第一章 EとS

第1話 失敗活動

 東京都、代々木。

 その一画にある職業案内所で待ち続けて、数十分。辺りは職を求める大勢の人々で埋め尽くされていた。

 彼らの間を走っていくのは、担当の事務員達。あくまでも平静な顔を浮かべる者がいれば、何とか問題を解決できないかと悩んでいる顔まで十人十色だ。

 動いている人影をふと目で追うが、残念ながら自分の担当者ではない。別の事務員が来る可能性もあるが、もう少し時間は見込んだ方が良さそうだ。

 とは言え、過ぎれば過ぎるほど心は不安になる。

 待合室に置かれたテレビも、その気持ちを拭い去ってはくれない。むしろ番組の内容からして、あおっている有様だった。

 彼らの最前線――そんなタイトルのドキュメンタリー番組は、ここに来る者が憧れた姿を映し出している。

 だから、それが余計に重い。


四治しおさめさん、四治角利かくりさーん」


「っ、は、はい!」


 憂鬱な心情とは裏腹の、ハッキリした声。角利と呼ばれた学生服の少年は、手招きする事務員のもとへ駆け出した。

 不意にいくつもの注目を実感する。普通この時間、学生が学校で机と向き合っているからだろう。もちろん外出許可は取っているので、角利が背徳感を感じる必要はないのだが。

 期待と不安を半分ずつ、受付の一つに腰を降ろす。


「えー、では審査の結果なのですが……」


 申し訳なさそうに、しかし淡々とした口調。

 彼らからすれば当り前の現実が、角利の前に突き付けられた。


「四治さんの条件では、我々の方から仲介できる組合ギルドはありません。学生をピンポイントに集めている場所へも声は掛けますが――」


「期待は出来ない、と?」


「はい、残念ですが。……座学の成績で一定のものを押さえていても、実技が最低評価では、正直……」


 つける職はありません――事務員の顔は、そんな真実を飲み込もうと必死だった。

 しかし、予想通りの展開ではある。角利は冷静に、胸の中の失望を出さないよう腰を上げた。……やや勢い余ってしまう辺り、一抹の希望がやっぱりあったんだろう。

 事務員もそれを察してか、同情の籠った視線を向ける。


「我々としましても、四治さんのような魔術師には出来る限りの支援を行っていきたいと考えております。しかし、こちらにも限度がありまして」


「あ、はい、大丈夫です。まだ心当たりはありますんで」


「そうですか。……何か進展がありましたらご連絡を差し上げますので。どうか、諦めないでください」


「……はい」


 気休めだろうけど、やっぱり安心感はある。

 事務員に一礼して、角利は待合室をそのまま抜けた。さっきまで見ていたテレビには、もう別の番組。まったく雰囲気が違う辺り、誰かが局を変えたのかもしれない。

 まあ当然だろう。ここに来ている者――魔術師たちは、みな無職だ。成功者の輝かしい歴史を扱う番組なんて、胸倉をつかんで投げ飛ばしたい気分になる。

 人混みを抜けて、外に出た。

 頭上には、高らかに掲げられた看板が一つ。

 魔術師・職業案内ギルド。

 それが高校二年生、四治角利が入っていた建物だった。


「……さて、そろそろ昼だな」


 名残は一切残さず、ちょうど青になった歩道を駆け足で渡る。

 周囲を囲うのは鉄とコンクリートで作られた建物ばかり。魔術師、なんてファンタジーな名前の看板を掲げるには、いささかどころか正反対とも言える印象の町だった。

 しかし、どんな言い訳をしても現実は現実。

 電気が通い、コンクリートで塗られ、自然を切り開いた科学の文明には――社会的地位として、魔術師なんて種族が存在していた。

 もちろん、その称号に嘘は一つも混じっていない。箒で空を飛ぶし、火や水を起こしたり、はたまたそれを操ったりする。

 近代技術の先輩、とでも言うべきだろうか。実際にこの東京も、かつての支配者は魔術師だった。一般人は彼らを崇め、その恩恵に携わるだけの存在だった。

 しかし科学の発展で、すべては用無しになる。

 空を飛ぶには飛行機が、ヘリが。水は水道によって管理され、火はボタン一つでつけられる。

 必然的に、それらを生業にしていた魔術師は職を失った。十数年前から影響は問題視されていたが、決定的な解決策が出ないまま現在に至っている。

 影響は当然、学生にも及んだ。

 西暦二〇一五年の今年。魔術師の育成学園に通う半数の生徒は、卒業後に就職することが不可能だと言われている。

 このままでは来年の今頃、路頭に迷うのがせいぜいだ。


「――っと」


 気付けば、馴染みのコンビニについていたらしい。

 いらっしゃいませー、と角利を迎えるのは、店の看板娘とも言える女性店員だった。青い縦縞の制服を着た彼女は、こちらと目が合うなり片手で挨拶する。


「おっす、角利君。今日も由利音ゆりねさんのことが恋しくなっちゃったかな?」


「あー、由利音先輩より弁当の方が恋しいッスね」


「ええっ!? ひどーい!」


「――あはは」


 わざとらしく頬を膨らませる彼女に、角利もつられて笑顔が出る。

 可山かやま由利音ゆりね。年齢は二十五。角利にすれば随分と歳の離れた先輩であり、どちらかと言えばお姉さんのような印象である。後頭部で結んだポニーテールがトレードマークで、本人も大のお気に入りだとか。

 看板娘とだけあって、由利音はれっきとした美人だ。このコンビニを利用する男性客の何割かは、ファンになってるとの噂もある。


「ありゃ、また唐揚げ弁当? 同じ物ばっかり食べてると栄養が偏るよ?」


「いやあ、好きなもん食おうとすると、だいたいこうなっちゃって。やっぱ少しは自炊した方が良いッスかね?」


「安上がりになるからねえ。何ならお姉さんが手取り足とり教えてあげよっか?」


「うち、ガスも電気も通ってないッスよ?」


「――」


 暗い話題に踏み込んだ所為か、ごめん、と由利音は謝罪する。

 しかしデリカシーに欠けていたのは角利も同じで、直ぐに相打ちの形となった。


「……でも、今月は大丈夫なんじゃなかったっけ? 学園から支援金もらったって聞いたけど」


「今月は、ですけどね。また来月になったら滞納ッスよ。そりゃああれば便利なんスけど、無理にやっちゃうと――」


「住んでる場所を手放さなきゃならない、か。……ねえ、いっそのこと手放したら? 確かにあの家は、亡くなったご両親の形見みたいなもんだろうけど――」


「出来るなら残したいんですよ。俺、両親が死んだ時のことよく覚えてませんし」


「でも……」


 由利音の心配には飾り気がない。昔馴染みの知人として、角利の不幸を我が身のこととして考えている。

 それが情けなくて、取れる態度は見栄ばかりだ。


「大丈夫ッスよ。両親が残してくれたお金もありますし、もうしばらくは持つでしょう」


「……どうしようもない時は言ってね? 寝泊りする場所なら、提供してあげられるからさ。うちの両親も心配してるんだよ?」


「それは何か、ますます申し訳ないような」


 ビニール袋に入った弁当を受け取りながら、角利は苦笑で応じていた。

 午後の授業も控えているし、長々と立ち話をするわけにはいかない。ちょうど顔を出した店長にも会釈して、足早にコンビニを後にする。

 正面に広がる大通りへ背を向け、角利はビルの裏側にある路地へと入った。

 辺りの雰囲気は、町の構成によって一変する。

 感想を言うなら、とにかく暗い。太陽が昇る南側を高層建築物が埋め尽くしているためだろう。まるで路地一帯を隠すように、彼らは高々とそびえている。

 ――異界と呼ぶのはオーバーかもしれないが、路地は表通りの喧騒から完全に切り離されていた。この場所が、この社会にあってはならない存在だと言うように。

 とはいえ子供の頃から利用している身には、特別な感慨など浮ばない。始めの頃こそ不満を覚えたりはしたが、やっぱり少年時代の話。忙しい毎日を過ごす中で、どうでもいいと割り切ってしまう。


「でも本当、せめて朝ぐらいはな……」


 日差しが差し込んだりはしないもんか、と路地を歩きながら一人ぼやく。

 路地の一帯は景色として暗いばかりか、そこにいる人間達までも暗くしていた。すれ違うのは見窄らしい格好の浮浪者ばかり。時折こちらに向けられる視線は、買ったばかりの弁当を狙っている。

 角利の足は必然的に早く、視線を振り切るべく焦り始めた。

 背中を押す理由は一つだけじゃない。……路地にいる浮浪者の殆どが、職を失った魔術師だからだ。見れば角利のように若い者もおり、同情と恐怖心が湧きでるのもしばしば。

 自分も、近いうちにああなるのでは――

 路地を進む速度は余計に早くなる。まるで、不都合な現実から目を逸らすように。

 緊張感から解放されたのは、それから間もなく。魔術組合ギルド・四治会、と小さい看板を下げている――まあ喫茶店だろうか。自宅と事務所も兼ねているが、外見は喫茶店に近いのでそう呼ぼう。


「ただいまー」


 店に入ってから声を出しても、迎えてくれる人はいない。

 いつも使っているカウンターの椅子を引いて、角利はようやく腰を降ろす。

 店の中は、外と同じぐらい暗かった。太陽の光が届かない上、一部にカーテンを掛けていればそりゃあそうだろう。夜はロウソクと一緒じゃなければ歩けたもんじゃない。

 カーテンを開ければ少しは改善するんだろうが――その気持ちにはなれなかった。

 正確な理由は分からない。ただ、自分なりに分析するなら、店の有様を外に見せたくないからだろう。

 身も蓋もない言い方をすれば、廃墟だった。

 倒れたテーブルと椅子、砕け散った食器の破片。強盗にでもあったんじゃないか、と聞かれそうな荒れっぷりで、喫茶店としての体を成していない。

 本来なら、角利が片付けて然るべきなのだろう。……しかしこうも荒れていると、どこから手を付ければいいのかサッパリだ。

 あの賑やかな光景を、決して捨てたいわけじゃないのに。

 社会的に自立できていない、その期待が持たない無力感と失望。明確に描けない未来が、足枷となって角利を縛り付けている。


「……何だか、眠くなってきたな」


 昼食はまだだって言うのに。授業の疲れだろうか?

 抑えきれないあくびと睡魔。ああ、駄目だ、短くて良いから寝よう。カウンターに突っ伏して寝るなら、短い時間で起きれる筈だ。

 鉛のように重い目蓋まぶたが、自然と閉じる。

 朦朧もうろうとする中で聞こえたのは、入店を知らせる鈴の音だった。

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