第35話
「朔花、帰ろー」
講習前半も無事乗り切り、「休み中もしっかり勉強しろ」などという教師の定番の台詞もかるく聞き流し、開放感のあふれた教室。
別の教室で講習を受けていたはずの睦ちゃんが、廊下から顔をのぞかせる。
「え? 部活は?」
っていうか、それ以前に睦ちゃん、家反対方向じゃないか。校門までなの?
「今日、三年生の追い出し会だから買出し」
「スーパーまで?」
「じゃなくて、駅前のケーキ屋まで。顧問のおごりー」
いいなぁ。あそこのケーキ、おいしいよねぇ。
「うらやましい。私の分も買ってよ」
かばんにざっくりテキストをつっこんで立ち上がる。
「じゃ、うちの部に入る? っていうか、朔花のトコはないの? 追い出し会」
ならんで歩きながら睦ちゃんは不思議そうに尋ねる。
「ないよー。ウチはやる気ナシの吹き溜まりだから。ほぼ帰宅部だし」
マジメに活動してる人は皆無だ。もともと必修クラブだけやり過ごすだけの部活なんだし。
「朔花、いつもさっさと帰ってるもんね。毎日、何やってんの、家で」
軽く呆れたような口調。
「えーと。だらだら?」
あの、睦ちゃん。その、とってもダメな子を見る目、やめてもらえませんか?
「もうちょっと、若者らしく元気にいこうよ、朔花」
自転車を取りにいった睦ちゃんを小さな日陰で待ちながらため息をつく。
若者らしくって、その言い方自体、微妙に若者じゃなくないか?
「例えば?」
自転車のカゴにカバンを入れてもらいつつ尋ねる。
「んー、あ。ほら。東のカノジョになるとか」
自転車を引きながら睦ちゃんは名案と言わんばかりにこちらを見る。
うわ。そう来るか。
「睦ちゃんはさぁ、なんでそんなに東くんとくっつけたがるかなぁ?」
「東、いいヤツだし。朔花のコト好きみたいだし。確実に早瀬くんよりいいと思うんだけど。っていうか、早瀬くんを好きな朔花がイマイチ良くわからないっていうかね」
睦ちゃん、早瀬のこと嫌いなの? 中学も違ってるし、高校ではクラス一緒になってないし、接点ないと思うんだけど。
「東くんはからかってるだけでしょ。睦ちゃんもいるから。一緒になって悪乗りしすぎ」
なんでこんな方向に話が進んでるんだ? 話ふったの、こっちか。
墓穴?
「でも東って……あ、朔花。ケータイ、鳴ってる」
立ち止まってくれた睦ちゃんの自転車のカゴからカバンを引っ張り出し、ぶるぶる震えるケータイを手探りで見つけ出す。
「急用?」
「迷惑メールだった…………あ」
マナーモードを解除して、カバンに戻したところで気づく。
「何?」
歩き出していた睦ちゃんは再度足を止める。
「忘れ物した」
ショックだ。学校へ行くのも駅へ行くにもちょうど同じくらいの中途半端なところまで帰って来てるのに。
まだここで気付いただけマシだと思うべきだろうか。
「何をぉ?」
呆れたような声にため息をついて返す。
「辞書」
さっきの授業で使って、無意識に机につっこんだんだ、きっと。
休み中、辞書ナシはつらいよな。課題はやらなきゃいけないし。うちに置いてある重い辞書、手間かけてひく気にはならない。文明の利器に慣れてしまうとね。電子辞書は偉大だ。
仕方ない。
「とってくる」
「了解ー。ガンバレ」
「がんばる」
自転車にまたがり颯爽といってしまう睦ちゃんを見送って、学校へ戻るべく向きを変える。
この暑いのに、無駄に歩かなきゃならないなんて。
足元の、ちんくしゃな影を踏みながらたらたらすすむ。
学校に着く前に干からびるかもしれない。
「……」
開けっ放しのドアから教室に入る。
どうしよう。
まどぎわの人影とは、今まだ顔を合わせたくない。何もなかったふりで話せる自信はない。
振り返りませんように。
心の中で祈る。
幸い講習で使っていた席は、廊下側の後ろから二番目だ。さっと回収してそっと出ていけば気付かれずに済むはず。
音をたてないように、席の椅子を斜めにたおすし、片手で椅子を支えつつ、空いた手で机の中を探る。
あ。
ガタンガンゴン。
椅子を持っていた手がすべり、後ろの机にぶつかり、倒れる。
「水森。せっかく人が気付かないふりをしてやってるんだからさ」
笑いをかみ殺して、振り返った早瀬と目が合う。
あぁ、気付いてたのか。で、気付かないふりとか。だから、そういうところがさぁ。なんかな。
「ごめん」
「なに、忘れ物?」
「うん」
「牧原に聞いた?」
「うん」
声がやさしくて、思わず、すんなりうなずく。
「悪かったな、こっちの事情に巻き込んで」
「……私こそ、聞いちゃって」
知られたくないことだろう。異母兄弟とか、そんな話。
「あー、別に。要だって、水森なら平気だと思って話したんだろうし。まぁ、良い迷惑だけどな、水森にしたら」
確かに。そんな信用のされ方しても、ねぇ。
気が抜けて、倒れた椅子を直しながらそのまま座る。
案ずるより生むが易しというか。
こうなると、辞書を忘れて正解だったかもしれない。時間が経てば経つほど、こんな話、切り出しにくくなるし。顔も合わせにくくなるし。
それは、やっぱりちょっとさみしいかもしれない。勝手な言い分だろうけど。
机から電子辞書を取り出しかばんにつっこむ。
さて、帰ろうか。ほっとはしたけれど、やっぱり長話はなんとなくし辛い。
「水森は、おれになんか言わなきゃならないことはない?」
顔をあげると、早瀬は窓の外を見ている。まっすぐに伸びた背中。
「何かって?」
返す口調が平坦になる。言いたくないことなら、ある。実は。
ずっと。はじめから。
おしまいになってしまう言葉だ。
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