第18話
「戻ッテキタ……」
「戻ッテキタ。ダガ、育テタ餌ハ戻ッテコナイ」
「逃ゲラレタ。……逃ガサレタ。アノ小僧ニ」
「許スマジ……」
「許スマジ……」
「許スマジ……」
いつの間にか十数体にまで増えているイーター達がざわめき合う中、亮介は廃工場の敷地に再び足を踏み入れた。瞬時にイーター達は亮介の方に顔を向け、隠す事無く殺意や殺気をビシビシと投げ付けてくる。
「おいおい、随分歓迎されてるな、俺……」
「そうだね。……という事はこれから、歓迎会という名の殺戮食肉パーティーが始まるというわけだ。その前にボクは帰らせてもらおうかな」
「ナチュラルに帰ろうとしてんじゃねぇ。……っつーか多分、あいつらお前の事もターゲットとして認識してると思うぞ」
「まぁ、元々はボクが餌としての標的だったワケだしね……」
やれやれとでも言いたげな顔でトイフェルが溜息をついた。
「それで、どうしようか、亮介? 今日は元々イーター退治のつもりで外出したわけじゃないから、バットも持ってきてないだろう? おまけに、一度ここへ来て、また逃げて……の為に結構な魔力も消費してる。どうやって戦うつもりだい?」
「それなんだよな……。ぶっちゃけ俺も、大見得切って戻ってきた手前、どうしようかと思ってる」
「……」
トイフェルが何やらどうしようもない物を見る目で亮介を見ている。その視線から目を逸らすように、亮介は辺りを見渡した。
何の工場だったかは知らないが、建物の壁はトタンだろう。波打っている形であるように見える。
屋根は、高校時代のクラブハウスを思い出させる。壁と同じように波打っているが、波が三角形に見える。
屋内はほぼ空で、壊れているのであろう什器が二つ三つ転がすように置いてある程度だ。
亮介が現在立っているこの場所は、駐車場か何かだったのだろう。小石が敷き詰めてある。
周囲には放置されたと思わしき荒れ畑はあれど、建物は一切無い。
「……詰んだ」
頭を抱えて、亮介は呟いた。本当に困った。この状況からの打開策が、本気で思い付かない。
「なぁ、トイフェル? 前にセーブしたのっていつだったっけ?」
「現実逃避をしたいって気持ちはわからないでもないけどね。残念ながらこれはゲームじゃなくて現実だ。セーブもリセットもできないから、死ぬ気で解決策を考えるしか無いよ」
「……だよな……」
溜息をつきながらも亮介は顔を上げ、イーター達を睨み付けた。それが気に食わなかったのだろう。イーター達の、殺気が増した。
「コノ小僧……コノ状況デ絶望シテイナイダト?」
「気ニ食ワヌ。餌ガ我ラヲ前ニシテ絶望スル事無く前ヲ見ルナドト……」
「切リ裂ケ! 八ツ裂ケ! 死ニ至ル痛ミヲ味ワエバ、ドレホド強靭ナ意志ヲ持ッテイヨウトモ心ハ砕ケ散ルダロウ!」
「ソウダ!」
「ソウダ!」
「殺セ!」
「喰ラエ!」
殺せ殺せの大合唱に、亮介とトイフェルは顔をしかめた。
エアテルは、言葉の意味はよくはわからないが、それでも何となく嫌な物を感じ取ってはいるらしい。珍しく、牙を剥いている。
「……なぁ、トイフェル?」
「何だい、亮介」
「俺、何かおかしいかな? 普通こういう状況って、怖くなるもんだと思うんだけど……怖いっつーか、今ムカムカしてるんだよな。何つーの? こいつら全員に、教育的指導をしてやりたいって気分」
亮介の言葉に、トイフェルは「ああ」と言った。
「奇遇だね。ボクもキミと同意見だよ。まぁ、多分恐怖のゲージが振り切れちゃったんだろうね。ところで、亮介?」
「何だよ、トイフェル?」
「この状況に、奴らのあの殺せコール……まさに追い詰められた袋のネズミなんだけど、キミの従兄弟クンが同じ状況に立たされたら、何て言うだろうね?」
トイフェルの問いに、亮介はニヤッと笑った。
「そうだな……言い方は違うかもしれねぇけど……「殺せ」なんて安っぽい言葉を連呼した時点であいつらは倒されるザコ役決定! ってトコかな?」
「この状況を切り抜けてこそ主人公! っていうのもあるんじゃないのかな?」
「あぁ、有り得る。時野なら言うな、多分」
そう言って、亮介とトイフェルはイーター達に向き直った。するとほぼ同時に、向こうから小石が飛んでくる。
小石は亮介の額に当たり、ゴッと嫌な音を立てた。
「……っつーっ!」
亮介は思わず額を手で押さえ、蹲る。その隙に、イーター達は一気に距離を詰めてきた。
「亮介!」
トイフェルが叫ぶが、小石の当たったダメージが思いのほか大きく、亮介は中々立ち上がれずにいる。
イーター達の爪が、牙が、亮介達に襲い掛かった。
その時だ。
「虫をも射落とす冴えたる弓よ、今ここに炎の矢を降り注がん! ウィリアム・テルの
甲高い少女の声が響き渡り、空から無数の火矢が降り注いだ。赤く燃え上がる炎にイーター達は後ずさり、その隙に少しだけ持ち直した亮介とイーターは距離を取った。
「何ダ!?」
「何者ダ!」
「今のは、一体……」
その場にいる全ての者が、火矢が降ってきた空を見上げた。
空には、いつの間にか月が出ている。今日は月齢が十五に近かったのだろう。月はほぼ満ちている。
その月の下に、二つの影があった。正確には、廃工場の屋根の上なのだが。
炎の明かりのお陰で、その影の正体は比較的良く見えた。
片方の影は、まだ十代後半……精々十六~十七歳であろう少女だった。活発そうな少女で、顔は……良く言えば整っている。悪く言えば、割とその辺にいそうなレベルの可愛さだ。
染めているのか、髪はピンク色だ。セミロングで、後頭部には漫画やアニメなどでしかお目にかからないような大きなオレンジ色のリボンを結びつけている。因みに、結び目には真っ赤なバラの花が結わえてあるようだ。
服装は華々しいドレスだ。一応動き易さには気を使っているのか、裾は膝丈だが、全体的にリボンとレースでふわふわキラキラしている。色はピンクが主体だ。お姫様が履いていそうだとしか表現のしようが無い、可愛らしい真っ赤な靴を履いている。
手には典型的としか言いようの無い、大きなハート型の真っ赤な宝石と白い羽と思わしき飾りがあしらわれた長さ五十センチほどのステッキを持っている。
どう見ても、立派な魔女っ娘のコスプレだ。
「……あー……何だ。その……最近のコスプレイヤーっつーのは、それっぽいシチュエーションで撮影できるならこういうところにも来ちまうもんなのか? それも、こんな時間に……」
ドン引き半分、呆れ半分で亮介が見当違いな問いをトイフェルに投げ掛けた。すると、即座に上の方から抗議の声が降ってくる。
「コスプレじゃないわよ、失礼ねぇ! ただのコスプレイヤーが、魔法なんか使えるわけないでしょ!」
そう叫んだのは、もう一つの影だ。
その影は、とりあえず見たままで説明するのなら、全長は五十センチ程度だろう。ほとんど白に近いような薄いピンク色をしている。柔らかそうだ。餅かマシュマロでできているのではないかと思うほどに。頭部は犬かウサギを思わせる。眼は大きくつぶらで、ルビーのような濃い赤色だ。短い四肢があり、すらりと伸びた尻尾が揺れている。そして背中にはセロファンのような薄い羽が生えている。正直、この羽でこの生物が飛べるとは思えない。アニメからそのまま抜け出してきたように思える姿の生物だ。
「……って、え? あれって……」
目をぱちくりさせながら、亮介は隣で浮いているトイフェルを見た。トイフェルはトイフェルで、驚いたように硬直している。
やがてトイフェルは、ハッとすると首をブンブンと横に振り、その自分そっくりのアニメの生物もどきに向かって叫んだ。
「フォルト! 何でキミがここに……」
フォルトと呼ばれた――恐らくトイフェルと同じ種族なのであろう――生物はくすくすと笑うと、馬鹿にしたような声音で言った。
「あら、トイフェルじゃない。あなたこそ、どうしてここにいるのかしら? アタシはただ、ミリィとイーター退治に来ただけよ?」
どうやら、横の魔女っ娘少女はミリィという名前のようだ。亮介は、多分本名は「美里」とか「美鈴」とかそんな感じの名前なんだろうなーとか思ったが、とりあえず黙っておく事にする。今ここでそんな発言をしたら、まず間違い無く「空気読め」と言われるだろう。
そんな亮介の心の内など知る由もなく、マスコットらしき生物二体は会話を進めていく。
「そう言えば、あなたも魔力の火種を地球人に分け与えて、イーター退治をするとか言ってたわね。それで? 横にいるそれがあなたが選んだ地球人? かなり地味ね。しかも普段着とか。やる気あるのかしら?」
「キミこそ、その子はまだ高校生ぐらいじゃないのか? しかも、そんな衣装を着てしまうほど、こんな状況にノリノリの地球人なんて……そういう人選が、どれだけ危険かは話したはずだけどね?」
それとか言われた。そしてトイフェルはそれを華麗にスルーした。黙って聞いている亮介としては、心境は複雑だ。
「ミリィは強いわよ! 憧れと夢とイメージで、どんな魔法だって使えちゃうの。魔力の火種も、たった一日でかなり大きく育ったわ。だから、あなたの心配なんてミリィにとっちゃ杞憂なのよ、トイフェル」
「その慢心が一番危険なんだ! それもわからないなんて、キミは馬鹿なのかい、フォルト!」
「何ですって! ドジっ子トイフェルが偉そうに!」
「まぁまぁ、フォルト。いつまでも言い合ってても、きっとこのトイフェルくんは納得しないよ。だったら、心配しなくても良いんだって見せてあげれば良いじゃない。ね?」
言うや否や、ミリィはふわりと地上に降り立った。そして、亮介ににこりと笑いかけて言う。
「あとは私に任せて。あなたは下がって、魔力の回復に専念すると良いわ」
言葉の言い回しまでがどことなくアニメチックだ。時野も、もし同じ立場ならこんな風になるのだろうか……と思いつつ、亮介は素直に後へ下がる。情けないとは思うが、今は彼女に任せておいた方が良さそうだ。
ミリィは手にしていたステッキをバトントワリングのように器用に振り回しながら、決め台詞らしき台詞を叫んだ。
「悪い奴らは許さない! この世の悪を打ち砕き、平和という名の花咲かす! 花の戦乙女、魔法守護少女ミリィ! 世界のためにただ今降臨!」
魔法を使った演出なのだろうか。瞬間的に辺りがパステルカラーの光で明るくなり、空から謎の花びらが降り注いだ。
「……」
「亮介。テレビの前でチャンネルを変えたくなってる人の顔になっているよ」
「……俺、帰って良い?」
「人道的にそれはどうかと思うな」
何が人道的に、だ。そう思いながら、亮介はイーター達の様子をちらりと見る。遠目でよくはわからないが、馬鹿にされているっぽいという事だけはわかった。
だが、そんなイーター達の態度など意に介せず、ミリィはステッキをひゅんひゅんと振り回しながら呪文を唱えた。
「虫をも射落とす冴えたる弓よ、今ここに炎の矢を降り注がん! ウィリアム・テルの焔弓!」
先程と同じ呪文だ。亮介がそう認識するのとほぼ同時に、燃え盛る無数の火矢が空から降ってくる。火矢はイーター達の群れに集中的に注がれ、イーター達を炎で包み込む。
ミリィの顔に、勝機を確信した笑みが浮かんだ。
「さぁ、一気にトドメよ! 今日は数が多いから、ありったけの魔力を注ぎ込むわ。巻き込まれないように注意してよ!」
そう言うミリィの顔はイキイキとしているように見える。きっと、このシチュエーションが楽しくて嬉しくて仕方が無いのだろう。
「咲き誇る刃の花よ、今ここに激しく散れ! 剣吹雪の舞!」
ミリィが唱え終わるとほぼ同時に白銀色の花吹雪が吹き荒れ、イーター達を包み込んだ。幾枚かの花びらが、風に乗って流れてくる。
「何だ、これ……? 銀色の花びら……?」
不思議に思い、亮介は飛んできた花びらに手を差し出す。
「……っ!?」
花びらが触れた瞬間に手のひらが切れ、血が滲み出た。反射的に手を引っ込めた亮介に、ミリィはころころと笑いながら言う。
「気を付けてね。それ、全部花じゃなくて刃物だから……運が悪ければ、花びら一枚で指の一本や二本、簡単に斬り落とされるわよ」
「……!」
ミリィの言葉に、亮介はゾッとした。その間にも花びらのような刃物の吹雪は勢いを増し、イーター達の姿を覆い隠していく。
「すげぇ……こんな魔法、多分俺なんかじゃ全力出してもできやしねぇ。……なぁ、トイフェル。俺なんかが出しゃばらなくても、あのミリィって奴が一人いれば、イーター達を倒す事もできるんじゃ……?」
「……」
亮介の問いに、トイフェルは黙ったままだ。それどころか、厳しい顔付きでミリィとその魔法を見詰めている。
やがて、言葉通りありったけの魔力を使ったためか、少し疲れた表情のミリィは言った。
「さて、そろそろ頃合いね。倒されたイーター達の煙が噴き出てくるわよ。吸い込まないようにね!」
だが、アニメなどであればここでタイミング良く噴き出て来るのであろう煙は噴き出て来ない。
それから更に数十秒が経っても、何も変化は起きない。
「? おかしいわね。いくらなんでも、もう……っ!」
言いかけたところでミリィはバランスを崩し、その場にくずおれた。どうやら、魔力を使い切ってしまったようだ。
注ぎ込まれる魔力が無くなったためか、刃の花吹雪は次第に姿を消していく。そしてその代わりに、無傷のイーター達が姿を現した。
「なっ……!?」
その場にいる、全ての者達の目が見開かれた。
「無傷……どうして!?」
崩れ落ち座り込んだままのミリィが、呆然と呟いた。その様を見詰めた後、亮介は再び視界をイーター達に戻す。
よく見ると、イーター達は完全に無傷というわけではない。それに、できれば見たくはなかったが……その足元には、切り刻まれほぼ肉塊と化しているイーターが数体見える。
「……あんま考えたくねぇけど、あれってやっぱり……」
「弱い仲間を盾にして、強い奴が生き残った……って事だろうね」
「そんな……そんな事って……」
ミリィは、吐きそうな顔で瀕死のイーター達を見詰めている。
「耐エタ……」
「耐エキッタゾ……」
イーター達の声が聞こえる。亮介とミリィは、ほぼ同時にハッとした。そんな二人を見詰めながら、リーダー格と思われる一回り体の大きなイーターは言う。
「良イ表情ダ。絶望シテイルナ? 自ラノ最大ノ攻撃デ我ラヲ倒ス事ガデキズ、絶望シテイルナ? コノ後ドウスレバ良イノカワカラズ、不安ニナッテイルナ? ソレデ良イ。ソレデコソ、我ラガ餌タル地球人ノアルベキ姿ダ」
「ふっ……ふざけないで! 不安になんて、なるわけがないわ! 私は、魔法を使えるようになったのよ! アニメなら、主人公なの! 負けるわけがないわ!」
叫び、ミリィは立ち上がってイーター達に向かって走り出した。
「ばっ……やめろ!」
「ミリィ! 魔法も使えないのに突っ込むなんて危険よ!」
だが、ミリィは突撃をやめようとしない。
そして、イーターの爪がミリィの胸を貫いた。
「……え?」
口の端から血を流し、ミリィは「信じられない」という表情を作りながら声を発した。
それが彼女の最後の表情であり、最後の言葉となった。
動きを止めたミリィに、イーター達が殺到し、腕に、足に、首に、食らいついていく。可憐なドレスはあっという間に、見るも無残に引き裂かれていく。息を呑む間に、その場は真っ赤な血に染まった。
「……何で? どうして、こんなにアッサリ? どう見ても、俺よりもよっぽど強そうだったのに……」
あまりの凄惨な様子に亮介は座り込み、掠れた声で誰に問うでも無く呟いた。そんな亮介に、トイフェルは表情を変える事無く顔を向けた。
「憧れが……夢が強過ぎたんだよ」
「……」
亮介は、意味がわからぬままトイフェルに視線を向けた。
「憧れや夢は、確かにヒトに強い力を与えてくれる。あのミリィって子は、アニメの主人公に強い憧れを抱き、いつかはああなりたいと夢見ていた……違うかい? フォルト」
「……そうよ」
トイフェルに問われ、フォルトは渋々頷いた。その顔には、悔しさが滲み出ている。
「だからこそ、ある程度は強くなる事ができるんだ。憧れや夢によって成長したイメージの力で、強力な魔法を使う事ができる。けどね……それでは限界がある」
「どういう……事だよ?」
トイフェルはピャッと亮介の眼前に移動した。
「知っての通り、魔法を使うには魔力がいる。そして、魔力の火種を育てるに従って強い魔法が使えるようになるのだから、当然、自分の魔力の上限よりも強い魔法を使う事はできない」
そこまでは、わかる。亮介は黙ったまま頷いた。
「つまり、無限に魔力が湧きだすような状態でもない限り、最強無敵の魔法なんてものは使えない。勿論、無限に魔力が湧きだす状態なんて有り得ない。……と、いう事は?」
「どれだけ強くても、いつかは……自分が使える魔法じゃ倒せないイーターが現れる?」
トイフェルは頷いた。
「アニメなら、敵を倒せなくても何とかなる。敵に何らかの不都合が生じたり、援軍が現れて助けてくれたり、ね。けど、これはアニメじゃなくて現実だ。そうそう都合良く相手に不都合が起きたりはしないし、援軍だって期待しない方が良い」
そう考えると、ミリィが助けに入った亮介はかなり運が良かったのだろう。亮介は思わず、ミリィが最初に立っていた工場の上に視線を向けた。
「だから、どれだけピンチでも基本的には自分の力で切り抜けるしかないんだ。けど、彼女のようにアニメの主人公に憧れて魔法使いになった者は……自分が勝利する姿、ピンチの自分を頼もしい仲間が助けに来るシーンはイメージできても、結局最後まで一人で頑張って切り抜けるシーンは想定していない」
そこでトイフェルは一旦言葉を区切り、「そりゃ、そうだよね」と呟いてから再び喋り出した。
「追い詰められて、そこを泥臭く根性で切り抜ける自分を好き好んでリアルに想像する人はそうそういないし、いたとしたらそもそもそんな人はアニメのシチュエーションに憧れたりしないんじゃないかな?」
「それは……そうかも……」
「だから、本当に自分がピンチになってしまった時……パニックを起こすんだ。魔法が効かなくて、どう切り抜ければ良いのかわからない。援けも来ない。さっきまでの自信と余裕は一瞬で打ち砕かれ、「死」の一文字が目の前に迫っている事に嫌でも気付かされる事になる」
亮介の脳裏に、先程のイーターの言葉が蘇る。
「良イ表情ダ。絶望シテイルナ? 自ラノ最大ノ攻撃デ我ラヲ倒ス事ガデキズ、絶望シテイルナ? コノ後ドウスレバ良イノカワカラズ、不安ニナッテイルナ? ソレデ良イ。ソレデコソ、我ラガ餌タル地球人ノアルベキ姿ダ」
「パニックを起こした結果、不安と絶望の負の感情が一気に高まって……結果として、イーター達にとって最上の餌になる……?」
亮介の呟きに、トイフェルは「そういう事」と言った。
「これでわかっただろ? ボクが、キミの従兄弟クンには向かないって言ったわけがさ」
「……」
亮介は、力無く頷いた。その時だ。
ずっと背後で大人しくしていたエアテルが、甲高い声で鳴きだした。何事かと亮介がエアテルを見るのと同時に、フォルトが叫ぶ。
「悠長な話をしてる場合じゃないわ! イーター達が……!」
ミリィを食し終わったらしいイーター達が、目を爛々と光らせながらこちらを見ている。どうやら、食べ足りないらしい。
「待タセタナ……」
「待タセタナ……」
「次ハオ前ダ」
「オ前ダ……」
幽鬼かと思う声に、血がこびり付いた牙と爪。その姿に、亮介は戦慄した。このままでは、確実に殺され、食べられる。
「……くそっ!」
悪態をつきながらも駆け出し、亮介は工場の中へと逃げ込んだ。
中には、外から見えた通り、壊れたのであろう什器が二つ三つ。それに加えて、鉄パイプに何かのタイヤ。ベニヤ板が数枚確認できた。
「……何も無いよりゃマシか……」
呟き、亮介はベニヤ板とタイヤを即座に確保した。そして魔法で形を変化させ、テニスラケットほどはある巨大なパチンコを作り出す。
それを手に持ったまま走り、窓から外に飛び出す。すると、丁度亮介を追って入口から工場に入ろうとしていたイーター達の背後に出た。
亮介は素早く転がっていた石ころを数個拾い上げた。その物音に、一体のイーターがこちらを振り向く。
「イタゾ……!」
そう、そのイーターが口を開けた瞬間。亮介はその口に向かって、石ころを発射した。魔法で加速させた上に軌道を修正した石は寸分違わずイーターの口に命中し、そのまま喉を貫き破る。
「ガッ……」
喉を破られたイーターは、その場に崩れ落ちる。倒せなくとも、これで少なくとも動きは鈍くなるだろう。
様子がおかしい事に気付いた他のイーター達が、次々に振りむき始めた。
「何ダ」
「ドウシタ?」
そうして何も知らぬまま開かれたイーター達の口を狙い、亮介は次から次へと石を発射する。
「ガッ……!」
「グボッ……」
「グゥッ!?」
「皆、口ヲ閉ジロ! 奴ハ口ヲ狙ッテ……ガハッ!」
最後に石を命中させたイーターにネタばらしをされてしまったが、それでも大分数を減らす事はできた。残りは、あと三体だ。
だが、流石にもうイーター達は口を開いてくれない。次に口を開くとしたら、それは仕留められた亮介を喰らう時だろう。
こういう時は三十六計逃げるに如かずといきたいところだが、膠着状態のためにそれも難しい。
(どうすりゃ良いんだ……もう、諦めるしかないのか?)
そんな言葉が過ぎった頭を、亮介はブンブンと横に振った。ここで弱気になっていては、イーター達が喜ぶだけだ。
亮介は、イーター達の様子をよく観察した。親玉と思われる一体だけは少々下がっているが、他は先ほど石を命中させた奴らも含めてほぼ固まっている。
「なら……!」
呟くとほぼ同時に、亮介は指をパチンと鳴らした。その行為と音に一瞬だけ気を取られたイーター達は、次の瞬間に自分達の足元に巨大な穴が出現した事に対処できなかった。穴に落ちたイーター達は、叫び声をあげながら落ちていく。そしてその叫び声は、どんどん遠くなっていき最後には聞こえなくなった。
「一体どんだけ深い穴を掘ったんだい、亮介……?」
「さぁな。一応、マントルまで届くようなのを想像したんだけど……」
「それはまた……」
呆れながらも、トイフェルは苦笑した。そして、顔を引き締めると残る一体のイーターを見る。それにつられるように、亮介もそちらを見た。
先程も思ったが、恐らく残っているのは親玉格だ。今までのどのイーター達よりも体が大きく、更に首元に何やら宝石のような物を埋め込んでいる。寧ろ、これで親玉でも何でも無かったらアニメ的には詐欺だろう。……まぁ、アニメではないので、親玉ではない可能性も無いわけではないが。
「オのレ……よクモ同胞達ヲ……!」
喋った。その発音は、先程までのイーター達よりも少しだけ滑らかだ。やはり、こいつは他のイーター達よりも特別な存在なのかもしれない。
「許さンぞ、小僧!」
叫ぶや否や、イーターは亮介目掛けて突進してきた。鋭い爪を閃かせ、勢い良く突き出してくる。
「いっ……!?」
間一髪避けるも、すぐさま第二撃が襲ってくる。辛うじて回避しながら、亮介は叫んだ。
「トイフェル、フォルト! さっき工場の中にあった鉄パイプ……あれ持ってきてくれ! 早く!」
声を受け、トイフェルとフォルトが慌てて工場の中へと飛んでいく。本来の餌であった筈のトイフェル達が亮介から離れても、イーターは変わらず亮介を狙い続けている。仲間が倒されたのが、よほど気に入らないのだろう。
「……だったら! 俺達地球人を狙うなっての! こっちは襲われたりしなきゃ攻撃したりしねぇっつーの!」
逃げ回りながら叫ぶが、イーターは攻撃の手を緩めない。それは、そうだろう。向こうだって、生きるための食料を確保するという目的で地球人を襲っているのだから。ただ好き好んで地球人を殺戮しようとしているわけではないのだし、地球人一人の言葉でほいほい止めてくれるわけがない。
「まぁ、アレだね。世界はたかが二十一歳の男子大学生が何かほざいただけで救えるほど安くはないってワケだ」
トイフェルの声に、亮介は思わず振り向いた。数分の間ではあるが、待ち焦がれた武器の到着だ。
「武術の経験なんてありゃしねぇけど……無いよりゃマシだろ!」
そう言って、亮介は鉄パイプを一振りした。鉄パイプは一瞬光り、銀色の棍へと姿を変える。棍と言うよりは、孫悟空の持つ如意棒と言った方がしっくりくる見た目だが。
「同じ事ダ!」
イーターが吼え、逼り来る。亮介は後へ跳び下がろうとしたが、間に合いそうにない。慌てて棍を振り、ギリギリのところでイーターの爪を受け止めた。
「……小癪ナ……!」
ギリ……と歯ぎしりをするような音を立てながら、イーターが爪に力を込めてくる。負けじと棍を押し返そうと亮介も力を込めるが、地力の差が違い過ぎる。次第に、体が後へと押されていく。
足がずるりと地を滑る。バランスが崩れ、膝を地に付いた。その影響で、イーターの爪を防いでいた棍が爪から外れる。
「しまった……!」
「死ネ」
イーターが大きな口を開けて亮介に逼った。先ほどのパチンコを構え直す暇は無い。
(ここまでか……!?)
亮介は思わず目を閉じた。
その時だ。
「エアテル! 何をする気だ!?」
トイフェルの声が響き、それと同時に亮介の肩からエアテルが跳び上がった。エアテルは甲高い雄叫びをあげながらイーターの顔面へと飛び込み、その顔に爪を立てた。
「グッ……!? 何ダ貴様……我らノ同胞だト言ウノに、地球人ノ味方をすルツモリか!?」
イーターにそう言われても、エアテルは怯まない。突き立てた爪で、イーターの顔面を力強く引っ掻いている。甲高く勇ましい雄叫びは、尚も止まない。
その隙に、亮介は棍を手放し、再びパチンコを手にした。特に大きな石を選んで拾い上げ、番えて構える。
エアテルに顔面を引っ掻かれ、前が見えなくなったイーターがフラフラと先程の穴へと寄っていく。その足が、穴の縁を踏んだ。
「今だ! エアテル、離れろ!」
亮介が叫んだのを合図に、エアテルは宙へと跳んだ。それと同時に、亮介は石をイーターの口目掛けて発射する。
石はイーターの口へ見事命中する。衝撃で首元の宝石が飛び、イーターは足を踏み外した。後は、重力に任せておけば良い。亮介は、勢いからガッツポーズを作った。
「よし! やった……」
「ガァァァァァァァッ!!」
「!?」
今まさに穴へ落ちようとしていたイーターが、最後の力を振り絞ると言わんばかりに凶悪な雄叫びをあげた。そして、もがくように腕を伸ばすと、地に着地したばかりのエアテルを掴む。
エアテルが、甲高い悲鳴をあげた。
「! エアテルっ!!」
咄嗟に亮介は走り、エアテルの腕を掴んだ。だが、エアテルを掴んでいるイーターの腕力と、重力には勝てず、一緒に引きずられていく。辛うじて止まった時には、エアテルは完全に穴の中。亮介自身も、肩から上を穴に入れている状態だった。
「……っ!」
腕がちぎれそうなほどに痛い。だが、今ここで手を離したら、エアテルが……。
「……待ってろよ、エアテル。今、魔法でお前を浮き上がらせるから……」
そこまで言って、亮介はハッとした。
魔力が、もうほとんど残っていない。
武器を作ったり、軌道を操作したりとで、使い過ぎたのだ。それでなくても、ここへ来るまでに大量の魔力を消費している。ミリィが戦ってくれたから、その時間で魔力を多少は回復できた。それで先程まで戦えていたようなものなのだ。
「……っ! トイフェル、フォルト! お前らの魔法で、何とかエアテルを助けられねぇか!?」
すると、トイフェルとフォルトは残念そうに首を振った。
「……残念ながら、それはできないよ……亮介」
「!? 何で……」
「あのイーターは、まだ生きているわ。……ううん、きっと穴に落ちてさえいなければ、まだいくらでも暴れる事ができる。今あの仔イーターを助けたら、あの子に掴まっているイーターも一緒に助ける事になるのよ? その時、あなたはあいつと戦える?」
「! ……それは……」
言葉に詰まった亮介の傍に、トイフェルとフォルトは寄ってきた。そして、哀しそうな声で言う。
「せめて、キミの腕力と体力が持つように……ボクとフォルトで魔法をかけるよ。キミの力が尽きる前にイーターがエアテルを掴んでいる力が尽きてくれれば……」
そう言うトイフェルとフォルトの周りに、光の帯が出現した。光の帯は亮介を包むように舞い、亮介は少しだけ体力が蘇ったように感じた。だが、それでもイーターがエアテルを掴み続ける体力に勝てるかどうかわからない。
(もし、俺の力が持たなかったら……?)
不安が頭の中で言葉となり、次第に呼吸が早くなる。そしてそれを後押しするように、一番下にぶら下がっているイーターが暴れた。その衝撃で、亮介の体がまた少し穴の中へと入っていく。
(やべぇ……このままじゃ、エアテルを助けるどころか俺まで……)
つい、そんな事を考えてしまった。そして、元々は不安を初めとする負の感情を好むイーターであるエアテルはそれを嗅ぎ取ったのだろう。エアテルは亮介に掴まれていない方の手の爪で、亮介の手を引っ掻き始めた。
「痛っ! ちょっ……何するんだ、エアテル! そんな事したら、お前の事離しちまうかも……」
そう言って、亮介はハッとした。
「……エアテル? まさか、お前……!」
その時、エアテルの顔がニコッと笑ったように見えた。そして、エアテルは口を開く。
「りょーすけ」
「! エアテル、お前今、喋って……」
驚き目を見開く亮介に、エアテルは更にたどたどしい口調で言った。
「スキ」
そう言う顔は、また笑ったように見えた。だが、深く考える間も無く、亮介は右手に鋭い痛みを感じた。
「痛っ!?」
見れば、エアテルの爪が深々と亮介の手に突き刺さっている。
「……エアテル。おい、お前……何やってくれてんだよ? こんな事されたら、明日から俺、右手使えねぇじゃん……。そしたら、誰がお前の飯を皿に盛ると思ってんだよ……?」
強がって怒るふりをしてみるが、喉が震え、声に力が入らない。次第に手がズキンズキンと酷く痛み出し、更には痺れて感覚が無くなってくる。
そして、その時を狙ったかのように、エアテルが亮介の手に噛み付いた。既に限界に近かったのか……反射的に手がエアテルを離した。すると、エアテルは満足そうに口を亮介の手から離す。
その瞬間、エアテルとイーターの親玉は穴の奥底へと落ちていった。
「エアテル……エアテルーっ!!」
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