第二章 みどりの瞳

みどりの瞳 01

 壁の向こう側へ抜けたという実感は薄いと、光磨は思う。けれども、道なき道を歩いていると、村で見ることのなかった小動物たちを見かけることがある。それらの姿を一つ一つ確認してようやく、壁の向こう側だと、ぼんやりと実感を得つつあった。

光磨は木の根や石などに足を取られぬよう気をつけながら、ぼんやりと思い出していた。

両親が目の前で光に包まれて消えた後、アンダンテは光磨の手を優しく握る。


「あそこに戻したの」

「何でだよ。母さんたちだって外へ出した方がいいだろう」


光磨がそう言うとアンダンテは首を左右に振った。


「ダメなの。あちし達だけじゃないとダメなの」


一瞬泣きそうになったアンダンテは、パチパチと忙しなく瞼を動かしてそう言う。

光磨は自分の両親が消えた後、すごく泣きそうな顔でそれを見ていた。それが酷く悲しくて、胸が苦しくなる。


「あちしにはみんなを出すことしか出来ない。リーゼル様の考えをあちしは分からない」


アンダンテは、 感覚で自分はリーゼルによって作られたのだと分かるが、彼の考えをそのまま分かるわけではないと言った。

彼に対してもなぜ自分を生み出したのか、【神】の元へ誘わなければならないのか。自分を作らなくても【神】の元へ、一瞬で行けるのに、なぜ、それをしないのか。こちらが欲しい答えを、リーゼルはくれない。

一方的に相手が話したい時に、会話をする以外、自分たちに手段はなかった。まるで、機械に向かって一方的に話すようだ。

話す手段を自分なりに考えてようやく理解したのを光磨に言う事が、アンダンテの言える全てなのだと、悟った。


「リーゼル様は見て欲しいって。この世界で起こっているすべてを見た上で【神】の元へ来てほしいって………」

「この世界で起こっていることのすべて?」


ぼんやりと光磨は口にする言葉をアンダンテは頷いた。


「この世界で起こっていることってボクらが壁の中で生活しているなら他の人たちだって同じでしょ?見る必要はないと思うけど」


鼓動の意見は最もだった。


「でも、リーゼル様はそれだけではないと考えているわけか?」


音喜の答えに、アンダンテは彷徨わせるように視線を動かした。


「あちしは、分からないけど、たぶん、そう」


目覚めてから一週間も経っていない間に、アンダンテはいろいろな感情をその胸に生まれさせているようだった。その全てが彼女にとって不可思議で、分からないものだった。どうしたいのか、どうして欲しいのか。他人の意図することが何なのか、自分はどうしてこんなにも悲しい気持ちになるのだろうか。分からないことが多すぎるのだろう。

追憶から戻ると光磨は、手を繋いで歩くアンダンテに視線を向ける。

アンダンテが知らない事が多すぎて、この先、何が待っているのか分からない不安を、そんな彼女にぶつける事も、責めることはできない。

道案内をしてくれると思って半ば頼っていたアンダンテがこの通りだと、先が思いやられる。

リーゼルは何がしたいのか、彼女をどうしたいのか、そして、自分らを神のもとへ行くために世界を見せてどうしろというのだろうか。分からないことだらけだった。

チリンと光磨の不安に共鳴するように胸元で鈴が鳴る。


「なんだかなぁ……」

「コーマ?」


思わず漏れた呟きに、鼓動が声をかける。悪かったなぁとは思うが、どうしても言わずにはいられなかった。


「いや、わかんねぇことだらけだなぁと思って」

「まぁ確かにね。でも、色々考えて、深みにハマるのはコーマの悪い癖だよ。それぐらいで悩むのをやめたら?」


小さいころから一緒にいるだけはあるなぁと思っていると、追うようにして音喜が口を挟む。


「足りない頭で考えたところで、無駄だ。諦めろ」

「諦めろってお前は……諦めたのかよ」

「あぁ、とっくの昔に諦めている。僕は村一番諦め早い男だ」

「自慢すんなよ!!」


自信満々に言われてもこっちが困る。

だが、音喜が言葉で言うほどには諦めていないことも理解していた。


「ほら、アンダンテちゃんが心配してるよ。アンダンテちゃんだって心配だよね」


ビクンと体を硬直させ、アンダンテは首振り人形のように頷く。


「あぁ、わりぃ」


無言で首を振り、アンダンテは光磨を見上げる。


「いい」


短かったけれども、ギュッと握りしめてくる手は優しく、光磨は微笑んだ。


「まっ、いつか分かるか」

「そうだよ、コーマ」

「お前が言うなよ、鼓動」


そう言って光磨はようやくぼんやりとだが、分かった。

不安なのは何もアンダンテや自分だけではない、鼓動や音喜だって不安はある。それを二人は出さないだけだ。

それに、アンダンテに頼りすぎるのもよくない。壁の向こう側へ行くという光磨の願いを叶えてくれた。それ以上を望むのは間違いだ。

隣を歩くアンダンテを見ると、胸元をきつく握りしめている。彼女だって不安なのだ。行き場のない不安を無力な彼女に期待するのはおかしい。自分が期待するのだとしたら、アンダンテではなく、リーゼルなのだ。


「あっ………」


光磨たちの進む先に、よく見慣れた【みどりの壁】が現れる。近づくほどに巨大となっていく壁は恐ろしく、ここが外なのか中なのか分からなくなりそうだ。

村を出てからそれほど時間は経っていない。それなのに、こんな近くに壁があったことに光磨は少なからず驚いた。なぜならば、何も聞こえなかった。


「これって壁、だよな?」

「うん」


手を引くアンダンテに同意を求めれば、小さく頷く。

内心でホッとしたことに、光磨は首を傾げた。あんなにも出たいと思っていた壁なのに、見えなくなると寂しく感じてしまう。それほど、壁は自分たちの生活になくてはならないものになっていたということだ。

もし取り払うことになったら泣いてしまうかもしれないなぁなんて、思う。

やがて手を伸ばして触れる距離まで行くと、光磨は改めて壁の感触を確かめた。

木特有のざらりとした感触と苔の柔さに、どうやら壁自体は光磨の村を囲っていたものと同じものであるらしかった。けれども、どの木にも属さないものであることは分かる。


「コーマ、中に入るつもり?」

「中に入んなきゃ、通れねぇだろう」

「別にさ、行かなくても遠回りすればよくない」

「えぇ、めんどくせぇよ」


光磨はペタペタと壁を叩きながら反論すると、鼓動は呆れたように肩を落とした。

いっそのこと上から見られるならば分かっただろうが、左右どちらをみても果てしなく壁が続いている。


「だってこの中がどうなっているか、分からないんだよ!不安じゃないの?」

「不安よりもさぁ、何かあるか気にならねぇー」

「ならないよ、ねっ!音喜くん」


同意を求めるために、鼓動が音喜に聞くと彼は壁を見上げながら瞳を輝かせていた。


「やめとけ、鼓動。音喜は夢の世界へ旅立っちまってる」

「音喜く~~ん!」


情けない鼓動の声を聞きつつ、光磨はアンダンテに中へ入れないか聞く。


「大丈夫、だと思う」

「頼んだよ!!アンダンテ!」


光磨の代わりに張り切って言う音喜に、鼓動は等々腹をくくったらしい。こうなってしまった音喜に、何を言っても変えないことを自分と鼓動はよく知っていた。

出来ることなら入りたくなかったんだけどなぁ、とぼやく鼓動を哀れに思いながら、光磨はアンダンテを自分より前へ誘う。

するとアンダンテは両手を組むと、その場で立ち膝をつく。まるで祈りを捧げるかのようだった。


「開いて」


厳かに告げるアンダンテの声を皮切りに、彼女を中心として光が生まれる。それは瞬く間に光磨たちを包み込んだ。

その光は、村を出るときに感じた光と同じものだった。

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