第2話 目覚め、そして美少女

「ん……!」


 十分だったか、二十分だったか。

 感覚だけで測るなら数時間は眠った気分だ。眠気も綺麗さっぱり消えている。これなら午後の授業は、万全の状態で挑めるだろう。

 グッと背を伸ばして、ふと違和感を覚える。

 明るい。気のせいでは済まない程度に、眠る前と比べて部屋は明るくなっている。

 間違いなく、誰かが部屋の電気を点けたんだろう。……しかし誰が? 由利音はこの喫茶店に入ってこないし、数少ない友人にだってここは教えていない。


「……?」


 一人疑問を深める中、真後ろから衣擦れの音が聞こえる。

 振り向けば、女の子がいた。


「は?」


 着替えてる。

 彼女はこちらの視線に気付く様子もなく、テキパキと衣類を脱いでいった。露わになる白い肌と、細い線。雪をまとっているような純白で、何も考えず見惚れてしまう。

 背丈から察するに、角利とそう年齢は変わらないだろう。いつの間にか着始めた制服は自分の物と同じで、追加の納得感を与えてくれる。

 少女の動きは、早着替えが得意です、と言わんばかり。下着が見えたのは一瞬だけだった。


「……」


 いやいやいや、待て。どう考えてもおかしい。

 これは夢か? 思春期の少年が己の願望通りに作り上げた偽物か? 


「あの……」


 試しに、声を掛けてみる。

 少女は跳ね上がるように肩を震わせた。着替えは殆ど終わっているものの、角利が起きていることは意外だったらしい。

 威嚇いかくするような目で、彼女はこちらに振り向いた。

 今度は角利が肩を振るわせる番。彼女の視線は人並み以上に鋭く、親の敵を睨むよう。そりゃあ肌を見られたかもしれないわけでし、無理のない反応だ。整った容貌ようぼうも、その威力を倍にしている。


「どちらさまで?」


 口にした途端。

 床に転がっている椅子が、真っ向から角利にヒットした。

 理不尽だと反論する間もなく、仰け反った姿勢が天井を仰ぐ。





「……」


「……」


 ちょっとした騒動が終わり、少年少女はテーブルを挟んで向かい合っていた。

 椅子の直撃を受けた角利の顔はほんのり赤い。幸いにして痛みは引いているものの、これは文句の一つでも言いたくなる。自分はただ、自分が所有する建物で寝ていただけなのだし。

 一方、少女も顔の赤さは抜け切れていなかった。

 恥かしさからか、怒りからか。しかし角利にとってはどちらでも良く、可愛らしいものにすら見えてくる。

 名も知らない魔術師は、筆舌に尽くし難いほどの美少女だった。

 生真面目で大人びた顔と、鋭い目。大企業に所属する美人秘書を思わせる。肌も始めてみた時の印象を変えず、赤面のほどが一目で分かった。

 年齢を考慮しないのであれば、美少女、よりも美女の称号が似合う。きっと学校では男子生徒から注目の的だろう。――刃のように鋭い視線を、何も思わないのであればの話だが。

 この美少女についてはそれが惜しい。今も角利を見つめる彼女は、敵意以外の一切がなくて――ああいや、だから仕方ないんだって。

 ともあれ、容姿以上に印象的な目をしているのは間違いなかった。色は深い青。雲ひとつない空のようで、淀みというものが見当らない。

 髪は金色で、腰の辺りまでストレートに伸ばしている。染めた色というよりは血筋からの純粋な色だ。特別な身分の少女ではないかと、直感がささやいている。

 なので余計に角利の身は固くなった。外国人と話したことはないし、そもそも彼女、日本語大丈夫なんだろうか?


「……」


 少し息を吸って、思考を自分の中に戻す。

 罪状は一つ。彼女の生着替えを見てしまった。当り前のことだが酷くご立腹で、明確な謝罪でもしなければ動けたもんじゃない。多少は向こうにも非があろうとだ。

 どうにか肩の力を抜いて、角利は改めて美少女を見る。


「――一つお伺いしたいのですが」


 凛とした、部屋の隅々まで響く美声だった。

 行動の意味を計りかねるまま、角利は首を傾げる。しかし向こうは、それを了承と介したのだろう。可憐な唇が短い前置きを作っていた。


「こちらの魔術ギルド、まだ存在はしておいでですね?」


「え? あ、ああ、登録料は一応払ってるからな。見た目こんなんだから、活動してるとは言い難いが……」


「ええ、存じ上げております。何でもご両親が亡くなって以降、ご子息のみが残ったとか。政府の認定している仮ギルドに分類されていますね? 一人の会員メンバーしかいないのであれば」


「……ああ、そうだよ」


 認めるのも悔しいが、誤魔化す方がもっと恥かしい。

 魔術師の集まりである、魔術ギルド。四治会はその一端だ。喫茶店の外観をしているのは、両親の気遣いと、切実な事情が一つある。

 日本政府は、ギルドに対して高額の税を課しているのだ。

 就職難の魔術師たちを支援するための政策らしい。一般市民から徴収するわけにもいかず、魔術師同士の支援、という形でギルドに税が課されている。

 組織自体の認可に必要なため、角利が口にしたように登録料と呼ぶのが一般的だ。

 ……その登録料で経営不振に陥ってるギルドからすれば、皮肉以外の何でもないが。


「成程。でしたら、私がここに来た理由も、察して頂けますね?」


「い、いや、直接言って貰わないと」


「では改めて。――私、フェイ・モルガンは、このギルドへの所属を希望します」


「え」


 驚くというか、呆れるというか。

 フェイ、と名乗った美少女は迷いのない瞳を角利に向けている。成程、熱意については確からしい。ギルドは二人以上の会員がいないと仕事を引き受けられないし、願ったり叶ったりの提案である。


「一応、手帳を見せてもらっていいかな?」


 フェイは躊躇ちゅうちょなく、掌サイズの手帳を差し出した。

 表には魔術師育成学園・清明と。やはり同じ学校の生徒らしい。これだけの美少女なら、顔ぐらい知っていてもおかしくなさそうなものだが。

 目当てのページに向けて、角利は裏側から捲り始めた。

 この生徒手帳とも呼ぶべき物は、魔術師としての能力を記している。就職活動において必須のアイテムで、先の職業案内所で角利も見せた。……事務員の渋い顔は、常人に真似できないレベルだったと思う。


「な――」


 指を止めたところで、絶句した。

 彼女の手帳、すべての成績で最高評価が記されている。

ありえない。こんな成績、大手のギルドからお誘いが来るぐらいじゃないか? 少なくともこんな、消滅寸前のギルドに来る魔術師じゃない。

 手帳に視線を落とす中、分からないように彼女を一瞥いちべつする。――やはり油断も隙もなく、選定される側としての緊張感で一杯だった。


「……」


 角利の手帳であれば、E、が記載されている筈の実技項目。フェイは堂々のSである。

 ありえない、と角利は頭の中で復唱した。実技項目は基本、優秀な生徒でもAしか取れないよう設定されていると聞く。曰く、明確な壁を用意することで、学生の質を保つんだとか。

 フェイと名乗ったこの少女は、そんな壁すら超えたらしい。

 頼もしく思う反面、混乱する。こんな天才、四治会が最盛期の頃だってやってこなかった。新手の詐欺か? これ。

 しかし、これはチャンスだ。みすみす逃したら、一生後悔する。

 裏の事情は間違いなくあるだろう。ただ魔術師として活動したいのなら、彼女は座して待つだけでよかった。にも関わらず、わざわざこんな場所にまで出向いている。


「分かった。じゃあ、今日からでも宜しく」


 背に腹は変えられない。

 彼女が信じるに足る人物であると、自分に言い聞かせるしかない。


「ありがとうございます。――ではさっそく、この辺りの清掃から始めても宜しいでしょうか? 会長はこれからお昼でしょう?」


「あ、ああ、そうだけど……いいのか?」


「ご心配なく。家事は得意です」


「いや、そうじゃなくて――」


 フェイは事務的に頭を下げると、直ぐ行動を開始した。埃まみれのテーブルや椅子を、店の外へと持ち出していく。細身に見えて案外と力持ちらしい。

 お陰で室内は一瞬にして埃まみれとなった。とてもじゃないが食事をする場所ではなく、角利は急いで店の奥へと避難する。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! マスク取ってくる!」


 何の用意もない状態じゃ、彼女が酷いことになりそうだ。

 慌しい足取りでマスクを探しながら、しかし角利は思う。

 この店が騒がしくなるなんて、いつ以来の話だろうかと。

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