第17話

「……っ! 間に合えっ!」

 心の内で叫びながら、亮介は力と魔力を込めて地を蹴った。いつもの何倍もの速さで走り、宇津木の襟を掴む。そしてそのまま、最高速度でその場を離脱した。

「つっ……土宮君!?」

 宇津木は何が起こっているのか理解できず、目を白黒させている。

「話は後でします! 今は、この場を離れねぇと!」

 言いながら、亮介はガンガン走っていく。イーターはやがて小さくなっていき、視界から消えていく。

「逃げるのは良いけどね、亮介。あのイーターをどうするつもりだい? このままだと、餌を求めて町中へ乱入するよ!?」

「後で戻る! それよりも、今は宇津木さんを安全な場所へ逃がさねぇと!」

 言い捨てて走り、いつしか亮介達は町中の公園に辿り着いていた。もう夜になるからだろうか。人影は全く無い。

 ここまで来ればもう良いだろうと、亮介は足を止めた。ホッと安堵のため息をついた宇津木が、ハッとしたかと思うと亮介に詰め寄った。

「イーター? 餌? 安全な場所?? どういう事、土宮君? イーターっていうのは、さっきの化け物の事? そもそも、あの化け物は何なんだ? それに、その生物は一体……」

「ちょっ……そんな矢継ぎ早に言われても……!」

 言いながら宇津木の両肩を抑え、制止する。そして、ハッとした。

「……って言うか、トイフェルの姿……」

「……ボクにしては珍しい、うっかりミスだね。姿を消すのを忘れていたよ……」

 悔しそうに言うトイフェルに「自分で珍しいとか言うな」と視線でツッコミを入れてから、亮介は仕方無しに事情を宇津木に説明した。

 自分達がイーターと呼んでいる、先程の化け物がトイフェル達の種族を狙って地球に飛来した事。イーター達は地球人の味を気に入り、地球人を餌として狙っている事。憎しみや絶望といった負の感情を好むイーター達は、何らかの方法で地球人達に不安や絶望を与えてから食らおうとしているという事。自分は偶然トイフェルに出会い、巻き込まれる形で魔法を使えるようになり、そしてイーター達と戦うハメになってしまったという事。

 そして、強烈な負の感情をまとっていた宇津木が心配になり、会社を訪ねたという事も。

「……そうだったんだ」

「はい……」

 頷く亮介に、宇津木は情けなさそうな顔で苦笑した。

「負の感情か……確かに、そうかも。人生が思う通りにならなくて、色々な物を憎んでいたような気がするからね。同期に人事、書店員に上司や先輩。それに、子ども達や学生までが憎かった。そして、そんな事を考えてしまう自分も」

「宇津木さん……」

 何か言葉をかけようとする亮介を、宇津木は首を横に振りながら制した。

「そんなんだったから、かな? 声が……聞こえてきたんだ」

「声?」

 首を傾げる亮介に、宇津木は頷いた。

「うん。「人生をリセットして、次の人生で頑張れば良い」ってね」

「! それって……」

 亮介の顔が、凍った。

「……そう。「死んでしまえば楽になる」……本気で、そう思ったよ。誰の声かはわからないけど、僕はその声に酷く安堵感を覚えたんだ。あぁ、そうか。上手くいかないなら、やり直しても良いんだ……ってね」

「それは十中八九、イーターの仕業だね。イーターの中でも特にレベルの高い奴は、相手の心に直接囁きかける事すらできるらしい。言葉で相手を不安にさせ、絶望を煽り、時には自分の命をどうでも良いと思うように仕向ける。そこまですれば、後は狙った餌が自分からひと気の無い場所に来てくれる。それに、地球人だって好きだろう? 自分達の手でじっくりと熟成させた物を食べるのはさ」

「……」

 トイフェルの言葉に、亮介と宇津木は黙り込んだ。そして数十秒後、沈黙を破るように宇津木が亮介に問い掛けた。

「それで……土宮君は、これからまたあの廃工場に戻るの?」

「え? あ、はい。正直行きたくないですけど、放っておくわけにもいかないんで。……宇津木さんは、なるべく早く安全な場所……できれば、人の多いところまで行って下さい」

「わかったよ。……気を付けるんだよ?」

「……はい」

 さっきまで自分が危なかったのに人を心配する宇津木に、亮介は苦笑しながらも頷いた。そして踵を返し、廃工場へと戻ろうとする。

「……あ、そうだ」

 足を止めて、亮介は再び宇津木の方を見た。

「宇津木さん。電話で言った相談の件なんですけど……」

「あっ、そうだ。ごめんね、約束をすっぽかしたりして……」

 慌てて謝る宇津木に、亮介は首を横に振った。そして、少しだけ照れ臭そうに言う。

「あの、俺……実は最近、小説を書くようになったんです」

「小説を?」

 驚いた顔をする宇津木に、亮介は頷いた。

「本っっ当に書き始めたばっかりで、文章なんか自分でも頭を抱えたくなるぐらい下手くそだけど……けど、何か楽しいかもしれない。そう、思えるようになりました。……それで……」

「……」

 宇津木は、黙って亮介の話を聞いている。

「それで……その……いつか。本当にいつになるかわからないんですけど、いつか俺が自分で満足できる小説が書けるようになったら、宇津木さんに見てもらいたいんです」

「僕が? 土宮君の小説を?」

 驚いた顔の宇津木に、亮介は「はい」と力強く頷いた。

「あ、勘違いしないで欲しいんですけど、別に宇津木さんを励ます為の一時凌ぎで言ってるわけじゃないですよ!? 俺が純粋に、見て貰うなら宇津木さんが良いって思っただけです!」

「……何で……」

 信じられないという顔付きの宇津木に、亮介は言葉を探しながら言う。

「昨日、俺が会社に行って話をさせてもらった時……宇津木さんは断っても良い筈なのに、俺と話をしてくれました。上司から逃げたかったっていうのもあるかもしれないけど、それなら別に俺の話なんか適当に対応しておいても良かった筈です。けど、宇津木さんは俺の話を聞いて、答えてくれて。社会の嫌なところも隠さないで、俺にやりたい事を探すようにってアドバイスまでくれました。それで何となく、この人は良い人で、信用できる人なんじゃないかなって思ったんです。それで、もし出版社の人に俺の文章を見て貰うなら……宇津木さんみたいな人が良い。そう思ったんです」

「……本当に?」

 宇津木の声が、少し上ずっている。動揺しつつも、疑わしげな声だ。だが、何だか嬉しそうな声のようにも聞こえる。亮介は再び、「はい」と力強く頷いた。

「俺が満足できる小説を書けたら宇津木さんに見て貰って……それで、宇津木さんの眼鏡にもかなうようなら、二人してその小説持って、編集部に押し掛けてみましょうよ。これを本にしろ。本にするなら僕を担当編集者にしろ。って」

「僕が……土宮君の担当編集に?」

 実際に声に出して呟き、そして宇津木はぷっと笑った。その反応に、亮介は顔を真っ赤にする。

「笑う事ないじゃないですか! ……とにかく、そういう事なんで……俺がちゃんとした小説を書けるようになるまで、どんな立場でも良いんで天成堂出版にいて下さいよ!?」

 まるで捨て台詞でも言ったかのように、亮介はくるりと向きを変え、今度こそ廃工場へと走っていった。

 残された宇津木は、余韻を楽しむように静かに笑っていたかと思うと、笑いを収め、呟いた。

「僕が土宮君の担当になって、編集部にごり押しか……。編集部には凄く嫌がられそうだけど……けど、そうか。積極的に行動すれば、まだ夢は完全に断たれたわけじゃない、か……」

 そして、くるりと街の方へ足を向けると、歩き始めながら大きな声で独り言を言った。

「本屋に行って、営業の勉強ができる本を探そうかな。土宮君が小説を書いて持ってくるまで、何が何でも天成堂出版に齧りつかないと……その為には、クビの要因になりそうなミスを減らさないとね」

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