みどりの日 03

 光磨はてっきり反対するかと思った音喜が、思いの外乗り気だったことに驚きつつも納得した。

そうだよな、気になるよな、と力強く頷きながら光磨は先頭を行く音喜を眺める。

中は当然のように暗く湿っていて、数歩進んだだけで真っ暗になってしまった。

けれども幸いなことに、音喜が蝋燭とマッチを持っていたので、彼に先頭を歩いてもらうことになった。仄かな光に照らし出された室内は、埃っぽく、鼓動なんて苦しいのかずっと咳を繰り返している。

そんな鼓動を気づかないながら並んで歩きながら、光磨は辺りを見回す。

破れた紙のポスターは数百年前の数字を描き、まるでいつもの日々が明日も来ることを、信じて疑わないようだった。

他にも飾られているポスターを一つ一つ眺めながら、かつて自分たちの村よりもずっと多くの人々で溢れていたことを知る。でもそれほどの人間は一体どこへ行ってしまったのだろうか。

足下で枯れ草が断続的に鳴る音が聞こえ、音喜の体の揺れに従って火が揺れる。

もうすでに光磨はここへ来たことを後悔し始めた。やはり、何も知らないまま黙って行ってしまえばよかった。けれどもあのまま、行ってしまったら絶対後悔するであろうことは目に見えている。

どちらにしろ、後悔するしか道はないように思え、光磨は上半身を音喜より外へ逸らすと、その先の闇に目を凝らす。

音喜は怖くはないのか、蝋燭とマッチを持っていたからと言って任せてしまったが、自分のように怖がっている様子はない。むしろ、喜んでいるようにも見受けられる。

そうだ、こういうやつだったと、内心光磨は思っていると、ずっと先に明りが漏れているのが見受けられた。

階段を下りてから突き当たりを左へ真っ直ぐ進んで来たから、ちょうど石榴があった、真下ぐらいだろうと思われる。

すると、向こうから何かがふわりとやってくるのが見える。それは蝶だった。

光磨の不安なぞどこ吹く風、とばかりに優雅に蝶は自分たちの後方へ飛んでいく。


「なんだよ、驚かせんなよ」

「コーマって案外、怖がりだよね。言い出しっぺのくせにさ」

「べっ、別にいいだろう!」


鼓動にちゃかされ、顔を赤く染めた光磨はそれを知られないよう慌てて明かりの方を指差す。

橙色の光が差し込むその光景に、あまり遅くなるのはよくないなぁと思った。


「地上から光があるんだな……行こう」

「なぁ、音喜んちってここ管理してんだろう。知らないのか?」


光磨はふと思い当たって、そう音喜に切り出した。

西の森は村の者たちの立ち入りを禁止してはいるが、森守一族は当てはまらない。実地調査と銘打って、彼の父親と祖父が入っていくのを光磨は目撃していた。


「いくら僕がお爺さまの孫だったとしても、何でもかんでも僕に言うわけないよ。最近は言って、くれないことの方が多いぐらいだ」


その言葉に光磨と鼓動は顔を見合わす。

音喜は森守一族の一人息子だ。その跡継ぎである彼に、祖父と父が大事なことを言わないなんて、あり得るのだろうか。

彼らについて深く踏み込んでしまうことを光磨の両親は、嫌がる。音喜と関わることすらやめて欲しいような、そんな雰囲気さえ出している。

だが、光磨にとって音喜は友達だし、森守一族とかは全然関係ないように思える。しかしこうやって彼の内情を知ってしまうと、何て声をかけたらいいのか分からなくなるのも事実だった。

友達だからといって踏み込んでいいか、迷う。その結果、音喜を傷付けはしないか、不安になる。

鼓動なんかは、光磨と違って結構突っ込んで聞くことがあるが、自分には到底マネできない。だからといってこのままっていうのも、友達外がないような気もする。

悶々としていると目の前に暖かい日差しに、目を細めた。


「なんだ………これ……」


天井は崩落でもしたのか穴が空いており、光はそこから差し込んできている。残骸は光磨たちの足下まで転がってきており、それも大小さまざまだ。

そして、その中央には巨大な青みが強く、透明なサンタマリアと呼ばれる巨大な宝石が宙へ浮いていた。光を浴びて、地面へ蒼の幾何学模様を浮かべるその様は美しく、光磨は見惚れてしまった。

地表からやや離れたところに浮かぶそれの中には、膝を抱えて眠る少女が浮かんでいる。異様に長い袖が波間を漂うごとく揺れ、すらりと見せた足は白く、雪のようだ。

猫の足みたいな靴を履いており、青色の中に少女の前髪である桃色の色彩は、どこかちぐはぐだった。

明らかに人間ではない少女の姿に、光磨はただ口を開けて見てしまう。

一体だれが、何のために少女を、入れたのだろうか。隣りにいる音喜も驚いている所を見ると、彼もこれを見たのは初めてのようだった。


「なぁ、なんで、こんなとこにいるんだ?」

「もしかしたらここは、僕らの知らない間に人体実験なんかが行われて、それの生き残りなのかもしれない!」


震えていたかと思うと、大きく振り仰いで叫ぶ音喜に、光磨は飛躍しすぎだとばかりに背中を叩いた。


「ありえなさすぎるだろう!ここは、前に事故があった場所なんだろう?だったらそんときに、音喜のところのじっちゃんなり父ちゃんが見つけてるはずだろう。小説の読み過ぎだろうが」

「じゃあ。もしかしたら、新人類という可能性もあるだろう!」


瞳を輝かせながら力説する音喜に、光磨はこの姿を村の人に見せて廻りたい衝動に駆られた。

皆の前では大人しく振る舞って、周りから褒められるいい子を演じているのに、このように自分の意欲をかき立てる何かにあったときは、人が変わったようになる。勿体ないなぁと、光磨は後頭部に手をあてながら思う。


「とりあえず、誰か呼んできた方がよくないかな?」

「めんどくさくねぇ、それ」


 鼓動の提案を、後頭部に手を添えて天を仰ぎながら、光磨はぼやく。そう言いながら、宝石に近づいていく彼に、鼓動は真っ青になった。


「あっ、危ないよ!コーマ」

「大丈夫だって、ちょっと触るぐらい問題ねぇだろう」


光磨はそう言って慎重に近づいていくと、やがて手を伸ばしてそれに触れる。


「大丈夫……なの?」

「あぁ、全然!ってか、ひんやりしてる」


それは氷を押し当てたみたいに冷たく、火が差していなければきっとすぐに、手を離していたことだろう。


「でもよ……こんなのがここにあるってことは、誰かがここにいたってことにならねぇか?」

「確かにそうかもしれないけど、まだそうと決まったわけじゃない」


光磨は鼓動の話を聞きながら、東の森ならまだしもここは、西の森だ。森守一族以外の立ち入りを禁止した森ならば、誰にも気づかれることなく出来るはずだ。

けれども、これは光磨の身長よりも高く、軽く持ってみようと試みたものの、びくともしない。村の皆を疑うわけじゃないけれども、こんなことが出来るとしたら森守一族しかいないことが、決め手にかける。


「ねぇ、コーマ。触らないで、ここにいよう?」


尋常ならぬ鼓動の声に振り向くと、泣き出す寸前の顔があった。


「確かに何か理由があってここにあるのかもしれない。けど、だからってコーマが何かする必要なんてない。ここは森守一族に任せた方が絶対にいい!だから……」


縋るような鼓動の声に、光磨は何も言えなかった。物心ついた頃からいたずらをして、両親に怒られた仲だ。その鼓動が、自分にそんなことを言うなんて信じられなかった。


「なんだよ、どうしたんだよ……急に」

「急じゃないよ!ボクは怖い……最初はおもしろ半分だったけどもしこれで、壁の向こう側へ行けたとしたらコーマ、行くつもりだろう!そしたら、ボクは……一人になっちゃうよ」


変わることが怖い、そうすることで自分が自分じゃなくなるのが怖いと、鼓動は言う。光磨が離れていくのが怖い、そう言う彼に果たして何を言えるだろうか。

壁の向こう側がどうなっているか知りたいし、行ってみたい。だが、鼓動にしてみればこの村が彼の全てであり、世界なのだ。

それでも、光磨は鼓動の肩に手を添えると彼の体が驚くほど跳ねた。


「なに言ってんだよ。もし俺が壁の向こう側へ行ったとしても、鼓動も一緒に決まってんだろう!」

「一緒?」


精一杯、光磨が頷けば鼓動はきょとんとした顔をして見返してくる。


「小さい頃からバカにされても思っていた壁の向こう側にさ、俺と鼓動と音喜の三人で行こうぜ!お前らだけじゃん、俺の夢をバカにしなかったのってさ……すんげぇ、嬉しかったんだぜ?」

「コーマ、あのね……本当は、ボク、役に立たないかもしれないけど、皆で行きたい。行ってみたい」


たとえ、壁の向こう側がどんな場所だったとしても、光磨は音喜と鼓動と一緒ならば大丈夫だと胸を張って言うことができる。


「なんてたって俺たち、友達だもんな!」


友達がいるから、どんなことだって乗り越えていけると、そう思う。

すると、日の暖かさとは違う温かさに包まれ、三人は振り返った。

宝石の中で、泡が幾つも生まれて、発光している。膝を抱えている少女の指先が小さく、動いたのを光磨は見た。そして、指先をぎこちなく動かしながら膝を伸ばしていくと、立ち上がる。

そこでようやく少女の着ている服が見て取れた。頭には猫耳のフード付きワンピース、袖が異様に長く、本来手が出るであろう場所には三本のかぎ爪が、漂っている。足下は最初に見たとおりの猫足のような靴。

そして、幾つもの亀裂を縦横無尽に走らせると同時に、破砕音が辺りに木霊する。

光磨と鼓動は、慌てて顔を両手で庇いながら目を閉じた。その間に、雨の如く欠片が降り注ぐが、庇う腕すら傷ついた感じはない。

予想外の出来事にただ、事が収まるのを待つ。

刹那、耳が一瞬聞こえなくなり、光磨は恐る恐る目を開けた。

破片が煌めいて少女の周りを添えていく光景は、荘厳さが際立つ。素直に綺麗だと思った。

呆然と見つめる先で、少女は軽い音を立てて地面へと降り立つ。さながら天使の飛来のようだ。

少女はゆっくりとその瞳を開いた。そこにあったのは石榴よりなお赤く染まる瞳だった。

驚いて一歩下がって、光磨は少女を凝視する。

赤い瞳を瞬きさせると、やがて目の前にいる自分たちへ向けて袖の長い片手を上げた。そのときぶらんと折れて揺れるさまが、滑稽だ。


「よっ!」

「はっ………はい?」


拍子抜けしてしまうほど呆気ない声に、光磨は聞き間違えたかと思った。けれどそうではないようで、少女は長い袖を揺らめかせながら左右を見渡していく。

その姿は村にいる幼い子供と何ら変わらず、身長は近くで見ると光磨の腰あたりにしかなく、少女というよりも幼い子供だった。


「ここどこ?どうしてこんなところにいるの!?」


むしろ教えて欲しいのはこっちだと、光磨は突っ込んだ。


「これって迷子で、いいのか?」

「とりあえず、迷子にしとくか」


そう光磨と音喜が話し合っていると、子供は見るからにショックを受けたように顔を俯かせる。


「とりあえず、お前……名前、なんていうんだ?」


光磨が身を屈めて、子供に聞くとそっと自分の上着の裾をちょこんと掴んできた。


「アン、ダンテ」


向日葵の花が咲くような微笑みで、そう言う姿に光磨はこんな子が自分の妹だったらいいのにと、切に思った。


「おなかすいたーよー」

「えっ、お腹すいた?」


光磨が聞くと、アンダンテはこっくりと頷いた。

光磨は後頭部をかきつつ、提げていた麻布から石榴を一つ取り出すと、それを半分に割って渡す。受け取ったそれを、見たことがないのか赤い粒々を、じっくり見てから齧り付く。


「いいの?それ……」

「いいって、まだあんだからいいだろう」


鼓動に麻布の中身を見せながら、光磨は笑う。


「とりあえず、この子をお爺さまのところに連れて行こう。話はそれからだ」

「だな」

光磨は、アンダンテの顔を見ながら、やはり、むやみに触るのではなかったと後悔した。横目で見ればアンダンテは、石榴を無言で咀嚼していたが、自分の服の裾は変わらず掴んだままだった。


「まったく、それにしても変わった子だな」


外見といい存在といい、と呟く音喜に、アンダンテはさっと光磨の後ろに隠れてしまう。


「この子の呼び方、アンダンテ。って言ってたけど……長いからアンでいいんじゃないか?」

「アンか……赤毛のアンみたいでいいんじゃない」


光磨は、アンダンテの頭を軽く撫でると、驚いたのか赤い瞳をこちらへ向けてくる。


「鏡、みたいだね。アンちゃん」

「鏡かぁ……それは言い得て妙だね」


音喜と鼓動に見つめられてか、やはり再び俯いてしまう。

光磨は、どうしようか迷った後にアンダンテの腕の部分を掴んだ。


「そろそろ戻ろう。皆、心配しているだろうし。それに、君たちがいないと祭りの準備ができない」


そう言われ、光磨は空を仰ぐと先ほどまで橙色を帯びていた空は、青色に染まり始め、一番星が見え始めようとしている。


「うげぇ、母ちゃんに怒られる」

「ボクもだ」


光磨は母親の顔を思い浮かべ、心底嫌になりそうだった。

そして石榴を持ち帰らなければ、祭りは始まらない。


「みんなは、先に戻ってなさい。俺はここに残って調べる」

「分かった、お爺さまに伝える。ほら、行くよ!」


 やがて来た道を戻りながら、地下から出ると、空は星が煌めく夜になっていた。


「ずいぶん長くいたんだなぁ……俺たち」

「全然そんな気はしなかったね」


鼓動がそう相づちを返すのを見ながら、光磨は再び歩き出した。どこかで梟の鳴く声が聞こえ、両親に怒られる未来を予想して深いため息をつく。

森の闇に目は慣れていたし、星があるためそれほど苦ではないが、明かりが欲しいと思った。


「音喜、灯り持ってねぇ?」

「灯り?あー僕ら必要としないから忘れてた。予備に持っていたのはさっき使っちゃったからないよ」


内心肩を落としながら、光磨はアンダンテが分より遙かに見えていないようで、何かに躓いて転ぶ姿を思い描いた。


「しゃあねぇな……」


アンダンテに怪我はしてほしくないと思ったので、光磨は立ち止まると彼女の前にしゃがみ込み、脇の下に手を差し入れて抱き上げる。


「ひゃあ!」

「おぉ、いいじゃん。それ」


見た目以上に軽いアンダンテは、光磨でも十分抱えられる。彼女の胸の部分が自分の頬にあたる暖かさを思いながら、しっかり捕まるよう言う。


「音喜は森守一族だからこういう暗闇でも目が見える。俺と鼓動もそれほどじゃないけど、見えるけど、アンは見えないだろう。だからこうした方が転ばなくてすむだろう?」


きちんと舗装されている道なら、手を引いて歩けば問題はない。しかしここは、凹凸がありしかも木の根が邪魔をして、幼いアンダンテには困難だった。


「いいお兄ちゃんしてるみたいだね、光磨」

「いいだろう、別に……早く、帰ろうぜ」


鼓動は二人の後ろに廻ると、アンダンテの背中をそっと支える。


「でもさ、アンちゃんのこと、みんなに何て説明する?」

「そうだな……音喜の言っていた話をするってのはどうだ」

「いいね。真相が分かるまで伏せるっていいよね!」


また始まったと、光磨は鼓動と二人で苦笑いを浮かべる。一人分かっていないアンダンテだけが目をぱちくりさせていた。

すると後方から風が吹き、四人の髪と服をはためかせる。

歩き出そうとした時、鼓動は風が吹いてきた方向を見ていたのに、気がついた。


「どうかしたのか?」

「ううん、なんでもないよ」


鼓動は頭を振って、そう微笑む。光磨は首を傾げながらも音喜の後を追った。





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