第16話
この会社に採用が決まった時、夢が叶ったと……本気で思った。嬉しくて嬉しくて、仕方が無くて……。
その日から、どんな本を作ろうか、どんな作家を担当する事になるんだろうかと、毎日のように想像を膨らませた。
けど、現実はそんなに甘くなくて……。僕が配属されたのは、本の制作には携わらない、営業部だった。
どの部署だって出版社である事には変わらないんだから頑張らないと、と思った……と言ったら嘘になる。
こんな状態だから、仕事に身が入るわけが無くて……。毎日毎日、同じようなミスをした。毎日毎日、番線を貰いに書店へ行く度、担当者に良いようにあしらわれて……結局、ほとんど注文を取る事ができないまま会社へ戻る事もしばしばで。
当然のように、毎日毎日、先輩や上司に怒られた。
怒られて、萎縮して、ミスをしたくないから消極的になって、それでまた注文が取れなくて、戻って怒られて……。
悪循環は止まらない。悪循環から抜け出せない自分が嫌になる。
最初は、例え営業部でも、頑張っていればいつかは編集部に転属になるかもしれないと思っていた。けど、こんなにミスばかりするような人間が、花形とも言える編集部に転属されるような事なんてあるんだろうか? ……無いと思う。
じゃあ、別の出版社に転職してみるか? ……それも無理だ。こんな大手出版社をたった一年とちょっとで退職するような人間、出版社どころか、どこの会社も雇ってはくれないだろう。
転属は多分無理。転職はもっと無理。なら、僕はこのまま定年退職するまで、営業部に所属し続ける事になるんだろうか? 営業部で、毎日先輩や上司に怒られて、書店で軽くあしらわれて、いつの間にか後輩にも追い抜かれて、上司が同期と年下ばかりになって……。……いや、ひょっとしたら、そこまで持たないかもしれない。そうなる前にクビになるかもしれないし、僕の方が耐え切れなくて早期退職するかもしれない。
悪い想像は消えない。それどころか、心の中でどんどん大きくなっていく。
こうして僕は、二十四にしてこの先の人生に絶望を覚えた。
絶望すると、何もかもが嫌になってくる。何もかもが、憎らしくなってくる。
編集部で遣り甲斐のある仕事を任されている同期が憎い。自分を編集部に配属してくれなかった人事が憎い。話を聞いてくれず、軽くあしらってくる書店員が憎い。毎日のように怒ってくる上司や先輩が憎い。将来への不安なんてこれっぽっちも抱かずに、楽しそうに過ごしている子ども達や学生が憎い。
そして何より、こんな事をずっと考え続けてしまう自分が憎い。
誰も何も、悪い事はしていない。僕がこの心の悪循環から抜け出せれば、全て解決する。
なのに、抜け出せない。それどころか、悪い想像はどんどん強固になっていく。このままじゃ僕は、いずれ誰かを壊してしまう。その誰かが、僕なのか、僕以外の誰かなのかはわからないけれど……。
僕は、どうしたら良い?
どうしたら? どうしたら。どうしたら、どうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたらどうしたら……。
考えあぐねた僕に、誰かが囁いた。囁いたのが誰なのかは、今となってはもう思い出せない。
「仕方が無いね。ここまできたら、もう修正は不可能だ。やり直すしかないよ、一からね」
「一から?」
「そう。つまりは、人生をリセットするんだ。死んで生まれ変わって、次の人生で頑張るんだよ」
生まれ変わって、次の人生で頑張る。……そんな事が、可能なんだろうか?
けど、その言葉は妙に甘美に僕の心に響いた。
生まれ変われようが変われなかろうが、どうでも良い。この悪循環から抜け出せるのなら、どうだって……。
それからの僕は、いつもの僕からは想像もできないくらい行動が早かった。
まずは上司に、体調不良を理由に早退を申し出た。上司は溜息をつきながらも、許可してくれた。
会社を出て、駅へと向かう。すると、誰かはまた囁きかけてきた。
「駄ァ目駄目。そっちじゃ駄目だよ。自宅は駄目だ。駅も駄目だ。高層ビルもよろしくない。どこで死んでも、誰かの迷惑になるよ。どうせ死ぬなら、ひと気が少なくて、後片付けも楽な場所が良い。……違うかい?」
「……そうかも」
頷き、僕は方向転換をした。確か、ここから西の方にずっと歩いていって……町外れまで行けば廃工場があった筈だ。
……あれ? けど、そこでどうやって人生をリセットすれば良いんだろう?
「そんな事は、心配する必要は無いよ。行ってしまえば、何とかなるさ」
「そんなものかなぁ……?」
首を傾げながらも、特に大きな疑問は感じる事無く、僕は歩き出した。
どれだけ歩いたか、わからない。気付けば空は赤くなっていて、辺りに人影はほとんど無くなっていた。
携帯電話が鳴った。反射的に取り出してディスプレイを見てみると、「土宮君」と表示されている。
……あぁ、昨日ぶつかっちゃった、大学生の子だ。そう言えば、今日会う約束をしていたんだっけ。悪い事、しちゃったなぁ……。僕に相談があるって言ってたけど、何だったんだろう……? きっと、どうでも良い事だよね。僕なんかに相談できるような事なんだから。
歩き続けて、空が赤みを失い薄暗くなってきた頃……僕は廃工場に着いた。当然の事だけど辺りはさびれていて、人っ子一人見当たらない。
僕は、人生の残りを惜しむようにウロウロとその辺りを歩き回ってみた。
特に、何も変わらない。やり直したいという気持ちは湧いてこない。そして、悪循環から抜け出したいという気持ちだけが強く残っている。
「……もう、良っか……」
溜息をついて、僕は工場の中へと向かう。工場の中から、大きな音が聞こえてきた。
……あれ? この工場、廃工場になってるんだよね……? じゃあ、この音は何? まるで、何か大きな生き物の吼え声みたいな……。
工場に近付くにつれて、音は大きくなっていく。僕に段々、今までは感じていなかった感情が芽生え始めてきた。
興味と、恐怖。
こんな音を発しているのが、一体何なのか見てみたい。けど、直に見るのは怖い気がする。けど、見たい。
恐怖を感じながらも、僕は一歩一歩着実に工場に近付いていく。工場の中に、何か影のような物が見えた。
……あれは、何だ? 大きい。動いている。けど、ゾウとかキリンとか……今までに見た事がある動物とは違う。
興味に背を押され、僕はまるで吸い寄せられるようにその影に近付いていく。
その時、僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
「宇津木さん!?」
その声に、僕はハッとした。そして、急に冴え始めた頭で前を見る。
そこには、人間の倍はあるであろう大きさの、エイリアンのような化け物が佇んでいた。
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