第21話
あ。
「っぐ」
落ちる。と思った一瞬後、奇妙な音が耳元に届く。
「カンベンしてよ、どんな罠よ、朝っぱらから階段から降ってくるって」
くたびれたような声。えぇと。
「牧原?」
背中を押してもらって体勢を立て直す。
「びっくりさせるなよ。おれ居なかったら、真っ逆さまだぞ?」
大げさな。最後の一段にかけた足をすこし滑らせただけで下まで落ちたりはしないだろう。せいぜい二、三段ずりおちて、膝を打つのがせいぜいだ。たぶん。
「せめて巻き添えくらいかけたおれに対して謝罪の言葉、もしくは助けたお礼の言葉があっても良いんじゃないか?」
確かに。
「ごめん。で、ありがとう」
牧原に言われたとおり謝意をあらわす。
「で、どうしたんだよ。いつも以上にぼーっとして」
いつも以上って、いつももぼーっとしてるってことか? とかそんな余計なことには頭が働く。
「単に寝不足」
牧原は知っているんだろうか。昨日、要さんが言ってたこと。
都さんと従姉弟なんだから早瀬とも従兄弟ということになるんだろうし……異母兄弟だから、母親同士が姉妹の牧原とは血のつながりはないから、違うのか?
どちらにしろ聞くことなんて出来ない。話すことなんか出来ない。
「テスト勉強にはまだ早くないかぁ?」
「単にうまく寝られなかっただけ」
テスト勉強なんてカケラも思いつかなかった。いつからだっけ?
「何やってるんだ? もう予鈴鳴るぞ?」
背後からの声にふり返ると、軽く眉をひそめた早瀬がおまけにジャマ、と続ける。
言葉に従ってちょっと隅によけつつ、不自然にならないよう視線をはずす。
「早瀬ー、聞いてくれよ。水森ってば朝っぱらから階段から降って来たんだぞ? ありえなくねー?」
早瀬は牧原の顔を見たあと、こちらをまじまじと見て、大きくため息をつく。
「注意力散漫すぎ」
前も言われた気がする、おんなじこと。
「たまたまだよっ」
やっぱりまっすぐ顔は合わせにくくて、横を向いて言い返すと吐息のような微かな笑い声がとどく。
ちょうど鳴り始めたチャイムに紛れてしまって、本当はただのため息だったかもしれないけれど。やさしく聞こえて、余計に顔を見られなくなった。
「水森サンっ」
お弁当を食べ終わって、席に戻って一眠りしようかと机に突っ伏したところに降ってきた声にのろのろと顔をあげる。
「おはよぉ、東くん」
「もうお昼だよ、水森サン」
東くんは愉しそうに笑う。うん。わかってるけど、半分寝てたから、つい。
「どーしたの? 古典のノート?」
「違うよー。それはテスト前にまた貸して? 昨日、要先輩なんだったのかなーっていう好奇心を満たしにきました」
そういえば居合わせたんだっけ。どうしよう。
「なに? 要って梅原要?」
通りがかった牧原が怪訝そうに足を止める。
あぁ、より面倒なことになった気がする。寝不足のアタマでやりすごせるのか?
うだうだと考えているあいだにあっさりと東くんはうなずいてしまう。あぁあ。
「うん、そう」
「なんで知り合い? あぁ、東は同中になるのか、そういや、バレー部だしな……水森は?」
「この間、都さんの家でお昼ごはんご馳走になって、その時」
この辺はうそをつく必要もないだろう。
「で、わざわざ昨日来たわけ? 学校まで? 何の用で?」
牧原は不審そうにつぶやく。
普通はそう思うよね。私だってそう思ったさ。
「要先輩ってそういうことしないタイプだから、ホンキなのかなーって気になるだろ?」
「ホンキって何?」
東くんの同意を求める口調に牧原は不思議そうに尋ねる。
「そーれーは、水森サンのことをホンキで好きなのかもってこと」
「マジで? 要が?」
ホントにたちの悪い人だな、東くん。
要さんの言ってたのはこういう意味じゃないかもだけど。
「本気にしないでよ、牧原。単に忘れ物届けに来てくれただけ」
「そんなの都に頼めば済む話なのに?」
わかってるよ、この嘘にそんな穴があることくらい。
「ついでに、からかいたかったみたいだよ」
これで引いてくれると良いなぁ。
「それはそれは、オツカレサマ」
拍子抜けするくらいすんなりと納得すると牧原は苦笑いして教室を足早に出て行く。よかった。残る敵はあと一人。
「要先輩ってばヒマ人。ところで水森サン、昨日の件は冗談ではなく基本的にホンキなので前向きに検討してね?」
信じてくれたのかどうかわからない微妙な表情をのぞかせてから東くんは話を変える
なんのことだ? 表情を読んだのか東くんは付け足してくれる。
「カノジョになって、って話だよ。完全に流されてるのが悔しいので援軍を呼んでやる。……あ、いたいた。瀬戸口サーン」
窓際で歓談している睦ちゃんを手招きする。
一難去ってまた一難。逃げたい。
「どしたの、東」
「聞いてよ、瀬戸口さん。おれがこんなに何度も心砕いてお願いしてるのに水森サンってば聞く耳持ってくれないんですよ」
その言い分はなんかおかしくないか?
「何お願いしてるのよ」
「カノジョになってください、って」
逃げて良いかな?
「えらいっ、東。見えないトコでもしっかり頑張ってたのねっ」
睦ちゃん、感心しないで欲しいんだけど。
「でしょー。なのに水森サンってばこれっぽっちもホンキにしてくれなくてさぁ」
その口調だから真剣味ないんだって。あっても困るんだけど。心底。
机に突っ伏して会話に加わるのを拒否する。そういえば寝るつもりだったんだった。まぶたが自然とさがってくる。眠……。
こっちをほったらかしにした睦ちゃんと東くんの掛け合いが遠く聞こえる。
おやすみー。
「ぅ?」
かるい衝撃を感じて顔をあげる。いつの間にか睦ちゃんと東くんの姿がなくなってる。その代わりに真由が半眼でこちらを見下ろしている。
「あれ、どしたの? っていうか後頭部、叩いたね?」
「わざわざ来たのに気持ちよさそうに寝てるからちょっとムカついたのよ」
理不尽な。
「生物室はこっちの棟じゃなかったと思うんだけど?」
真由の手に生物の教科書があるのをみて軽口をたたいてみる。教室移動の途中に寄ってくれたらしい。
「朔花じゃあるまいし、校内で迷わないよ……無駄話してる場合じゃないわ。今日、一緒に帰るから」
昼休み終わりを告げるチャイムが鳴りはじめ、真由は返事を待たずに慌てて廊下に飛び出す。
何だったんだ? いったい。
座ったまま伸びをして、とりあえず五限目の授業の教科書を引っ張り出した。
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