第33話
「朱菜さん、ひさしぶりー」
お茶を運んできた朱菜さんに、要さんは軽く手を上げる。
「そんなに久しぶりじゃないでしょ……あれ、そうでもないか? 静史郎は間違いなく久しぶりよね?」
お茶を配り終えて顔をあげた朱菜さんににっこり微笑まれ、早瀬が小さく息をはく。
「そうですね」
「それも会わないあいだに、こんなに可愛い彼女作っちゃって」
うわ。突然引っ張らないでください、朱菜さん。
朱菜さんのほうに倒れこみそうになった体を何とか立て直す。
「水森は彼女じゃないですよ」
早瀬は即座に否定する。
うん。そのとおり。
うなずいて同意する。
「健全な高校生男子が彼女の一人や二人作らないでどうする」
あんまりたきつけないでほしい。早瀬は、そんなことでどうこう考えを変えるタイプではないけれど。だから早瀬だったんだけれど。でも。
「二人も作らなくて良いわよ」
もってきたゼリーを配りながら、呆れたような口調で青乃さんが会話に加わる。
透明度の違う二層に分かれたぶどう色のゼリー。上に巨峰や、ブルーベリーがかざりつけてあって、おいしそう。
「たしかに。でも静史郎さぁ、自分のこと好きだって言ってくれた本人目の前にして『彼女じゃない』とか愛想のないこと言うのはどうかと思うけど?」
そうかもしれないけど、でも事実だしなぁ。それ以外にどういえって言うんだろ。
青乃さんにすすめられてゼリーを口にしながらぼんやりとやり取りを聞く。
冷やりとしてて、おいしい。おなかいっぱいだったんだけど、ぜんぜん平気に食べられる。ヤバイなぁ。ほんとに、太る。世の中には夏痩せなんて言葉もあるくらいなのに、夏太りとか、最悪だ。
「嫌い、とは言ってませんよ?」
早瀬は静かに返す。
言ってはないけど、本当はキライとかだったらさすがにちょっと凹むなぁ、さすがに。まぁ、言える立場じゃないけどね。
とりあえず反応しないでおくために、もう一口ゼリーを食べる。
「こんなトコまで連れてきておいて、その言い種? せめて彼女じゃないけど好きですよ、くらいに言ったらどうなの?」
そんなこと言ったら、それはもう早瀬じゃないと思いますよ、朱菜さん。
嫌い、って言われる以上に困るかも。
っていうか、要さんには期待してないけど牧原。自分のお母さんなんだから、傍観してないで止めてよ。
そっと視線を向けるが、牧原は気付きもしない。役立たず。
「つれてきたのは都であっておれじゃないですよ」
早瀬は淡々と言い返し、ゼリーを口に運ぶ。
「かわいくないわねぇ、あいかわらず。朔花ちゃんは何でこんなんが良いの」
八つ当たりするかのように、大きくすくったゼリーをばくりとのみこみ、朱菜さんはこちらに向き直る。
げ。矛先がこっちに向いたじゃないか。
「水森はちょっと変わってるんだよ。っていうか、おびえてるだろ、水森が。あんまりいじめるなよ」
恨めしい視線にやっと気がついたのか、牧原がようやく口を挟む。
遅い。
「だって、要や都をからかっても面白くないし。巽はいつでも家にいるし。静史郎はかわいくないし。ここはやっぱり謎だらけの朔花ちゃんを解明しようかということになるじゃない」
理不尽だ。
「朱菜さーん、その辺にしておかないと。二度とうちに遊びに来てくれなくなると困るし。それどころか、静史郎のこと嫌いになられても困るし。ね?」
なんで朱菜さんじゃなくて、こっちに念を押すんだ? 要さんは。
だいたい、困るってなんなんだ。意味がわからない。
沈黙は金。何も言わず、聞かず、に限る。
最後の一口分を丁寧にすくって味わい、ごちそうさまでしたと手をあわせる。
「要も充分困らせてるわよ。朔花ちゃん、ゼリーまだあるけど、おかわりは?」
青乃さんの言葉に反射的に首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。おいしかったです、すごく。でも、もうおなかいっぱいです」
これ以上食べたら、おなかが破裂するかもしれない。一駅分くらい余計に歩くか?
いや、この暑い中、ムリだ。
「おれもごちそうさまです。青乃さん、みやねぇ、寝てるけど」
静かだと思ったら。ソファの端で小さく寝息をたてている。スプーンを握ったまま。
「幼児か、こいつは」
要さんは苦笑いする。
「昨日も遅くまで起きてたみたいだから」
同じく苦笑いを浮かべて、スプーンを都さんの手から抜き取ると、持ってきたタオルケットをかける。
受験勉強、大変そうだ。ホントに、来年が怖い。
「ごちそうさまでした。じゃあ、帰ります」
器をお盆にもどして早瀬は立ち上がる。
「あの、私も。おじゃましました」
慌てて立ち上がり、早瀬に倣い器をもどし小さく頭を下げる。
「えぇー、もう帰っちゃうの?」
朱菜さんが不満そうな声を上げる。
帰りますとも。これ以上おもちゃにされたくない。
曖昧に笑みを浮かべて誤魔化す。
「気をつけて帰ってね」
「ごちそうさまでした」
やわらかく微笑う青乃さんにもう一度お礼をしてドアを閉める。
「また明日なー」
牧原の声を壁越しに聞きながら出た玄関に早瀬の姿は既になし。
靴を履き、外に出る。
刺すような陽射しに思わず目を閉じる。暑い。
体に溜まっていたクーラーの冷気が一気に逃げる。
この中を帰るのか。うんざりするなぁ。
「水森、おいてくぞ」
門の外から早瀬がのぞく。
待っててくれたことに、ちょっとびっくりだ。
「ごめん」
「別に」
小さく肩をすくめ、先に歩き出す。
「水森、帰り道覚えてないだろうし」
失礼な。
「そんなことないよ。っていうか、早瀬こっち来たらすごく遠回りでしょ」
この暑い中、わざわざ遠回りする必要ないってば。
「明日、講習に水森が来れないと困るし」
マジメな声で言わないでよ。どれだけ、方向音痴だと思ってるんだ。
「あのさぁ」
「ついでだから。駅前の本屋に行く」
文句を言いかけたところで、早瀬はさえぎるように呟く。
ホントかなぁ?
実はけっこう面倒見が良いこともわかってるし。口実にしてくれてるだけじゃないのかな。
姿勢のいい早瀬の後姿をみながら歩く。
暑いから、というだけじゃなくて。なんとなく無言のまま。早瀬も黙ったまま。
居心地が悪いような、そうでもないような。微妙な感じ。
「おつかれ」
駅まで着くと、早瀬はそれだけ言って、少し先に見える本屋の方へ歩いていく。
「ありがと」
とりあえず、それだけ返してもうすぐ到着する電車に乗るために改札を抜ける。
ほんとに。疲れた。
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