第13話

「おつかれ」

 一限目の古文を何とかやり過ごし机に突っ伏していると、上から割と心のこもったねぎらいの声が降ってくる。

「それってすごくぴったりな言葉だよ、牧原」

 つかれた。本当に。何であんなことになったんだっけ?

「もめてたねぇ、水森サン」

 アレってもめてたって言うのかなぁ、どっちかというと私は蚊帳の外で、早瀬と都さんが勝手にやり取りしてたんだと思うんだけど。

「って、東くん? 見てたの?」

「気づくの遅いって、水森」

 牧原のあきれ声。

 うるさいなぁ。だってあまりにも自然に会話に入ってきたから。

「見てたっていうか聞こえてきたんだけどね。それにしてもちょっと、とぼけてるよね、水森サンって」

 こくこく、と牧原は同意するようにうなずいてるし。

「ほっといて」

 否定できないところがつらい。がっかりだ。

 東くんは机の横にしゃがみこんで机にアゴをのせる。

「いやいや、そこがカワイイんじゃないですか」

 ぅえ?

「東、スゴイな。言うか、そういうコト。人前で。カノジョでもないヤツに」

 目を丸くして、という表現がぴったりな顔で牧原は東と私の顔を見比べる。同感だよ。まったく。

「ほら。好きなコにはそれなりの意思表示をしないとさ」

 にこにこ笑って、ねぇ? とこちらに同意を求めてくる。だからいい加減にそのネタから離れてくださるとうれしいんですが。

「マジで?」

 物好きな、と暗に伝わってくる口調で牧原は尋ねる。

「ジョーダンに決まってるでしょ、牧原。東くんも、誤解されるでしょ」

 軽くにらんでみせる。

「だってねぇ、どうみても早瀬ってめんどくさそうで、やっぱり朝っぱらから厄介ごとに巻き込まれてるの見ちゃうとさ。断然おれの方がお買い得だと思うわけ。付き合いよくて、人あたりよくて、めんどくさい裏もない。お勧めしたくなるでしょ、いい物件って」

 しれっと言う。よくわかんない人だなぁ。

「ある意味、東も厄介なタイプだと思うけどな、今の言動みると」

 くたびれたように牧原は頬杖をつく。正しいと思う、それ。すごく。

「東くん、なにか用があったんじゃないの?」

 とりあえず話をかえよう。

 十分しかない休み時間にムダ話をわざわざしにきたとも思えない。

「そうそう。古典の教科書を貸してください」

「どうぞ」

 この間数学の教科書借りたしね。

 まだ机の上に置きっぱなしだった教科書を渡すと東くんはぱらぱらと中を見る。なんだ?

「キレイな教科書だね」

 どこかがっかりしてるような声。

「えぇと、なにか問題が?」

「おれの教科書とあまりにも大違いでショックを受けてるところです」

 あぁ、東くんの教科書の書き込み大量だったねそういえば。

 牧原が何か察したのかくすりと笑う。

「期待してたわけだ。水森、国語系成績上位常連だし」

「ご名答。今日当たり日なのすっかり忘れて予習もしてこなかったんだよねー。水森サンの教科書なら、さぞばっちりな状態だと期待してたんだけど」

 そういうコトかぁ。

「ならノート持っていく? 現代訳と要点くらいなら書いてあるよ」

 あまりまじめに板書取ってなかったから適当だけれど。

「助かるー。アリガトね、水森サン」

 人なつっこく笑う。なんかにくめないっていうか、力ぬけるなぁ。

「どういたしまして」

「お、チャイム。じゃ、あとで返しに来るから。ついでにお買い得なおれのことも考慮に入れておいてねー」

 鳴りだした二限目開始を告げるチャイムの音に東くんは教室を出て行く。脈絡ない言葉を残して。

「アレ、ホンキなのかな?」

 冗談だと思いたいけどさ。あそこまでしつこく言われるとどうして良いかわからない。

 助けを求めるように視線を送ると複雑な表情ををしていた牧原は少しそれをゆるませる。

「さぁ? でも早瀬もお買い得だよ。めんどくさいところもあるけど、それ以上にいいヤツだから」

 知ってるよ。良い人っていうのは。だから、困ってる部分もあるんだけど。

「どうしたの、突然」

 笑って受け流す。

「東の自薦に対抗して、友人からの他薦。できればさ」

 入ってきた教師の姿を見つけ、言いかけたなにかを曖昧にしたまま牧原は自分の席に戻っていった。

 なんか、こんなことばっかりな気がする。肝心な言葉を聞き逃してる。それが良いのか悪いのか。

「どうしようか、な」

 黒板に書き込まれていくものを機械的にノートに写し取りながらそっと息をつく。

 結局は流されるままにすすんでしまうんだろうけれど。 



 帰りのホームルームが終わり、教室を出て行く担任の後姿が消えると同時に教室がざわめきにつつまれる。

 その輪に入らず、必要な教科書類をかばんにつめ立ち上がる。よし、帰ろう。

 すれ違うクラスメイトに挨拶をして教室を抜ける。まだ廊下はがらがら。他のクラスはまだホームルーム中のようだ。いい感じ。

 足早に昇降口に向かう。

「そんなに急いでどーしたの?」

「ーっ」

 下駄箱の自分の靴に手をかけたところで唐突に声をかけられ思わず息をのむ。

「そんな化け物見たような顔しなくても」

 下駄箱にもたれて愉しそうな笑顔をこちらに向ける。いつの間に現れたんだ?

「都さん。どうしたんです、こんな所で」

 動揺を悟られないように、つとめて淡々と尋ねる。

 せっかくさっさと教室を出てきたのに。むだな努力だったなぁ。だいたい、なんでこんなに早いんだろ?

「今日うちのクラス、ホームルームなかったからねぇ」

 表情を読んだのだろう。聞く前に答えてくれる。そうですか。

「朝の件なら、ムリですよ?」

 先手を打つ。どう見ても待ち伏せしてた、という感じだし。ってことは用件はマネージャーの返事だろう。あの時、微妙にうやむやになってたし、ここはきちんと言っておかなければ。

「朔花ちゃんってさ、何にも聞かないよね?」

 あ、話ずれてる。何にもってナニ? 思い切り眉をひそめる。

「場所かえよっか」

 だんだん人が増えてきた昇降口。通行のジャマになっている私たちを怪訝そうに見ては通り過ぎていく。

 確かにこれ以上、ここで話するのは無理そうだ。けど場所を変えるなんていわず、このまま話なんかせずに帰りたい。

 が、その意は汲む気はないらしい都さんに手を引っ張られ、あわてて靴を履き替える。

「都さん、ちょっと待ってくださいっ」

 振り返らず、でも手も離さないまま数歩先をいく背中に声をかけるとようやく立ち止まってくれる。

「んー?」

「靴、まだ履けてないんです」

 とりあえず、つっかけただけの靴はこのまま歩いていればそのうち脱げて飛ばしてしまいそうだ。

「あぁ、ごめんね」

 わずかに笑って目を伏せる。

「なんか、あったんですか?」

 声に出してから、失敗したと小さく唇をかむ。なんとなく笑みが中途半端にみえて思わず聞いてしまったけれど。

「そうだねー」

 靴が履けたのを確認すると都さんは再び歩き出す。手をつかんだまま。いいかげん、放してくれても良いと思う。別に逃げないし。まぁ、逃げ出したいのは確かだけど。黙ったまま進む。少し、居心地悪い。

「水森サンっ」

 同時に後ろからかるく肩をたたかれる。

 反射的に立ち止まったら、都さんも止まってくれる。

「東くん、どーしたの?」

 割り込んできた声にちょっとほっとしてふり返る。

「忘れ物。っていうか、おれが返し忘れてたんだけどね。ごめんね、アリガトウゴザイマシタ」

 表彰状授与のように恭しく差し出された教科書とノートを両手で受け取る。

「私もすっかり忘れてた」

 古典の教科書なんてテスト前くらいにしか持ち帰らない。たいてい机かロッカーの中に入れっぱなしだから、ないことさえに気づかなかった。

「助かりました。おかげでぶじ当たり日を乗り切ることが出来ました」

「久しぶり、東」

 会話が途切れたところに都さんが口を挟む。知り合い?

「お久しぶりです、梅原先輩。あんまり水森サンいじめちゃダメですよー?」

 どこか含みのある笑み。お互いに。できればこれ以上めんどうなことに巻き込まないで欲しいなぁ。

「失礼だね、いじめてないでしょ」

 こちらに向けられた目線に小さくうなずく。まぁ、いじめられてはいない。

「そうですか? じゃ水森サン、またね。お礼は今度、数学で返すよ」

 無邪気な笑みを残して行ってしまった東くんを見送りつつ、返してもらった教科書とノートをかばんにつっこむ。

「気ぃ、そがれちゃったなぁ」

 大きなため息とともに都さんが吐き出す。

「東くんと知り合いだったんですか?」

「ぁあ、うん。中学も同じだったしね」

 あまり答えになっていない気がする。学年違うと接点そんなにない気がするんだけどなぁ。部活も違うし。つっこむほどのことでもないから良いんだけど。

「邪魔も入っちゃったし、とりあえず本題だけ言っとこうかな」

 都さんは伸びをする。無理難題じゃないといいなぁ。

「今度の土曜、暇?」

 予定はない。でも即うなずくのはキケンな気がする。だからといって忙しい、なんて嘘をつくのもちょっとな。マネージャーの件、きっぱり断ったあとだし。悩みどころ。

「そんな警戒しなくても。土曜、九時からうちの学校の武道場で練習試合があるんだよね。良かったら見に来ない? 昼で終わるからその後、ごはん食べに行こ。手伝いのお礼」

 お礼はこの間、お好み焼きのタダ券もらったからそれで充分なんだけど。

「かっこいい静史郎が見れるよ?」

 コレを聞いて断るのはちょっとまずいのではないかと思う。なんとなく。だからうなずいた。

「行きます」

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