第2話 可憐な魔王と平凡な勇者の邂逅

 衛守勇士えもりゆうしは、平凡に暮らしたい。

 そんな彼は、都内の高校に通う高校二年生である。


 浅黒く日焼けした肌。野性味溢れる無骨な風貌。

 幼い頃から筋肉質で大柄な体躯と、持て余すほど卓越した身体能力。

 そんな彼の身体は、息をするかのように世界記録を叩き出す。

 おかげで小さな頃から何をするにも、周囲から注目を浴びて育ってきた。

 故に注目されることに嫌気して、勇士は平凡を望むようになった。


 だからこそ勇士は、名門の私立高校へと進学した。

 彼の通う明穹学園めいきゅうがくえん高等学校は、優秀な生徒を輩出する名門にして都内最大の敷地面積と在校生数を誇る、つとに有名な巨大学園である。これ程の巨大学園であるならば、自らの存在が目立つことはないだろうと考えたのだ。

 だがそれはむしろ逆効果であった。優等生揃いの名門の中でも突出した能力を持つ勇士は、如何なる者をもまるで寄せ付けぬ。それ故に返って悪目立ちしてしまった。


 元々勇士は、多弁で社交的な性格ではない。むしろ寡黙で非社交的である。

 ぶっきらぼうな態度で、何事にもさして興味を持たず他人事のように傍観する。積極的に他人とはかかわらず、余程の問題が起きない限りは、自ら行動を起こさない。

 強大で未知の能力を秘めた者に、人は自然と恐怖する。彼の類稀なる身体能力は野性味溢れる風貌と相まって、周囲の生徒を無用に恐れさせた。

 そんな勇士の能力を闇雲に恐れた周囲の生徒により、彼の行動は悉く誤解され、実際の素行とは関係なしに学園内では『校内最強の不良』扱いされてしまったのだ。


 おかげで勇士はクラスで浮いた存在だった。とはいえ本人は、まるで気にする様子がない。むしろ、ようやく静かな生活を取り戻せた、と返って喜んだ。

 下手に悪目立ちするよりも、そちらの方が格段に気楽であったから――


 今日も今日とて、相変わらず無愛想な表情に、素っ気ない態度。

 クラスメイトの誰とも話さず、教室の一番後ろの席で、これといって興味のない授業を受けて帰宅する。誰一人として彼の席に友人は寄らず、休み時間は窓の外に浮かぶ雲をぼんやりと眺めて過ごす。かといって人生を達観することも儚んで悲嘆に暮れることもない。

 そうして退屈だが平和で平凡な日々を、勇士は何事もなく淡々と過ごしていた。



 ぼんやりと日々を過ごすだけの勇士に訪れた、とある変化――彼が高校二年に進級して、まだ間もない四月中旬。校庭の桜はすっかり散り去って、新緑が愈々いよいよ美しく芽吹こうかという季節のことだ。

 そんな春の陽射し眩い教室で、瑛斗は不思議な美少女と出会うことになる。


「今日は新しいクラスメイトを紹介するぞ」


 朝のホームルームで担任の男性教諭が唐突に切り出したそれは、転校生がやってきたことを示していた。珍しい報を受けて、クラス内が俄かに活気付く。今年度はクラス替えがなかったこともあり、顔ぶれの変化を歓迎するムードが教室内に漂った。


「先生、転校生って男女どっち?」

「男子どもは喜べ……女子だ!」


 そう言う担任教諭の声が妙に明るい。それに釣られてクラス内に小さな歓声が沸いた。いわく転校生は両親の急な仕事の都合により、東京へ転校してきたのだという。


「関西の名門女子高からの編入でな。社長令嬢にして容姿端麗、成績優秀――」


 担任教諭はどうしたことかノリノリで、まだ紹介されぬ転校生を矢継ぎ早に説明する。

 それにしてもべた褒めし過ぎだ。これではハードルを上げ過ぎて、廊下で待っている転校生が教室に入って来にくくなるんじゃないか、と思うくらいだ。


 カラララ……


 タイミングを見計らったかのように、教室のドアがゆっくりと開いた。

 ざわついていたクラス内が一瞬にして静まり返り、誰もが一斉に息を飲んだ。

 何故ならば、それほどに絶世の美少女が戸口に立っていたからだ。

 透き通るように白い肌、前髪揃えの黒髪が印象的な純和風の美少女。

 彼女が静々と教壇へ向かい歩くたび、さらさらと長い黒髪がたなびいた。

 教室内の誰一人として声を上げる者はなく、ただ彼女を見守る只管ひたすらの静寂の中、担任の横にちょこんと立つと、小さくぺこりと頭を下げた。


愛染真央あいぜんまおと申します。皆様、宜しくお願いいたします」


 嫋やかな笑顔と共に放たれた、鈴を転がすような涼やかな声。大和撫子とは斯くやと言わんばかりの身のこなし。彼女が自己紹介をし終えると、ようやく緊張が解けたように生徒たちの間から声が漏れた。それは男女問わず、誰しもが感嘆の溜息であった。金縛りにあったように見惚れていた担任も我に返り、慌てて黒板に彼女の名前を板書する。


 なるほど――これは担任がベタ褒めしたくなるのがよく分かる。

 自分の手柄でもないのに、自慢の娘でも紹介するかの前段は、これが原因か。

 普段、何事にも深い興味を示さぬ勇士が、珍しく他人に興味を持った。

 だが、ただそれだけだ。それ以上の興味は、ない。


「そうだな、とりあえず愛染君は……ええと、あそこにある席へ」


 担任教諭は空いている一番後ろの席を指さして、転校生を促した。


「ああ、いずれ席替えをするから。暫くその、我慢してくれ……」


 どうにも歯切れの悪い担任の言葉を、教室中の生徒がすぐさま理解した。

 教室で一番後ろの席は、転校生がまず最初に配される定席である――しかしそこは『校内最強の不良』ともっぱら噂される勇士の隣である。

 隣と言えど窓側の勇士からは反対の廊下側。だが誰もが勇士の周囲を忌避するため、まるで隔離されたかのように一番後ろの席へ座る者はいない。

 その意味に気付いた勇士が担任へチラリと目をやると、バネ仕掛けの玩具の様に教諭の身体がビクッと跳ね上がった。猛虎か黒豹を髣髴とさせる引き締まった肉体と共に、鷹の様な眼光鋭い風貌を持つ勇士は、教師の間でも畏怖の対象となりつつある。勇士とて睨むつもりがなくても野性味溢れる風貌がそう感じさせてしまうのだ。それを重々承知している勇士は、何事もなかったように目線を外してやる。

 担任教諭とて内心気が気ではないことだろう。華奢で可憐な超絶美少女を、そんな猛獣のような男の近くへ配置しなければならないわけだから。

 だが転校生はそんな気配を特に気にすることなく、しゃなりと大人しく隣の席に着く。

 彼女とは特に視線を合わせる機会はなく、何か運命的な出会いを感じさせるわけでもない。小説の様な衝撃的な出来事もなく、恋の予感を感じさせることもない。

 その時は――そう、その時は何事もない、単なる朝のホームルームだった。



 休み時間になると、転校生の周囲は待ってましたと言わんばかりにクラスメイトらで溢れかえった。わざわざ別のクラスから覗きに来た者も中には混ざっている。まるで誘蛾灯に誘われたかのように、真央の美貌に惹き寄せられたか。

 確かに彼女ほど魅力的な容姿であれば、興味を抱かない者はそういないだろう――ただ一人、何事にも動じない勇士を除いては。

 勇士は転校生が羞花閉月の美少女だからといって、特段の感情を持つことはなかった。

 だが教室内が騒めきに包まれて人で溢れかえる光景は物珍しい。だからその様子を頬杖をついてなんとなしに眺めていた。

 群がる人垣から転校生を垣間見るに、どうやら質問攻めにあっているようだ。彼女は嫌な顔一つせず、和やかな笑顔で朗らかに対応している。どうやら随分と社交的で、わだかまりのない性格をしているようだ。

 そんな中、真央を取り囲むクラスメイトの一人から、こそこそと勇士を指差す姿が視界の端に入った。いつも通りであるとすれば「アイツは校内一の不良だから近づかない方がいい」などと陰口を叩いているのだろう。

 根も葉もない在らぬ噂だ。だが殊更取り消すことも、好い人を取り繕うつもりもない。その手の誤解はもう慣れた。あるがままに放っておくのが一番だ。

 しかしながら勇士は格別に視力が良い。つい気付いてそちらに目をやると、指差したクラスメイトがビクッと怯えた小動物のような動きをした。きっと先程の教諭と同様、勇士の目つきの悪さに睨まれたと勘違いしたのだ。

 またいらぬ誤解を生んでしまった……そう自戒交じりに群衆から目を逸らす。


 否、逸らそうとした瞬間、不意に転校生と目が合った。


 きっと転校生は、クラスメイトが指差す先へ素直に目を向けたのだろう。少しきょとんとした彼女の表情にまるで邪気はなく、非常に純粋で無垢な眼差しをしていた。

 そんな彼女の瞳の奥で、不意に碧い光がゆらりと揺れた――いや、揺れたかのように見えた。青空を照り返す済んだ湖面の様な美しい色だった。

 勇士がそう思っていると、彼女はまるで時が止まったかのように身動ぎ《みじろぎ》どころか、瞬きひとつしなくなっていることに気が付いた。

 これはどうしたことか。いや、本能が告げている。転校生から視線を逸らすべきだと。

 しかし勇士も同様に、転校生――彼女から目を離すことが出来なくなっていた。まるで強力な磁石同士でくっつけたかのように、互いに視線が引き寄せられているかのようだ。

 転校生と視線が交錯するたびに、脳の奥に火花を散らすような、今まで受けたことのない感覚がチリチリと頭の奥に広がった。

 何か分からない。だが何かががマズい――そう思った時、不意に響いた一人の声。


「あー、アイツ目つき悪いよねぇ!」


 わざわざ勇士にも届かせる声を耳にして、ふと我に返って金縛りが解けた。

 勇士はそれをキッカケに転校生から視線を外し、声の主へと視線を切り替える。

 その声の主――転校生の横で偉そうに腕組みをして、ふてぶてしい態度でこちらを見ている。この女子の名は……なんだったか。興味がないので、いちいち覚えていない。

 拙い記憶を辿るに、確か彼女は周囲から「葉月」と呼ばれていたはずだ。


「アイツは衛守だよ。衛守勇士。いっつもあんな感じでぶっきらぼうで無愛想だから、愛染さんは気にしないでいいよ」


 フォローだか何だか分からないが、いつも向けられている刺々しい悪意よりは、幾分マシな紹介な方だろう。しかしぶっきらぼうで無愛想は生まれつきだ。放って置いてくれないものかといつも思う。


「ま、アイツは『餓えた狼』みたいな顔してるけど、たぶん害はないよ」


 葉月は勇士に聞こえるくらい、よく通る声であっけらかんと言い放ち、からからと笑ってみせた。しかしその言葉を向けた本人は元より、勇士に怯えている周囲のクラスメイトらを前にして、よくぞそこまで言い放ったものである。

 無遠慮な性格なのか、大胆不敵な性格なのか。いや、ちょっと待て。実際に勇士は、害をなしてはいないわけだから、人を見る目があるというべきだろうか。まったくもって余計なお世話だ。かと言って憤慨するほどの事でもない。

 勇士はいつものように窓の外へ視線を向ける――その前に、ちらりと転校生の表情を窺ってみた。彼女はまだこちらを見ていた。白皙の頬がわずかに紅潮し、瞳がキラキラと輝いている――ような気がする。

 何故だかわからないが、まるで好奇心旺盛な子供のようだ、と勇士は思った。

 しかし清純可憐な少女の胸の内など、粗忽な無頼漢である自分に測り切れるものじゃない。そう思い直して、それ以上考えるのをやめた。

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