◆全の章◆第4話「祭の夜の秘密」

 『豊穣祭』の日は、朝から慌ただしかった。

 単家では朝食が済むと、ケイおばさんとミサ姉ちゃんが祭のための料理を作り始めた。

 ユウマは井戸で水を汲んだり、薪を倉庫まで取りに行ったりして、村の中を何度も往復した。

 中央の広場では、ハルじいさんが村の男たちと一緒にやぐらの点検をしていた。彼はユウマと目が合うとにこりと微笑み、手を振った。


 祭の料理は、単家ごとに何を準備するか決められる。ユウマの単家では豆を煮た料理を準備することになっていた。

 ユウマが家に戻るたびに、さやから外され下ごしらえを待つ豆の山が高くなっていった。

 お隣の単家は鶏料理の担当らしく、学校でユウマと同じ組の少年が何度も鶏小屋と家とを行ったり来たりしていた。


 昼を過ぎたころ、ユウマは集会場へ行った。本番の前に、実際に衣装を着けて最終の練習を行うことになっているのだ。

 集会場にはぞくぞくと村の子どもたちが集まって来ていた。ユウマはその中にチィ姉ちゃんとセイジ兄ちゃんの姿を見つけ、駆け寄った。


 二人は既に白い衣装に着替えていた。

 すっぽりと頭から被り膝下ぐらいの丈になる長い衣装で、腰のところで紐を結ぶ。男女ともほとんど同じ形だが、女性の方が少し裾が拡がっている。

 それは華奢な手足を持つチィ姉ちゃんにも、背の高いセイジ兄ちゃんにも、よく似合っていた。


「ユウマも早く着替えなよ」


 手渡された衣装に、ユウマは手間取りながら慌てて袖を通した。程なくして練習が始まろうとしているところだった。


「ねぇユウマ、さっきセイジ兄ちゃんと話してたんだけどね」


 チィ姉ちゃんが少し潜めた声でうきうきと言った。


「今日の『みつの祭』、こっそり覗かない?」

「えっ、でも、『満の祭』は大人しか出られないって……子どもは家にいなきゃいけないっていう掟でしょ?」


 ユウマが戸惑いながら言うと、チィ姉ちゃんは片目を軽く瞑った。


「そんなの、こっそり見れば大丈夫。うまく隠れられる場所を見つけたの。ユウマだって『満の祭』がどんな祭なのか、気になるでしょう? ばれなければ大丈夫よ」


 ユウマは返事を躊躇った。

 もし掟を破ったことがばれてしまったら、どんな罰が与えられるのだろう。何しろ天主さまは、いつ、どんな時でもユウマたちのことを見ているのだ。


「どうしても嫌なら、無理しなくていいんだぞ。チィのわがままみたいなもんだし」


 セイジ兄ちゃんが苦笑していた。

 チィ姉ちゃんは「ひどーい」と言いながら、セイジ兄ちゃんの腕を小突いた。彼女の表情は妙に甘く、大人っぽかった。

 ユウマの心の中で、ざわりと何かがさざめいた。また、あの感覚だ。


「……僕も行く」


 気付けばそう言っていた。


「やった! じゃあ『宵の祭』が終わったら、学校の日時計のところに集合ね」


 チィ姉ちゃんがとびきり嬉しそうな声で言った。

 ユウマの心には相変わらず拭い去れない不安が横たわっていたが、チィ姉ちゃんが笑うので、それでいいんだと自分に言い聞かせた。




 夕日が山の稜線に消えるのと同時に、『宵の祭』は始まった。

 広場を取り囲むように立てられた松明には火が灯され、宵闇に融けゆく木々を照らし出した。

 茜色から濃い群青に塗り変えられていく空には、ぽっかりと丸い月が浮かんでいた。

 広場の四ヶ所に設置された大きな食卓に並ぶのは、さまざまなご馳走や酒だ。食欲をそそる匂いに混ざって、会場の至るところで焚かれたあの香が薫っていた。


 音楽隊の演奏に合わせて、白い衣装にマツムシソウの花冠を被った踊り手たちが入場してきた。

 櫓の上から太鼓が打ち鳴らされ、会場全体の拍をとった。

 合いの手を入れる者、手拍子を打つ者、皆が一つになり、湿気をはらんだ初秋の大気を揺らし温めていった。


 ユウマは皆の演奏に遅れないように笛を吹きながら、櫓の周りをくるくると回る踊り手たちの中にチィ姉ちゃんの姿を探した。

 もともと三十人以上いる踊り手たちに、飛び込みの大人たちも混ざった。櫓の周りは大勢の人で溢れていたが、彼女はすぐに見つかった。


 チィ姉ちゃんは、誰よりも綺麗だった。

 華奢な手足が純白の衣装からすらりと伸び、身動きのたびにその裾がふわりふわりと舞い上がる。長い髪は松明の灯りに照らし出され、さらさらと大気に踊った。

 ひときわしなやかに舞うその少女が自分のことを可愛がってくれる人だと思うと、ユウマは誇らしくなり、またおへそのあたりがもぞりとした。


 全体での踊りの時間が終わると、歓談の時間になった。

 村人たちはご馳走を食べ、酒を飲み、笑い合った。灯りに照らされる人々の顔はどれも朗らかで、普段の禁欲的な生活から解放された喜びに満ち満ちていた。


 ユウマはチィ姉ちゃんと一緒に、器にたっぷり盛ったご馳走をつついていた。既に料理は冷めかけていたが、それでも空っぽのお腹には沁みた。


「みんな楽しそうね」


 ふふ、とチィ姉ちゃんが微笑んだ。

 ユウマが広場を見渡すと、普段かりかりした表情しか見たことのないミサ姉ちゃんが、村の若い男の人と一緒に笑い合っているのを見つけた。いつもはあんなに意地悪なのに。


 チィ姉ちゃんは会場の少し離れた場所に視線を向けていた。

 その先に誰がいるのか。確認せずとも、ユウマには分かっていた。セイジ兄ちゃんだ。

 彼は『教師』の隣に立ち、黒っぽい不思議な服を着た男の人と話をしているようだった。皆が白い衣装を着ている中で、その人の存在はとてつもなく浮いていた。


「毎年来てるのよね、あの人」


 チィ姉ちゃんがぽつりと言った。




 いつの間にか、満月は天高く上っていた。

 『宵の祭』は終わり、子どもたちは家路についた。


 ユウマもその波に紛れて家に帰るふりをして、約束していた学校の日時計のところまでやってきた。

 途中誰かに見つかるのではないかとどきどきしたが、考えてみたら大人は全員村の広場にいるのだ。


 待ち合わせ場所には、既にチィ姉ちゃんとセイジ兄ちゃんがいた。

 三人で学校の裏手の森に分け入り、草の生い茂る地面を踏み締めながら進んでいった。

 その道中、チィ姉ちゃんがセイジ兄ちゃんに尋ねた。


「ねぇ、あの人は誰なの?」

「あの人って?」

「さっきセイジ兄ちゃんと一緒にいた、黒い変な服着た人よ」

「あぁ」


 セイジ兄ちゃんは心得たように頷いた。

 辺りの闇は濃く、遠くで祭の喧騒が聞こえる以外はひっそりとしていた。

 辛うじて月の灯りだけが彼らの行く道を照らし出している。今日が満月で良かったとユウマは思ったが、よく考えると当たり前だった。


「『協会』の関係の人らしいよ。俺もよく知らないけど」

「ふぅん……『協会』ってどこにあるんだろうね?」


 チィ姉ちゃんが呟いた言葉に、ユウマは驚いた。

 単家の分け方や人々の役割の分担は、全て『協会』が取り仕切っていた。ユウマは『天主さま』と『協会』をほとんど同じものと思っていたため、チィ姉ちゃんの疑問は彼にとって想定外だったのである。


「大人になったら分かるのかもな」

「……そっか」


 来年になればセイジ兄ちゃんも『大人』の仲間入りだ。チィ姉ちゃんの相槌には、わずかばかりの寂しさが混ざっていた。


「ほら、着いたよ」


 学校の裏から続く緩やかな森の丘を上り切り、少し開けた場所に出た。

 崖のようになった地形の真下には、村の広場が見えた。


「気付かれないように、頭下げて」


 チィ姉ちゃんの指示で、三人とも頭を伏せた。祭の様子が見えるように、顔だけを少し持ち上げる。ざわざわとした喧騒が、耳を掠めていった。


「……何、してるんだろう」


 そこで彼らが目にした光景は、信じられないものだった。

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