櫓が燃え盛る炎に包まれて、物語が進んだ先に、『村』の問題点が浮かび上がります。
『懲罰房』に入れられて絶望する子ども。味方がいない……どんなときでも、どんな状態でも愛してくれる存在を欠く世界には、安心や希望を見出せないでしょうね。たとえ衣食住に不自由が無くても満たせない心があり、『懲罰房』の記憶は一生、消えないと思います。「私たちを助けて」という台詞が深く響きます。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
絶対的な保護者の存在は、子どもの頃はもちろん、その後の成長にも関わってきますよね。
一度心に刻まれてしまった傷は、一生かかっても消えないはずです。
今後、村がどう変わっていくか分かりませんが、みんなが穏やかに生きられるといいですね。。
自分の味方になってくれる誰か、という存在は絶対に必要ですよね……。
子どもにとってはやっぱりそれが親で。家族という最小単位が機能していないこの『村』は、やっぱり歪んでしまっているんだと思います……(><)
作者からの返信
コメントありがとうございます!
何があっても受け止めてくれる、守ってくれる存在がいるだけで、心の安寧を得られますよね。
家庭というものの一番大切な役割だと思います。
こんばんは。
村をどうするのか。私がそこに口出し出来るのであれば、存続も交流もせず、静かに終わらせることを提案します。
この村に生きる人たちは、生物学的には同じであっても、違う生き物です。混ぜてしまうことは、とてつもない軋轢を生むでしょう。
そしてそれは、少数である村の人々に、悪であるというレッテルとなります。
もう何世代かがその社会しか知らずに生きてしまっている以上、それはそれとして終わるのが良いのではと。幸福ではなくとも、いま以上の不幸を生むことはありません。
まあ……若い世代で、環境の変化に耐えられる人を厳選して外に出すことは例外としては考えられますが。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
仰る通り、この村を解体して村人たちを一般社会に混ぜるのはとても危険ですね。少数民族への迫害や差別、それに似たことが起きると思います。
残された村人たちの道。どこにも行けないのだとしても、何を選ぶのか。
この後の数話で、それを語っていきます。
さながら社会主義国と民主主義国の歩み寄りですかね……!
当時の日本の状況も切羽詰まっていたかと思いますが、親の愛なくして育った子が、大人になって子供を愛せるわけがありませんよね。このまま締め付けが強くなれば、行き着く先は某北のような状況になってしまいかねないですし。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ヒトの生産性を維持するシステムとしての『村』なのですが、結果的に大事なものが欠落してしまいました。
生物として生きることはできても、人間としてはどうなのか……
命さえ繋げばいいってもんじゃありませんね。
こんにちは。
一ノ瀬さんに石を投げるひとも含めてこの村で生まれ育ったひとは皆、実験の被害者なんじゃないかと思いました。互いに愛しあったり思いやったり、人間が本来もつはずの感情が育つのをいびつに矯めて、おかしな世界をつくらせてしまったのかなと。
それでも「おかしい」と声をあげ行動することで、この世界は変えていけそうですね。あとは、個人的な問題がどう解決されるのか。。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
そうですね、大人も子供もみんな被害者です。
誰も彼も、おかしな常識を与えられ、無自覚なまま我慢を強いられて、歪んでいる。
一ノ瀬が打ち込んだ楔から、何かを変えていけるでしょうか。
ユウマの傷も深いでしょうね……