◇一の章◇第8話②「村へ・後」

「この『村』は、のプロジェクトの一環で極秘に作られた集落です」


 簡素な木のテーブルを挟んで腰掛け、男性はそのように話を始める。


「三十五年前、『国家としての日本政府』は破綻しました。しかし、完全に滅んだ訳ではありません。既存の社会体制を棄て、まったく新しい社会体制を確立することで未来永劫繁栄する国造りを目指し、決して表舞台には出ない地下組織として存続しています。そして新しい国のサンプルケースとして三十年前に作られたのが、この『村』です」


 夢かうつつか。鈍い頭痛が鎮座する一ノ瀬の思考に、その事実は夢物語のごとくぼんやり響く。


「全国各地に、同様の『村』があります。それぞれ少しずつ形態は違うのですが。私はこの『村』を作る最初の指導者――『教師』として派遣されました。私は元々『外』で大学教授をしていました。最初の『教師』は、学校の先生だとか科学者といった人々の中から選出されたのです」


 確かに、地方自治に委ねられた今の暮らしは綻びが多く、犯罪は増える一方で、列島全体が緩やかに死に向かっていると言っても過言ではない。


「そもそも政府が破綻した一番の原因は、極端な少子化にありました。毎年子どもの数は減り、逆に非労働人口である老人の割合は膨れ上がりました。出生率が劇的に上がらないことには、この問題は到底解決できません。しかし出生率の上昇どころか、結婚せず独り身で居続ける者も多い。家庭を作り、子どもを持つことによる経済的・精神的な負担感が一つの要因でしょう」


 一瞬、部屋が静寂に包まれる。彼は続ける。


「だから政府は、婚姻制度の存在しない社会を、実験的に作りました。結婚、家庭という枠組みにとらわれず、生まれた子どもを社会全体で育てる『村』。生活に必要な生産性が、全てその社会の中で完結する『村』。しかしそれらを実現するためには、既存の概念をすっかり棄て去る必要がありました。婚姻制度は古くから社会通念として存在しているものですから。それゆえ『村』は、一般社会から隔絶した場所に作られました。地図にも載せず、村人が『村』から出ることも、『外』の者が『村』へ入ることも基本的にはできないようにして」


 ということは、知里の『お兄ちゃん』は血縁のある兄弟ではないということだろうか。

 それはひどく不自然に思えるが、よくよく考えれば一ノ瀬自身も『家族』という感覚は実際よく分からないのだ。


「違和感があるでしょう。実際、婚姻制度なしに子を産み育てる社会を維持するには、いろいろな制約が必要でした。それは人々の生活や人格形成に歪みを生みました。私は『村人』となって十年目の年に、『村』の在り方を見直そうと『協会』や他の『教師』に提言しました。しかし危険思想と見なされ、この村外れの森に『追放』されてしまいました。既に『村』全体がすっかり歪んだ状態で定着してしまっていたんです」


 『追放者』の口元が自嘲気味に歪む。


「ともかく、この『村』はそういうところです。この体制が崩れないように、地下組織である政府に管理されているのです」


 一ノ瀬がはす向かいに座る佐伯をちらりと見やった後、正面の男性に尋ねる。


「要するに、この『村』を管理する『キョウカイ』とは、政府のことなんですね」

「お察しの通りです」


 一ノ瀬は佐伯に向き直る。


「佐伯は、政府の関係者なの?」

「……あぁ、そうだよ。国家再建特別プロジェクトチームの中部地区担当だ。下っ端も下っ端だけどな。この『村』の付近に異変がないかを見張るために、警察局に派遣されてたんだ」

「それを、どうして急に辞めたの?」

「彼女から『村』の危機を聞いて、どうしても俺は『村』に行く必要があった。もう『外』には戻らないつもりだった。本来であればちゃんとした手続きを踏んで退職すべきだったが、いかんせん時間がなかった。だからちょっと強行だったが、ああいう形で辞表を出した」


 一ノ瀬は、佐伯が姿を消す前日の夜のことを思い出す。だから少し、様子がおかしかったのか。


「知里ちゃんがこの『村』の出身だって分かってたのね。どうして置いていったの?」

「俺一人が当直の状況で彼女を連れて消えたら、完全に誘拐犯扱いだろう。それはさすがにまずい。とりあえず騒動がひと段落着くまで彼女を君に預けて、頃合いを見て迎えに行くつもりだった。彼女にはそう言い含めたつもりだったんだが」

「一言くらい、あっても良かったんじゃないの?」

「言ったら納得したか?」

「だからって……」


 一ノ瀬は佐伯を睨み付ける。元相棒の表情は変わらない。

 言いたいことはたくさんある。だが、口を開いたら罵詈雑言ばかりが飛び出てしまいそうだ。


「……それで一体、『村』で何が起こってるの?」


 結局、元の問題へと気を逸らすことで気持ちを落ち着ける。

 佐伯は少し躊躇ってから、ゆっくりと話し始める。


「実は、村の内部でテロが起きようとしている。その首謀者が、彼女だけは巻き込むまいと『外』に逃がした」

「なるほど。じゃあその首謀者というのが、知里ちゃんの『お兄ちゃん』という訳ね 具体的には、何をしようとしているの?」


 一ノ瀬が訊ねると、佐伯と『追放者』が顔を見合わせ、小さく頷き合う。

 まるで共犯者のようだ。そもそも、立場の違うこの二人が一緒にいる理由が分からない。

 口を開いたのは、また佐伯だ。


「明日の夜、『村』で祭がある。この『村』のシステムが成立するためには、なくてはならない年に一度の重要な祭だ。彼はそれをぶち壊すことで、『協会』側に不満をぶつけようとしている」


 祭と聞いて、知里が口にした『ホウジョウサイ』のことを思い出す。

 佐伯は知っていたのだ。その祭のことを。


「今日、彼と話をした。でも残念ながらまだ説得はできていない。俺はこれからもう一度、話をしに行く。それでも無理なら、彼を拘束する他ない。閉鎖的なこの『村』でそういう措置を取ったら、恐らく二度と普通の暮らしはできなくなるだろう。だけどもし彼が事を起こしてしまったら『協会』――政府は、彼を然るべき方法で処分することになる。それだけは避けたいんだ」


 平坦な口調とは対照的に、佐伯の眉間には苦渋が刻まれている。それが『村』のシステムとしての難しさに拠るものなのか、佐伯個人の感情の問題なのか、一ノ瀬には判別できない。


「ねぇ、私は事情をよく知らないから分からないんだけど、『お兄ちゃん』が政府に不満を持ってるのなら、佐伯よりこの『教師』の人の方がうまく説得できるんじゃないの?」


 『追放者』はまた自嘲気味に笑う。


「元、『教師』です。いや、例えこの社会に対して彼と私が同じ不満を抱いていたとしても、重要なのはその表出方法です。彼にとっては、不満や疑問を抱きながらもここで『追放者』としてひっそり暮らすしかない私の在り方が、どうにも理解できないらしい」


 一ノ瀬はようやく気付く。先ほど佐伯が「二度と普通の暮らしができなくなる」と言ったのは、すなわちこの男性のように『追放者』となるということなのではないか。

 そうなれば、知里が『お兄ちゃん』と暮らすことはできなくなるだろう。


「……私もお兄ちゃんのところへ行く。お兄ちゃんと話をする」


 ずっと口を閉ざしていた知里が言う。

 それに対し、佐伯がかたい口調で応える。


「駄目だ。彼が一旦逃がした君を、俺が連れていったりしたら却って逆効果だろう」

「じゃあ私一人で行きます。元はと言えば、私が掟を破ったせいでお兄ちゃんを巻き込んだようなものだもの」


 また、あの感覚だ。何かが一ノ瀬の頭の中を暴れ回っている。

 徐々に酷くなる頭痛がノイズとなり、それが像を結ぶのを阻害している。


「どちらにしろ同じことだ。君に、あいつを説得できるのか? もう時間がないんだ。説得できなければ、拘束する他ない」


 知里は俯き、きゅっと唇を噛む。

 佐伯は一ノ瀬を見ずに言う。


「一ノ瀬、事情は大体分かっただろう。こちらのことはこちらで解決する。だからもう帰ってくれ。この村のことは、くれぐれも他言しないでほしい」


 一ノ瀬はひどく混乱していた。ここまでの話だとは思っていなかったというのが、正直なところだ。


 一方で、胸の奥では説明しがたいわだかまりが渦を巻いていた。

 重大な何かを見落としている気がするのだ。その正体を掴もうにも、霧に紛れるように消えてしまう。

 ここに留まって真実を突き止めたいと思う反面、佐伯に反論するほどの理由を彼女は何一つ持っていなかった。


 割り切れない気持ちと正体不明の胸騒ぎを抱えながら、一ノ瀬はおずおずと立ち上がる。

 その手を、知里が握る。彼女の瞳が縋ってくる。お願い、行かないで。お兄ちゃんを助けて。


 それに引き摺られるように、一ノ瀬は再びすとんと腰を下ろす。振動で頭痛もぴょんと跳び跳ねるが、知里の存在になぜか救われたような気持ちになる。

 そして顔を上げ、きっぱりと告げる。


「知里ちゃんが落ち着くまで、私はここにいる」




 物音がしなくなったのを見計らい、一ノ瀬は目蓋を開ける。そして木の床に敷かれた薄い布団からゆっくりと這い出し、辺りを伺う。


 佐伯は『お兄ちゃん』の説得のため随分前に出掛けた。

 知里は一ノ瀬の布団のすぐ隣のベッドで静かな寝息を立てている。

 『追放者』の男性は椅子に腰かけているが、テーブルに頬杖をついてうたた寝をしているようだ。


 一ノ瀬は簡単に髪をまとめ、携帯端末をポケットにねじ込み、懐中電灯を手に持つ。

 そして音を立てないようにそっと扉を開け、外へと出る。


 煌々と夜空に輝く月明かりと懐中電灯を頼りに、一ノ瀬は森の道を歩く。

 ずっとかすかに匂っている甘い香りは、森を進むにつれ濃くなっていく。

 こめかみの辺りが未だにずきずきと痛む。その痛みはまるで警鐘のように、がんがんと頭の中に鳴り響く。遠いカラスの鳴き声が、痛みに呼応する。


 小路は雑草で覆われている。それなりに踏まれている道なのか、壁の外側に拡がる森とは違って歩きやすい。

 やがて開けた場所に出る。広場のような場所だ。小学校の校庭くらいの広さがある。

 その中央に背の高い何かが建っている。盆踊りの時のやぐらに似ている。


 頭痛はますますひどくなり、鼓動は速度を上げる。

 この『村』の中に足を踏み入れたころから、何だか胸騒ぎがしていた。

 知里に出会ってから、たびたび心に引っかかることがあった。

 佐伯やあの男性の様子にも、言い知れぬ引っかかりがあった。

 その二つを辿っていった先は、根っこの部分で繋がっているような気がしてならないのだ。

 だけど、いったい何が?


 その時。


「おい、あんた何者だ」


 出し抜けに声を掛けられる。

 気付けば、一ノ瀬の周りを二人の若い男が取り囲んでいる。いずれもやはり生成りの服を着ているので、恐らくそれがこの『村』での普段着なのだろう。


「見かけねぇ女だな」


 一ノ瀬は櫓を背にし、身構える。


「えぇっと……」


 何と言えばいいだろう。『外』から来ました。これはまずい。

 警察局の者です。これも意味が通じるかわからない。

 知里ちゃんを保護した者です。それがベストに思えたが、この男たちがどういう立場の者か分からない以上、余計なことは言わない方が良いだろう。


「怪しいな。『協会』の手の者か?」

「え?」


 一ノ瀬が口ごもっている間に、男たちが間近に迫っている。


「あんた、この櫓を見てただろう」

「違います、私は――」

「とぼけるな。あんた全然見かけない顔だし、変な服着てるし、どう言い訳したって怪しいぜ。拘束して、報告しよう」


 一人の男が乱暴に一ノ瀬の腕を掴む。

 一ノ瀬は反射的に男の腕を取り、脚を引っ掛ける。まさか抵抗されると思っていなかったのか、男はバランスを崩して仰向けに倒れる。

 彼女も男の上に乗る形で倒れ込んだが、即座に身を起こして駆け出す。


 だが、すぐにもう一人の男に行く手を阻まれ、抱きすくめられるように捕えられてしまう。

 その腕から必死に逃れようとするも、一ノ瀬はそのままうつ伏せに押し倒される。


「暴れるなよ。あんたみたいに華奢な女、どうにだってできるんだからな」


 腕が後ろ手に捻り上げられ、みしりと音を立てた。


っ……」


 一人目の男を倒した時に落とした懐中電灯が、地面にへばりつく彼女の姿を照らしている。

 腰を持ち上げられ、ぞっと怖気が走る。一ノ瀬はそのまま乱暴に抱えられ、広場から連れ出される。


「やめ……っ」


 じたばた踠けば、余計に締め付けられる。

 それでも抜け出そうとして、頬を張られる。

 痛みと眩暈、そして虚脱感。

 力では、とても敵わない。

 それ以上に乱暴されることが恐ろしくて、一ノ瀬は抵抗を諦めた。


 どこに行くのだろう。正体不明の『村』で正体不明の村人に捕えられ、進む先は真っ暗闇だ。

 辺りは不気味なほど静まり返っている。今やカラスの鳴き声すら聴こえない。

 ただ満月に近い大きな月だけが、音もなく彼女を見下ろしていた。

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