みどりの日 10

 段々と空が明るくなっていく。黒から紫へ変化しながら、明ける空は世界を照らす。木々が光に照らされる様は祝福を受けているかのようで、薄らと霧が立ち上る森は幻想的だった。

光磨は朝日が昇る時が、一番好きだった。何度も見ても飽きない。


「コーマ、大丈夫?」

「平気だよ」


出会い頭に会うなり、鼓動が聞いて来たので隠すように光磨はそっぽを向く。手を繋いだアンダンテがこてんと首を傾ける姿が愛らしかった。

日の出と共に出発する。

昨日、音喜の祖父から聞いて母親にたたき起こされた光磨の頭は、熱があるみたいにぼんやりとしていた。

急き立てるように母は、顔を洗ってちゃんとしろ、と自分をしかり飛ばし、新しいシャツにズボン、その上に防寒の役目もあるあの刺繍だらけの単衣を纏い、腰帯でしっかり結んだ。それから額宛てをつけると、左側で結び、垂れた両端が肩から背中へと流れる。

そして母が、旅に必要なもの詰めておいたから、使って、と説明を受けたのだが、沢山言われたのでうろ覚えだ。壁の向こう側に行ったとき、一度開いて見る必要がありそうだ。そして首からあの鈴をぶら下げて、見えるようにしている。

鼓動も一緒の格好だが、花が違う。

光磨はカタバミと言われるクローバーに生える小さな花とそれらが添えられ、鼓動はコキンバイザサという地表近くで生えるこちらも小さな花だった。

そのどちらも二人の誕生花だというから、一体どうやって捜して分かったのだろうか。


「ボク、初めて知った……こんな花なんだねぇ」

「あぁ、なんか揃い、みてぇだな」


向き合って、照れくさそうに両手を広げたり、裾をつまんだりしている。


「僕のは紅葉、だ。季節的に違う気がする……」


光磨は音喜が自分と同じような物に、緑色に赤い紅葉が散っている。似合っていないことはないが、ぶすくれている音喜の顔を見ると、笑った方がいいのか、慰めた方がいいのか悩む。

やはり、ここは何も言わないで黙ろうというのが光磨と鼓動の共通意見だったのだが、それを彼は敏感に察知して、睨んでくる。そんなに怒らなくても良いと思うんだが。


「はい、あなたにはこれ、ね」

「ふぇ?」


アンダンテは光磨の母親にたすきのようなものがかけられている。それにはクローバーが縫われており、それは子供が生まれたときに無事に成長するよう縫われるものだ。そして、彼女がかけているたすきは幼いころ、自分がかけていたものだが、それを光磨は言わなかったし、言うのが照れくさかった。


「こーまぁ」


やや舌っ足らずで名を呼ばれ、アンダンテの前へしゃがみ込むとその頭をやわく撫でてやる。


「よかったな、アン」

「うん!」


本当に嬉しそうに笑うアンダンテに、光磨は母親の方を見て小さくありがとうと言った。

そして、光磨たちはそれぞれの背にリュックを背負うと、アンダンテへ向き直る。


「とりあえず、壁との堺へ行けばいいんだよな?」


そう聞くとアンダンテは無言で頷くと、光磨の手を取り歩き出した。

やがてアンダンテを先頭に光磨と鼓動、音喜が続き、その後をそれぞれの両親と村の皆が歩く姿は、祭りの日を思い起こさせた。

アンダンテは光磨の手を握り歩いてく。ひょこひょことひよこが歩いているようで、彼女の腰から偽物の猫の尻尾が揺れる。光磨はその揺れる尻尾をただ眺める。決して後ろへは向かなかった。


「ここ」

「ここ、かぁ」


歩き始めてしばらく行くと、壁の堺へ到達する。自分たちが森守一族の許可なく入れる東の森。

そこに聳え立つ樹木の太い幹は、びっしりと苔に覆われて、触れると湿っぽかった。左右を見てもその光景がずっと続いている。壁は一直線に並んでいるのではなく、ゆるく孤を描きながら村全体を覆っている。そのうちの一つに今、光磨は手を付いていた。

今までだれ一人、この村から出ることは出来なかった、先へ行くのだ。

光磨は今ならまだ、間に合うような気がした。今ここで、アンダンテやリーゼルには悪いけど、やっぱり。そう言えば終わるのに、言えない自分を光磨はそっと呪ったことは、誰にも秘密だった。


「迷っているのか?光磨」


ポンと肩を音喜に叩かれ、自分たちにしか聞こえない声で囁いた。だから光磨は無言で頷いた。

迷ってる、けど行きたいから言わない。


「だったら、他の理由なんて捜す必要ないだろう?自信持てばいい」

「ありがとうな、音喜」


音喜は幼い子供にするように背中を叩いてくれた。そうか、自分は一人ではないのだと今更ながら、気づいた。


「アン」

「あちし、わかるの……どうしていいか」


アンダンテはギュッと胸元にある太陽と月が合わさったブローチを、強く握りしめた。すると彼女の体から幾重にもなる光の帯が行く。周りの空気が一変し、朝の冷たい息が段々と太陽の光で暖められ、それが体の隅々まで突然、行き渡るかのようだ。驚くよりも何故か心地よく感じる感触に、そっと光磨は目をつむった。


「どうか、われにみちを、おひらきください。われに、みちびきを、おあたえください」


言い慣れていないのが丸わかりの言葉が、アンダンテの口から紡がれる。それでも彼女が必死になっているのがか分かった。

風が足元からふわっと波打ち、白い煙が立ちこめ、やがて枝葉を揺らしていく。乱暴に揺らされるのではなく、どこまでも優しいものだった。

そのまま、これに浸っていたいと思われるほどの心地よさに、光磨はまどろむ。


『たのん、だよ?』


誰かが耳元でそう、言った気がした。


「えっ………」


光磨は目を開けるとそこは、変わっていないように見えた。

壁に手を付いていたと思っていた左手は、いつの間にか右手になっている。そして、左手側にはただひたすらに森が広がっていた。

壁の中にいた時となんら変わることのない光景が、あるだけだった。


「コーマ、これって……」


辺りを見回す鼓動に次いで見れば、そこには自分たちの両親しかいなかった。あれほどいた村の人の姿は一切なかった。

やがて音喜が一つのところを指差すと、向こう側に隠れるようにしてある白い棒のようなものが、空へ浮かんでいた。だがそれは、一つの太い柱によって等間隔に支えられている。そして、その先は何かで切られたかのように壁によって阻まれ、切断されている。

あれは、西の森にある高速道路の先だった。それがゆっくりとカーブして段々と低くなっていくのが見える。あぁなってたんだと、光磨は変に感心してしまう。けれどもそれも、壁の向こう側へでなければ見られなかった光景なのだ。


「ここが、壁の向こう側。父ちゃん、母ちゃん」


光磨はそう言って両親の方へ振り返ると、二人は寄り添って微笑んでいる。いつもと変わらぬ笑顔で、明日もまた会えるみたいだった。そんなことはあり得ないのに、いつまた会えるかも分からないのに。


「いってらっしゃい、光磨」


いつもと変わらない笑顔と言葉をくれる母親に、光磨は何度も頷いた。

その後に続いて、音喜と鼓動の両親が言葉を交わす。

そして、光磨はアンダンテを軽々と抱き上げると彼女の頬と頬をくっつけて、笑顔を見せた。


「「「いってきます」」」


三人がそう声を揃えて言うと、両親の顔は段々歪み、光磨の母親の瞳から頬を伝って、落ちた雫が溶け込む間に、彼らの姿はかき消えた。

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