第18話
「水森、おれ帰るけど」
開いたドアの隙間から早瀬の声。反射的にあわてて立ち上がる。
「あ、じゃ私も」
「えぇ? もっとゆっくりしてけば? 静史郎も、夜ごはん食べていけば良いじゃない」
そんな図々しい。それ以前にそれはちょっとカンベンしてほしい。気ぃ、疲れる。
「冗談。水森は?」
見捨てないでください。
「私も帰るよ。……ごちそうさまでした」
キッチンにいる都さんのお母さんの背中に声をかける。
「はーい。ちょっと待ってね」
その声にしたがって、玄関で靴を履いて待つ。
「静史郎、これ冷凍保存するように小分けしていれてあるから」
デパートの紙袋を都さんのお母さんは早瀬に押し付けるように渡す。
「青乃さん、こういうのは」
「私が好きでやってることに対して文句は聞かないわよ。それも自己管理も出来ずに風邪引いて寝込むようなオコサマには。ちなみに食べ物を粗末にするようなことはしないわね?」
早瀬の言葉をさえぎり、勝ち誇ったように笑う。すごいなぁ。有無を言わさず。
「いただきます」
あきらめたように早瀬は食料が入ってるらしい袋を受け取り、小さく頭を下げる。
「で、朔花ちゃんにはこっち。クッキー、好き?」
「好き、です」
淡いピンク色の包みを手のひらにのせてくれる。
「来てくれてありがとう。またいつでも遊びに来てね」
「こちらこそ、ありがとうございます。ごちそうさまでした。おいしかったです。クッキーもうれしい。都さん、誘ってくれてありがとうございました」
「いーえ。じゃ、また学校でね」
ちいさく手をふる都さんとにっこり笑うお母さんに見送られ、先にいってしまった早瀬の背中を追う。
「ごめんね」
無言の道行きに耐えられず、三歩ほど先をいく早瀬の背中につぶやく。
「何?」
怪訝気な声とともにほんのわずかに足を止めてくれた早瀬の隣に並ぶ。
「うん。ごめんねって」
「それは聞こえてた。何が? って話」
機嫌が良いとはいえないけれど、それほど怒ってもなさそうな声。
すごく不機嫌なのかと緊張してたのに、なんだ。
「だって、なんか早瀬、都さんの家に行きたくなかったみたいだし。今だってずっと無言だし。まぁ、普段から早瀬が饒舌なことないけど、それでもなんかコワイ感じのオーラでてたしさ。で、都さんちに早瀬が行くことになったの、どう考えても私のせいじゃない?」
来ないとあることないことばらすぞ、っていう脅迫の人質だったみたいだし。
「別に、水森のせいじゃない。水森だって都に巻き込まれたようなものだろ。おれが腹立ててたのは、どっちかというと要のせいだ」
深いため息とともに早瀬はもらす。
「要さん?」
けんかでもしたのだろうか。
そういう衝突するようなタイプには見えなかったけどな。からかうのは好きそうだったけれど、早瀬がそんなことにいちいち腹を立てると思えないし。
「意見、っていうか見解の相違。単に」
小さく諦めたような笑みを浮かべる。
「早瀬って」
言いかけて口をつぐむ。何を聞こうとしたんだ。
「途中で止めるなよ」
どこか面白がってるような口調。さっきまでみたいな自嘲的な表情よりは良いけど、でもこういうのも困る。っていうか、やっぱりちょっと都さんに似てる気がする。
「別に。前も聞いた気がするけど、早瀬の家ってどの辺なのかなって」
今歩いてる場所は、学校から都さんの家に向かった道とは違っていて、はっきりいってどこだかさっぱりわからない。
方向的には駅のほうに向かってるんだとは思うけど。早瀬がこのまま自分の家に帰るつもりだったら、ちょっと困る。たぶん迷子になる。
「うちは学校と都の家の中間くらい。今は楓丘駅に向かってる」
見透かしたように早瀬は説明してくれる。
学校最寄りの那賀駅よりひとつ自宅寄りの駅だ。位置関係をなんとなくあたまに思い描く。えぇと、都さんちは那賀池より楓丘に近くて、早瀬の家が学校と都さんの家のあいだで。
「ねぇ、早瀬。すごく遠回りじゃない?」
楓丘駅まで送ってくれるんだとは思うけれど、そうすると……。話から予測するに早瀬の家からは那賀の方が近いと思われる。
「ついでだから」
あっさりとそれだけで済ましてくれる。ホントかどうだか知らないけど。たぶん、気を使ってくれてるんだと思うけど、やさしいよな、やっぱり。
なんというか、罪悪感。ちょっと。
「それ、持つよ?」
都さんのお母さんから持たされた紙袋をさす。ずっしりとつまっていて重そうだ。
「気にしなくて良いって。さほど重くない」
苦笑いを浮かべる、やさしい顔。
「ごめん」
「しつこい。これ以上続けるならここに放置していくぞ」
ほんの少し歩調を速めた早瀬に置いていかれないように小走りになる。
「それは困る」
ホンキでつぶやく。なんとなく位置関係はつかめたとはいえ、迷子の確率は高い。住宅街だし、制服姿でうろうろしてたら通報されるかも。
それを言うと早瀬はかるく笑う。
「交番に連れてってもらえれば、道も教えてもらえるよ」
「そういう問題じゃないよ。恥ずかしいよ、それ。高校生にもなって迷子とか。イヤすぎ」
おまわりさんに向かってしどろもどろに状況を説明する自分を思い浮かべてげんなりする。サイアクだ。
「真剣にとるなよ。だいたい迷うまでもなくもう駅だよ」
早瀬の言葉どおり、三ブロックほど歩くと駅前に出る。
よくよく見てみれば、そういえば電車内から見る風景だ。
「よかった。アリガトね、早瀬。やっぱりやさしーよね」
頼まなくても、わざわざ遠回りまでして送ってくれるし。
素直に言ったのに早瀬はなんともいえない微妙な表情を浮かべる。
「……水森って、思った以上に厄介なやつだよな」
ぼそり。なんだかすごく失礼な言い草じゃないか? お礼を言ってこの返答はどうなの?
眉をひそめつつも、返す言葉がないのは多少自覚があるからだけどさ。
「お礼の言葉くらい普通に受け取ってくれても良いと思う」
「それを受け取った上で言ってる」
ため息でもつきたそうな顔。なんだよー、それ。
だいたい早瀬に厄介とか言われたくないよ。早瀬のがよっぽど厄介だよ。
言いたいことを察したのかかるく早瀬は苦笑いして、腕時計に目を逸らす。
「そろそろ電車来る。使ったことない駅なんだから早く行ったほうがいいんじゃないか?」
こういう気遣いはするんだよな。ほんとに。基本ぶっきらぼうなくせに。やさしいし。だから困る。
「ありがとっ」
どこかけんか腰な口調になったお礼を残して、小走りに駅に向かった。
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