第3話  僕を僕で無くする手段

「アナタは、今までの人生を捧げる、覚悟はありマスか?」


 神の遣いを名乗る鳥の忠告。

 力を得るためには代償が必要なのだという忠告。


「……そ、それって、どういう」

「本来なら、こんな代償は必要なかったのデス」


 肩を落としたように翼を下げ、白いフクロウは言葉を紡ぐ。


「神サマがニンゲンに力を授ける。神話でも昔話でもよくある事デス。悪魔の契約と違って魂を差し出せなんて条件は要らないものデス。でも」


 そう、「でも」なのだ。

 この白いフクロウによれば。


「アナタに力を授けても意味がありマセン。『隷属者の刻印』の影響でギガーテと戦えないのデスから」

「うん……それで?」

「だから、アナタが女神の力を得て戦いたいのなら、アナタを」


 すっ、と息を大きく吸い込み


「アナタを『生まれた時からアナタではなかった者』に換える必要があるのデス」

「…………え?」


 意味が飲み込めない。

 いや、意味が分からないのではない。

 フクロウの言った事はちょうど“あれ”と同じだったため、受け入れるに時間がかかったのだ。


「……ハイ。“プシュケー”を操作して存在情報を改竄する。ギガーテの『隷属者の刻印』と同じ原理デス」


 もっと大掛かりデスけど、とフクロウは弱々しく笑う。


 僕は生まれた時からギガーテに隷属する者にされた。

 だから僕を『僕じゃない誰か』に置き換える事で刻印の呪縛から解き放たれる。

 成る程、理屈は簡単である。

 簡単だけど。


「それで、『人生を捧げる』って……」

「ハイ。可能な限り改竄部分は少なくするつもりでありマスが」


 このフクロウは正直だった。

 誠実だったため、慰めの嘘はつかなかった。


「個を確立させている肉体・外見情報はまず違う物になるデス」


 それは外科手術によって為される修正ではなく。

 神サマの力、奇跡の行使による完全なる置き換え。


 人間関係における外見の重要性は言うまでもない。

 美醜の問題ではない、見覚えの問題。

 少なくとも人間社会で外見的特徴は、それが誰であるかを示す重要なファクターなのは否定できない。

 それが神がかりの外見的変化、「全く異なる人物」になるというのは今までの関係性を大きく損なう事になるだろう事は想像に難くない。


 そして“プシュケー”とは時間の概念、過去をも内包するらしい。

 であれば、肉体情報の改竄に留まるのか。

 そもそも生まれも育ちも異なる人間だった、そういう改変になるのではないか。

 最悪、『戸田真幸』という人間がいなくなるのではないか。


 その事によってどんな障害や問題が生じるのか。

 両親や妹、友人や明日香はどう思うのか。

 事故死したかのように悲しむのか、消息を絶ったかのように心配するのか。

 或いは「最初から居なかった」ように、なんとも思わないのか。


「出来る限りのフォローはするデス。けれど、もう一度確認しマス」


 目眩にも似た心の動揺を示す僕にフクロウは念押しする。

 一時の気の迷いで選択すると後悔する、その事を噛んで含めるかの如く。


「アナタの人生を捧げてまで、戦う力を求めるデスか?」


 口の中が乾く。

 それが恐怖によるものだと僕は理解する。


 ──けれど、怖いものは何だ。

 僕は何が怖いのだろう。

 ギガーテか。

 僕自身を失うかもしれない事か。


「……僕が、何もしなかったら」


 いや、違う。


「僕は何もしなくても、失う。妹を、失うんだ」


 巨人の影に捕まった女性が消滅するところを見た。

 あの消滅が何を意味するのか、“プシュケー”の概念を知った今なら僕にも想像がつく。

 “プシュケー”を奪われた彼女は、おそらくこの世から消滅したのだ。


 彼女は生きた証も残らず完全に消えるのか、足跡は残るのか、親しかった人々の記憶には残るのか。

 一目見ただけの僕は、もうあの女性の顔や年齢、どんな色の服を着ていたかすら分からない。

 女性が消えた、そんな事実しか覚えていない。

 

 家族が、妹があのようになる。


「それだけは、絶対に、嫌だ」


 妹と、両親と、みんなと。

 僕は他人になるのかもしれないけど。


「だから、僕に、力を貸してくれ」


 フクロウは頷いた。

 もう僕に、覚悟の是非を問う事もなく。


*****


 ここは僕の意識の中。

 どれだけ会話のやり取りを続けても時間はほとんど経過しないという話だったけど、気が急く事に違いはない。


「だから早くやってくれ。僕に、妹を助けるための力を」

「焦らないでくだサイ。今、アナタの“プシュケー”を読み取って、アナタを『隷属者の刻印』の対象外にするラインを見極めているデス」


 フクロウ曰く全ての“プシュケー”、過去から今に至る僕を構成する要素全てを完全に塗り替える必要は無いらしい。


「要するに“プシュケー”を一部書き換える事で『隷属者の刻印』がアナタをアナタだと認識できなくなれば、それでいいのデス」


 つまりコーヒーに牛乳を沢山いれる。

 そうするとこれはもうコーヒー牛乳であってコーヒーじゃない、そんな感じなのだろう。


「ま、まあその理解でいいデス」


 体感時間にして5分くらい経っただろうか。

 厳しい形相で僕を見つめていた、“プシュケー”を精査していたフクロウが一息ついた。


「──この改変で、おそらくいけるデス」


 神鳥の中で目処がついたらしい。

 僕を僕で無くする、その形が。


「……それで、僕はどうなってしまうんだい?」

「聞きたいデスか? 決意が鈍ったりしないデスか?」

「………………うん、やめておく。どうあろうとやるって決めたから」


 一度だけ大きく深呼吸し、


「だから、やってくれ」

「わかったデス──」


 頷いたフクロウからオーラのようなものが立ち上る。あれが“プシュケー”という力なのだろう。

 そんな事を考えたのも束の間


「ヘパイストスの槌よ! かの者の“プシュケー”を『天換』せよ!」


 揺らめいた白い力が巨大なハンマーの形を成し、僕へと振り下ろされ。

 痛みは無かったのだけど。

 僕の意識は真っ白になった。



 いや、そもそも僕というのは誰の事だろう。

     白く、広く、この世界にたゆたう存在である僕とは、

   ボクとは何者だったのか──


  分からない。

          ボクは誰だったのかな?




……。

…………。

………………。

……………………。




「『天換』終了デス」


 耳元で生じる、疲労を滲ませた声。

 その声でボクは意識を取り戻した。


「どうデスか? 意識ははっきりしてマスか?」

「え、うん。ちょっとフラフラするけど大丈夫」


 問題ない旨を伝えるボクの声が甲高い。ボクの声のはずだけど、聞き慣れないような気がして落ち着かない。


「フム、では一番重要な事を聞いておくデス」


 フクロウは次の質問の前に一呼吸置いて、


「アナタは、『ギガーテから妹さんを助ける気はあるデスか』」

「!!」


 目の前に閃光が走る。


「当たり前だよ! それをするために、ボクは神サマの力が欲しかったんだから!!」

「……よかった、上手くいったようデス」


 一点の濁りもない即答にフクロウは満足、もしくは安堵した様子で頷いた。

 そうだった。フクロウの説明によると『隷属者の刻印』の影響があれば、たとえ神サマの力を借りてもボクは戦う気持ちすら保てないはずだったのだ。

 なのにボクはギガーテへの戦意を口にし、以降も心が萎えたりしない。

 フクロウによる“プシュケー”の改竄が上手くいった証左。

 それは、つまり


「ボクは、あの化け物と、ギガーテをやっつけられる!」

「ハイ。ワタシは元々そのために力を貸す遣いなのデス」


 ボクが『隷属者の刻印』を受けていなければ、ここまでの回り道にならなかったのだが。

 それはどうにかリカバーできた、ここからがようやく始まり。


「あ、でも、ボクは格闘技や剣道の知識なんて無いんだけど」

「それは大丈夫デス。戦い方、アナタの体の使い方は“プシュケー”に記憶されているデス。何しろ戦女神の力なのデスから」


 成る程、それは納得だった。

 女神アテナ、有名な軍神の力を得て戦い方が分からないなんてのは笑い種にもならない。


「ワタシがアナタの何を改竄し、今後どんな影響が出るのか。詳しい話は戦いの後で説明するデス。だから今は」


 バサリと片方の翼を広げ、白い神サマの遣いは部屋にある姿見を指差し──翼差した。


「ここはアナタの意識世界デスけど、その外見情報は改変した肉体を元にした物デス。驚かないよう、目を覚ます前に理解しておいてくだサイ」


 外見情報といわれて思い出した。

 ボクをボクで無くすため、神サマの遣いは「個を確立している外見は大幅に変更する」と言っていた事を。

 どんな外見にされたのか、おそるおそる姿見を覗き込む。



 意識世界の鏡の中で。


 ボクは、黒髪の少女と向き合った。


************

* あとがき的なもの *

************


前回「おそらく」と書いていましたように、思ったよりも長くなりました。

次で前フリの第1章が終わりです、きっと。


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