第9話 嵐の前触れ

「ではな。ギルドの件で協力するのは、これが最後だ」


 背中を無理やり押されて、二人は学長室を追い出された。

 フェイはいまだ部屋の方を見つめている。祖父に対してよっぽど思うところがあるんだろう。あるいは、自分自身に対してなのか。


「さて、どうする? 折角だしうちにでも寄るか? 改めて飲み物ぐらいはご馳走したいし」


「結構です。これから私用がありますので――」


 と、彼女のポケットで何かが震える。

 失礼、と間を挟んで取り出したのは、携帯電話だった。

 懐かしい。自分もギルドの経営が悪化する前は持っていたものだが――今は正直、驚きが勝っている。フェイが現代社会の産物を使っているなんて。

 祖父がサンプルになるが、彼は機械を嫌っていた。このような産物などまやかし、と口癖のように言っていたのを覚えている。彼がうちに来る時、テレビを見るは禁止だったし。

 まあ便利なものは便利ということだろう。鉄のように堅い信念がなければ、文明の利器を拒むなんて出来ない。フェイがどんな環境で、誰の影響を受けたか定かではないが。

 無言で去るわけにもいかず、角利は電話が終了するのを待つ。


「――え? ギルドの方? それならまあ、限定的な所属、ってことで決着したわ。いま学校で会長と一緒だけど、直ぐそっちに行くから」


 家族とでも話しているのか、フェイは砕けた口調となっている。笑顔まで混ぜて、本当に楽しそうだ。

 角利にとっては少し、傷を抉る光景でもあるけれど。


「――は、はあ!? 会いたい!? 会長に?」


 憂鬱な気分になり掛けた時、彼女は突然声を荒げた。

 どうも受話口の誰かが角利と会いたがっているらしい。フェイは断固反対の様子で、徹底的に不安要素を叩き込んでいる。……こちらの誹謗中傷まで混じっているのはどうなんだろう?

 しかし彼女が頑固なら、向こうの相手も同じらしく。

 一方的に、通話は切れてしまったようだ。


「なんか、大変そうだな」


「他人事みたいに言う方ですね」

 他人事なんだから仕方ない。

 フェイはもう一度その誰か連絡をかけるが、しばらくたって携帯を戻す。角利は何も言わず、ただ好奇心だけを向けていた。


「妹からの電話でした。どうにも納得できませんが、会長と話がしたいそうです」


「そりゃまた。お姉さんは随分と大変だな」


「ええ。――他人の世話をするのは、私の性に合ってるみたいですけど」


 心配性から出た嘆息は、苦労人に相応しくて。

 どことなく楽しんでいる横顔が、紅い唇を優しくしていた。



 セイメイ附属病院、というのが目的地の名前らしい。

 この辺りでは有名な病院なんだろう。正面玄関を潜ると、まず出迎えるのは広い待合室。受付の方では担当者が忙しなく動いており、規模を実感させてくれる。

 位置関係としては代々木公園の近くだ。お陰で昨年、デング熱が流行した時は大慌てだったらしい。まあ魔術師は体質上かからず、学園ではほとんど騒がれなかったが。

 セイメイの名が示す通り、ここは魔術師の医師も所属しているとか。……正直、耳を疑いたくなる。喧嘩ばかりしていると思っていたのに。

 もちろん、前向きな進展だ。祖父じゃあるまいし、否定する気は毛頭ない。

 ただ、少し自分が恥かしかった。喧嘩ばかりしている――そんな発想が出てくる辺り、御法の影響を少なからず受けている証拠だ。血は争えない。

 溜め息を零しながら、角利へ右手奥にあるエレベーターへと乗り込む。フェイの妹は四階に入院しているそうだ。


「……」


 いささか気分が落ち着かない。始めての場所というのもあるだろう。エレベーターは幸い一人だけでの利用だが、四階までの道は長い。

 というか。


「なんで俺一人なんだ……」


 肝心なフェイは同行してくれなかった。

 どうも、担当医から病気の進行状況について説明があるらしい。家族であるフェイが一番話すべきだろうに、何故こちらが一任されてしまったのか。

 まあ考えてもしかたない。彼女の方だって、無視できる用件ではない筈だ。

 エレベータは運良く、目的地までノンストップ。

 出たところで見えたのは、自販機も揃った休憩用のホールだった。円形の机がいくつか置かれており、入院患者やその身内らしき人々が利用している。


「あ、こっちこっちー!」


 病院とは思えないぐらい、底抜けに明るい声。

 ただ、由利音に比べると幼さというか、無邪気な印象を受ける。二つ年下と聞かされたし、間違った感想ではないだろう。

 目的の少女は、一番奥の椅子に座っていた。


「えっと……」


「角利さん、だよね? アタシはヴィヴィア。お姉ちゃんがお世話になりました」


「い、いや、こちらこそ」


 深々と頭を下げ、それからも角利は立ったまま。

 フェイの妹――ヴィヴィアは隣りの椅子を叩いている。どうも座れというジェスチャーらしい。

 指示に従ったところ、彼女は舐め回すように角利を観察し始める。

 姉と同じで、ヴィヴィアも目を惹く容姿の持ち主だった。

 フェイと違って、彼女は髪を短くしていた。少女らしい可愛さの中に、少年のような活力が混じって見える。

 特に表情。フェイは基本的に鉄面皮だが、ヴィヴィアは笑顔が良く似合う。こうしている今もそうで、姉が知人を連れてきたことを喜んでいるらしい。


「ね、ねえ、角利さんってお姉ちゃんとキスはしたの?」

 

 とんでもない爆弾発言だった。

 恋愛脳とはまさにこのこと。誤解以外の何でもなく、普段の姉妹仲に首を突っ込みたい気分になる。


「なんでそうなるんだ……俺は君のお姉さんと、今日会ったばっかりだぞ」


「え、そうなの? アタシはてっきり、二人が男女の関係なのかなー、って」


「階段を何段すっ飛ばす気だ……」


 大体にして彼女、恋愛に興味が無さそうな気がするけれど。

 しかしヴィヴィアの反応は、こちらの推測を否定するものだった。


「お姉ちゃん、警戒心が結構強いからね。臆病、って言ってもいいのかな? 異性同性を問わず、事務的な対応を取ることが多いんだけど……」


「な、なんだ?」


 彼女はまた顔を近付ける。少しでも押されたら、接触事故を起こしそうな至近距離。離れなければと思うが、好奇心一杯の瞳に吸い込まれていく。

 フェイと同じ美少女なのもあるだろう。時間が立つにつれて、この状況を幸せに思う自分がいた。


「角利さん、誰かに似てる。誰かな……だからお姉ちゃん、すぐ懐いたと思うんだけど」


「動物みたいだな……」


「一線を越えると直ぐデレッとする辺り、猫みたいじゃない? ――あ、分かった! オジサンだ!」


「ちょっと待て! 俺はれっきとした17だぞ!?」


「いやそういう意味じゃなくて! 私たちの生活を支援してくれる人のこと」


「支援?」


 何だか、入ってはいけない領域に足を突っ込んだような。

 急いで話題を切り替えようとするも、手遅れだった。ヴィヴィアは何食わぬ顔で、重い過去を告白する。


「うちの両親、アタシ達が小さい頃に亡くなっててね。もう十年以上かな、金銭面とかで助けてくれてる人がいるの。御法、って名前のお爺さんなんだけど」


「――俺の祖父だ」


「えっ!?」


 ヴィヴィアはまたもや目を輝かせる。姉のことを猫だと言ったが、この子の方がよっぽど猫らしくないだろうか。


「ど、どうして知ってるの!? もしかしてストーカーさん!?」


「歪みきった解釈は止めろ! ただの孫だよ!」


「えー、ホントー?」


 本当だ、と答えてから生徒手帳を差し出す。身分の証明には十分だろう。

 彼女もきちんと目を通してくれるが――首を傾げてばかりで、角利の答えに納得しようとはしない。


「――本当に孫? あのオジサン、凄腕の魔術師だと思ったんだけど」


「申し訳ありません不遜ふそんの孫で」


「……成績だけ見ると冗談にならないから止めよ? っていうか、あの人に孫がいたなんてねー。意外」


「まあ爺さん、そこまでお喋りじゃないしな」


 祖父が一緒に住んでいた頃を思い出す。

 彼は職人気質な男で、無駄な話を好まなかった。人生にハッキリとした意味を見出し、寄り道をしない性格だからだろう。

 お陰で近寄り難い人物像に仕上がっていたと思う。反面、頼れるのも間違いなかったが。


「裏を返せば真面目な人なんだと思うぞ? 今だって、セイメイの学長やってるぐらいだからな」


「へー、偉い人なんだ。確かに雰囲気のある人だよね」


「歴戦の猛者だからな。魔術師の現状について、あの人以上に熟知してる人もいないだろ」 


「……何か、生活を支えてもらったのが申し訳ないような」


「別に悪く思う必要はねえって」


 御法も好きでやっていることだ。珍しいと言えば珍しいのだが。

 ……確かに少し引っ掛かる。病にかかった人間の支援は、祖父が最も嫌うところだ。学長へ就任する以前、この病院からセイメイの名を捨てろ、なんて豪語していたぐらいだし。

 心境の変化でもあったんだろうか? それなら正直、四治会にも支援して欲しいのだが。


「ねえねえ、角利さんはお祖父さんのこと、どう思ってるの?」


「尊敬はしてる。魔術だって、あの人から教わったようなもん――っ」


 そこには、父と母の姿もあったっけ。

 目眩と頭痛。心情が行き着くのは、禁断の記憶に触れた痛みだけだ。事前情報を知らされていないヴィヴィアはうろたえるしかない。

 医者を呼ぶことも提案する彼女だが、角利は首を横に振る。大丈夫だと。しばらくすれば収まると、必死に呼吸を繰り返す。


「――はぁ、悪い」


「い、いや、本当に大丈夫? すっごい顔色悪いよ?」


「大丈夫だ。しばらくすれば――」


「会長!?」


 驚くというより、悲鳴に近い声。

 急いでやってきたフェイが、信じられないという顔付きで立っていた。


「急いで専門家のところへ行きましょう! ここなら魔術師の医者もいます!」


「へ、平気だ、このぐらい――」


「真っ青な顔で言われても困りますよ。さあ、肩を貸しますから」


「はあ……」


 よけい沈んだ気分になるものの、大人しく従うしかなさそうだ。自分がこんな状態じゃ、姉妹もじっくり話したり出来ないだろうし。

 前をフェイから、後ろをヴィヴィアに支えられて、角利はゆっくりと腰を上げる。

 ホールを去ろうと歩き始めた、そのちょっと前。


「――?」


 ヴィヴィアの左手が視界に入る。指先まで、包帯で窮屈そうに撒かれた左手だった。

 しかし大きさが合ってない。少女の体格に対し、一回り以上大きいような。


「さ、行きますよ」


「あ、ああ」


 本人がいる手前聞き返すことも出来ず、角利はエレベーターを目指して歩く。

 じゃあね、と手を振るヴィヴィア。


「……お姉ちゃん、奥さんみたい」


 最初っから変わらない妄想を、羨ましそうに零していた。


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