客室で昼食を済ませた私は、重い窓を開け放った。外は相変わらずの曇り空だったが、入鹿池の周辺を散策するにはちょうど良い天気なのかもしれない。夏を前にして気温はじわじわと上昇してきていたから。

 しばらく畳の上に寝そべった後で一階に下りた。ロビーも相変わらず静かだった。私以外には朝見かけた老人が一人で泊まっているだけで、他には客がいないようだった。旅館の正面玄関には大友館と揮毫されていて、そのすぐ横には無造作に自転車が立てかけられている。あまり流行っていない旅館だった。

 旅館を出て、池の東側を歩いていくことにした。まだ冷たさを残した風に水面が大きく揺れている。どこからかキジバトの鳴き声が聞こえてきて、少し懐かしい気持ちになった。どこで鳴いているか確かめてやろうと思ったが、そう簡単に見つかるものではなかった。昼間は少なからず車が行き交っていて、それに混じって車道を行くロードバイクと何度もすれ違った。たしかに池の周辺を自転車で行くのは爽快だろうと呑気に考えたが、散歩をする人とはなかなかすれ違わなかった。せっかく散策する以上は池を一周してやろうと私は考えていたのだが、ひょっとすると歩いて一周するのはかなり時間がかかるのではないかと思われた。

 そこへ今朝見かけた黒いジャージの少女が反対側から走って来た。


「こんにちは」


 彼女は私の顔を見ると挨拶をしてすれ違った。私は挨拶をされるとは思わなかったので、咄嗟に会釈を返すことしかできなかった。私はまだ東京の人間なのだなと感じずにはいられなかった。都会を歩くと様々な人とすれ違う。子供から老人、白人から黒人まで。一日に何百人、何千人という他人とすれ違うというのに、互いに挨拶を交わすことはあり得ない。

 この犬山を訪れた目的はまず第一に木村の遺した手紙を届けるということだったが、第二に私自身が静かな場所で休養したかったのだ。死んだ人間のことを悪し様に言う上司や同僚のいる職場から、少しの間だけでも離れたかった。他人の死に無関心な都会から離れたかった。それで一ヶ月間の休暇をとったのだ。休暇とはいっても、もう戻れないかもしれないのだが。

 私がいなくなったところで困る人間はいない。友人も恋人もいない。職場の人間には迷惑をかけるかもしれないが、もうそんなことはどうでも良かった。私が昇進させてもらえるかもしれないという話が少し前から出ていたが、そんなこともどうでも良く思えた。

 しかし、池の周辺を散策しながらも仕事のことが頭から離れなかった。あの仕事は他の人間には任せられないなとか、前任者が退職して私が担当し始めたばかりの取引先からは良い印象を持たれないだろうなとか、そんなことばかり考えてしまうのだ。今の生活が仕事というものに支配されているのがよく分かった。そして、私がこの犬山にやって来たのも、同僚の木村の死がきっかけだった。どこまで行っても仕事からは離れられないのかもしれない。そう思うと暗澹たる気分になった。

 立ち止まって池のさざ波を見つめる。薄い雲に透けて見える陽の光が重い熱気を覆い被せてくるので、三十分も歩いたところで汗だくになってしまった。晴れやかな気分が暗転して、これ以上先へ進むのが億劫になった。私は、あの静かな部屋へ戻ることにした。






 大友館へ戻ると、ちょうど玄関前を主人が掃いていた。お帰りなさい、と主人は言った。今は他人と話す気分ではなかったので挨拶を返すと部屋に引っ込むつもりだったが、主人は手を止めて笑みを浮かべてこう言った。


「散歩に行かれたんですか」

「ええ、まあ。途中で飽きて帰ってきてしまいました。さすがに池を一周するのはきついと思って」

「それは良かった。徒歩で一周するとなると一時間や二時間では済みませんからね」

「そんなにかかりますか」


 私は素直に驚いた。主人はやはり笑みを浮かべたままだった。


「次からはあれを使って下さい。古いものですが、まだまだ使えます」


 主人は壁に立てかけられた自転車を指さして言った。チェーンの錆びかけた、くすんだ赤いフレームの自転車だった。


「いいんですか」

「ええ、ご自由にどうぞ」

「料金は?」


 主人はきょとんとした顔で口をつぐんだ。私の言葉が理解できないらしかった。


「東京では自転車を貸すのにもお金を取るんですか?」


 やはり、私はまだ都会の人間だった。






 部屋に戻って例の如く畳に寝そべり、さっきのことをまた考え始めた。

 私が木村の遺した手紙を見つけたのは全く偶然のことだった。たしかに木村は遺品の整理を私に頼んだし、彼の両親も私がいくつかの本を引き取ることを了承してくれた。だが、誰がそこにあの手紙が挟まっていることを想像しただろう。今ではもう分からないことだが、木村自身もあの手紙のことは忘れていたかもしれない。覚えていたとしても、あの手紙を私が届けることなど想像もしていなかっただろう。

 どうして、私はあの手紙を届けようとしているのだろう。誰かに頼まれたわけでもないのに。木村がそれを望んでいたかどうかも分からないのに。私のしようとしていることは完全なおせっかいだった。木村に対して勝手な友情を抱いていた。私は彼を救えなかった。その罪滅ぼしのために、ただ自分のためだけにこの地を訪れた。

 頭の中をぐるぐると駆け巡る考えに押し潰されそうだった。私はすがるようにして窓に駆け寄り、空を見上げた。曇り空は変わらず存在していて、夜の訪れる兆しはなかった。私の一日は、私の煩悶は、まだ終わりそうになかった。






 愛知県犬山市の入鹿池の畔に建つ大友館は、昭和初期から営業を始めてもうすぐ八十周年を迎える。小ぢんまりとした旅館は本当ならば風情や情緒があると言えるのかもしれないが、平成に入ってから一部を改装をしたためにその持ち味は薄れてしまった。改装は客室のある二階を中心に行われ、主人曰く使い勝手が良くなったということだったが、客足は伸びないどころかむしろ減ってしまったという話だった。客室の改装は失敗し、古き良き何かが失われた。私も部屋にいてもどこか落ち着かないので、古時計のあるロビーに下りて時間を過ごした。ロビーは改装を免れて古い時代の趣きを残していた。木村の本棚から貰い受けた哲学書を読んだり、ここに来る途中の駅で買った推理小説を読んだりした。元々、私の生活に読書をする時間はほとんどなかったので、何度も休憩をしながら読んだ。目を閉じて時計のコチコチという音を聞いていると心が安らいだ。

 午後九時を回ったところで私は大浴場に向かった。客室と違って、この大浴場の改装は成功したと言える。池に面した側がガラス張りになっていて、前景の木々が少し邪魔に思えたが、それが却って風情を感じさせて、池の様子が一望できた。入鹿池はため池としては珍しい大きさで、湖と呼んでしまっても構わないような気がした。池や湖の違いは広さや深さによるのだそうだが、やはり単純に大きいものは湖、小さなものは池と呼びたくなる。

 昼間のうちは池の向こうに山々が見えて、空を行く雲と一体になって壮大な景色を形成している。今朝目覚めたときに東京と比べて夜明けの遅いことに驚いたのを思い出して、その思い出が遠い昔のように感じられることに愕然とした。今日という日を私はどのように過ごしたのだろう。電話をかけて昼食をとって、一時間ばかり散歩をして夕食を食べて、そして風呂に入っている。たったそれだけのことしかしていない。だというのに、この時間の流れ方は何だろう。

 つい先月までは仕事をしていたせいもあったが、一日というものがひどく短く感じられて、まるで子供のように一日が何十時間もあればと考えることがあった。今、この入鹿池の畔で風呂に入っている私は、二十四時間という時間の本当の重みを知った。もしも一日が三十時間あったとしても、東京にいた頃はその時間を有効に使えなかっただろう。いや、もしも自由時間を全て建設的に使えたとしても、まだ足りないと考えたはずだ。何かに急かされるように何かに追われるようにして生きていたのだから。時間の大切さを知らなかったのだから。

 そんなことに気付いても、私はまだ都会の人間だった。壁の高いところにかけられた時計を見て、三十分も風呂に入っていたことを知って、落ち着いて湯船に浸かっていることができなくなった。そわそわした気分を抱えたまま、私は大浴場を出た。

 ロビーに戻ると、今朝電話をかけるときに朝刊を読んでいた老人が、ソファに身体を預けて眠っていた。私はそのまま二階に上がろうとしたが、階段を途中まで上がったところで思い直した。夏を間近に控えているとはいえ、あんな場所で眠っていては風邪を引くのではないか。そう思ったところで、私は老人にどんな言葉をかければ良いのか分からなかった。身を翻した状態で立ち止まっていると、ちょうど奥に下がっていた旅館の主人が出てきて老人の肩を叩いた。主人は私の存在に気付いて静かに微笑んだ。私は、会釈をして再び階段を上がった。




 静かな部屋に戻ってそのまま眠りに就こうかとも思ったが、時刻はまだ十時前だった。東京にいた頃は日付が変わる時間に眠っていたから、眠るには早すぎる。

 本当に静かなところだった。あと数時間もすればやはり暴走族が外を走り回るのだろうが、この時間はまだ静かなものだった。机に向かって緑茶を飲んでいると、あまりにも静かなので耳鳴りがしてくるようだった。窓辺に立つと入鹿池は暗闇の底に沈んでいた。東京といえども隅から隅まで高層ビルが建っているばかりではないから、同じような光景は探せば向こうでも見つかるかもしれないが、入鹿池の闇はどんよりとしていて特別で、どこか別の世界へと繋がっているように思えた。瞬間的にある記憶を思い出した。

 私は今でこそ都会の色に染まった人間だが、元々は北陸のとある田舎町で生まれ育った。三方を山に囲まれた何もないところだったが、子供の頃は何もなくても楽しく過ごした。何もないというのは物質的に裕福ではなかっただけのことで、家族や友人、近所の人や学校の先生など、多くの人々に囲まれて育った。出会ったのは必ずしも良い人ばかりではなかった。いつも機嫌が悪く他人に理不尽な怒りをぶつけるおっかないおじさんや、被害者面をして他人を恨み育児放棄をするおばさん、精神を病み汚れた格好で徘徊する男。そんな人々も少なからずいたが、総合的に見れば良い出会いに恵まれたと思う。

 中学に上がったばかりのあるとき、私は友人たちと肝試しをすることにした。それは山の麓にあって、本当にぽつんと建っている惨めな廃病院だった。そこには山姥が住み着いているとか、戦時中に人体実験が行われていたとか、とにかくでたらめな噂が流れていて、子供たちの間では有名なスポットだった。そこに忍び込むのは中学に上がった子供たちの伝統行事のようになっていて、私も内心ではびくびくしながら平気な顔で誘いに乗った。

 結局、その廃病院には何もなかったし、何も起こらなかった。世界中の穢れという穢れが集まったような場所だったことは覚えている。私が思い出すのはその後の、家に帰る道中のことだ。私は友人たちとは少し離れた海沿いに住んでいたから、途中で彼らと別れた。帰り道は幼い頃から知っている道で、大した距離でもなかった。だが、肝試しの後でおまけに日も暮れていたから、何だか落ち着かない気分で後ろを振り向きながら歩いた。私の後ろを暗闇が付いてくる。無限に奥行きのあるどす黒い空間。私はその暗闇が怖くなって駆け出した。駆け出した末にぶつかったのは、夜の海だった。

 それはついさっきまで感じていた暗闇とは比較にならないほど、とてつもなく大きな深淵だった。海の向こうにはあちらの世界があって、どこまでも私を引きずり込もうとしているのではないか。その恐怖は今でも鮮明に覚えている。そのどんよりとした暗闇の合間を私は家まで走り抜けた。そして、頼りないながらも温かい自宅の光を視界に収めたとき、私は無上の愛を知った……。

 私がこうして故人の手紙を届けるようなおせっかいなことをしているのは、今までに貰い受けてきたものを譲ろうとしているからではないだろうか? ふと、そんなことを考えた。人の生きてきた証、魂のようなもの。そんなものを、私は伝えようとしているのではないだろうか?

 結局、自分でも納得のいく答えは出なかった。少し蒸し暑さを感じたので窓を開けると、虫や蛙の鳴き声、車道を行く自動車の走行音が聞こえてきた。そのピンセット一つまみ分の喧騒に囲まれながら、私は徐々に都会の生き方から抜け出しつつあった。

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