みどりの日 02

 音喜はやがて西の森の深いところまで案内してきた。

ここはまだ町だった頃の名残があり、斜めに傾いた建物に朝顔の蔓が巻き付き、割れた窓には汚れたカーテンが風に揺れている。

コンクリートの地面は全てひび割れており、そこから車前草や多年草などが蔓延っている。

うち捨てられた車は錆が浮き出て、こちらも蔓植物に浸食され、車体の半分以上が緑色に染まっしまっている。

道の両脇には崩れそうな建物が続いており、自分たち以外誰もいない光景は幻想的に映る。

光磨は濡れた音に足下を見やれば、水がすっとこの辺りを覆っている。一段窪んだ場所があり、そこには水仙の葉が気持ちよさそうに揺れていた。

右側の建物群頭上に、を高速道路が通っていたが、柱にも罅が入り、いつ壊れても可笑しくない状況だった。


「ほら、石榴、あったぞ」

音喜の声に振り向けば、高速道路に空いた穴の真下。隠すようにして木箱が置いてあった。

木の蓋を音喜が開けると、熟し過ぎた果実が詰まっていた。

音喜は石榴手を添えながら、頭上を仰ぎ見る。視線の先にはハイビスカスを薄い朱色にしたような花が咲いていた。

「異常成長したのは樹木だけではなく、こう言った物も変質させてしまったんだ。あまり数は取れないが、季節が少しズレて咲いているんだよ。他にも見たことあるだろう?」

確かに、と思いながら光磨は手を伸ばして、石榴を掴んだ。

石榴以外にも東の森では、夏に収穫を迎える果物が春に採れることもある。味は夏に食べるよりも甘く、普通のより美味しいと思う。

光磨は石榴を、ポケットに突っ込んでおいた麻袋に、放り込む。


「三つ四つあれば大丈夫だろう?音喜」

「あんまり取り過ぎるのはよくないし、それで足りるだろう」


うんうん、と一人勝手に納得している音喜を、光磨はそっぽを向く。

隣りにいた鼓動は、二人をよそに石榴を掴むと、光磨に断ることなく麻袋へ入れていく。

徐々に重くなる麻袋を見ながら、光磨はそういえばと切り出す。


「西の森ってなんで立ち入り禁止なんてしてんだ。確かに、危ないってのは分かるけど、禁止するほどのことじゃねぇだろう」

「お爺さまが決めたことだからよくは知らないよ。だけど、この辺りに地下へ続く階段があるんだ。昔そこで遊んでいた子供が転落死したらしいから……それでじゃないのか?」


子供が転落死した。

思ったよりもずっと物騒なことに、光磨は驚く。こんな平和を絵に描いたようなこの村でそんなことがあったなんて、知らなかった。


「何十年も前の話だし、大人たちもあんまり話したくないんじゃないかな」

「そうゆうもんか?」


「気になるようならお爺さまに聞いてみればいいだろう?光磨」

そう言われ、光磨はそうだなと思い直す。

音喜の祖父は何でも知っている。

こっちが驚くような蘊蓄を持っていたりもするので、大抵のことは聞けば済んでしまう。それはそれで勿体ない気もする。

しかしそこまでする必要があるかは疑問だが、聞いて損をするわけでなく、あくまで興味本位だ。


「でもよ。それだけで禁止ってのも何だかなぁ」

「厳しすぎるぐらいがちょうどいいんじゃない?」


石榴を取り終えた鼓動がそう言ってくる。

神によって壁が作られ、自分たちはこの場所から出られなくなった。でもそれは光磨たちが生まれる何百年も前の話だ。当時の人の心境と比べると、危機感は薄くなっているように思える。閉じ込められた当初は、何が何でも壁の外へ出るという意欲があったみたいだが、それも今はない。

今では、無理に外へ出るのではなく今のこの状況を少しでも穏やかにする方に重きが置かれている。

だがあまり厳しすぎても、困るような気がした。

それは自分の変わらない平凡な日常から来る至極当然の、想いからなのだろう。


「壁……壊してみっかなぁ」


思わず零れた言葉に音喜は、脱力感を露わにした。


「それはやめた方がいい。疲れるし第一にムダだ」

「だけど、たとえムリだと思われたとしても夢とか希望を持っていたいだけだよ」


最後の方は光磨の独白だった。

夢や希望を信じるのは、光磨の想いを持って、日々を生きてはいけないのだろうか。最近、そう思うようになった。そして驚くような、心躍る体験をしたいと、思う。それは決して自分だけが望んでいることではないと、信じている。

けれども、自分以外の人は壁を壊すことを諦め、無理矢理納得させて、今ある平和を甘受する方を求めていることを、分かっていた。だから余計に、歯痒いのだと思う。


「なぁ、そう言えばどうして西の森の石榴じゃなきゃ、ダメなんだっけ?」


光磨はそう言えばと切り出す。


「コーマ、学校で習ったよ。ボクたちの祖先が西の森にいたから、そこで生えた石榴を使うことで過去を思い出し、改めるって意味があるんだよ」


鼓動の指摘にそうだったか、と光磨は首を傾げる。


「さて、帰るか!」


わざとらしいほどに明るくそう言って光磨はやや歩き出してから、二人が付いてきてるかどうかを振り返った。

すると、音喜が短く答えるのに対して、鼓動はとある一点を凝視していた。


「鼓動?」


光磨は音喜と顔を見合わせながら近づいていくと、鼓動が見つめる先を揃って顔を向ける。

日は傾き始め、辺りを橙色に染め上げている。その中、黄色の光が差し込む円形の崩れた入り口のようなものの下に、四角い穴が空いていた。

高速道路の下、公道を挟んだ向かいのビルの側に、それは設置されており、反対側の道だった場所にも同じものがあった。

光磨たちが近づいていくと、四角い穴は階段になっており、地下へ下りられるようになっていた。

階段の端々には枯れ葉が散乱し、誇りっぽい匂いがする。頭上の円形を仰ぎ見れば、長四角があり、煤けてしまって何て書いてあるのか分からなかった。

階段の壁には蔦が奥まで続いており、さながら毛細血管のように入り組んでいる。

そっと円形を支えている柱に光磨が手を添えると、砂の感触が伝わってきた。

長い間放置されているのが分かるが、でも。見慣れぬ足跡が薄ら残っていた。恐らくここが、音喜の言っていた子供が転落死した場所なのだろう。

風が吹き込んできて、誰かが奥で叫んでいるような声が聞こえてきた。風の唸りだ。

そして埃臭さと湿っぽさが合わさり、背筋がすっと寒くなる。


「こんな近くに現場があるなんて、音喜くん……知ってた?」

「いや、知らなかった。でも、すごいよ」


光磨と鼓動は当然ながら初めて入ったのだから分かるが、案内役としてここへ来るだろう音喜が知らないのは初耳だった。

興味深そうに除く音喜に、光磨はいたずらを思いついたような顔をした。


「なぁ、行ってみねぇか?」

「えっ!」


光磨は自分でも驚くほど、心臓が高鳴る。生唾を飲み込み、拳を力強く握りしめた。

これは待ち望んでいた驚きと楽しさが、この階段下には詰まっているようだ。

言いようのない期待感に胸を膨らませながら、光磨は一歩を踏み出した。

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