俺は先に帰る。フェイはヴィヴィアとじっくり話して来いよ」


「いえ、私もご一緒します。妹とはいつでも話せますから、会長を監視する方が重要です」


「か、監視って……」


 そんなに信用いかないのか。

 ふと、ヴィヴィアの台詞を思い出す。フェイは警戒心が強く、何かと孤立しがちなんだとか。……なのにどうして、彼女はこんなにも世話をやいてくれるんだろう? 性格だからか?

 言われた通り、祖父と似ているから、ではあるかもしれない。だとしたら光栄で、直に評価を聞きたくもある。

 差し出される細い指。握ったら柔らかいんだろうな、と歳相応の感想が沸いてきた。


「……なあ、フェイって人懐っこい性格じゃないよな? ヴィヴィアはそうみたいだが」


「え、ええ、確かに妹と私は正反対の性格ですね。それが?」


「積極的に俺の面倒を見ようとしてる気がするんだが、気のせいか?」


「――」


 絶句、の表現がピッタリなぐらい、彼女は衝撃を受けていた。

 ややあって、急に角利へ背中を向ける。何やら呟いており、聞こえる範囲を言うと妹への恨みだった。そうえば由利音いわく、フェイは土足で自分の中に入られるのが嫌いなそうな。

 誤った方がいいかもしれない。行き過ぎた好奇心を反省して、なあ、と短い前置きを作る。


「……白状しますと」


 白旗を上げたのは、彼女の方が先で。


「妹と貴方が、重なって見えたもので。申し訳ありません」


「……」


 絶句は角利の番だった。

 どうしてそこで謝る? 悪いことなんて一つもない。なんせ、彼女の大切な人と重ねてくれたのだ。角利が感謝するのを、黙って待ったっていいんじゃないか?

 しかし今も、謝意に訂正は入らない。見本にしたいぐらい綺麗な姿勢で、深々と頭を下げている。


「と、とりあえず顔を上げてくれ。俺は怒ってるわけでも、疑ってるわけでもないぞ」


「で、でしたら、何故――」


「まあ好奇心だな。爺さんと似てるとか、そう言われると思ったんだけど」


「お爺様? 会長のお爺様とは私、面識がありませんよ?」


「いや、四治御法。さっき会ったばっかりだろ? 俺の祖父だよ」


「――」


 今度も驚く彼女。……さっきから同じ反応ばかりで、だんだん苛めている気分になってくる。


「も、申し訳ありませんっ! 苗字が偶然にも同じなのかと……!」


「いや、だから謝るなって。逆に息苦しいぞ。爺さんがいくら君の恩人だからって、俺は何もしてないんだから」


「し、しかし……」


「じゃあ取り合えず、俺と爺さんが似てるかどうか教えてくれ。それで手を打とう」


「似てません」


 一刀両断だった。

 期待を外された気分で落ち込むが――まあ、当り前だろう。ワシとは似ていないな、が角利に対する御法の口癖だった。父とは親子なだけあって、雰囲気が近かったんだが。


「よし、じゃあ帰ろう。……って、フェイの家はどこなんだ?」


「病院の近くにあるマンションです。……入らないで下さいよ? 整理だってしてないんですから」


「妖精でも雇ったらどうだ?」


 考えておきます、との相槌あいづちを聞いて、二人は待合室を後にした。

 外では日が傾きつつある。道路を挟む街灯は黄昏色に染まっていて、夜の訪れを誘う門のようだ。


「そういえば、妹はどうでしたか?」


「元気そうだったぞ。病人には思えなかったぐらいだ」


「そうですか……あの子には随分と苦労をかけていますから、元気そうで何よりです」


「――何の病気なんだ? 妹さんは」


 力になりたいと思ったのか、それともまた好奇心か。

 沈んだ横顔を見るのは、知り合ったばかりでも辛かった。


「……召喚暴走症しょうかんぼうそうしょう、というのはご存知ですか?」


「いや、初耳。もしかしてヴィヴィアの左腕か?」


「はい。私や会長は魔剣の召喚――武装召喚を用いますが、彼女は幻獣召喚という魔術の使い手でして。……子供の頃、術を発動させる際に事故が起こったんです。そのため左腕に幻獣が憑依ひょういしている状態で」


「治る、のか?」


「症状の進行を遅らせることは可能ですが、現状ではほぼ不可能だそうです。最終的には魔力を吸い尽されて、死にいたる、と」


「……」


 不治の病。生かすだけで精一杯の、閉じられた命。

 魔力は魔術師の体力と同義だ。それが吸い尽されるのであれば――衰弱死、という形になるのだろう。幻獣の召喚、維持はただでさえ魔力の消費が大きいと聞く。


「こう言っちゃなんだが、腕を切り落すとかじゃ駄目なのか?」


「ヴィヴィアは試していませんが、過去に実行し、失敗した例があります。直ぐに再生してしまうんだとか」


「困ったもんだな……幻獣だって、やりたくてやってるわけじゃないだろうに」


「でしょうね。幻獣は魔術師と契約した異界の協力者であり、こちらは言うなれば食糧の提供者。相互扶助そうごふじょの関係で、害意を持っているわけではありません。魔物は別としても」


「アイツら、基本的に契約を失った幻獣なんだよな? 暴走してるって感じで」


「ええ」


 学園の授業でも習う。かと言って、同情するような視点は育成しない方針だ。

 昔はそうでもなかったらしいが、今は魔術師の存在意義が問われる時代。銃器などの近代兵器も存在する以上、魔術師が専門的な立場を取れる敵はありがたい。

 不謹慎な言い方ではあるだろう。学園でこんなことを大声で言ったら、きっと先生達に、御法に叱られる。

 しかし、現実だ。

 召喚暴走症も、幻獣の変質、脅威という認識を煽るのに利用されているかもしれない。


「……もうこの話はお終いにしましょう。辛くなるだけで――」


 す、と言葉が続いた直後だった。

 後ろから看護師が、二人を必死に呼び止めたのは。

 突然の出来事に肩を震わせながらも、直ぐにフェイが対応へ動く。どうも顔見知りらしく、名前を気軽に呼んでいた。


「どうかなさったんですか?」


「い、妹さんの容態が、急激に悪化して……!」


「っ!」


 フェイは看護師に一言も告げず、全速力で病院の中へと戻っていく。

 手持ち無沙汰になる角利だったが、やってきた看護師に従って同じく病院へ。エレベーターを使い四階へと急行する。

 病室までは一直線だ。慌しい雰囲気への注目を振り切って、ヴィヴィア・モルガン、と名札の入った部屋へ。

 いたのは担当医らしき男性と、落ち着かない後ろ姿のフェイ。


「ど、どうなってるんだ?」


「……暴走症が進んでいます。いえ、厳密には魔力の吸収ですね。外部からの手段で補充しないと、このままでは……」


 衰弱死。そんな言葉を、フェイは必死に飲み込もうとしていた。

 なら直ぐに補充すべきでは――ベッドから動こうとしない担当医へ、素人なりの指摘をぶつけたくなる。


「――ここに私たちがいても、邪魔なだけです。ホールに移動しましょう」


「あ、ああ」


 角利以上の冷静さで、フェイは医師に頭を下げてら退室する。角利も直ぐ続いた。

 ホールへ移動する間、二人の間に会話はない。理由もなく不安になってしまうが、彼女は彼女なりの考えがあるんだろう。

 目的地に到着すると、フェイは一番奥の椅子に座る。こちらの位置も当然、その隣となった。


「なあ、魔力は補充しなくていいのか? 放っておいたら悪くなる一方だろ」


 なとど。もっとも不安がっている当人を差し置いて、晴らしたい疑問を口にする。

 フェイは逡巡した後、躊躇とまどいいがちに否定した。


「魔力を外部から取り入れるには、生贄が必要です。他に術はありません。……人命第一が基本の文明社会で、それが許されると思いますか?」


「それは――」


 無理だ。可能だったのは、遠い過去の時代である。

 加えて日本は独裁国家ではない、法治国家だ。ルールに従うのは魔術師とて同じ。神秘性を盾に特権を得ていた時代とは、立場が根本的に違う。

 例え、倫理観が違うと言い訳をしても。

 社会の一員である以上、勝手な真似は許されないのが昨今だ。


「ほ、他に方法は? 普通だったら、生贄で魔力を確保したりはしないだろ?」


「ええ、体内で生成される分で足りる場合には。……しかし今の妹は別です。許容範囲を超えた負担には、生贄しかないかと」


「せ、専用の薬草とかは?」


「あるにはありますが……入手の手段が限られています。独自の生態を保っている森で、稀に採取できるとか。時価数百万はするそうです」


「――」

 じゃあ、指を咥えて黙ってろと?

 フェイの無言はそれを肯定している。……あるいは、自分は生贄になろうという魂胆なのか。思い詰めた表情から嫌な予感がする。

 八つ当たりだが、科学が恨めしい。

 時代が魔術師のままであれば、こんな難題は直ぐ解決できたろうに。


「……少し頭を冷やしてきます」


 呼び止める時間もなく、彼女はエレベーターへと姿を消した。

 角利はさっきから思考をフル回転させているが、打開策は浮ばない。生贄を秘かに用意するなんて、殺人を犯す以外の何なのか。

 仮に上手く行ったとしても、ヴィヴィアは罪悪感を背負い続ける。当り前の、現代の倫理観で。

 フェイも、踏まえてはいるんだろう。

 人命第一、なんて言葉はそうでもないと出てこない。盲目的に自身を信仰しているわけではなさそうだ。


「――俺も行くか」


 煮詰まった頭で考えても、ネガティブな考えしか浮んでこない。落ち着ける場所で、改めてフェイと話した方がいいだろう。

 人混みを避けるため、エレベーターの横にある階段を使う。静まり返って、人の気配はほとんどない。それこそ、無害な一般人なら不意を突けそうなぐらいに。

 ――馬鹿げたことを考える。やはり気分転換が必要らしい。

 病院の出入り口は、最初に見た時と変わらない様子だった。上の階で今まさに人が死のうとしているなんて、誰も想像しちゃいない。

 フェイの姿が待合室にもないことを確認すると、角利は外へ。

 いた。

 黄昏色に染まった少女が、病院を囲む池を覗いている。


「いいのか?」


 まるで期待するような、誘惑さえ籠った質問。

 彼女は決然とかぶりを振った。


「先が短いのは分かっていました。ただ、その必然がやってきただけの話です」


「ヴィヴィアがまだ生きたい、って思ってたら? 家族として無視は出来ねえだろ」


「もういい、と妹はたびたび口にしていましたよ?」


 苦虫を噛み殺したように、角利は沈黙してしまった。

 生存への諦観ていかん――かといって、ヴィヴィアを責めるのは間違いだろう。暴走症に治療法が存在しないのは、さきほど耳にしたばかりである。彼女の判断は合理的だ。

 納得できない心を表にしても、お節介の域を出ない。

 角利にどれだけ説得力があろうと、結局は個人的な感情だ。姉妹の絆に割って入るなんて、無粋でしかない。


「……本当は、この病院にも入る予定はなかったんです。御法さんにも迷惑をかけるから、と」


「別に気にしないと思うけどな……」


「しかし入院費用の大半は彼です。私もギルド間でバイトじみたことはしていますが、大した収入ではありませんし」


 自分を責めているのか、言い終えた彼女には溜め息があった。

 角利は何一つ反論できない。……せめて綺麗事で誤魔化せるぐらい、口達者であれば良かったんだが。


「……おかしいですよね、私。弱い魔術師は不要だと言っておきながら、死にかけの少女を守りたがるなんて」


「……」


 正面から意見をぶつけられず、角利は沈黙するしかない。

 直後だった。

 病院、最上階の窓ガラスが粉砕されたのは。


「!? 何が――」


 まだ、口を動かすタイミングではない。

 何故か。

 魔物が、二人の頭上から降ってきたのだ。


「え――」


 角利は動けない。驚きと、それに勝って恐怖感が手足を縫いつけている。

 代わりに動く、青い閃光。

 快音と共に、急上昇したフェイが魔物を突き飛ばした音だった。

 無論、それで終わる彼らではない。宙で一回転した後、何事もなかったかのように着地する。

 魔物の特徴は、まず鍛え抜かれた体躯たいくにあった。

 武骨な鎧のような筋肉。身長はざっと三メートルほどで、昼間のゴーレムには及ばずとも巨体だった。

 顔はイノシシに近い。口からは収まりきらない鋭利な牙が伸びている。

 正式名称を言うなら、オーク。

 極めて凶暴な、代表的な幻獣――いや、魔物の一匹だ。

 大衆から悲鳴があふれる。院内も同じような事態におちいっているのか、混乱した人々を次々に吐き出していた。

 オークの狙いは必然、彼らの側へと変更される。


「っ――!」


 それをフェイは、神速の一閃で制していた。

 切り落される腕。怒りと悲鳴の混じった咆哮が響き、残った拳で少女の矮躯を打とうとする。

 だが、寸前で止まった。

 いつの間にかフェイの手にした盾が、腰の入った一撃を防いでいる。

 続くのは見応えのない末路だけ。

 真一文字に切り裂かれたオークは、呻き声と共に地面へ沈んだ。

 それでもフェイに安心感はまったくない。濁流だくりゅうのように出てくる人々を一人一人確認している。中には入院患者らしき者もいるが――


「あの子、四階に……!」


 焦る気持ちは当然だった。オークは最上階から落ちてきたのだ。

 病院は全六階建て。中に魔物が残っているとすれば、ヴィヴィアがいつ襲われても不思議じゃない……!


「会長は退避を。私は魔物を撃破しつつ、ヴィヴィアの救出に向かいます」


「ま、待て、お前一人でか!? いくら何でも危ねえぞ! 直ぐにギルドの人達がすぐ来るし、ヴィヴィアだって逃げてる最中かもしれん! もう少し待って――」


「お気持ちは察しますが、事は一刻を争います。こうしている間にもあの子は危険にさらされているかもしれない」


「――」


 気持ちは察する、だなんて。……ああ、確かに自分は、魔物が怖くてフェイを止めた。

 力になんてなれないから、他の誰かに変わって欲しくて。自分が助けなくっても、心が痛まない他人に動いて欲しかった。

 ダメだ。

 いつまでもいつまでも、後ろ向きじゃいられない。


「なら俺も行く」


「……足手纏いです。敵の戦力も判明していない。万が一の場合、見捨てる場合にもなりますよ?」


「臆病者の逃げ足を舐めないでもらいたいな。いま出てきた人たちと同じように、ヤバイ時は一人で逃げる。――だから最低限、ヴィヴィアをおぶったりは出来るさ」


「……まったく。訂正します」


 二人で向いた病院の入口。出てくる人の数は減っていて、丁度いいタイミングを示していた。


「そういう頑固なところ、お爺さんとそっくりですよ」


「褒めてもらえて嬉しいね……!」


 突入する。

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