みどりの日 05
体ごと持って行かれ、立っていることもままならない。
気づいたら倒れていて、咄嗟に頭を庇う。
皿が割れる音、楽器が壊れた音を発し、大木の提灯が振りたくられる。
人々の悲鳴が上がるなか、訳も分からず耐えることしかできない。
地震だと分かったのは、揺れが収まったとき。
「たす、かったのか?俺たち」
「分かんない」
体を起こすと、光磨は下にいたアンダンテを起き上がらせる。
お互いに生存を確認すると、その場にしゃがみ込んだ。
気持ち悪くて吐きそうなのに吐けない。
「大丈夫か?ケガ、してねぇ?」
そう聞くと、アンダンテは力一杯首を何度も縦に降ると、そのまま光磨の腰に抱きついた。
背中に回された手が強く、光磨の服を痛いほど掴む。
「大丈夫だから……なっ?」
安心させるためにアンダンテの背中を何度もさする。
「すごい揺れだったね。こんなの初めてだよ」
「そうだな。他の連中はどうなんだ?」
そして光磨が顔を上げるとそこは、もう自分の知っている村ではなかった。焦げ臭い匂いが立ちこめ、黒煙を上げる家屋や囲いにいた牛たちが森のある方角へ逃げて行く。地面は一部が浮き上がり、そこに段差が生まれて、それらが幾つも幾つもあるさまは、パズルのピースのようだった。そしてあちこちから火の手が上がっていた。
「なんだよ、これ」
「酷い………」
慣れ親しんだ村が無残に打ち砕かれ、まるでこの世の終わりのようだと思った。
「落ち着くのじゃ。今から言っても手遅れ。身の回りの者でけが人がおらぬか、夜を明かせるための寝床や食料の確保を急げ。まだ揺れる可能性もある慎重に動け」
音喜の祖父の言葉に、全員が我に返る。
皆がその声に応じて、それぞれが思い出したように動き出す。
「おじいさまに言われた。君たちのそばにいろってさ。父さんと母さんとおばあさまは火事の消火にあたってくるって。だから、ここで待機」
いつの間にか、離れていた音喜はそう言って、光磨の肩を叩いた。
音喜の母と祖母は水源察知、父は風つかい。
ならいいかと思っていた光磨を、音喜はなぜか途中で言葉を切った。不審に思って声をかけるも彼は独り言ばかり。恐らく彼は、樹木の声が聞こえたのだろう。森守一族は例外なく、動植物の言葉を理解する。音喜は中でも一番、つよく、聞こえる。
「あれ、なに!?」
とある一点を指差し、口を開閉させる鼓動に光磨は勢いよくそちらへ顔を向ける。
そこにあったのは、森から土煙を上げながら太い何かが飛び出してくる光景だった。
大地が割れ、それが触手のように空へと舞い上がり、蛇のようにうねる。
上げる悲鳴さえも飲み込むそれらは、月明かりに照らされておぞましい怪物のようだった。
だがそれには細かい毛のようなものがびっしりと生え、そこから何本も何本も生え、勢いよく地面へと潜ってく。もぐらのように半円の土壁を作りながら、こちら突進する様は猪のようだ。
地響きが轟き、ようやく光磨の目にもあれが木の根っこであることが分かった。
「これって、【みどりの日】の再来、なの?」
鼓動は膝から崩れ落ち、呆けたようにそう呟く。
村人の悲鳴が絶えず聞こえてくるのは、気持ち悪かった。見たくもない光景がただただ、二人の前に存在している。圧倒的な力で自分たちの村が蹂躙されていく。
数百年前の人たちが体験したのはまさに、これだった。
自然の猛威に自分たちが勝てるわけがなかったのだ。絶対的な力、たとえどんな技術が発達しようとも決して犯してはならない禁忌だった。
その前にいる自分たちは、どこまでも無力で弱い存在だった。
どうしたらいいのか、分からず混乱していると、誰かが強く光磨の裾を引っ張る。
アンダンテだった。
「とりあえず、俺たちも手伝いに行こうぜ」
言うが早いか、光磨はすでに駆け出していた。
自分に何が出来るか分からない。けれども、何もしないままでいられるほどバカになりたくはない。後悔はしたあとですればいい。
「コーマ!リズム!逃げろ!!!」
「えっ?」
返答する猶予もなかった。
だから光磨は何が起こったのか分からなかった。
「コーマ、それ」
息もできないほど驚いた鼓動に指摘されて、ようやく気づいたほど。
光磨の腹を大人の胴ほどの幹が貫いていた。
声を発する口からは血が吐き出され、膝から崩れ落ちそうになる。
それを幹は蛇のごとく動いて、光磨を宙ぶらりんにした。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
アンダンテが泣きそうになりながら、光磨の足に縋り付く。
何か言って安心させいのに、声が出なかった。襲ってきた激痛に、顔を顰める。火がついたように喉が痛く、指先から力が抜ける。
腹部に鈍い痛みを感じた。途端に咳をしたとき、胸元を赤い血が飛び散った。
口の中が鉄さびで滑り気があり、何とも形容したがたい味で、光磨はそっと痛みのある部分へ手を伸ばす。
ぬるっとした感触に、光磨は青ざめる。
鼓動と音喜、アンダンテの声が聞こえるのに聞こえない。
意識が遠のく。黒く塗りつぶされていくのが分かるのに、何もできない。
光磨は思った。
村長に対して何も言えなかったあの無力さと同じだと。嫌になる。死にそうになっている自分がバカに思えた。
「あぁ。でも」
泣いているアンダンテたちを見るのは嫌だなと思った。
「もう、だれも、しなせたく、ないの」
それは敬虔な祈り。
見る者を悲痛な想いにさせるチカラがアンダンテにはあった。
光磨がアンダンテに手を伸ばそうとしたとき。
光が生まれた。
****
最初に感じたのは、指一本動かすのも億劫になるほどの怠さだった。
光磨は辛うじて目だけを開けると、そこは自分を中心とした木の枝葉が広がっている光景だった。
耳元で水の音がすれば、上半身を残した全てが水に浸かっている。自分はどこかの池の中にいるらしい。
光磨は先ほどまでのことを思い出すにつれて、咄嗟に体を起こそうと試みた。けれども、体は言うことがきかず、仰向けでたゆたっていることしか出来なかった。
大きく息を吸い込み、光磨は呪文のように落ち着けと自分に言い聞かせる。
その効果かようやく、辺りを見回せるまでになるとここには、自分以外の人の気配が全くなかった。
あるのは森のざわめきと風の声。日差しは暖かく、このまま寝てしまいそうになるほど。
顔を上げることが出来ないので、傷の具合を確かめることもできない。
しかし痛みはなく、もしかしたらここが死んだ人の行く場所で、あの世なのかもしれないと思った。
そう思うと無性に泣きたくなってくる。やりたいことがまだ沢山あった。
両親に対してもっと感謝の気持ちを伝えたかったし、音喜や鼓動にも言いたいことがある。
それに、アンダンテにも村の人たちにも。
帰りたい。
光磨は一途にそう思った。
ここがどこだが分からない、だが自分の両親や友達、村の人達のもとへ帰りたい。
それにアンダンテのことが気になる。
自分が守ってあげなければ、あんなことになって殺されでもしたらいやだった。
出会ってからそんなに、時間は経過してはいない。
それでも守ってあげたいと思ったのは、握る手や腰あたりに抱きつく体が震えていたから。
自分以外に縋る者も頼れる者もいないこの世界で、光磨だけがアンダンテを庇護してくれる存在だった。
アンダンテは自分がどうしてあそこにいたのかさえ分からない。
あんな小さな子を、守ってあげたいと思うのは人として当然のことではないのだろうか。
果たして自分に何が出来るのかさえ分からないけれども、それでも手を貸してやりたかった。
音喜も鼓動も言えばきっと、助けてくれる。
だからまずは自分が生きて、彼らのもとに戻らなければならない。
『安心していい。ここに君を害するものはなにもない』
「だれだ?」
「ボクは『リーゼル』。神の使いだ」
光磨を守るように白い羽をいっぱいに広げるリーゼル。
風に揺れる金色の髪に海の青さの瞳。
白いワンピース姿で、靴も同色。
リーゼルの片耳に十字架のピアスが揺れていた。
浮かぶ微笑みは、神の使いと言う名にふさわしいものだった。
「なんで、俺の前に現れた。お前はなんだ?」
『君のチカラを借りたい』
「どうして」
意味が分からなかった。
光磨にはリーゼルが必要とする理由が、思い当たらなかった。
強く言われたら萎縮して何も言えなくなる自分に、何ができようか。
『コーマ。君の願いを教えて』
「俺のねがい?」
知らずに俯いていた光磨の顔を、優しく仰向けにリーゼルと見つめ合う。
彼の瞳の中に光磨が、光磨の瞳にリーゼルがうつる。
すると光磨の思考に何かがゆっくりと注ぎ込まれる感覚がした。
閉じられた扉を開かせるそれは、光磨に深く考える余地をなくさせる。
「俺はつよく、なりたい。つよくなって、アンを守りたい」
アンダンテのことは何も知らない。
でも、泣いている彼女を一人にはさせたくはなかった。
何も出来ない自分が恥ずかしかったから。
『それが君の願いなら、どうか叶えて』
リーゼルの顔が離れ、彼の手に光が集まる。
ハッとしてそれを見ると、そこには子供の顔ほどの球体が浮かんでいた。
この感覚はアンダンテが出てきた時に感じていたものと、同じだった。
声は中性的で、男なのか女なのかさっぱり分からない。
『手を伸ばして、君のその気持ちが力になるから』
先ほどまで動かすのが億劫だった腕が、羽のように軽くなる。
そして光磨は誘われるかのように、それに手を伸ばした。
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