第6話 迫り来るもの

 こんな所にはもういられない。

 我に返った麻衣子は急いで二階へ駆け上がった。寝室に飛び込んでクローゼットから旅行用のスーツケースを取り出して衣類を詰めた。

「ただいま!」

 階下で玄関が開く音に続いて、由貴の元気な声が家中に響いた。

 しまった!と麻衣子は咄嗟とっさに自分の迂闊うかつさを呪った。今日は仕事に集中したかったので、従妹の久島 愛理ひさじまあいりに娘の迎えを頼んでいたのだ。

「麻衣子姉ちゃん、二階?」

 手にしていた衣類を投げ出して全速で階段を駆け下りた。

「ママ?」

「麻衣子姉ちゃん、真っ青…」

 余りの有様に二人が声を上げた瞬間だった。

 愛理の背後で半開きになっていた玄関ドアが、凄まじい音を上げてひとりでにしまったのだ。声もなくドアを見詰める三人の前で、見えない手によって施錠された。

 閉じ込められた…

 確認しなくてもあの影は、麻衣子たちを此処から出さないつもりだと感じる。

「カナエちゃん…」

 階段の上を見詰めて由貴が呟く。咄嗟に麻衣子と愛理もそこへ視線をやった。

「!?」

 二人して息を呑んだのはそこに、白い靄が渦巻いていたからだった。

「ママ、カナエちゃんが呼んでる」

「呼んでる?」

「下にいちゃ危ないって言ってる」

 あれが《カナエ》だというのであれば、一階で怪異を起こしているあれとは別物である。

「あれ…何?何が起こってるの?」

 当然ながら初めて此処へ足を踏み入れた愛理には、この家の中で起こっている恐ろしい怪異など知りようがない。

「後で…説明するわ。とにかく二階へ」

 リビングで物音がしている。室内の温度も先程よりも下がったように感じる。色で何かを判断しても良いものかどうかはわからないが、本能的にあの黒い影よりも階段の上の白い靄の方が安全な気がするのだ。

「で、でも…」

 正体不明のものは何だって恐ろしい。影を見ていない愛理には、比較する事が出来ないのであるから、純粋に靄に対して恐怖を覚えるのは当たり前だろう。

「多分…あれは大丈夫」

「ママ、怖い人が来るって…」

 怯えきって手に縋り付いた娘を片手で抱き上げ、もう片方で愛理の片手を掴んで階段を駆け上がった。

「ママ、私のお部屋!」

異変が起きるようになって、二人ともほとんど入らなくなった子供部屋。そこへ由貴の言葉を信じて飛び込んだ。

 ドアを閉めて施錠する。霊に鍵が有効かどうかは麻衣子にだってわからない。しかし何もしないよりは、最低でも時間稼ぎになるかもしれない。

 それにしても……ホラー映画等では、異変が起こるのは大抵は夜だ。それなのに今はやや曇り気味ではあるが昼間なのだ。霊が光を嫌う、というのは嘘だと感じていた。

「麻衣子姉ちゃん…」

 真っ青な顔色で問う従妹に、これまでのこの家での経緯を話した。

「それってここが、お化け屋敷だったって事?」

「最後まで売れ残っていたのには、理由があったって事ね。多分、この辺りに昔から住んでいる人たちは、知っている事実があるのでしょう。私たちは外からの転入者だから、わからないままにここを選んじゃったってことかな」

 駅からも近く商店街からも当然近い。人通りの激しい通りからも、車が行き交う道路からも少し離れて、閑静な住宅街という言葉が似合う地域だった。普通であればこれほどのの好条件の物件は、なかなか手には入らないものだ。

 一軒だけ残ったから値下げしてある、という不動産屋の言葉を信じていた。いや、それ以上に麻衣子も海外赴任中の夫も、ここを一目で気に入ってしまったのだから、今更誰かを責める事はできないだろう。

 できればこの家を失わずに済む方法はないのか……と思った時だった。階下で異様な物音がした。

 何か重たくて堅いものを引きずって、階段を上がろうとしているように感じた。

 階段を上がればこの部屋はすぐだ。

「ど、どうしよう、愛理」

 ここに逃げ込むのですら娘の言葉に従っただけの麻衣子は、事情を聞いた後は蒼褪めたままではあったが、冷静に何か考え込む様子の従妹に問い掛けた。

「ちょっと待って、多分……」

 そう呟くと愛理は持って来たバックの中から、紙袋を取り出した。

「これで少しは何とかなるんじゃないかな?でも最終的にこの部屋では狭いから、移動しなきゃダメかもしれない」

「何がダメなの?」

「だって、あれから逃げているだけじゃ解決しない」

「それはそうだけど……」

 中身が何であるのかはしらないが、本当のこの事態を何とかできる方法なんてあるのだろうか。そんな方法があるならば、もっと早くに知りたかったと麻衣子は思った。

 

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