第2話  神サマの遣い


「ガッデム、間に合わなかったようデス」



 日常ではあまり聞く機会の無い言葉、「ガッデム」という単語を初めてフィクション以外で耳にした。


 いや、何かおかしい。


 ここはどこなのか、視界も定まらない、いや、そもそも何も見えてない。何も感じない、自分がどこでどうなっているのか、それもよく分からない。

 それに今の声。

 耳で聞いたというより、頭の中に響いたような。


「オゥ、その通りデス。流石はワタシと導調率の高いニンゲン」


 あれ、僕のぼんやりした疑問、言葉に出してないのに答えが返ってきた?


「当然デス。ここはアナタの夢の中、意識の中、頭の中なのデスから」


 は? 何を言ってるんだ、むしろ誰なんだ君は?

 というか、何がどうなってるんだ?

 ここはどこなんだ?


「フム、コミュニケート取り辛いデスか。では意識を集中、イメージするデス。一番馴染みのある場所……アナタの住んでる家、自室なんてどうデス?」


 僕の家、と言われた瞬間、頭の中がはっきりする。

 ここは部屋、僕の自室、机があって本棚があって、ベッドがあって──


 気がつけば、僕は自分の部屋にいた。

 見覚えのある机、好みの本が揃った本棚に、布団が日干し中のため、何も乗ってないベッド。

 今日出かける前の僕の部屋に間違いなかった。

 けれど


「これでバッチリ見えマスか?」


 さっきの誰とも知れない声がした。

 今度は頭の中に響いたんじゃなく、耳から聞こえた声という感じがした。

 そちらの方へと振り返り


 視線が合った。


 窓枠にちょこんと座った、いや、立っているのだろうけど「ちょこん」という表現が似合うほどに小さな生き物。


 白いフクロウと。


「フクロウ? いや、ミミズク?」

「フクロウ、フクロウデス。でも生物学的にフクロウとミミズクに違いはありまセン。つけられた名前の都合デス」

「へえ、そうなんだ……って、フクロウがしゃべってる!?」

「ウム、ちゃんと視覚イメージは通ったようで何よりデス」


 僕の驚きを余所に、満足げな白いフクロウ。


「え、あ……何?」

「まずは自己紹介からするデス。ワタシはヘイゼル、女神アテナの知恵を授かった白いフクロウデス」

「あ、アテナ?」


 女神アテナ、漫画やアニメで名前は聞いた事がある。

 ギリシア神話の戦女神だったような。


「偉大な女神様デス。でも悪口を言うと凄く怒るデス」

「はあ」

「そしてこのワタシはアテナ様の命を受けて、世に彷徨い出たギガーテを見張る夜の翼なのデス」

「はあ」


 神サマの遣い。

 実に疑わしい話だが、少なくとも言葉を話すフクロウなのは事実っぽく。

 しかしいまいち要領を得ない。このフクロウが女神の遣いを名乗っているのは分かったけど、それがどうして僕に話しかけているのだろう。


「詳しい話は省きマスが、アナタにギガーテの討伐を手伝って欲しかったからデス。でも間に合わなかったようデス」

「ギガーテ?」

「覚えてマセンか? 今のアナタになら、黒く大きな人影に見えただろう、アレの事デス」


 大きな人影、大きな人影──


「ああっ!!」

「一時的なショックで記憶が飛んでたようデスね」

「あ、あれは夢じゃなかったのか!?」

「あれも夢の一種ではありマスが、あれは現実に作用する夢。取り込まれたニンゲンにとっては本当にあった事になる夢」

「な、なんだよそれ!?」

「ギガーテの作った隔絶空間『巨神殿』。獲物を捕まえるための結界、といえば分かり易いデスか?」


 獲物という言葉に記憶が蘇る。

 影に覆われた街並み、浮かび上がる人の姿。

 雄叫びを上げる黒い巨影に、食われたように消滅した女性。

 そして


「……おい、妹は!? 千里は!?」

「まだ無事デス。けど」


 どうしてこんなのん気でいたれたのだろう。

 慌て詰め寄る僕から目を逸らし


「あの場に居た女性は、全員無事ではなくなるデス」


 絶望的な一言を告げた。


「お、おい、それはどういう意味だ!!」

「あのギガーテにみんな“プシュケー”を食べられるからデス」


 “プシュケー”。

 よく分からない単語だったが、「食べられる」という表現だけでなんとなく理解できた。

 やはりあの巨人の影は人食いの化け物なのだ。


「ここが夢の中だってんなら、今すぐ僕を起こせ! こんな所でのん気にしてる場合じゃない、僕は妹を助けないと」

「無理デス」

「なに!?」


 慌てる僕に、無慈悲な一言。

 夢から出す事が出来ないのか、と怒鳴る前に


「起こす事は出来マス。でも、目を覚ましても、アナタには何も出来マセン」


 そういわれて思い出す。確か僕は妹を庇って影の前に立ちはだかり、そのまま巨影の手に弾き飛ばされた、のだと思う。


「だけど、妹が!!」

「今のアナタは、ギガーテに親兄弟を差し出せと言われても抵抗できマセン──いや、もっと正しく言いマスと」


 フクロウは残念そうに、或いは悲しげに


「抵抗の意思を持ち続ける事すら出来マセン」

「は!? 何を言って──」


 ギガーテ。

 それがあの巨大な影の名前なのは文脈から分かった。

 けれど。


 妹を助けようとする事は、“ギガーテに抵抗する”事を意味する。


 この事を理解した瞬間、焦りが消えた。

 いや、違う。


 「妹を助けなければ」という気持ちが消えたのだ。


 どうして僕の心が萎縮したのだろう。

 どうして、あの影から妹を守ろうという気持ちが萎えたのだろう?


「それは、アナタが『ギガーテに負けを認めた』からデス」

「ど、どういう意味……?」


 興奮状態から落ち着いた、いや、すっかり消沈した僕に優しく語り掛けるフクロウ。それに強く言い返す力も僕にはなくなっていた。


「あの大きな影はギガーテ。はるか昔に別の世界からやってきた異邦神。偉大な神々が力の大半を割いて封印した巨神デス」


 異界からやってきた神サマ。

 普段なら馬鹿にするような内容だが、立て続けに起きた異常事態を説明するには、これくらい突飛な事でもなければ無理かもしれないと納得する。


「戦いに負けて勝者の部下になる、服従する。神話でも昔話でもよくある話デス。そしてギガーテは」


 神の遣いを名乗ったフクロウは気の毒そうに


「己に負けを認めた存在、神ならざる生き物を隷属させる──そんな能力を持っているのデス」

「……え?」


 負けを認める。

 そう言われた瞬間、脳裏を過ぎったのは。

 千里が巨大な影に襲われそうだった時、その前に立ちはだかった事と。


『ひっ』


 眼前に迫った巨大な手を前に、防げないと思い目を閉じた事。

 ──打ち倒されるのを認め、どうしようもないとされるがままに諦めた行為。


「アナタはギガーテに負けを認め、アナタの“プシュケー”には『ギガーテの隷属者』としての刻印がされたのデス」


 “プシュケー”。

 まただ、この謎の言葉が出てきた。

 ギガーテへの恐怖、畏れを覚える心から目を背けようとその言葉に飛びつく。


「な、なんだよ、その“プシュケー”って」

「“プシュケー”とは命であり、魂であり、心であり、それまで過ごしてきた命の流れを意味しマス」

「命? 魂……?」

「『アナタが誕生した時から今まで育んできた命、時間、関係性』、一言で言えば『人生』となりマショウか」


 人生。

 言葉で表せば簡単なそれに、僕の命に、魂に、巨人への服従心を刻まれた?


「キミはこの世界に生まれた瞬間からギガーテに服従する存在だった、そうされてしまったのデス」


 そんな馬鹿な、と抗議したかった。

 ギガーテなんて存在を今の今まで知らなかったのにそんな事あるのかと言いたかった。

 けれど分かる。

 あの巨人に襲われているはずの妹を助けよう、そう思う事は出来る。

 けれどそのための行動を起こすが出来ない、いや、そんな気持ちを維持する事すら今の僕には難しかった。

 理性ではおかしいと分かっているのに、感情が「そんな事出来るわけがない、やってはいけない」と叫ぶから。


「だから言ったのデス。もうアナタは、たとえ親兄弟を生贄に差し出せと言われてもギガーテには抵抗できマセンと」

「そ、そんな」


 萎えそうな心に興ったのは、奮い立つ熱ではなく絶望だった。

 どうにかならないのか、どうにか。


「──そうだ、お前、女神の遣いとして僕を探してたって言ってたな」

「ハイ。ワタシと導調率の高いニンゲンを探していたのデス。ギガーテの討伐にはどうしてもニンゲンの力が必要だったのデス。だから導調率の高いニンゲンに助力を得ようとしたのデスが……」


 導調率、シンクロ率のようなものだろうか。


「な、なら僕は“あれ”と戦えるんじゃ──」

「せっかく見つけた相手は既にギガーテに隷属させられていたのデス」


 肩の無い生き物が肩を落とす。


「今のアナタ、いえ、アナタという存在は、もうギガーテと戦う事は不可能なのデス」

「そ、そんな、どうにか、どうにかならないのか!?」


 僕は、いや、僕じゃなくてもいい、どうにか妹を救う事は出来ないのか。

 頭の中が掻き毟られるような感情の迸りも、ギガーテへの服従心から薄霜のように溶けて失せる。その事への怒り、僕自身への怒りでどうにか心を奮い立たせる。


「どうにか、出来ないのか……!」




「──出来なくは、ないデス」

「えっ!?」


 ぽつり。

 小さな、本当に小さな声。

 打開策があるというのに、優れた提案をしようとする態度ではない声。

 僕は、その小さな声の意味するところをまるで考えずに飛びついた。


「あるの!?!?」

「ある事はあるデス。けど」


 言葉を切る。


 ──後から思い起こせば、この時白いフクロウはその先を言うか言うまいか迷っていたのだろう。

 おそらくは、僕を慮って。



 数秒ほど沈思し、


「ワタシはアナタに、再び奴らに抗うための力を与える事はできマス」


 目の前の白いフクロウはそう言った。


「けれど、それにはアナタが、アナタである事を捨てなければなりまセン」


 俺の覚悟を試すように、そう告げた。


「アナタは、今までの人生を捧げる、覚悟はありマスか?」


 神の遣いを名乗る鳥が求めた代償は、思いも寄らぬものだった。


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