第27話

 駄目だ。さっぱりだ。物理なんかキライだ。

「ジュース、買ってくる」

 こうなったら気分転換だ。シャーペンを放りなげ、座ったまま、伸びをして宣言する。

「じゃ、ついでにおれのもー」

 たたみに倒れこみ声を上げた牧原に早瀬が応える。

「おれが行く。辞書とりに行くついでに。何飲む?」

「なに、早瀬。水森に行かせると道に迷って帰ってこなさそうだから?」

 校内で迷わないってば。

「あぁ、その心配もあったな。そういえば」

 早瀬まで。失礼だな。

「あのねぇ。どこまでどんくさいの、私」

「しょっちゅう階段から落ちようとしてるのは、どんくさいって言わないのか?」

 早瀬はノートを持って立ち上がる。意地悪っぽい笑み。言い返したいところだけれど、事実だしな。

「間違いなくどんくさいよなぁ? 早瀬、おれコーヒー牛乳」

「水森は?」

「んー。りんごジュース」

 お金を渡す。

「了解。じゃ、行ってくる」

 マメだし、やさしいよなぁ。なんだかんだいって。

 ドアが閉まり、足音が遠ざかると牧原が身体を起こす。

「水森さぁ、結局どうなの?」

「なにが?」

 尋ね返しながら、思い出す。そういえば『セッキョー』が保留になったままだったか。

 っていうか、でもここで聞く? いちおう早瀬はいないけど。しばらくしたら戻ってくるのに。

「かな兄に聞いたんだろ?」

「何を」

 しらばっくれると牧原は眉をひそめ、あっさりと口にする。

「往生際、悪すぎ。早瀬と都が姉弟だってことを、だよ」

「聞かされたよ。知りたくなかったけどね」

 心底。ほんとに。

 牧原は深々とため息をつく。ため息つきたいのはこっちだ。

「ま、かな兄のやり方もどうかと思うけどね。かな兄もみや姉も早瀬のことすごく大事にしてるから。許してやってよ」

 その辺も良くわかんないんだけどね。ちょっと不思議な関係だと思う。都さんのお母さんも含めて。

 普通に考えたら、仲良くする関係にはならないはずだ。少なくとも都さんのお母さんと早瀬本人は。

「知りたい?」

「いらない」

 表情を読んだのか的確な返しをしてくれる牧原に、首を横に振って応える。

 早瀬のいないところで、事情を勝手に聞くのはフェアじゃないとかそんな理由以前に。

「メンドクサイ事情のある早瀬のこと、もうイヤになった?」

 口調はやわらかで、でもなんだかちょっと挑発されてるような気もする。

「別に、そんなの関係ないよ」

 挑発に乗ったわけじゃなくて。ホントに、全然。元々。

 どっちかっていうと、思ったより、予想外に早瀬がやさしいほうが問題で、困ってる。

「水森はイマイチ読めないよな。読ませないっていうか。基本的にはぼんやりのくせに」

「つまり、けんかを売ってるんだね?」

 このままうまく話が逸れてくれたらと良い。

「そういうワケじゃないけどさ。初めのころ、水森ってもっと押せ押せだったのに。今はちょっと引いてるよな? 今も、あのペースでいけば早瀬もいい加減ほだされるかもしれないのに」

 良く見てるよな。無駄に。

「あのさ、あのまま押していったら絶対早瀬にうざがられると思うんだけど」

 こんな理由、単なる後付けでしかない。たぶん。言えないけど。

 牧原はかるく笑う。

「確かに」

「でしょ?」

 賛同の言葉に笑みを返すと、牧原は困ったような微妙な笑みを浮かべる。

「まぁ、早瀬もいろいろ難しいヤツだからなぁ」

 その辺のいろいろはあまり、全然聞きたくない。

「でも、思ってたよりとっつきやすかったけどね」

 これは本音だ。

 実際、完全無視されるの覚悟だったし。一方通行上等って思ってたし。

 まさか一緒にごはん食べにいったり、勉強するような仲になるなんて思ってなかった。

 まぁ、周囲に巻き込まれてるっていうのが大きいけれど。

「なんでそんなとっつきにくく思ってた早瀬に告白したかの方がおれ的にはナゾだけどな」

 それは答えたくない。曖昧に笑って誤魔化す。

「まぁ、似たもの同士は惹かれるのかねぇ。なんだかんだいって早瀬、水森のこと気に入ってるみたいだし」

 それは。

「手がかかるって思ってるんだと思うよ、どっちかっていうと。あんまり、自分で認めたくないけど」

「否定は出来ないけどな。っていうか、そこは『もしかしたら私のコト好きなのカモ』って酔っとけよ」

 妙な声色使うんじゃない。

「牧原、キモチ悪い」

「水森はもう少しオトメな反応を返してくれると大変たのしいんだけどなぁ」

 乙女、ねぇ? ありえない。

「何の話してるんだよ。オトメな水森って想像できないんだけど?」

 呆れたような苦笑いが会話に加わる。

 いつのまに入ってきたんだ。そして、どこから聞かれてた?

「びっくりしたぁ。気配ないよ、早瀬」

「水森がぼんやりしてるからだろ。牧原は気付いてたし」

 ジュースのパックを机にのせて早瀬は肩をすくめる。

 ってことは、たった今入ってきたところか。良かった。

「出入口が視界に入ってなきゃ気づかなかったと思うぞ。……いただきー」

 早瀬を片手で拝んでから、牧原はコーヒー牛乳を飲む。

「ありがと」

 自分の烏龍茶にストローを差しながら、りんごジュースをとってくれた早瀬にお礼をしつつ受け取る。

 なんとなく話が途切れる。

 早瀬がいなかったときの話の続きをする訳にはいかないし。もちろん、したくもないし。

 ぼんやりと部屋を眺める。

「水森、これ酷い」

 呆れと、脱力が入り混じったような複雑な声音。

「うわ、なに見てるのっ」

 放ってあった解きかけのプリントを手にした早瀬が深々と溜息をつく。

 いつのまに持ってったんだ。

「あー、これは確かにヤバイわ。うん。赤点直行」

 横から覗いて牧原が同調する。不吉な予言するなっ。

「まだ途中なんだって」

「解けないからジュース買いに行こうとしてたんだろ?」

 見透かされてたのか。

「授業聞いてるか?」

「いちおう聞いてはいるよ」

 わかってるかどうかは別として。聞いてなきゃ、ますますわからなくなるし。

「了解。ちょっと、対策練り直すことにする」

 早瀬は心底疲れきった溜息を吐き出す。

「ごめん」

 思わずあやまると早瀬は肩をすくめる。

「別に。牧原から取り立てれば良いことだし」

「カンベンしてくれ。……しかし、ホントになんで水森、理系クラスに来たんだよ。宝の持ち腐れに加えて無謀」

 ほっといてよ。


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