みどりの日 09
翌日のこと。
光磨と鼓動は連れだって、丘の上にある村長の家へと招かれた。着いて早々村の女子たちに囲まれてサイズを測られ、眠たくなるような村長の話を我慢して聞かなければならなくて、正直なんの拷問だと思ったぐらいだ。
現に隣で聞いていたアンダンテはこっくりこっくりし出し、終わる頃には寝てしまって、光磨は慌てて起こしたものだ。
「あれって絶対、眠くなるような術とか使っている気がするんだよねー」
鼓動の言葉に、光磨は何度も頷きたくなった。なぜか、村長の話はいつ聞いても眠気を誘う。そのため、最後まできっちり内容を覚えていたことがない。あれも一種の才能だと思う。
今光磨たちがいるのは、二階の応接室だった。直る前は平屋だったのに、来てみたら二階建てになっていたという驚きだ。
階段なんて、山道に少し作る程度だったから、新鮮だった。
「それにしても、なんかすごい立派になったよね。でもこれって、確か……本の挿絵であった、よね?」
「まぁ、な」
家からここまでの道のりで、直った家々を見て分かったことがある。
リーゼルの言うとおり、それらは光磨の記憶と想像が入り交じって作られていた。こんなんだったらいい、こんなふうだったらきっと、便利に思う。そんな思いがあの時、光磨は自分の中に潜んでいたことに、驚くやら恥ずかしいやらで、穴があったら入りたいぐらいだ。
村のみんなの不便をこれで解消したことになるのだろう。だから、旅で着ていく服の採寸をあんなにも熱心にやってくれたのだろうから。
そして、光磨の想像はほとんどがこの村に残された本の挿絵から生み出されたもので、鼓動に言わせてみれば自分の想像の世界が広がっているようなものだと言った。
「これはこれですごいって思うけど、変な感じだよね。コーマが遠いよ」
「なに言ってんだよ。俺はここにいるぞ!」
互いに軽口をたたき合いながら、テーブルの上に置かれたお茶を啜る。アンダンテを間にして、二人は座っていたが、音喜の姿も彼の祖父の姿もまだ見えない。
村長の話だと、遅れてくるとのことだった。
「そんなに忙しいのか?あいつ」
「忙しいっていうよりも、服で時間かかってるのかもしれないよ」
「ありうる………」
音喜は外見故に、女子にモテる。だからきっと自分たちの時よりも倍の時間がかかっているのかもしれない。
「あぁ、疲れた……」
後方の扉を開けて入ってきた音喜の言葉に、光磨と鼓動はやっぱりと思った。
「なんだよ、やっぱり時間かかったのか?」
「そうだよ。なんであんなに色々と女子はやりたがるのか理解に苦しむ。それに、三十種類の布のバリエーションを見せられただけでうんざりしたよ」
「マジか!!」
光磨の叫びに音喜は無言で頷くと、彼の隣りに腰を下ろした。
その隙に鼓動は立ち上がると、音喜のためにお茶を注いで渡した。
「ありがとう、鼓動」
「俺たちなんて十種類がいいとこだよなぁ?滅多に使わない貴重な布とか出したんだぜ、あいつら!」
「ひがむのはよくないよ、コーマ」
光磨たちの村で作られる布は常時十種類がせいぜいだ。他の二十種類は時間と手間がかかり、とてもじゃないが、そう簡単に織れるものでもない。織る仕事は女の仕事と決まってはいるものの、光磨たち男衆も駆り出されたことがあった。
自分たちの中で一番織るのがうまいのが、鼓動だ。手先も器用だし、料理も出来る。婿に迎えれば楽できると、女子が話していたのを聞いたことがあった。
「待たせてすまなかったな。鼓動くん、光磨くん、音喜」
続いて入ってきた音喜の祖父はそう言うと、自分たちの向かいに腰を下ろす。
「彼女たちも張り切っておったぞ。とびきりゴウジャス?なのを作ると言っていた」
「いや……普通ので、しかも歩きやすいのをお願いしたいです。お爺さま」
「安心しておれ。そう言っておった」
本気で勘弁して欲しいと言った表情の音喜に、彼の祖父は笑ってそう言った。
自分たちも普通のがいいなと光磨は内心思う。
「さてこれから君たちが旅をするに幾つか言いたいことがあってなぁ……」
彼はそう切り出すと、自分で湯飲みに急須からお茶を注ぐと一気に飲み干し、再び注いだ。それから鼓動にお茶を沸かすよう頼むと、彼は立ち上がり設置されていた釜に火を付けると、水を注ぎ、置いた。
やがて、薪の爆ぜる音が応接間に聞こえてくる。
「森守一族のことじゃよ。ここでは友好的な関係を築く我らであっても、一歩外へ出ればどのような扱いを受けるか分からない。迫害もされるだろうし、最悪殺されることだってありうる」
それは光磨にというよりも、音喜に向けてであった。やはり彼も人の祖父として思うところがあるのだろう。だから音喜も真剣な面持ちで彼の話に聞き入っていた。
「それは光磨くんと鼓動くんにも言えることじゃ。壁の向こう側へ行けるなんて普通の人間に出来るわけがない。どんな困難が待ち受けているか想像ができん。無事、塔へたどり着き、そして無事に帰ってきてくれることを儂らは望む」
重々しくそう締めくくると、彼はニッコリ笑った。まるで光磨たちの不安を取り払うかのような微笑みだった。
***
「あれは悪魔の微笑みだよな!」
同意を求めるように光磨が帰り道を歩きながら、鼓動と音喜に問うと二人は揃って頷いた。
各の家の煙突から甘い香りが漂ってくる。
「おやつかぁ、お腹すいたなぁ……」
「ボクはその前にお昼とおやつ兼用で食べたい」
「あー朝から疲れたぁぁ」
村長の家からの帰り道、それぞれの想いを口にしながら歩く。
光磨の背中にはアンダンテがすっかり寝息を立てており、それを軽く起こさないよう注意しながら持ち上げる。
「ボクさぁ、ちらっと衣装見て来たんだけど……あれで、本当にボクたち旅をするの?」
信じられないと言う鼓動の話によると、光磨とのはこの村に伝わる蔓文様を袖口や腰帯などに新緑の色に縫われ、頭にも同様の文様が縫われたのを付ける。本来であれば祭事の時に着用が義務づけられている。
けれども今回の旅装として作られた着物は蔓模様に加え、そこに花などを刺繍した何とも緻密で手間のかかるものだったのだ。
しかも持っていく旅行鞄にも同様の刺繍が施されており、光磨は正直持ち歩きたくはなかった。
「確かに………村に伝わる蔦文様は分かるよ。だけど無事に育つようにとの刺繍はいらないんじゃないかな!ボクたち、幾つだと思われてんの?十歳まででしょう、その刺繍は!!」
「で、それをやってたのって………」
「ボクとコーマと音喜くんのお母さん」
まいっちゃうよ、と肩を竦める鼓動に光磨と音喜は反論できなかった。もちろん、鼓動も自分の母親に文句なんて言えないだろう。光磨も採寸などの作業の合間、母親が熱心にそれらの刺繍をする姿を見て、何も言えなくなった。
必死で、鬼気迫る想いで縫う母親に、自分たちは何を言えるだろうか。
恥ずかしいと想う。けれども願わくば、この刺繍の意味を知る人が他の村などにいないことを祈る他なかった。
でもさ、と朝露が地面へと注がれるように鼓動は切り出した。光磨と音喜はそれぞれ振り返り、彼の顔を見るともなしに眺めた。
「明日、出発……なんだよね」
鼓動が言ったのはそれこそ、当たり前のことだった。けれども光磨はそうだ、明日行くんだという返事を返すことはできなかった。ただアンダンテの重みが急に増しただけ。それだけだ。
結局、その後自分たちは会話という会話をせぬまま、それぞれの家路に着いた。
光磨は、ドアを開けて中へ入ると、そこが居間であり、台所だった。けれども今まで住んでいた時よりも若干広くなっており、以前はなかったふかふかのソファに父が座っていた。
「おかえり、光磨。なんだ、アンは寝てしまったのか?」
立ち上がると父は、光磨の背中にあるアンダンテを引き取るとそのままソファに寝かせる。
そして一旦自室へと戻ると、毛布を持って現れると彼女にそっとかけてやった。
それを光磨は何も言えずにいた。
光磨は自分の足元が急になくなって、暗闇より尚濃い穴の中へ落ちてくような胃が迫り上がるような感覚に、思わず歯をくいしばって耐える。強く握りしめた指の間から血が滴り落ち、それと同時に鈍痛が伝わってくる。
もう後戻りは出来ない。本当にこのまま塔へ行って大丈夫なのだろうか。そもそも、どうやって壁の向こう側へ行くのだろうか。その根本的なやり方をアンダンテは教えてはくれなかった。
ただ夢現で、壁の堺に行けばいいとだけ言っていただけ。
本当に自分たちは、無事に塔へたどり着けるのだろうか。
「コーマ、怖いなら怖いって言った方がいい。これから先、何が起こるのか分からない。お前はすぐ大丈夫、平気っていう癖がある。音喜くんや鼓動くんもいる。だから、頼れ。お前が頼らなければ誰もお前を頼ってはくれない。頼り頼られる。それが友達だろう?」
父は光磨の頭を優しく撫でながら微笑む。
「父ちゃん、俺……怖いよ、すんげぇ……怖い」
「あぁ、そうだな。怖いよな」
うん、怖い、怖くてたまらない。体が震えるんだ。光磨は泣きじゃくりながらそう、父に訴えた。その間父は、そうか、怖いか。怖いんだよな、と頭を撫で、背中を撫でる。それが、とても嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、今まで父とあまり話していなかった自分を悔いた。
そして、帰って来たら真っ先に父と話をしようと心に決めた。
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