第29話

「朔花ちゃん」

 焦がしつくさんばかりの陽射しの中、どこからか呼ぶ声にのろのろと顔をあげ、すぐにそれを後悔する。

 聞こえなかったふりをして素通りすればよかった。このまま、もう一回校舎に戻ろうか。

 それが出来れば苦労しないけど。

「無視して帰ろうか、とか考えてたでしょう」

 目の前まで移動してきてにこやかに言う。

「要さんは何してるんですか?」

 いまさら否定するのもバレバレだし、答えないでおく。

「朔花ちゃんに会いに」

 本気なのかどうなのか。どっちにしてもいい迷惑だけど。

「都さんは多分まだ講習中だと思います。早瀬なら部活いってます」

 それだけ言って要さんの横をすり抜ける。

 この暑い中、いつまでも立ち話なんかしてられない。絶対焦げる。もしくは溶ける。

「だーから、朔花ちゃんに会いに来たんだって。その迷惑千万って顔、本人目の前にしてするのやめない?」

 言葉とは裏腹にたのしそうな顔。

「別に。暑いだけですよ」

 微妙に否定してみる。完全に嘘ではない。

 本来であれば楽しい夏休みに、蒸し風呂状態の教室で勉強してきて心身ともに疲れてるし。

 まぁ、この上面倒ごとに巻き込まれるのかとうんざりもしてるけど。

「朔花ちゃん、暑いのダメそうだもんねぇ」

 隣をならんで歩きながら、要さんはのんびりと言う。

 「要さんは平気そうですね」なんて口を開くのもめんどくさい。

「車で送ってあげるよ。冷房効くよ、一応」

 ありがたい申し出、だと思いたいけれど。またろくでもないこと、聞かされるはめになるんじゃないのか? だったら暑い中、歩いた方がマシだ。

 駅までの我慢だ。電車に乗れば涼しいし。

「いいです」

「遠慮しないで」

 遠慮じゃないって。

「歩いて、帰ります」

「そう? じゃ、おれも付き合うよ。暑いけど」

 思ってもいない返答に顔をあげると、要さんはにっこり笑顔を浮かべている。

 暑いって思ってるなら付き合わなくて良いよ。頼んでない。

「どっちにしろ、もれなくおれがついてくるなら車で帰るほうがマシじゃない? ちなみにおれはついて行くって言ったらホントについて行くよ」

 脅しだよな、これ。

 深くため息を吐きだす。

 要さんペースで話を進められるなら、暑いなか歩いて聞かされるより、涼しい車に乗っていった方が少しだけマシか。

「乗せていってもらって良いですか?」

 妙な敗北感があってくやしい感じだ。

「素直が一番だねー」

 ムカつく。

 以前停めていたのと同じスーパーの駐車場。車に乗ると外より暑い、むっとする息苦しいような空気。

 要さんはドアを開けっ放しでエンジンをかけ、全ての窓を全開にすると、自分は乗らずにドアを閉める。

「すぐ戻るからちょっと待ってて。逃げるのはナシね」

 風量最大で、ちょっとうるさいクーラーの音にかぶせて言いおくと、要さんはスーパーの方に走っていく。元気だよなぁ。

 ちょっとずつ涼風を吐き出し始めた冷房に、ほっと息をつく。

 車内は相変わらずかわいらしく、季節に合わせてるのだろう。小さなひまわりの造花が飾ってあって、和む。

「お待たせ。どっちが良い」

 乗り込んで来た要さんの手にペットボトルが二本。お茶と炭酸飲料。

「お茶、いただいても良いですか? ……ありがとうございます」

「どーいたしまして」

 小さく笑い、残った炭酸に口をつけながら車の窓を閉める。

 その様子をなんとなく眺めながら、もらったお茶を飲む。冷たくて、おいしい。

 こういう気遣いするとこ、やっぱり早瀬と似てるのかもしれない。

「じゃ、動くよ」

 ゆっくりと車を発進させる。

 スーパーを出てしばらくすると要さんが口を開く。

「で、本題なんだけどね」

 このまま思い出さずに送ってくれるだけだったらよかったのに。

「明日、暇?」

「講習があります」

 暇だったらなんだったんだろう。どうでも良いけど。

「午前中で終わりでしょ。母がね、朔花ちゃんにごはん食べにきてもらいたいってうるさくてね。ということで、明日どうかなーって。ちなみに明日がダメならいつなら大丈夫?」

 行くことは決定してるのか。拒否権なし?

「なんでわざわざ要さんが来たんですか?」

 こんなことを伝えるだけなら都さんで良いはずだ。こっちだってその方が少しは気楽だったし。

「ああ、じゃんけんでおれが負けたから」

 本当なのかどうなのか、まったく読めない笑顔。

「そんな罰ゲームみたいにしてわざわざ誘ってもらわなくても」

 誘いたくない、行きたくない、で利害は一致してると思うんだけど。

「別に朔花ちゃんを誘いたくないからじゃんけんしたわけじゃないよ。ただ、朔花ちゃんから『行く』っていう返事を引き出すのが大変そうだから、それでじゃんけんしただけ。だから責任重大。うんっていうまで帰さないよ」

 冗談めかした口調だけど、目が本気だ。

「えぇと、出来ればお断りしたいんですけど」

 行ったって、居心地悪いし。ゴハンはおいしいけど、気が重い分、半減だし。

「もちろん静史郎も呼ぶし、ああ、今回は巽も来るよ?」

 こちらの言葉などまるで無視して要さんは明るく言う。

 だいたいそれ、別に何にも嬉しくない。牧原は要さんたちの従兄弟なんだし、けっきょく身内ばっかりのところに部外者一人だ。肩身が狭すぎる。

「単純にそれって早瀬を呼ぶためのダシですよね、私」

 普通に早瀬を誘えば済む話なんじゃないか。

「ま、おれはそれもあるけどさ。母は完全に朔花ちゃん目当てだから。静史郎は二の次だと思うよ、今回」

 うーん。でも、どちらにしろ早瀬の友人だからってことじゃないのかな。

「そうだなー。どうしてもイヤだっていうなら仕方がない。話をひとつ聞いてもらおうかな」

 口調は穏やかだし、口元に笑みもたたえているけど、確実にまずい空気。

 赤信号で停車すると、要さんは笑顔のままこちらを見る。

「うちの父親と、静史郎の母親がどうしてそうなったか。聞きたいでしょ?」

 ……なにって?

 信号が青にかわり、再び車はしずかに動き出す。

「っ冗、談」

 聞きたいわけない、そんな話。

「割とホンキかな?」

 前を向いたまま、小さく肩をすくめる。

 なに考えてるんだ、この人。

「明日、暇です。行きます」

 他に答えようがないから。

「そ? それは嬉しいな」

 脅したくせに。まるでなかったかのように邪気なく笑う。

 すごく厄介な人だ。この人。これ以上関わりあいたくない。

「で、さっきの話。聞きたくなったらいつでもどーぞ」

「絶対、聞きたくなりません」

 きっぱりと言い切る。

 っていうか、話たいのか? 理解できない。

「それは残念」

 軽くながして、要さんは人気のない公園の脇に車を停める。

「朔花ちゃんち、このそばだよね?」

 肯く。

 公園裏の路地を抜ければすぐそこだけど。なんで知ってるんだ。

「家の前まで送られるのはさすがにびみょーでしょ?」

 苦笑いが、すごくふつうにやさしく見える。

 実際、近所の人に見られて、それが親に伝わったりするのは非常に面倒なのでありがたい。

 こういう気遣いはする人なんだよな。

 どうせなら他の部分でも意を汲んで欲しいんだけど。

「ありがとうございました。ごちそうさまでした」

 手の中でぬるくなったお茶を持ったまま車を降りると要さんは小さく笑う。

「無理して誘ってごめんね。明日、静史郎と巽には言っておくから、一緒においで」

 そこで謝るのはずるいんじゃないかな。肯くしかできないし。

 木陰を選びながら家へ向かう。背後で車が行き過ぎる音を聞いて大きくため息をこぼした。

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