第4話 満身創痍

「気でも狂いましたか? 会長。貴方も魔術師であるなら、このような下賎な輩は憎悪するべきです。ましてや庇うなど」


「……何も殺す必要はないだろ。それこそ俺達が悪人になる。日本は法治国家じゃないか」


「……」


 説得力に欠けているかもしれないが、角利なりの正論だった。

 しかしフェイの表情は能面のように固まっている。これじゃあ外れを暴露されているようなもんだ。油断も隙もありゃしない。

 予想通り、これ見よがしの嘆息だった。


「貴方もそうなのですか。孤高であることをあきらめ、生きることに固執すると」


「べ、別にそういうわけじゃ――」


「なら何だと言うのです?」


 言うが早いか、彼女の全身が魔力の光で覆われている。魔剣に追加して魔術を発動させる予兆だ。青年は戦力にならなさそうだし、対抗するには角利が魔術を使うしかない。

 だが、それは無理だ。

 身体が震えている。

 急激な吐き気と頭痛。嘘のように低下する体温。フェイの姿を直視するのが精一杯で、誰かを守れる余裕なんてありはしない。

 ましてや魔術の行使なんて。

 ああ、思い出したくもない、真紅の海が蘇る。


「会長……?」


 フェイも、こちらの異変に気が付いたらしい。一瞬だけ敵意を緩める。

 しかし。


「こ、この僕を無視するのか……!」


 青年は茹でダコのように赤い顔。歯ぐきから血が滲み、秒刻みで憎悪を重ねている。

 守ろうとした角利は困惑し、フェイはただただ呆れるだけ。復帰し始めている浮浪者たちの方が、よっぽど現実味のある脅威だからだろう。


「殺戮者の分際で、価値だの権力なんぞ語るんじゃい! 死ねっ! 汚らわしい連中に囲まれて死んでしまえっ!」


 直後。一番の脅威めがけて数十の刃が殺到する。


「フェ――」


 杞憂きゆうも束の間。

 瞬きすら許さない一瞬で、襲撃者たちが蹴散けちらされる。再び立ち上がろうとする者は一人もいない。

 圧倒的な力による蹂躙じゅうりん。実技評価Sの実力を再び垣間見て、角利は唖然あぜんとするだけだった。逃げてくれ、と頭の中で必死に繰り返しながら。


「さて会長、私を止めますか? 評価Eの実力では足止めすら叶わないと思いますが」


「大層な自信だな……」


「いいえ、必然的な結論と仰ってください。ほかの魔術師が見たところで、同じ言葉を口にするでしょう」


 まったくその通り。魔術を発動していない人間など、時間稼ぎの壁にもなるまい。

 角利に出来るのは言葉を使うぐらいだった。せめて後ろの青年が逃げてくれれば。自分一人なら最悪、逃げ切れる自信はある。フェイはこの辺りの地形に詳しくない筈だ。


「……一度も抵抗していない相手を切るのは抵抗があります。そのままじっとしていれば、見逃しても構いませんよ?」


「そりゃどうも。でも後々、後悔するって分かってるんでね」


「なら仕方ありません」


 剣を掲げる。未だ精神的な問題が解決できない角利へ、力の意思が示される。

 しかし、変化は他にも起っていた。

 魔剣と同じ仕組みで、鎧が成る。女性らしい輪郭を残したままの全身甲冑フルプレート。海のように深い青は彼女の瞳と同じで、角利が叩き付けた感情を見透かすようだった。

 怖いんだろう、と。

 言葉での解決を望んだ臆病者をけなして、心理の瞳が覗いている。


「会長、意思があるのなら剣を抜きなさい。自身を肯定するのなら、力で以て私を屈服させなさい。でなければ私は、信念に則った選択を取るまで」


「……」


 それでも角利は動かなかった。フェイを正面から睨み、力を用いない解決に固執する。

 どこか聖職者じみた、清々しいまでにみがかれた意思。

 彼女はそれを、鼻で笑うことしかしなかった。


「理想論者、と言うのでしょうね。誰も傷付けず、和解を手にしようとするのは。ですが――」


 振りかざされる魔剣。

 彼女の瞳は、もはや慈愛の欠片すらなく。


「無力な者が行き着くだけの、妥協だきょうでしかありません」


 一閃のもと、両断する。

 ――筈だった。

 浮浪者の一人だ。相当な金が約束されているのか、満身創痍でも立ち向かってくる。

 この気を逃さず逃げるしかない。青年を説得する必要もあるが、彼だってフェイがどれだけ危険なのか分かっている筈だ。

 棒立ちしている青年の元へ、角利は善意から歩み寄る。


「寄るな!」


 頭ごなしに怒鳴られた。

 拒絶を体現するのは雇われた浮浪者たち。魔術を使っていない相手だろうと、喜々として魔剣を手にする。

 角利はなおも魔術を使わない。いや使えない。

 過去の傷を開くなんて。それを連想する状況で、どうやって成せと言うのか――


「ふ――!」


 割り込んだのは、青い矮躯だった。

 彼女はその後も敵と対峙する。まるで角利を庇うように。

 しかし甘えるわけにはいかない。反対しなければ、彼女は殺人を犯してしまう。


「っ――」


 その光景を思い描いた途端、全身の悪寒が強くなった。

 振り払おうと、角利は何度も首を振る。が、効果は表れない。妙な話だがこのままじゃフェイの足枷になってしまう。

 落ち着けと心で唱えるものの、呼吸は荒くなる一方。思考は千々に乱れ、優先すべき目的すら見えなくなる。

 真後ろで響く剣戟けんげき。急げと頭でいくら命じても、身体は言うことを聞かない。

 頭の中に過るのは、血の海。自分が何かを、大切なものを断った事実。

 誰が? 誰かを? 

 どうしようもなかった? 

 いや違う、自分が、この手で――


「はあっ!」


「ぐ……」


 轟音と共に、戦いの音色が途切れる。

 どうにか振り向いた先にはフェイがいた。彼女は呼吸すら乱さず、淡々と獲物を見下ろしている。

 青年の気配はいつの間にか消えていた。こちらが苦悩している間に逃げたんだろう。フェイが近付いてきた辺り、角利の後ろへ向かったのか。

 足元が覚束ないまま、壁として立ち上がる。


「……可能なら動機をお答え頂けますか? 社会の規則、なんてものはくだらないので、他で」


「そうだな……」


 冷静に考える余裕はない。本能的な、反射的な解答が喉を突く。


「あんな奴のために、フェイが間違いを犯すのは変だろ」


「面白いことを仰いますね。ですが――」


 逃げられない。他に浮浪者が動く気配もなく、絶望的な構図に固まっていった。


「貴方に、私の何が理解できると?」


 短過ぎる挨拶。振り下ろされる無情の剣。

 それが、男の矜持きょうじに火をつけた。


「っ――!」


 風が舞う。莫大ばくだいな魔力が、実体を帯びる前から現実に干渉していく。

 顕現けんげんする漆黒の魔剣。

 美しさすら備えた片刃の長剣が、フェイの一撃を受け止めた。


「……ようやくその気になりましたか」


 至近距離を危険と断じたらしく、彼女は跳躍して距離を取る。

 事実重い腰を、ゆっくりと上げる角利。背後には青年が逃げたであろう路地裏が。ここは絶対に通せない。

 彼が死ぬのは勝手だが、誰かに殺させるのは認められない。

 幽鬼にでも間違われそうな眼光。失神の一歩手前で、少女達の壁になる。


「う――」


 限界は直ぐ訪れた。

 膝から折れた角利は、全身の震えに足掻あがくのみ。……くそっ、情けない。魔剣を出した程度でこのザマとは。


「既に満身創痍でしたか。――まったく」


 真意の分からない嘆息を零し、フェイがこちらに近付いてくる。

 この瞬間、確かに角利は諦めた。

 やっぱり、自分には無理だったと。

 しかし一人、戦力になる存在が残っていた。


xifos!」


 青年の声が、フェイの進行をおさえこむ。

 その隙を狙い、青年は角利の腕を掴んだ。頭上にはフェイへ降り注ぐ剣の群れ。魔剣と同様、武装召喚と呼ばれる魔術の一環だ。

 鎧には掠り傷も与えられないが、時間を稼ぐ点では十分。それ以上の成果なんて望むもんじゃない。

 選ぶ逃走ルートは建物と建物の隙間。

 希望へ縋るように、二人は裏手へと進んでいく。

 青年に助けられた――そんな、疑いたくなる結末と共に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る