みどりの日 07

 ずっと光磨の側で誰かが、こちらが申し訳なくなるほど謝っているのが聞こえた。

すごく熱心に頭を下げてくるから、もういいんだと言ってあげたくなるほどだった。

だから、光磨はそう言うために口を開いた。


「もう、いいよ」

「……コーマ?」


鼓動の声がして、光磨は何度も瞬きを繰り返す。一体なにが怒ったのだろう。体を起こすと、誰かが背中に腕を差し入れて起き上がらせてくれる。

突如訪れた鈍痛に、顔を歪ませながら光磨は辺りを見渡した。

空を見上げれば、雲がのんきに漂い、鳥が歌う朝の光景が広がっている。

少し肌寒さを感じると、今度は誰かが自分に厚手の毛布を被せてきた。

誰だろうと思い振り返ると、鼓動が目を赤くして座っている。


「鼓動、俺……どうして」

「覚えてないの?」


そう尋ねられ、光磨は鈍痛に悩まされつつもそう言えばと、考えを巡らした。

夢の中で誰かの声が聞こえて、そしたら自分の手にあった鈴から鉄の塊みたいなのが出て。

そこまで思い出すと、自分の左手の平に違和感を感じた。

恐る恐る開ければそこには、あの鈴がりんと握りしめられていたのだ。


「あっ……」


明らかに夢ではないことを、この鈴は告げている。

光磨は訳が分からず、ふらつきながらもその場から立ち上がった。明瞭になった視界の中、立ち上がるたびに見える範囲が広がりを見せる。

そこに広がっていたのは、闇夜の中ですらマシと思えるほどの悲惨さだった。

家も道も畑も、光磨の記憶に残っている景色は一つ残らず重なることはない。空と雲だけが、通常と変わらない。それがとても悲しくて仕方がない。


「コーマ」


光磨の肩からずり落ちた毛布を手に持ち、鼓動はぽつりと漏らした。

その言葉に光磨は返す言葉が見つからなかった。何を返せばよかったのだろうか。


「この木、だけが唯一、残ったんだ」


鼓動の言葉の先には、あのご神木が以前と変わらぬ姿で存在していた。

ここがようやく、丘の上であることを噛みしめると、光磨はただ何度も頷いた。


「一体なにが怒ったのかボクには分からない。けどさ……目覚めたらこんな状況って……ちょっと困る、よね」


鼓動が笑わそうとしているのが分かって、光磨は笑おうとしたがどこかひび割れたものだった。

光磨はふと自分の脇腹へ手を添えると、そこは丸く切り取られたように服が破れていて、そこから見える素肌に傷は見当たらない。


「ここって」

手で撫でてみても、確かにここを根っこが貫いた感触があるのに、傷は見当たらなかった。


「そういえば、音喜とアンは?」

「音喜さま、どうかその子を差し出してくれねぇか」


見知った人の声であるにも関わらず、その人から発せられた言葉はあまりにも物騒だった。

光磨が思わず走り出すと、その後を鼓動が後を追う。


「それは出来ません。彼女のせいだと決まったわけではありませんので、それは出来かねます」

「決まってるじゃないですか!この村の惨状をその目で、見て下さいよ!!」


相手は音喜の前で両手を広げて、泣き叫んだ。近寄って見てみれば、三軒隣に住むおじさんだった。会えば笑って手を振って挨拶をしてくれた人が、音喜とアンダンテに詰め寄っている姿は、想像も出来ないほど変わり果てていた。

アンダンテは光磨が見えるやいなや、突進してきてそのまま腰にしがみついた。


「光磨、起きたのか?」


気遣わしげに聞いてくる音喜に、光磨は大丈夫とアンダンテの頭を撫でながら答える。

するとおじさんは、音喜より自分の方へ歩み寄ってきた。


「なぁ、コーマ。あいつは何なんだ。そしてお前も何だ。お前は本当に、俺たちの知っているコーマなのか?」


縋るように聞いてくることに、光磨は歯ぎしりしたい衝動に駆られた。生まれ育った村なのに、この人はどうして自分をそんなに疑うのだろう。この人はそんな人じゃなかったはずなのに。


「おじさんこそ、どうしたんだよ。アンのせいにして、恥ずかしくないのかよ!大人だろう!!」

「大人だとか大人じゃないとか関係ねぇんだよ!」


いつもからは考えられないほどの怒声に、光磨はアンダンテを抱きしめる。


「みんな、なんでこんなことになったのか不安になってるんだよ。ボクも……だけど」


ぽつりと落とされた鼓動の言葉に、光磨はどうしていいか分からなかった。

アンダンテは悪くない。彼女は何も知らないだろう。そして自分も今思えばあれが現実だったと言える根拠はやはり、手に持った鈴にある。けれども、自信がなかった。


『それは僕から話すから、安心してほしい……』


するとどこからともなく、優しい声が聞こえた。

光磨は咄嗟にアンダンテを引き剥がすと、彼女の胸元にある太陽と月が合わさったブローチから朝日を浴びて黄金に輝いていた。

そして、そのブローチから透明な靄が立ち上ると、やがて人の形へと変化した。一陣の風が靄を吹き飛ばすと、そこには誰かが立っていた。

金色の長い髪を一つに結び、白いワンピースの下に同色のズボンを履き、背中には羽が生えていた。ゆっくりと見開かれる蒼の瞳は、湖に映る蒼よりも尚、鮮やかだった。

整った顔立ちは、寸分の狂うことなく配置され、光磨が先ほど会ったセリに通じるものがある。

胸元に添えられる手は、きめ細かく滑らかだ。さきほどの言葉を紡いだのがこの人ならば、何てまろやかな声をするのだろう。一度聞いただけで蕩けるような甘さも兼ね備えていた。

鳥たちがその人の廻りに集まり出し、その一羽が肩に止まる。その動作すらあらかじめ決められていたように、洗練されている。


「あんたの声、聞いたことがある」


ようやく光磨はそれだけを言った。

するとその者は、花が綻ぶように微笑むと騒ぎを聞きつけてやってきた村人全員の顔を見渡した。


「貴方様は………」

『会えて嬉しいよ。僕は【リーゼル】。神の使いだ』


リーゼルと名乗ったこの人は、年齢不詳で男なのか女のか分からない。けれども、僕というから男なのだろうか。


「愛し子って音喜たち家族のことか?」

『閉鎖された空間で生きていくのは困難だ。人間たちを導く存在として選ばれたのが緑の瞳を持つ、血族に関係なく神に愛されし子供たちのことを差す』


そう言うと音喜の家族を順々に見ていくと、リーゼルの口元が弓なりになる。


『だけど君たちみたいに愛された者は見たことがない。よほど森と相性がいいんだね。そしてそれはいいことであり、悪いことでもある。愛し子に選ばれるのは森に愛されることと同義。それ故に肉体は森に戻り、還される定めにあるね』

「はい、我々はそれを理解しております。リーゼル様」


音喜の祖父は、恭しく頭を垂れると音喜の両親や祖母も揃って頭を下げた。

光磨にはリーゼルの言っていることの半分も分からない。森に戻り、還されるというのは、一体どういうことなんだ。


『さて、僕がここに現れたのには理由がある。君たちに塔へ向かって欲しいんだ』

「はぁ?」


間の抜けた声が出てしまったことに、光磨自身驚いてしまう。

リーゼルが言っているのは神が住まうという塔のことだ。村のどこにいても見ることの出来る高く遠い塔。


『この村を襲ったのは僕と敵対する神の使いだ。僕とは意見の食い違いによって仲違いする羽目になってしまった』


リーゼルの頬を一筋の涙が零れる。それがあまりにも綺麗で、そのまま宝石になったとしても光磨は驚かなかっただろう。

けれども、その後一切リーゼルは涙をこぼすことはなかった。そのことに光磨が気づいたのはずっと後のことだった。


『塔には神が住んでいる。道案内としてアンダンテを使わしたんだ……君たちの力で壁を取り払ってくれないか?』

「有り難きお言葉。我々もそのつもりでした」


間髪入れることなく、音喜の祖父が断言する。

知っていた光磨や鼓動、音喜はともかくとしても、村人にとってみれば寝耳に水の話だろう。現に驚いて左右にいる人に、相談している姿があちこちに見かける。中には首を傾げている者もいるのに、この老人はきっと気づいていないだろう。


「ちょっと待ってくれ!そこの方の話は後にするとして……あんたの仲間なんだろう!だったらどうして、村を襲ったり何てするんだ」

『この壁を通り抜けて行けるのは僕を除いてあの使いたちだけだ。そして唯一アンダンテのみが壁を通り抜ける力を持っている。だから、彼女を害しようとしたんだろうね』


村人の視線が、ブローチを両手に持つアンダンテへ注がれる。けれども当の本人に見えていないようで、ぼうと宙を見つめていた。


「じゃあ、その子がいなければ村は襲われる必要なかったんじゃねぇか。いくら、神の使いだからってやっていいことと悪いことがあるだろうに!」


先ほどから怒鳴っていたのが、おじさんだと光磨は分かった。

けれどそれよりも、アンダンテが壁の向こう側へ行ける力を持っていることが、大事だった。

夢だと思っていたことが、現実になりつつある。光磨は夢見心地で音喜たち家族を見つめた。すごいよなぁ、愛されてるんだもんなぁ。


『村は元通りにしよう。コーマ、手伝ってくれる?』

「はっ、はい?」


いきなり名を呼ばれポカンとしている光磨をよそに、リーゼルは手を伸ばしてくる。自然とその手を掴むと彼は唄うように囁く。


『僕の後に続いて。《夜明けの風よ、緑の蒼さを共として形を作ることを願う》』

「《夜明けの風よ、緑の蒼さを共として形を作ることを願う》」


言えるか心配だったが、自然と光磨の口からするすると紡がれていく。

手に持っていた鈴が先ほどの光を宿しながら、それが渦となって村全体を覆い隠す。朝日を浴びて光は天女の羽衣のように透き通り、幾千もの帯となり、やがてざわめく木々を森から誘い出す。

長く細く伸びる枝葉は、家々があった場所に重なり合いながら巻き付いていく。それが円形の形へと変わると、帯が勢いよく吸い込まれていく。そして風が帯を振り払ったそこには、元の家が建っていた。

それがあちこちでも巻き起こり、竹の子のように家々が建っていく姿はどこか、可笑しかった。


『家の位置は君の記憶から建たせてもらった。畑もね……ご覧』


手を引かれ、村を見下ろせば、つい先ほどまで荒れ果てていた大地はすっかり元通りになっていた。


「すっげぇ……」

『これはほんの一部。使いこなせるようになればもっと違うことが出来るよ。だから、コーマ。僕に力を貸して』


両手をしっかり握りながら、リーゼルは光磨に聞いた。


「えっ、音喜たちじゃ……ないのか?」

『愛し子は森から離れて暮らすことはできない。だから緑なき場を旅することは無理なんだよ』


分かっていたとばかりに、音喜の祖父はゆっくりと頷いた。その後ろで音喜が、目線を逸らした。


「なぁ、音喜や鼓動も一緒じゃ、ダメか?」

「えっ!」


リーゼルよりも音喜が、驚いた声を出した。


「何言ってんだよ……光磨。僕は森からは……」

「それはこっちのセリフだろう、音喜。俺とお前は友達なんだから一緒に行くのは当たり前だろう。なぁ、何とかなんねぇのか!」

「光磨」


信じられないとばかりに音喜は光磨を見た。

光磨は当然とばかりに、彼の肩を軽く小突く。友達なのだから自分一人で行くのは間違ってる。村を出て壁の向こう側へ行くのは三人だと、最初から決めていたのだ。


『なんとか、しよう。君の望みなら』

「マジで、ありがとう!!」


屈託なくそう言うと、リーゼルはキョトンとした顔をしたものの、どういたしまして、と右手を伸ばして指を鳴らした。

すると、音喜の耳元で何かが光る。


『これは愛し子に向けた特殊なものだよ。これなら、森を離れても大丈夫だよ』

「よかったな、音喜!一緒に行けるぞ!」

「はしゃぎすぎだよ、光磨!」


音喜は耳元の出来たピアスの感触を確かめるようにそう言った。それは彼が着ている服と相まってとても似合っている。


『コーマ、鼓動、音喜。どうか、この世界を助けてほしい』


リーゼルは両手で光磨の頬を挟むと、その額にそっと口付けを落とした。落とされたところが、熱を持っているかのように熱く感じる。

思わずそこに手を添えると、一瞬リーゼルによく似た髪の長い女の子の姿が浮かんだ。けれどもそれは、彼が消えたことによって霧散してしまい、その後何度も試してもみることはできなかった。

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