第3話 彼らのお仕事
魔術ギルド・四治会は自宅と事務所、喫茶店を兼ねている。
とはいえ、後者二つは半ば同じ扱いだ。ギルドのメンバーはいつも、店内で組織の運営を話し合っていた。完全に別枠で考えるべきなのは自宅ぐらい。
「ふう……」
その一階。両親の遺影が見守る居間で、角利は昼食を終えたところだった。
後片付けは弁当の空箱をゴミ袋に投げるだけ。使った愛用の箸は、学校が終わってから洗うとしよう。客を待たせているわけで、可能な限り時間は節約したい。
まあそれでも、両親への報告ぐらいは済ませようか。
「父さん、母さん、新しい人が入りそうだ」
物言わぬ笑顔の二人。この行為に意味を見出せないまま、気持ちの整理として話を続ける。
「これでやっと、うちも再スタートになると思う。……まあ息子が困ってると思った時は、夢にでも出て助言してくれ」
じゃ、と一言。表の物音が止んでいることに興味を引かれ、
店の方はどうも電気がついているようだ。まあ掃除をするにあたって、照明なしでは辛いものがある。昼間から電気を使うのは正直、抵抗感もあるのだが。
靴を履いて、角利は早足で店の中に入る。ほこり臭いんだろうな、と小さな覚悟で身を固めて。
――しかし待っていたのは、清潔の限りを尽くした空気だった。
塵一つ見当らない、とはまさにこの光景を差すんだろう。床はワックスでもかけたように艶があり、靴で歩くのを戸惑わせる。天井にあった蜘蛛の巣も綺麗さっぱり撤去されていた。
無残に転がっていたテーブルや椅子も同じ。年月の腐敗を一つの味に変えかねないほど、徹底的に磨きあげられている。
両親が管理していた当時を思い出させる――いや、それ以上の出来栄えだ。
「あら、お昼は済みましたか?」
そんな眩しい世界の一角。フェイは一人、優雅にコーヒーをたしなんでいた。
何処から出したと聞きたくなるが、雰囲気に圧倒されて何も言えない。まるで絵画の一場面。高貴な令嬢が食後の一杯を楽しんでいるような、完成された構図だった。
質問に肯定も否定もせず、角利はそのまま反対側へ座る。
「……こ、これ、全部フェイがやったのか?」
「はい、隅々まで整理整頓を。インスタントですけれど、コーヒーも補充しておきました。食器も一つ残らず洗ってあります。喫茶店としての再開はまだまだですが、ギルドの拠点としては満足に動くかと」
「ど、どうも……」
コーヒーブレイク中の彼女は、頷きの代わりに小さく顎を引いた。
にしても、本当に驚かされる。角利が食事のため自宅にいたのは、長く見ても二十分そこいら。彼女一人ではどう考えても、床の掃除で限界だったろう。
だがその仮説を批判するように、窓からは薄い陽光が差し込んでいる。ビルの間から綺麗に差し込んできた光だ。カーテンがいつの間にか開いているお陰で、店本来の温もりが数年ぶりに吹き返している。
「な、なあ、どうやってやったんだ?」
「簡単なことです。――あ、皆さん、お疲れさまでした」
フェイが労うのは、角利の背後。
振り向けば雑巾やら箒、清掃用具一式があった。
ていうか、動いてる。独りでに。
清掃用具達はそれぞれ、挨拶するような身振り? を行った。……みんな汚れに汚れている。自分の怠慢ぶりが
「では支払いは改めて。可能な限り汚れを落としてからお帰り下さい。最終的な後片付けは私が責任を持ちますので」
フェイが両手を鳴らすと、彼らは一斉に動き始めた。
雑巾は外のバケツで水を絞り、箒はついたままの埃をゴミ箱へ落としていく。まるで精巧なロボットだ。もちろん彼らには機械どころか、金属だって使われてないだろうけど。
角利は
「凄いな……」
「妖精の派遣業務を行っているギルドに依頼しただけです。状況は限られますが、便利ですよ、彼ら」
「よ、妖精の派遣? 初耳なんだが……」
「無理もありません。彼らは非常に悪戯好きで、高位の魔術師にしか従いませんから。複雑な作業には不向きですし、根本的な性質上、利用料金が高いので」
「悪徳商売にしか聞こえん……」
でも、魔術社会では珍しくない話だ。
魔術とは基本、特権に近い。遺伝的な才能がなければ使えず、例外はごくわずか。魔術師自身の成長もかなり限定的で、生まれながらの素質が成否を決めている。
言ってしまえば、血統を重視した中世的なシステム。権力を手にした勝者たちの
しかし、近代化の波がすべてを砕いた。王制の絶対性が失われていくのと同じように、魔術は
「正直、お掃除ロボットでも買った方がマシでしょうね。短時間で労働力を動員するには、悪くない選択ですが」
「……人を雇った方が安いとか、そういうオチもありそうなんだが?」
「あら、よくご存じで」
微笑してから、彼女はコーヒーを一気に飲む。
妖精たちもちょうど仕事を終えたらしい。きっちり絞られた雑巾が、自らカウンターの上へ転がる。
「では学園に戻りましょうか。今からでしたら余裕でつきます」
「それがいい。さすがに俺も、遅刻はしたくないんでね」
空になったカップは洗い場に。せっかく妖精たちが頑張ってくれたんだ、帰ったら忘れずに片付けよう。
店の出入り口を閉め、二人は同じ方向へ踵を向ける。
来る時と同じ景色が広がっているが、心なしか色合いは別にも見えていた。恐らく心情の変化だろう。真相はどうあれ仲間を得たことに、自分は強い安心感を抱いているらしい。
「……にしても、どうしてうちへ? 君のレベルだったらもっと良いギルドがあるだろ?」
つい、疑問が口を突く。濫りに聞くべきじゃないだろうに、好奇心が優先されてしまった。
しかし杞憂は無駄に終わる。彼女はキビキビとした姿勢のまま、変わらない口調で喋り出した。
「こういったギルドなら、私の力が存分に活かせると思いまして。大手はすでに自立しているわけですから」
「な、なるほど。乗っ取らないように注意する」
「ええ、そうしてください」
長い髪を首の辺りで抑えながら、フェイは角利の一歩前へ。力関係で負けているような気がして、すかさず横に並ぶ。
あとは雑談もない無言。重苦しい空気は予行練習だと思って耐えるしかない。
しかし正面。路地の出口からは、まだ数メートルも離れた場所。
赤いローブを羽織った、一人の青年が立っていた。
「フェイ・モルガンだな?」
「……」
少し間を置いて、彼女は首を縦に振る。
青年は満足気に頷いた後、一度だけ指を鳴らした。
途端、二人を囲むように浮浪者たちが集合する。それぞれの手には淡い光。魔術の行使を秒読み段階にまで控えているのは間違いない。
「何のおつもりで?」
淡々と言い返すフェイ。ある意味、挑発とも取れる言動だった。
なので。
青年は即座に感情へ火をつける。手にしている紙を握りつぶし、こめかみに青筋を浮かばせて。
「我々の誘いを断るとは、どういう了見だ!? ましてやこんな弱小ギルドに所属するなど……! 東京で五本の指に入るギルド・テュポーンと知っての狼藉か!?」
青年はみっともないぐらいにまくし立てる。もう少し煽れば、泡でも吹き出しそうな錯乱ぶりだ。
テュポーン。ギリシャ神話に登場する、怪物の名を頂いた大手ギルド。確か政府にも繋がりがある大御所だ。
呼び掛けられた少女は、しかし平然としたまま。
角利の方は、青年の意見に納得するしかなかった。それが当り前のこと。所属を選べるほど、現在の魔術師業界は豊かじゃない。
「気に入らなかったので」
などと。
もはや挑発を超えて、少女は敵意を叩き付けていた。
「私は群れている魔術師が嫌いです。それは魔術の価値、権威を恥かしめるモノ。私たちが希少な存在である以上、群衆となる必要はないでしょう?」
「な――」
青年の態度は一転、驚愕へと切り替わった。
現在の魔術師を否定する発言。その特権と価値を掲げる者は、決して少ないわけではない。世代としては少し前、角利の祖父ぐらいにまで遡るのだが。
故に、青年は意外を感じたのだろう。角利も唖然とするだけだった。まさか祖父と同じような思想を、同い年の少女が語るとは。
「ち、血迷っているのか!? いま時、そんな化石のような理想を――」
「結構です。私の信じるものを、赤の他人にまで共有してもらおうとは思いません」
「……そうかね。では君達」
「っ」
殺意に満ちた目が二人を睨む。浮浪者も含めて、数は十人強。評価Sのフェイ一人でもどうにかなる人数だ。
しかしこの状態で倒していいのかどうか。相手が大手ギルドである以上、逆に問題を深刻化させてしまう。
「死ね」
傲慢な性格に雇われ、浮浪者たちは一斉に飛び掛かった。
しかし一閃。
迷いもなく、フェイが彼らを
「――」
開いた口が塞がらないのは、角利も青年も一緒。
宙に打ち上げられた、敵勢は生々しい音を立てて落ちてくる。全員が呻き声を漏らしている辺り、死者は出ていないらしい。
もちろん、今後については分からないが。
「ひっ」
フェイが一歩、前に出る。
青年は怯えて後退するだけだ。直ぐ反撃しない辺り、戦闘系の魔術師ではないらしい。すっかり青ざめて、走り出す瞬間を探っている。
彼女は本気だ。威嚇しているわけではない。横からも分かる侮蔑の眼差しを、怯えきった魔術師に向けている。
手に握られているのは一本の剣。魔力で編まれた、魔剣と呼ばれる代表的な魔術だ。浮浪者を打ち上げたのもソレによる一撃だろう。
あふれるばかりの殺意。青年が向けたものが
このままじゃ、取り返しのつかないことになる。
「止めろっ!」
庇う必要なんてないのに、ついつい漏れてしまった本音。
同じだけの敵意が、角利に向けられた瞬間だった。
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